他山の石にしたいものです。

老人六歌仙というのは江戸時代の僧侶の歌です。いつの時代もお年寄りの傾向はほとんど変わらないものです。体の衰えは自然現象ですから仕方がないとしても性根は気をつけなくてはなりません。その性根からくる、人の言動は気になるのですが、自分のこととなると、言いたい放題、やりたい放題なるのは江戸時代と変わりません。自分もそうかもしれないし、周りにこのような人がいるかもしれません。これは老若に関係なくいっぱいいそうです。最後のところにある、「人は嫌がる」ことのないように他山の石にしたいものです。出典も載せました。
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オホーツク圏内ヨガ講習

網走市内でヨガ講習会がありました。
当水野ヨガ学院指導員養成基礎研修コースの修了生が招待してくれました。札幌までコースに通った方、今でも月に何回か通っている人、研究会に所属していた人、当地で養成コース修了した方たくさんの方々とヨガを楽しみました。
沖ヨガの考えは時間、人、物を有効に使うこと、要するにこき使うこととあるので、私もその教えに従って徹底的に時間を割かしていただきました。ほとんど合宿研修と同じです。〜つかれたー〜。
今、網走近辺は支庁の統廃合となって網走支庁からオホーツク統合振興局という地域になりました。北海道は広いです。そのオホーツク圏内の主な地域のヨガ指導者が、北見、紋別、常呂、網走から集まりました。そして最後はそれぞれの地区から受講生が集まってヨガ教室でした。2日間の延べ人数は100人になります。大きなテーマは「気持ちよく体を扱う」でしたから、年配の方も楽しく過ごしていただいたかなと思っています。帰りにスーパーで今、旬のかに(札幌の半分くらいの値段と今日水揚げしたもの)お買い物をしていたとき参加者に会い、楽しかったーと言われて疲れもすっ飛びました。メンバーの方には本当に暖かいおもてなしを受けありがとうございました。
女満別空港までは飛行時間、約30分のフライトを楽しみました。帯広近辺の山岳写真です。
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親鸞上人

五木寛之作「親鸞」読み始めました。前に丹羽文雄作を読んで当hpの「最近のレッスン」にも取り上げました。(http://www.mizunoyoga.com/gakuin/q23.htm#l134)どちらも小説だから伝記の切り口がずいぶん変わるものです。読みやすいのは圧倒的五木寛之作ですが、親鸞の考えをもっと知りたいと思うのは丹羽文雄作です。丹羽文雄は浄土真宗の僧侶だから当然と言えば当然なわけです。昨秋に空海さんの高野山へ行きました。和歌山県の山の中なのに何か明るい景色が印象深いのですが、比叡の山は京都に近いのに何か暗い感じがします。高野山と比叡山は当時、宗教界の巨頭、空海、最澄が同時に生きた時代の山です。共に密教として修業のお山でした。しかしその後の偉人を輩出したのは比叡のお山で道元、栄西、日蓮ほかでした。最澄の教えには世の中を変えていく要素があるのだと思いました。
私が読んだ両著のキーワードは「地獄」だと思います。平安末期の混乱時代かもしれませんが、その「地獄」という言葉は「罰が当たる」と言葉を変えてと近世まで続きました。死ぬことの恐ろしさです。誰もが長い人生の中で後ろめたい言動があったから、浄土、天国に行けないのです。キリスト教に似ています。だから親鸞は祈り、宗教心を高めたのでしょう。浄土に行けるように南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えたのです。