台湾の合宿に参加する

私が所属する総合ヨガ協会は台湾の沖道ヨガ会と互いに合宿などで交流をしています。台湾のヨガ会の活動は27年を経て、会として大先輩ですが創業者の方々が高齢になり、若返りをはかって順調に来ていますが日本のヨガ協会はまだその途中です。
今回も2年ぶりに秋季営という合宿に参加しました。千歳から台北へ直行便があり4時間のフライトで中華民国台湾に到着しました。桃園国際空港は辛亥革命から建国100年のお祭りで華僑が世界中から帰国をしているので混雑しています。迎えの頼さんは心配そうに入国待合室で待っていてくれました。4車線のハイウェーを一路、台北市に向かいます。左右では新たな高速道路なのかモノレールなのか工事があちらこちらで行われています。
翌日、日月譚(にちげつたん)という観光、リゾートの名所に大型バスで向かうのですがそのお祭りで高速道路は渋滞です。バスの中からは日本によく似た風景を4時間かけて目的地に向かうのですが風光明媚な湖は少し見ただけで、合宿所に吸い込まれました。
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2泊3日の合宿は日本人8人含めて100人以上の参加者でした。台湾の参加者の特徴は若い人が多いこと、体が柔らかいこと、よく笑うこと、規律正しいことでした。前の理事長は仏教に詳しくその哲学を説きましたが今回は哲学的な講義はなく、私たち日本人3名が所々で沖ヨガの考え方を披露しました。80分の授業ですが通訳を入れていますので実質40分で少ない時間です。
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私は3講座担当させていただきました。そのうちの一つを簡単に紹介したいと思います。
台湾と北海道に関係する話しを私のエピソードとして紹介しました。まず20歳の頃、私は探検部に所属していました。今もそうですが探検部は学術探検が主でした。(私は無人島調査というより踏破だけだったのですが)当時は過疎地に向かって古老の話を聞いて生活や文化を聞き出しレポートにするのです。京都比良山の西麓の朽木村や島根県の某地などで活動しました。そしてあるグループは大きな計画を立て、台湾の高砂族、中でもアミ族の文化人類学的な調査しました。(当時のキャプテンは今博物館の偉い人になっています。)古老の話しも高砂族の人たちも今は文化的な生活をしているかもしれませんが50年100年前の生活を知ることは知恵を出してたくましく生きることが生活だったと思います。彼らは私たちの一番身近な祖先です。同じように北海道にもアイヌ民族がいますし130年くらい前から倭人の進出が多くなりました。彼らは冬の寒さを克服するために想像を絶する生活をしていたと思います。食料がない、熊の出没、バッタの大群などで農作物が全滅など初期の開拓は大変だったと聞いています。これは台湾、北海道だけでなく世界中がそうでした。なにも生命強化法などという言葉を使わなくても生活がそうだったのです。そのパワーが私たちにもあることを知りましょうといった具合です。
現理事長の張さんは筋肉もりもりでいてアサナがきれいです。それは努力の賜物です。毎朝4時から2時間のアサナ練習をしています。今回も同行者5人くらいが行っていましたが私は見学だけさせていただきました。
台湾の夜明けは遅く5時頃で真っ暗です。
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台湾はさすが暑く、部屋の中はどこもクーラが効いています。それで台湾の皆さんは長袖のシャツは必携みたいです。食事はパイナップルやトマトがスープの中に入っていたりしていましたがヨガ関係者ということでベジタリアン食でした。野菜、青物が多く何でも食料にできるようです。
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あっという間に合宿が終わり、一人桃園市内のホテルに入り大きなダブルベッドでご満悦です。シャワーから解放され湯船にも久しぶりに入りました。近くのセブンイレブンに入ったのですが商品は当たり前ですが日本の商品はどこにも見当たりません。おにぎりもシンプルなのはありませんでした。しかし日本語通じたのはうれしかった。すごいと思いました。結構日本語を話しする人がいるのです。翌日また頼さんに迎えにきてもらい彼女の新しいスタジオ、道場を見せてもらいました。彼女は今もヨガ会の役員であり、前まで事務局長として能力の高い人でした。その彼女が独立するというのです。がんばってほしいと思います。空港では彼女にハグされ、これからも縁ができそうな台湾にひとまずさよならです。

珍しい果物がありました。名前のわからないものがあります。
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Taiwan6 これは龍眼という果物と柿ですが柿は渋抜きで皮がめちゃくちゃ薄いです。 Taiwan4