出典不詳ですが以下の創作詩を瞑想用に作られたとのことです。これを読んで(聞いて)いると東北大震災の被災者の方々のことが思い出されます。いや、私たちが物にあふれ、人間関係が疎遠になって自分のことしか考えない嫌な時代を生きている人たちへの思いやりを復活させる詩でもあります。
このような物語を使った瞑想は私のhpの中にも前に書いたのですが、こちらの方がはるかに高尚です。一応参考にして下さい。http://www.mizunoyoga.com/q22.htm
「愛する人たちへ」近藤美子作
はるか遠い昔 広いこの宇宙には大いなる時の思いが渦巻いていました。
愛の神様は、輝く星の一つに 大気を息吹かせ 広い海と大地を お作りになりました。
およそ三八億年もの昔 私たちのご先祖様は、
タンパク質を持つバクテリア大の単細胞として、その海で浮き沈みしながら
化合、融合、結合を続け ながーい時を経て 人間に進化しました。
それからどのくらいたったでしょうか。
ヒトが海水から発生したときと同じように、
父母の精子と卵子が合体してできた一個の細胞は
小さな海 母親の子宮に満たされた食塩水に浮かびつつ、
分裂を繰り返して この世に送る出されたのです。
それが今 ここに存在する、あなたのです。そして 私なのです。
若くして心が滅入ったときには、あの広い海を思い出しましょう。
そして「わたしは 宇宙を構成している尊い、一分子なのだ」ということを、
心によみがえる思い出の中から 手繰り寄せてみましょう。
青い星 地球に 愛の種がまかれ やがて人が生まれ、
それぞれが愛を実らせていく 不思議な縁(えにし)。
たとえ 辛いときを与えられたとしても
人々の愛が・・・仲間との愛が
そしてすべての愛が固く結ばれていれば
心がより強く高められるもの。
美しい星を 輝く魂を 憎しみや哀しみで汚さないで・・・
人はみな この星にひととき宿って、やがては消えていく 愛の巡礼だけれど
手を握り合い、固く結ばれた、まことの愛だけは、
とこしえにきえることはないでしょう。
与えられた得がたい命です。
助け合いながら、大切に生きていきましょう。
月別アーカイブ: 2011年7月
犬の習性
ヨガとまったく関係のない内容です。
このブログの名前になっているベッキーは我が家で飼ったいるコーギー犬です。親ばかで言うととても賢く、とてもかわいい犬です。もう9歳になります。少し爺くさくなりました。でもまだまだ元気ないいところを見せてくれます。
ところが、飼い主にとってずーっと我慢が出来ないことがあります。まずインターホンが鳴ると家の中でうれしいのか警戒しているのか吠えます。しかしお客さんの前ではめろめろで愛想をふりまき、外では他の犬にほえる、吠えまくる、子供にほえる、とびかかる、自転車に異常に反応して吠えるといった感じです。
家人は散歩のとき、他の犬、子供、自転車に気をつけなければなりません。危険でもあるのです。9歳になろうとしているのに訓練士にお願いしたいと真剣に考えていました。
ところがネットで面白いサイトを見つけてきて、その二つのことを1日だけ行ったら、驚くなかれ、ぴったと吠えるのがやみました。その代わりその日は家の中でベッキー君は不安そのもので家人の後をずーっと付いてきていたそうです。普段は一番いい場所であおむきで寝転んでいるのですがそれもなくなり、いつも眼だけが家人を追っているといいます。
この二つのこととは犬の眼を見ないこと、犬とお話ししない又は犬を声を出して叱らないことです。たったこれだけするだけでベッキークンはいつもと様子が違うことに気がつくのです。それは犬の習性だそうです。そのマニアル本に犬の先祖はオオカミである、縦社会であり、順位をとても大切にしている、これをコントロールすると犬は安心して上位の者に完全に従う、しかし人間の祖先はサルであり、サルはアイコンタクトと声かけが重要であり、習性が全く違うとありました。
人間の赤ちゃんにアイコンタクトや話しかけをしないで育てると精神的に不安定に育つそうですが、犬は上位者は決して、下位者にアイコンタクトなどの行為をしないのです。下位者が服従を意味してアイコンタクトを上位にするのです。
下位の犬はいつも上位のご機嫌をうかがうために上位の者を見ています。ところが人が犬をかわいいねとアイコンタクトを続けると、犬は人を下位だと錯覚し、しつけができないどころか吠えて相手を威嚇するそうです。声かけや怒るという行為も下位である弱い方がそのようなことをするのだから犬はいつの間にか上位だと錯覚するそうです。犬は人の社会にいる限り、最下位が一番安心するポジションなのです。
この二つ(アイコンタクトと声を出して怒る)を意識して行わなくなったものですからベッキーは俺の天下から奈落して相手されなくなり不安、不安になるのです。そして散歩のときも他の犬を威嚇しなくなったわけです。これ1日でこのようになるのです。ただ2週間たった今は少し飼い主も疲れたり、ベッキーも無視されることに慣れて少しは前の状態に戻っていますが、前と比べたら雲泥の差です。訓練したこともないのに「リーダーウォーク」(人の横にリードにつながれてひっぱらずに歩く)も近所の人と長話をしているときも飼い主の横で伏せ状態で待っています。今までなら俺と遊べととびかかって近所の人の嫌われ者になっていました。
ヨガでは体のこと、心のことを勉強しますが、犬の習性と同じように知っていると知らないと大きな違いがあるのです。ベッキークンには9年目にしてわかったので遅すぎるかもしれませんが、しかしいつも「今からこれから」の気持ちでこの大きな収穫を喜んでいます。
最後に娘とベッキーの関係も書かねばなりません。生後2カ月で我が家に来たベッキークンは娘は大喜びでした。しかしその喜びも初めだけ、だんだん疎遠になり、彼女は他の遊び、勉強で一切ノータッチです。遊ぶとなると娘が遊ぶのであってベッキーは被害者です。無理やり走らされ、登らされ落とされ、ひっくりかえされたり、そしてそのほかの訓練を強要します。ベッキークンにとって娘は小さいころから最上位者です。彼女の姿を見るとおびえさえしていました。
犬の習性とはそんなものかとそのネットの記事に感謝です。(愛犬しつけ110番)
心が変われば、人生が変わる
支笏湖湖畔でヨガの合宿がありました。新潟の山田先生をお迎えして、有意義なそしてたくさんの知恵を授けていただきました。上の「心が変われば、人生が変わる」もその一つです。「嫌なことを喜んでする能力こそ人だけが持つ生命力」などは沖導師の言葉ですがそれを動きや強化法で実証する楽しい合宿でした。
山田先生は新潟サンヘルス、ヨガの教室を主宰をしていますが、他にもたくさんの顔を持ち、ある時は病院の事務職でもあります。病院での活動を新聞の記事をもとにインドネシアからの看護師を日本の看護師試験に日本で3人しかいないうちの2人を合格させたエピソードを話されました。すなわちEPAといわれる制度で経済連携協定(両国または地域間での親密な関係強化を目指す条約)にもとづいて、新潟の病院で日本語がほとんどできない外国人を2年足らずで、日本の看護師が受験する試験に合格させたといいます。彼もその担当であったので自信満々です。制度的にも試験は漢字にルビを打つとか英語に特別するとかあったが患者を対象にするには徹底した日本語教育が必要という態度で猛勉強したといいます。これは彼の普段からヨガを通してつらいことを喜んですることで自分を変えること、自分に自信をえることからチーム内でもその考えを押し通したそうです。合格した外国人も日本人になりきることが大切とコメントしたそうです。
青空ヨガを開催しました
楽園に一番近い島 竹富島
40年前に行けなかった島が竹富島です。そして姪は竹富町に住んで10年になり、もう立派な島の町民です。彼女の結婚式には家族が参加しました。コンドイビーチの沖から八重山の民族衣装を着て岸に寄せて神々に奉納するという儀式でした。その儀式も夜の9時頃から行われるというのも画期的です。島民、友人、親戚が岸辺に集まってお祝いをします。歌手のbiginも来ていたということです。
さて今回は別の姪が今度は石垣市で結婚式を挙げることになりました。その前に竹富観光です。朝早く私たち親族は起きて家の周りの道路の掃除です。道路は砂と,サンゴです。枯れ葉などのゴミを取り、あとはお寺の庭のごとく砂をきれいにほうき目を入れます。なかなか難しいのです。これらは島の人たちは習慣になっており、子供が率先して行うらしいのです。自分たちの島を大切にして、そして観光客が気持ち良く来られるようにというおもてなしも含んでいるということです。
屋根にはお守りのシーサーがあります。この八重山の島々には伝統を大事にする催しがたくさんあります。一年中なにがしの奉納があり、その中でも「種子取祭」は10日間にわたって神事が行われ、そして奉納芸能も行われます。観光客もこの時期は大勢くるということです。
この島の人口は350人で、決して過疎が進んでいるわけではありません。本土からたくさんの女性が嫁いでいるからです。姪も同様です。姪はいつの間にか結婚しそして島の催しのために忙しい毎日を過ごし、北海道に帰ってきたのは10年の間に1回位しかないのです。自分の居場所を確実に得ていると思いました。それに比べて、都会に住む私たちは郷土愛という言葉さえ知らずに、浮き草のごとく、どこにも居られない不安を抱えています。そして自分は何者であるかも知らず、ただ押し寄せる不安からせっせと物とお金を集めています。
快適を知ってしまった私たちは島民と同じように島の生活をすることはできません。夜の外出は懐中電灯が必携です。ハブがいるからです。コンビニもありません。駐在所もありません。何もないのですが島の人たちが島をただ守る、郷土愛に徹するという一念が観光産業を活発にしました。私たちはその島に訪れて、何もないものにあこがれ、神から守られたり神を守る神事などで無力の自分に気がつき、そして癒されていくのだと思いました。竹富観光のパンフレットに「楽園に一番近い島」とあるのは自然の恵み、生かされていることを感じ、生きるに十分なエネルギーを吸収できる環境だからでしょうか。
しかし自然の中にいる島民の方たちは決して不便な生活をしているわけではありません。竹富島も石垣島から電気水道を引っ張りるくらいの距離ですから高速艇で10分の距離です。中には石垣市にマンションや車を得ている人もいると聞きました。無と有をうまくバランスしています。私は文化遺産を持っている島の観光にもともっと浸りたいと思いました。