バランスポーズである「木のポーズ」は片足立ちのポーズとも言いますが、「体力チェック」の中に「閉眼片足だち」と似ています。目を閉じて足を床から上げたまま何秒間保つことができるか、のテストです。このテストは20代から50代までで評価を年代別に5段階あり、3秒~170秒までを計りますが60代以上は無いということです。教室に作業療法士の方がおられて高齢者(60歳も)はふらついて転んで骨折することもあるから行わないと説明がありました。なるほどです。テストのデータを見るとこの平衡性は年齢に確実に比例して悪くなってきます。またテストはどちらの足でも良いということで左右の足に関係なく平衡力は決定するのでした。
ヨガで行う「木のポーズ」は目を開けますし、何かにつかまってもいいのでテストではありません。繰り返して練習すると確実に平衡力、バランス力は身について行くのはおもしろいことです。しかし身体的に問題があるとやはり不安定です。たとえば耳が悪い、自律神経のアンバランス、加齢は影響します。
今回も案の定、一部のバランス力の悪い、老若男女が「木のポーズ」をしましたが、ふらふらしたり、足をちょん、ちょんとつけて落ち着きません。それで少しはましになるアドバイスをします。目を一点に集中してください、ふらついている人を見ないでください、足を互いに押しつけてください(足を腿へ、腿を足へ)、足で床をつかんでください、肛門を締めてください、首を伸ばしてください、などが効果的です。
今回はタオルを使って二人でひっぱりあって、足指に力を入れる練習をしてから行いますと抜群の成績がいいことがわかりました。またこのポーズの効果だけでなく、立つ姿も、歩く姿勢も脚力も変わってきました。それではどのような足指強化をするかというと、タオルを足指(普通は親指人差し指間)にタオルを挟んで二人、または三人でひっぱりあいをするのです。綱引きのような力比べでなく、どのくらい長く指に力を入れていられるかの強化法です。指が痛い、足指が痙攣するくらいやった方がいいようです。そして「木のポーズ」をすると感動の言葉でてきます。「楽~、すごい~、いつまでもできる」などの声が出てきます。
ここで筋肉の勉強をしましょう。
「木のポーズ」を行うに当たって一番使うのは足の筋肉ですが、「木のポーズ」の潜在的な効能について調べていくとこのポーズのすごいところがわかってきます。
すなわち足を使う基本的能力は生きる能力を高める働きがあることがわかりました。
動物は歩くことは本能ですが、その目的は食物を獲得するためです。そして外敵から逃げたり倒したりするためのものです。生きものは本能と結びついた動きほど反射的にコントロールされています。呼吸や心臓の動きと同じように、足もそういう意味で反射的にコントロールされているのです。
その反射の影響が強いのは筋肉に緊張筋と相性筋の2種がある内の緊張筋の方です。
緊張筋の性質を列記します。
静的な状況での安定を保つ。正確性と緻密性の運動が主体。姿勢を保つ役目の筋。
随意筋だが脊髄反射により自動的にコントロールされている。
脳細胞の老化を防ぐための情報を送るとされている。
収縮速度が小さく持続性が高い筋。 赤筋繊維が多い。
寝込んだりして使わなくなると急速に退化してしまう。
相性筋の性質
動的運動が主体。 早い運動、すばやい運動が主体。
随意筋で大脳によりコントロールされ機能が発揮される。
収縮速度が大きく持続性が低い筋。 白筋繊維が多い。
筋を鍛えることで肥大化する。
実際の筋肉は両方の筋肉をバランスよく併せ持って活動できるのですが、アンバランスになると疲れやすい歩き方やまた筋肉の付き方に特徴が出るといわれています。たとえばふくらはぎの太い方は無駄な足の使い方をしている場合が多く、相性筋を多用して腓腹筋が肥大している場合があります。それを直すにはやさしく、丁寧に足を運ぶ必要がありますし体全体の脊柱起立筋を強化しなければなりません。体の中で一番重くて高い位置にある頭をまっすぐ上にあげておく姿勢が必要なのです。
この緊張筋と相性筋のバランスは関節の保持にも関係して、痛みの原因にもなっているようです。要するに姿勢が悪いとこんなところにも悪化の原因があるということです。
「木のポーズ」についてですが、支えるための緊張筋、そしてタオルをひっぱる動きをして相性筋を強化することで、両者のバランスがとれてポーズを作りやすくするのでしょう。私たちは草鞋わらじの生活であればこのようなことをしなくてもバランスがとれていたのですが、現代の文化的な社会では靴を履いています。その分機能が悪くなってきたと思います。タオルをひっぱらなくても足指を開いたり閉じたりをきちんとすることでバランスのいい体、姿勢を作れることだと知りました。
本当に私たちの体はうまく作られているのです。
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四股立ちについて
カリキュラムのポーズにもなっているこのポーズは形は簡単ですが体にすごいパワーをもたらすものだとわかりました。このポーズは「ハイ、チーズ」といったたぐいで簡単に作れますので是非チャレンジして下さい。
脚を腰巾よりも広めに開い足先は外に開いて、腰を少しずつ落としていきます。そして腿を床と平行まで落とすと完成です。あとはアレンジで手を上に上げたり、横にしたりして姿勢を正します。吐く息のときに意識を下腹部におくといいでしょう。ポイントは「そけい部の締め」です。せいぜい10秒くらいでもかまいません。
この四股立ちは相撲などで良く見かけるスタイルで、パワーがみなぎる所作です。最近は日本ハムの中田翔選手のバッティングでも見られるようになりました。
さて、どのくらいの威力があるかというとビフォーアフターでチェックしていきます。
まずビフォーで、正座で肩を押して安定力のチェックです。
そして四股立ちです。
そして又どのくらい強くなったかチェックです。かなり強くなったと思います。
次に今度は先と同じような姿勢で肩を持ってもらって正座している人が手に向って肩で押す力のチェックです。
アフターです。正座している人はそけい部を折るような気持ちで前に倒すと、そのパワーはだんトツに強くなるはずです。
次に正座をしている人は前に体を倒して、それを上から背中を押して起きれないように押さえます。正座している人は起きようとするけれど起きれません。次にアフターです。正座している人はそけい部を締めるようにして手で床を押すようにして起きます。そのパワーも絶大です。
次です。廊下をぞうきんがけをする姿勢を取ります。その人の前で肩を押さえて抵抗します。肩や首力を入れても抑えらていると動くことができません。そしてアフターを行ないます。ぞうきんがけしている人はそけい部を締めるようにして足で床を蹴ります。これもタックルを簡単につぶすことができます。
以上のパターンで四股立ちを行なうことは安定した、上虚下実の姿勢となるだけでなく、こころもリラックスした状態になっているでしょう。
ホリスティックの考え方
普通、ホリスティックというと後に続くのが医学という言葉が出てきます。しかしホリスティックは全体、大きなという概念ですから、医学という専門的な分野でなくても、普通の人が自ら良くしていこうというときに使われる言葉だと思います。
体の不調な時に今の科学的な考えでは部分の改良を意味しています。肩がおかしい、膝がおかしい、胃の不調であるというようにそこの部分が悪い、それ以外は問題ないということを暗に告げています。まるで車の故障のように部品交換を期待している言葉です。
西洋医学は医療のますますの発達のために多くの人たちが苦しみから救われました。けがをしても感染症にかかっても死ななくて済みます。小説「白い航跡」(吉村昭)の中で鳥羽伏見の戦いでけがをしたら、感染症で死ぬのが普通であり、漢方医学の限界を当時の医者は感じ、西洋医学に転向していった話しがあります。科学技術と医学は世界の大きな戦争のたびに発達していったのです。
ところが今はこの部品扱いの医療では対応ができなくなっています。すなわち全身の機能が悪くなって部分に病状が出ている病気が多くなってきているのです。糖尿病や高血圧、血管障害、アレルギー、ガンなどがこれに当たるでしょう。
臨床医は病気を直すという大きな使命を持って病気に対応していますが、一部の医療関係者は一度は捨てた東洋医学の復活だけでなく、食養法や気功やそのほか癒すための可能性のあるものは何でも試みることを模索しています。
現代の科学技術が進歩して人の幸せを満たすために万能と思われる思想が頂点に差し掛かろうとしているときに、命や人生に対して物の考え方が限界になったように思えます。ここに至ってホリスティック思想が問題解決の一つになろうとしています。命が太古から生き続けた、いや命が発生したもろもろの条件は、水や空気や食べ物や思いや魂や気の流れであり、自然と合致してきた結果であります。それならば人間が文明の中で失いつつあるのは自然観であり、私たちが自然の一部であり、自然そのものを再度理解しなければならないと思います。
中村天風師は病気を病と言いました。それは個人の責任で命のアンバランスを表す言葉です。病気と言うと自分とは関係のない不運のために体がおかしくなったという印象があります。しかし彼は治すのは自分という意味で使っています。同じように沖正弘師は「治さない治し方」と表現されました。すなわち心身霊を整えることで治っていくという意味です。
ハリや灸が今では西洋医学と同じように○○に効くツボなどと称しているのは本来のホリスティックな考え方から逸脱しています。食べ物もそうです。○○に良いという食べ物は存在しません。生きるために必要なものが食べ物です。同じようにヨガのポーズも○○に効くなどもありえません。ヨガのポーズは全体を整える動きが目的なのです。だからヨガポーズは体操ではないのです。ヨガポーズは体の機能を整える重要な働きを持っています。
生きものである私たちは、人間関係も命も人生も部分的な小手先でコントロールはできません。全人格的に全人生をかけて修復することが必要でしょう。それがホリスティックの考えだと思います。そしてますますホリスティックが必要な世の中になるでしょう。
愛する人たちへ
出典不詳ですが以下の創作詩を瞑想用に作られたとのことです。これを読んで(聞いて)いると東北大震災の被災者の方々のことが思い出されます。いや、私たちが物にあふれ、人間関係が疎遠になって自分のことしか考えない嫌な時代を生きている人たちへの思いやりを復活させる詩でもあります。
このような物語を使った瞑想は私のhpの中にも前に書いたのですが、こちらの方がはるかに高尚です。一応参考にして下さい。http://www.mizunoyoga.com/q22.htm
「愛する人たちへ」近藤美子作
はるか遠い昔 広いこの宇宙には大いなる時の思いが渦巻いていました。
愛の神様は、輝く星の一つに 大気を息吹かせ 広い海と大地を お作りになりました。
およそ三八億年もの昔 私たちのご先祖様は、
タンパク質を持つバクテリア大の単細胞として、その海で浮き沈みしながら
化合、融合、結合を続け ながーい時を経て 人間に進化しました。
それからどのくらいたったでしょうか。
ヒトが海水から発生したときと同じように、
父母の精子と卵子が合体してできた一個の細胞は
小さな海 母親の子宮に満たされた食塩水に浮かびつつ、
分裂を繰り返して この世に送る出されたのです。
それが今 ここに存在する、あなたのです。そして 私なのです。
若くして心が滅入ったときには、あの広い海を思い出しましょう。
そして「わたしは 宇宙を構成している尊い、一分子なのだ」ということを、
心によみがえる思い出の中から 手繰り寄せてみましょう。
青い星 地球に 愛の種がまかれ やがて人が生まれ、
それぞれが愛を実らせていく 不思議な縁(えにし)。
たとえ 辛いときを与えられたとしても
人々の愛が・・・仲間との愛が
そしてすべての愛が固く結ばれていれば
心がより強く高められるもの。
美しい星を 輝く魂を 憎しみや哀しみで汚さないで・・・
人はみな この星にひととき宿って、やがては消えていく 愛の巡礼だけれど
手を握り合い、固く結ばれた、まことの愛だけは、
とこしえにきえることはないでしょう。
与えられた得がたい命です。
助け合いながら、大切に生きていきましょう。
犬の習性
ヨガとまったく関係のない内容です。
このブログの名前になっているベッキーは我が家で飼ったいるコーギー犬です。親ばかで言うととても賢く、とてもかわいい犬です。もう9歳になります。少し爺くさくなりました。でもまだまだ元気ないいところを見せてくれます。
ところが、飼い主にとってずーっと我慢が出来ないことがあります。まずインターホンが鳴ると家の中でうれしいのか警戒しているのか吠えます。しかしお客さんの前ではめろめろで愛想をふりまき、外では他の犬にほえる、吠えまくる、子供にほえる、とびかかる、自転車に異常に反応して吠えるといった感じです。
家人は散歩のとき、他の犬、子供、自転車に気をつけなければなりません。危険でもあるのです。9歳になろうとしているのに訓練士にお願いしたいと真剣に考えていました。
ところがネットで面白いサイトを見つけてきて、その二つのことを1日だけ行ったら、驚くなかれ、ぴったと吠えるのがやみました。その代わりその日は家の中でベッキー君は不安そのもので家人の後をずーっと付いてきていたそうです。普段は一番いい場所であおむきで寝転んでいるのですがそれもなくなり、いつも眼だけが家人を追っているといいます。
この二つのこととは犬の眼を見ないこと、犬とお話ししない又は犬を声を出して叱らないことです。たったこれだけするだけでベッキークンはいつもと様子が違うことに気がつくのです。それは犬の習性だそうです。そのマニアル本に犬の先祖はオオカミである、縦社会であり、順位をとても大切にしている、これをコントロールすると犬は安心して上位の者に完全に従う、しかし人間の祖先はサルであり、サルはアイコンタクトと声かけが重要であり、習性が全く違うとありました。
人間の赤ちゃんにアイコンタクトや話しかけをしないで育てると精神的に不安定に育つそうですが、犬は上位者は決して、下位者にアイコンタクトなどの行為をしないのです。下位者が服従を意味してアイコンタクトを上位にするのです。
下位の犬はいつも上位のご機嫌をうかがうために上位の者を見ています。ところが人が犬をかわいいねとアイコンタクトを続けると、犬は人を下位だと錯覚し、しつけができないどころか吠えて相手を威嚇するそうです。声かけや怒るという行為も下位である弱い方がそのようなことをするのだから犬はいつの間にか上位だと錯覚するそうです。犬は人の社会にいる限り、最下位が一番安心するポジションなのです。
この二つ(アイコンタクトと声を出して怒る)を意識して行わなくなったものですからベッキーは俺の天下から奈落して相手されなくなり不安、不安になるのです。そして散歩のときも他の犬を威嚇しなくなったわけです。これ1日でこのようになるのです。ただ2週間たった今は少し飼い主も疲れたり、ベッキーも無視されることに慣れて少しは前の状態に戻っていますが、前と比べたら雲泥の差です。訓練したこともないのに「リーダーウォーク」(人の横にリードにつながれてひっぱらずに歩く)も近所の人と長話をしているときも飼い主の横で伏せ状態で待っています。今までなら俺と遊べととびかかって近所の人の嫌われ者になっていました。
ヨガでは体のこと、心のことを勉強しますが、犬の習性と同じように知っていると知らないと大きな違いがあるのです。ベッキークンには9年目にしてわかったので遅すぎるかもしれませんが、しかしいつも「今からこれから」の気持ちでこの大きな収穫を喜んでいます。
最後に娘とベッキーの関係も書かねばなりません。生後2カ月で我が家に来たベッキークンは娘は大喜びでした。しかしその喜びも初めだけ、だんだん疎遠になり、彼女は他の遊び、勉強で一切ノータッチです。遊ぶとなると娘が遊ぶのであってベッキーは被害者です。無理やり走らされ、登らされ落とされ、ひっくりかえされたり、そしてそのほかの訓練を強要します。ベッキークンにとって娘は小さいころから最上位者です。彼女の姿を見るとおびえさえしていました。
犬の習性とはそんなものかとそのネットの記事に感謝です。(愛犬しつけ110番)
心が変われば、人生が変わる
支笏湖湖畔でヨガの合宿がありました。新潟の山田先生をお迎えして、有意義なそしてたくさんの知恵を授けていただきました。上の「心が変われば、人生が変わる」もその一つです。「嫌なことを喜んでする能力こそ人だけが持つ生命力」などは沖導師の言葉ですがそれを動きや強化法で実証する楽しい合宿でした。
山田先生は新潟サンヘルス、ヨガの教室を主宰をしていますが、他にもたくさんの顔を持ち、ある時は病院の事務職でもあります。病院での活動を新聞の記事をもとにインドネシアからの看護師を日本の看護師試験に日本で3人しかいないうちの2人を合格させたエピソードを話されました。すなわちEPAといわれる制度で経済連携協定(両国または地域間での親密な関係強化を目指す条約)にもとづいて、新潟の病院で日本語がほとんどできない外国人を2年足らずで、日本の看護師が受験する試験に合格させたといいます。彼もその担当であったので自信満々です。制度的にも試験は漢字にルビを打つとか英語に特別するとかあったが患者を対象にするには徹底した日本語教育が必要という態度で猛勉強したといいます。これは彼の普段からヨガを通してつらいことを喜んですることで自分を変えること、自分に自信をえることからチーム内でもその考えを押し通したそうです。合格した外国人も日本人になりきることが大切とコメントしたそうです。
青空ヨガを開催しました
楽園に一番近い島 竹富島
40年前に行けなかった島が竹富島です。そして姪は竹富町に住んで10年になり、もう立派な島の町民です。彼女の結婚式には家族が参加しました。コンドイビーチの沖から八重山の民族衣装を着て岸に寄せて神々に奉納するという儀式でした。その儀式も夜の9時頃から行われるというのも画期的です。島民、友人、親戚が岸辺に集まってお祝いをします。歌手のbiginも来ていたということです。
さて今回は別の姪が今度は石垣市で結婚式を挙げることになりました。その前に竹富観光です。朝早く私たち親族は起きて家の周りの道路の掃除です。道路は砂と,サンゴです。枯れ葉などのゴミを取り、あとはお寺の庭のごとく砂をきれいにほうき目を入れます。なかなか難しいのです。これらは島の人たちは習慣になっており、子供が率先して行うらしいのです。自分たちの島を大切にして、そして観光客が気持ち良く来られるようにというおもてなしも含んでいるということです。
屋根にはお守りのシーサーがあります。この八重山の島々には伝統を大事にする催しがたくさんあります。一年中なにがしの奉納があり、その中でも「種子取祭」は10日間にわたって神事が行われ、そして奉納芸能も行われます。観光客もこの時期は大勢くるということです。
この島の人口は350人で、決して過疎が進んでいるわけではありません。本土からたくさんの女性が嫁いでいるからです。姪も同様です。姪はいつの間にか結婚しそして島の催しのために忙しい毎日を過ごし、北海道に帰ってきたのは10年の間に1回位しかないのです。自分の居場所を確実に得ていると思いました。それに比べて、都会に住む私たちは郷土愛という言葉さえ知らずに、浮き草のごとく、どこにも居られない不安を抱えています。そして自分は何者であるかも知らず、ただ押し寄せる不安からせっせと物とお金を集めています。
快適を知ってしまった私たちは島民と同じように島の生活をすることはできません。夜の外出は懐中電灯が必携です。ハブがいるからです。コンビニもありません。駐在所もありません。何もないのですが島の人たちが島をただ守る、郷土愛に徹するという一念が観光産業を活発にしました。私たちはその島に訪れて、何もないものにあこがれ、神から守られたり神を守る神事などで無力の自分に気がつき、そして癒されていくのだと思いました。竹富観光のパンフレットに「楽園に一番近い島」とあるのは自然の恵み、生かされていることを感じ、生きるに十分なエネルギーを吸収できる環境だからでしょうか。
しかし自然の中にいる島民の方たちは決して不便な生活をしているわけではありません。竹富島も石垣島から電気水道を引っ張りるくらいの距離ですから高速艇で10分の距離です。中には石垣市にマンションや車を得ている人もいると聞きました。無と有をうまくバランスしています。私は文化遺産を持っている島の観光にもともっと浸りたいと思いました。
西表(いりおもて)に行きました
石垣、西表、竹富に行きました。姪の結婚式に参加です。この沖縄離島は40年前に行っています。鹿児島から(アメリカ領)那覇までそして石垣までを船旅です。そして西表の北側(上原港)に上陸して古見まで山で言う縦走、島を横断しました。遠い昔です、ほとんど忘れています。若かったから何ということもなく、通過しただけの記憶です。途中の○○という滝をいくつか横に見て先を急ぎました。少しはハブにおびえながら山中に一泊くらいの行程だったと思います。
その西表に石垣から高速艇で40分くらい、ツアーに参加して仲間川を高速艇で上りました。残念ながら潮の引き潮で所々河底が見えてこれ以上、上ることができないと船長さんが言いました。圧巻は由布島でした。水牛に乗って海をのそのそ渡ります。島の人たちはその水牛と島をとても大事にしています。ここだけではないのですが、自分の環境をとても大切にしているのです。西表は信号機があったり、道路が舗装されたり、昔とすっかり変わっていました。まあ40年前ですから。しかしガイドさんの説明では家のそれぞれに船があるのは漁業ではなく、自給自足のために船が必要だということでした。
南の島では私たちが文明の中で忘れているものをたくさん思い出させてくれました。贅沢やおいしいもの楽しいものが文明の私たちの周りに押し寄せてきて、不満や怒りや悩みの中にいるわけですが(断捨離に苦労している)、南の島の人たちは生きること、ここに居られること、今までのご先祖様のこと、将来に期待することをすべてこの地から作り出しているのです。感謝と祈りと願いをこめて。私たちはそんな大事なことを忘れてしまいました。
次回は神の島、楽園の島、竹富島を紹介します。姪のいる島です。
張理事長による呼吸体操
この項もムービーです。
この動きは彼が呼吸体操と言っているわけではありません。そして先に紹介した太陽礼拝よりも前に行う動きです。
私にはこの動きは吸う動きは素早く、手を上に上げきってクムバクを行い、それから吐く息でゆっくりおろしているのが印象的でした。100秒くらいの映像ですが、実際もこの程度でしたがこの動きならもう少し時間をかけて繰り返してもよさそうです。
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