地下街の広告の写真です。別に某新聞の回し者ではありません。いろいろな講演会に参加したり、本を読んでいて、すごい人がいるものだ、どうしてそんなことに気がついたのかと感心することがよくあります。
「自分の意見は他人の意見を・・・・」の文字が目に入ってきたとき、そうだ、そうだと変に感心してしまいました。よく講演会等で私のオリジナルですという考えをとうとうと述べる人がいますが、やっぱり眉唾だとわかります。どこかにネタがあるはずです。普通はこのネタに感謝して、誰それ先生の考えを参考にして自分はこのように考えるようになりましたと言えばその人の謙虚さが見られるのです。書籍にしてもたくさんの引用があればあるほど、著者の博識が見え隠れてしてきます。
ところで私のヨガのポーズは決してラジオ体操形式のように機械的に動かしているのではありません。感覚をもとにして動きを学習する事が大切だと説く、イスラエル人、モーシェ・フェルデンクライスの書物に学び、それをヨガに応用しました。彼はその動きや考えはまた柔道から学んだと言います。彼は独特のメソッドで体の動かし方を世界中に広めました。彼は動きの中で感じること、比べること、つながることの大切さを説きました。そして人にとって学ぶということは生に対する喜びだと言います。動物でも小さい頃はいたずら好きです。これは好奇心が旺盛なためです。好奇心こそが学習していくエネルギーです。
年齢に関係なく人の話しをしっかり聞く、本を読む、音楽や絵画、博物館など情報を採取することが大切です。共感や感動したならば、それだけ自分が豊かになり、さまざまなところから得た無数の考えが自分の考えを作っていくのだろうと思います。
月別アーカイブ: 2010年7月
静岡県三島市日帰り出張
日帰り出張をしました。今回の出張は遠いというより、本州は暑い!という印象でした。この前日は沖正弘導師が亡くなって25周年の法要が営まれました。不肖の弟子で法要に参加できなくその後に続く理事会のみ参加した次第です。札幌の自宅を6時頃に出かけ、羽田を経て、新幹線で三島入りです。
この三島も何年ぶりでしょう。懐かしい風景とすっかり街になった景色が頭の中でまだらになっています。沖導師の活躍した道場は今は更地になっています。その更地の小さいことに驚きです。ここには世界各国から、日本中から修行生が200人も集まっていたのです。3階建ての道場で缶詰状態で瞑想、強化法、講義等明け暮れていました。道場の前には小さな川だけれど、せせらぎの音がいつもしていました。川の流れを見たり聞いたりすると何か落ち着くのはそのせいかも知れません。川向こうには道場を解体した後、断食セミナー等をしている建物があり、沖導師の遺品や写真が保管されています。
暑い日中の中、懐かしい人たちと挨拶しますが、顔は暑さで真っ赤です。部屋に入ればクーラーがフル稼働で少しは涼しくなりますが、話しに熱が入るとクーラがないのと同じなります。本州の人たちのものすごい忍耐力に驚きます。この暑さは平気なのと何回も人を変えて聞きますが、やっぱり暑いそうです。会議に参加した皆さんは昨日も暑かったのです。今日も明日も。この暑さは8月末まで続くでしょう。私は今日、札幌に帰ります。夜の気温は18度と伝えていました。
農業学校の中の菖蒲園
この菖蒲園は札幌市月寒にある、農業専門学校八紘学園の中にあります。八紘とは耳慣れない言葉ですが戦時中によく使われた「八紘一宇」というと大東亜共栄圏を思い出します。私は終戦っ子なので戦争は知りませんがよく戦争体験者からその言葉を聞きました。その「八紘」とは「8つの方位」「天地を結ぶ8本の綱」を意味する語であり、これが転じて「世界」を意味する語となったとそうです。元は日本書紀の中の神武天皇の項目から出たそうですが、戦争推進のスローガンとなりました。
その八紘を思い出す八紘学園です。私立の専門学校です。大きな敷地に牧場や広大な畑を持っています。その一部に写真のような菖蒲園があります。今花盛りの真っ最中です。乗馬をする施設もありますし、バーベキュウのいい匂いも漂ってきます。広い校庭の中でどこを車で走っているのかわからなくなります。フェンスの向こう側は大きな道路でその道路に合流できないのです。狭い農地の中を走り抜け、ようやく住宅地に行き着いたときほっとしました。北海道は広いです。
今年もサボテンの花が咲きました
水天宮って
東京地下鉄の駅名です。はじめは単にそう思っていました。東京に出かけるとき、泊るホテルへいくときは茅場町を利用していました。地理感覚は全くなく、夜にホテルに入る時、200メートルの距離をタクシーを使ったこともあります。最近利用する地下鉄を変えてみました。水天宮という駅の利用です。何回か使っていて、水天宮という社(やしろ)が見え、好奇心で中に入っていくと子供連れの家族が多いのに驚きました。なんと子宝に恵まれますようとか安産を願う御宮さんだったのです。調べてみたらこのたぐいの御宮さんは全国にありました。子供連れが多いのはそのお礼なのかもしれません。こま犬の人形がたくさん飾っていました。このような風景を見ると何か昔ながら神を信じ、神を祈る姿勢に心うたれます。そういえば京都にある北野神社は受験生がわらをもつかむ気持ちでお参りするところでした。今週の学院のカリキュラムは「月の礼拝」です。単なる連続ポーズですが生きる日常から祈りを主とする生かされていることを実感するひとときです。