逆立ちのポーズと肩立ちのポーズ

BKSアイアンガー「ハタヨガの真髄」から逆立ちのポーズと肩立ちのポーズを抜粋しました。

この本は一つのポーズを多くの紙面を割いています。是非、日々の取り組みに生かしてほしいと思います。逆立ちのポーズができない人が多いですが、壁を利用しても良いでしょう。繰り返しすることで、何か必ず進歩します。肩立ちのポーズも同様です。きれいな美しいポーズでなくてもとにかく、やってみることが大切です。そして紙面にもあるようにまず1分、それができれば2分、と時間を延長していきましょう。

この二つのポーズはポーズの王様、母なるポーズと言われるくらい大切で効果が大きなポーズです。ヨガのポーズはそれぞれ筋肉や神経、内臓に刺激を加えることを目的にして、その刺激が普段の偏った体癖からくる不調を自ら修正するという考えです。

逆立ちのことをヘッドスタンドポーズといいます。一部腕も使いますが、頭で体を支えるポーズです。脳の機能を活性化する可能性があるのなら是非やってみたいポーズです。内臓の逆転も内臓強化になります。詳しくは抜粋を読んでやってみてください。

オンラインヨガレッスンを継続中

 ヨガは動きだけでなく、考え方や心の訓練も必要です。そこでオンラインヨガレッスンは今まで「生きている宗教の発見」を使ってヨガの十段階(一般的には八支則)を説明してきました。ごく始めだけの部分だけでしたが、ヨガの全体像がつかめました。
 区切りのいいところで今回「ヨガ総合健康法」を使わせていただきます。この本は沖先生の初期の著作で昭和51年1976年、ヨガブームの初期の頃です。私が学び始めた頃でかなり集中して読んだ記憶があります。まだ今のようなヨガの解釈がほとんどありません。ポーズも太陽礼拝もありましたが、ヨガは体操でなく哲学なんだ、その考えを生かすために体操をするのだという理解です。
 沖先生の語録のほとんどがここに集約されています。例えば「変化・バランス・安定」、「呼吸・脈・気分」、直さない治し方、教えない教え方、「無理するな、無駄するな、続けろ」、「感謝懺悔下座奉仕」、「統一心・調和息・統一身」・・・・。
 ところでこの本は(上)になっていますが続きはありません。名称が変わってー「なぜヨガで病気が治るのか」ヨガ総合健康法(中)ーとなっています。そしてー菩薩道入門 ビジネスマン幹部のための ヨガ総合健康法(下)となっています。
 それらの本が今は当然、絶版ですが、旧沖ヨガの著作権を持った団体がgoogleに寄付をして誰でも読めるようになりました。    
 「ヨガ総合健康法」だけでなく多数の著作本がありますので是非、ダウンロードして読んでください。
 
ヨガ総合健康法 (上)(沖ヨガの考え方と修行法) 沖正弘著
https://www.google.co.jp/books/edition/ヨガ総合健康法_上/Y8k0DwAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&printsec=frontcover

<最悪の時が最高の時である>

<オンラインヨガレッスン7のレジメ>
オンラインヨガでは毎週テーマを変えてヤマニヤ・アサナ・プラナヤマ・ダラーナの各項目を取り入れて開催しています。持ち時間は1時間なので、動きの時間が多いですが、ほかの項目を入れないとヨガにならないので数分間でディアナの話をしたり、瞑想したりしています。

今回のディアナの内容は以下の通り。
沖正弘先生の語録の一つです。<最悪の時が最高の時である>
沖先生は講演会の終わった後、世話人を集めて質疑応答会を開催されました。その時色々な話が出ます。大きな病気になりましたと受講生が報告に来ると、「良かったな、これからきちんとヨガができるのじゃないか。」、ある受講生が事業に失敗しました、言うと「良かったな、これで自分のことを考えずに菩薩行ができるぞ」と。
これとよく似た内容が以下の本にありました。

この本は「禅マインド ビギナーズ・マインド」鈴木俊隆(Apple社のスティーブ・ジョブスが愛読した禅のバイブルと書評にあります)からとりました。
p71「良い父親は、良い父親ではない」と言います。どう言うことでしょうか。自分のことを良い父親と考えている人は、良い父親ではありません。自分を良い夫と考えている人は、良い夫ではありません。もし良い夫になろうと専心して努力すれば、自分を最悪の夫と考えていても、良い夫になります。痛みや、そのほかの身体の難しさのために座ることができないと考えても、厚い坐蒲や椅子を使って、とにかく座らなければなりません。・・・(それが)禅の真髄に至るでしょう。ー禅の真髄ー

ここまでがレジメの中で説明していますが、この項を全部紹介しないと消化不良になりそうなので全文を紹介します。

「禅の真髄」
 ある経典に、四種類の馬の話があります(雑阿合経典、第三十三巻〈サンユクタ・アーガマ)。四種とは、車越した馬、優秀な馬、普通の馬、そして劣った馬です。卓越した馬は、鞭の音が聞こえる前に、騎手の意志にしたがって、早足や並足、あるいは左右に走ります。優秀な馬は、鞭がちょうど皮膚に届くか届かないかのうちに、卓越Lた馬と同じように走ります。普通の馬は、身体に鞭の痛みを感じたときに走ります。劣った馬は、痛みが骨の髄まで達したときに走ります。劣った馬が走ることを学ぶのに、どんなに大変かわかるでしょう。

 この話を聞くと、誰もが卓越した馬になりたいと思います。卓越した馬になることはできなくても、せめて優秀な馬になりたいと思います。これがこの話の、また禅の通常の理解です。坐禅をすれば、自分が最高の馬か、劣った馬か、わかると考えます。しかしここには、禅についての誤解があります。坐禅の修行は最高の馬になるためのトレーニングだ、と考えるのであれば問題です。それは正しい理解ではありません。正しい方法で禅を修行すれば、最高の馬でも、一番劣った馬でも関係ありません。プツダの慈悲を考えてみれば、プッダがこの四種の馬に対してどう感じていたかは、すぐにわかるでしょう。プッダは、卓越した馬よりも、最悪の馬に対して、より慈悲を感じたはずです。

 プッダの偉大な心とともに坐禅の修行をすると決意すると、最悪の馬こそがもっとも大事な馬だとわかります。自分が不完全であるからこそ、道を求める心のしっかりとした基礎ができるのです。完全に正しい姿勢で座る人は、およそ禅の本当の道、禅の実際の感じ、禅の真髄を見つけるのに時間がかかります。しかし、坐禅をするのは大変だ、非常に難しいと感じる人は、より大きな意味をそこに見つけるでしょう。そこで私は、ときに最高の馬は最悪の馬かもしれないし、最悪の馬は最高の馬になりえると考えるのです。

 書道を学んでいると、あまり技術の巧みでない人が最良の書家になることがあります。あまりにも技術が巧みな人は、ある段階から先へ進むのに、壁にぶつかるのです。これは芸術でも、また禅でも、いえることです。人生でもそうなのです。私たちが禅のことを話すとき、「この人はよい」「この人はよくない」とは、普通の意味ではいえません。

 坐禅でとる姿勢は、一人一人違います。人によっては、足を組むことができない人もいます。正しい姿勢がとれなくても、真に道を求める心を起こすことができれば、真の意味で禅を修行できることになります。座るのが難しい人のほうが、簡単に座ることのできる人よりも、道を求める心を目覚めさせるのは、やさしいのです。
私たちの毎日を振り返ってみると、いつも自分自身を恥じているようなところがあります。弟子の一人が手紙で「日めくりカレンダーを送ってくださいました。そこには毎日のすばらしい教訓が書かれています。それを守ろうと思いましたが、まだ年が明けて何回もたっていないのに、もう守ることができなくなりました!」と書いてきました。

 道元禅師は「将錯就錯」(しょう・しゃく・じゅ・しゃく)といわれました。錯(しゃく)とは、「やりそこなう」「間違う」という意味です。将錯就錯とは、「間違いを間違いで受け継ぐ」という意味です。あるいは、間違いを続けてしまう、という意味です。
道元によれば、ずっと続く間違いが、禅でもありえます。禅の老師の一生とは、長い年月の将錯就錯ともいえるのです。それは、長い年月、間違えても間違えても、ひたむきに続ける、ということです。

 「よい父親は、よい父親ではない」といいます。どういうことでしょうか。自分のことをよい父親であると考えている人は、よい父親ではありません。自分をよい夫であると考えている人は、よい夫ではありません。もしよい夫になろうと専心して努力すれば、自分を最悪の夫と考えていても、よい夫になりえます。痛みや、そのほかの身体の難しさのために座ることができないと考えても、厚い坐蒲や椅子を使って、とにかく座らなければなりません。あをたが最悪の馬でも、禅の真髄に至るでしょう。

 あなたの子どもが、重い病にかかっているとします。なにをしたらよいのかわかりません。ベッドに横になっていることもできません。普通、一番快適な場所といえば、暖かい、安楽なベッドでしょうが、今は、心の苦しみのために、休むことすらできません。立ち上がって歩き回りますが、役に立ちません。苦しみを和らげる一番の道は、坐禅をすることなのです。心が混乱し、姿勢が悪くなっていてもです。こうした困難なときに、坐禅をしたことのない人は、禅を学ぶ者とはいえません。ほかのどんな行為も、あなたの苦しみを和らげることはできません。ほかのどんな姿勢も、自分の困難を受け入れる力を持たないのです。しかし、長い、困難な修行で確立した坐禅の姿勢によって、あなたの心と身体は、好き、嫌い、よい、悪いなしに、あるがままに受け入れる偉大な力を持つのです。

 惨めに感じたときは、座るほうがよいのです。自分の問題を受け入れて、それに対処するには、ほかに道はありません。そのとき、あなたがよい馬であるのか、悪い馬であるのか、姿勢がよいか悪いかは、問題外です。誰もが、坐禅を修行できます。そのようにして、自分の問題に対処し、受け入れるのです。

 自分の問題の中で座っていると、どちらがよりリアルでしょうか。あなたの問題ですか。あなた自身ですか。「今、ここにいる」という気づきだけが、究極の事実なのです。坐禅によって把握するのは、このポイントなのです。よい状況、惨めな状況の連続の中で、修行を続けることによって、あなたは、禅の真髄を悟り、真の強さを獲得するでしょう。

小さな習慣

「小さな習慣」という本があります。アメリカの人が書いた本です。サブタイトルは「目標はばかばかしいくらい小さくしろ」と書いてあります。ヨガでも生活習慣の改善こそ命の働きが活発になるといいます。

私もさっそく、小さな習慣をあれこれ試してみました。今まで日課にしているものも含めて、感触は良いです。この中で「目標、腕立てふせ1回」とありましたので、私も、毎日1回やって行くと、数回できるようになりました。初めは体勢から下ろすだけの半回しかできなかったのです。また日記を一行という目標を作ると今では毎日結構書けます。小さな習慣を是非オススメします。

沖先生の教えでは癖、習慣、記憶の内容が自分自身を作っているといいます。これが心を作り、体を作り上げます。そしてそこから導かれた人生もろもろの、出来事は、いいこと悪いことすべてが自分の責任です。このことを自業自得の真理といいます。

別の表現では自分がイメージしたすべてのものが自分を作り上げているのです。社会に対するイメージ、他者に対するイメージ、自己に対するイメージがそれです。

癖ですから、無意識です。それを意識するのです。それが小さな習慣です。これも沖ヨガですが感謝、懺悔、下座・・・の癖、習慣を身につけば、そこには大きな命の働きが活発になるといいます。心が体を作り、人生を作っているのですから当然です。

小さな習慣を何かやってみたらどうですか。ヨガはまず、実践です。

この人に聞く-水野健二さん

機関紙発行をされている受講生の豊沢様からインタビュを受けました。約束の1時間があっという間に過ぎ、雑談のような2時間が過ぎてしまいました。サブタイトルは「ヨガを通して人間の素晴らしさを伝える」です。私はこのタイトルは「生命即神」のことを言っているようで気に入っています。少し長い文章ですが面白く読めると思います。
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骨ヨガ 本の紹介

「骨ヨガ」本の紹介をします。この本はDVD付きで知人の奥様が著者です。
本の帯には下記のように紹介文がありましたが、芸能界に疎い私は「南果歩さん」が著者だと思っていました。同じ疎い人のために補足すると南・・さんは著名なオシドリ俳優さんです。
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 この帯にあるように今のヨガブームはロスで生まれたようです。当学院の古いhpにもシリコンバレーを話題にした項目があります。またそして数年前ロス在住の方を頼りに旅行したことがあり、一度だけヨガを受講しました。残念ながらファッショナブルなヨガではありませんでしたが、それはそれで多様性の一つでした。
Yogaboom1_2  出典  R0010830
 そして今回のこの本は今の時代が作った傾向なのでしょう。わたしは私の方法しかできませんが、いろいろなヨガがますます多くなると思います。私たちの心も体もその時折に最適な状況を選択することで可能性を広げてきました。
 変化していくこと、好奇心を持ち続けることは生命力です。ヨガの世界も龍村仁監督の「多様なものが多様なままに生きる、これが命の本質である」という自然界の姿と同じように多くの人が多くのヨガで広く深く拡散していくと思います。
 初めは原始宗教としてヨガが、今は複雑な社会の息抜き、ストレス解消、不定愁訴解消そして楽しみ、喜びとしてなくてはならないものになっています。
 しんきくさいヨガの講釈を忘れて、流行の最先端のLA Studio風、ミュージックでHONEYOGA Let’s go!
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愛する人たちへ

出典不詳ですが以下の創作詩を瞑想用に作られたとのことです。これを読んで(聞いて)いると東北大震災の被災者の方々のことが思い出されます。いや、私たちが物にあふれ、人間関係が疎遠になって自分のことしか考えない嫌な時代を生きている人たちへの思いやりを復活させる詩でもあります。
このような物語を使った瞑想は私のhpの中にも前に書いたのですが、こちらの方がはるかに高尚です。一応参考にして下さい。http://www.mizunoyoga.com/q22.htm
Aisuruhitotatihe
「愛する人たちへ」近藤美子作
はるか遠い昔 広いこの宇宙には大いなる時の思いが渦巻いていました。
愛の神様は、輝く星の一つに 大気を息吹かせ 広い海と大地を お作りになりました。
およそ三八億年もの昔 私たちのご先祖様は、
タンパク質を持つバクテリア大の単細胞として、その海で浮き沈みしながら
化合、融合、結合を続け ながーい時を経て 人間に進化しました。
それからどのくらいたったでしょうか。
ヒトが海水から発生したときと同じように、
父母の精子と卵子が合体してできた一個の細胞は
小さな海 母親の子宮に満たされた食塩水に浮かびつつ、
分裂を繰り返して この世に送る出されたのです。
それが今 ここに存在する、あなたのです。そして 私なのです。
若くして心が滅入ったときには、あの広い海を思い出しましょう。
そして「わたしは 宇宙を構成している尊い、一分子なのだ」ということを、
心によみがえる思い出の中から 手繰り寄せてみましょう。
青い星 地球に 愛の種がまかれ やがて人が生まれ、
それぞれが愛を実らせていく 不思議な縁(えにし)。
たとえ 辛いときを与えられたとしても
人々の愛が・・・仲間との愛が
そしてすべての愛が固く結ばれていれば
心がより強く高められるもの。
美しい星を 輝く魂を 憎しみや哀しみで汚さないで・・・
人はみな この星にひととき宿って、やがては消えていく 愛の巡礼だけれど
手を握り合い、固く結ばれた、まことの愛だけは、
とこしえにきえることはないでしょう。
与えられた得がたい命です。
助け合いながら、大切に生きていきましょう。

心も静め自信も向上するヨガ

心も静め自信も向上するヨガのタイトルは朝日新聞に出ていた記事です。気に入った点は心について具体的に書いてあったこと、そして私の本が紹介してあったことです。
この記事を抜粋すると「」心理テストをした結果ヨガを実践した人のほうが平静さ、高揚感、自信などの指標があがった。その上ストレス状況にあっても、満足感や自己肯定感が高かったという。」の部分は非常に大切です。確かにそれが目的ではないけれど、肩こり腰痛、疲労回復が目的でヨガをしているのだけれど、本来とてもコントロールできない心の状況が変わっていくことはすばらしいことです。
きついポーズを作らなくても時間をかけて筋肉を緩めると脳の興奮神経が収まって上記の結果が得られると思います。
記事の中に「15秒以上続ける」というのは少しいただけない表現だと思います。15秒間歯を食いしばってもいいのかというのとそうではなく、何もしない時間が15秒だということです。何もしていなく筋肉が緩んだ実感があれば5秒でも10秒でもいいわけです。この緩むということは体が自然な状態になることで、自然になると、心も体も自然になり、落ち着き、自信、満足など生きる上で当たり前のことが現れるだけです。
話は似たようなことですが、よく対症療法といって意味のない手当てや姑息的手法ととられがちですが、病になったときの治療法はほとんどこれでこの方法こそが最高の治療法だと思っています。というのは痛みを消す、苦しみを消す、かゆみを消すなどの苦痛を消すことでその人の自然治癒力が最高に発揮されるのです。風邪薬でも症状を取ることで自然治癒力が生まれて快方に向かうのです。入院して安静にするのもそうだと思います。
力を入れて痛みを体に与えていくことで体は緩みませんし、心に対する働きも大きくはないと思います。しかし、前向きにあえて喜んで痛いことをするときはまったく違う働きをします。これが適応力というのでしょうか。いやいや苦しいことをしているのと、喜んで苦しいことをしているのとリラックス度も違えば心の強さも異なってきます。そのように考えるとヨガには両者に活かす力があることを教えてくれると思います。初級者には無理なことをしなくてもいいし、上級者には積極的に喜んで無理なことをする修業的要素があるのです。
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體の動かし方

「体が硬い人のヨガ本」は順調に版を重ね、5版を出すことが決まったと連絡を受けました。札幌駅の複合商業施設ステラプレイスに入っている大手書店では平積み扱いになって、手に取りやすくなっています。
Hiratumi
ここでの話しは体が硬い人にも通じる楽に体を動かす方法です。体の旧漢字は「體」と書きました。若い人は知らないとのお返事ですから、話が進みません。旧漢字を使っている資料はなかなか見当たらなく、江戸時代末期の「解体新書」杉田玄白がオランダの解剖学図を訳した本ですが、これに「解體新書」とありました。(私の本ではありません。某大学所蔵とありました。)
昔は体を體とあらわしたのです。実にうまく言い当てています。すなわち骨がたくさんあると言う意味です。体は動くためにあるのですから、骨がたくさん必要なのです。動くことは骨が動くことです。ですから体は體とあらわすのです。
体を楽に動かす方法は骨が楽に動くことが大切です。骨が楽に動けば筋肉は緩むのですが、硬い筋肉であったり、力づくで骨を動かすと筋肉は緊張して骨は動いてくれません。筋肉をいためることになります。
楽に楽に骨を動かすことが楽に気持ちよくポーズを作る極意です。さあ、どのくらい楽に動かすことが出来るでしょうか。これは精神領域かもしれません。心が緊張したり暴力的発想が出てきたりすると筋肉は緊張するので楽に動かすことは出来ませんよ。だからヨガは体を使った、心の訓練だと言うのです。心静かに、やさしく落ち着いて丁寧に自分の体を扱ってください。骨はたくさんの情報を持っています。筋肉を怒らせないことで心が安定してくるのです。
Karada

カラカタ(体が硬い人のためのヨガ本)4刷決定

先ほどPHP出版から通知が来ました。年末になってうっとおしい話が多いなかで急に頭の中は華やかになりました。
体も気持ちいいとチャレンジ精神がわいてくるように、気持ちも明るい話題の中では面白い発想が出てくるものです。
kagerouみたいに43万部じゃないけど、実用書としてじっくりと浸透して行けばいいなぁと思います。
アマゾンでは本の中身を見せてくれるサービスがあるのですが、まだ採用されていません。それではちょっとだけということで作業にとりかかります。
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Karakata01
はなしは全然別だけど、高校生の娘が持っていた「ノルウェイの森」村上春樹が映画化されると聞いて読んだがその小説はやたらにひらがなが多いことに気がつきました。それで最近の文章はできるだけひらがなで書くことにしています。これもどうでもいいけれど、この本、高校生の娘が読むことに親として抵抗があります。大人になればみんな知っていることばかりだけれどそれでも抵抗があります。