落し物の返却率7割は本当ですか。

先日、東室蘭へ所用で行きました。往復切符を4600円で買っていざ札幌駅の改札口で入場しようと行きの切符を取り出したがナイ。ナイ。ナイ。発車まじかなのでかなり焦り気味です。駅員さんが適切に処理してくれて、4100円で行きだけの切符を買いました。この切符は必ず手元に残しておきなさい。紛失した切符が出てきたときは払い戻しでお金が返ってくるからというのです。何のことかわからないまま、無事乗車。所用を果たして札幌駅に戻ってきたとき、ダメモトで落し物相談口に行くとなんと落とした切符があったのです。あまりこんなこと経験したことないので奇跡と言うしかないのです。手数料420円払っただけでした。

後日、某書物を読んでいたところ、日本人は道徳心がなくなったとはいえ、遺失物の7割は戻ってくるというのです。そういえば諸外国から見ると盗み、置き引きも極端に少ないと言います。まだまだ日本人は見捨てたものではありません。3割はどんな人だろうか。高学歴、高地位、高所得者の人ではないでしょうね。

教育の歴史を見たとき国民性が現れると言います。明治維新で列強の植民地にならなかったのも武士階級の儒教、平民階級の寺子屋式の仏教による教育だと言われています。そして明治政府の教育勅語も国民を教化するに役立ちました。早々と戦後になって経済強国になったのもその影響はあると思います。

なにはともあれ、新聞などで人心が乱れ、徳がなくなってしまった記事(虐待、殺傷)を見るとやはり憂います。朝ごはんのときなど、テレビでそんなニュースなど見たくもないのです。今回もヤマニヤマの徹底が大切だと痛感しました。

儒教の神様の写真を拝借しました。これも盗んだことになるのかなぁ。これは引用のつもりです。出展はWikipediaです。

孔子像

日本列島の大移動

今年も大移動の季節が終わりました。この暑い中、ご先祖が帰ってくるというのでたくさんの儀式を行います。ご先祖が帰ってくるというのは将来自分も行ってそしてお盆に帰ることなのです。帰るところがない人もいると思います。ご先祖さんも自分も行き場所がなくなってこのお盆は難民状態になるかもしれません。うらみつらみを覚えているご先祖もいることでしょう。でも寛容に罰を下さらないところを見ると天国はいい人に変えるようです。それとも忘れたころに制裁を下すのでしょうか。ご先祖様の罰が下らぬよう、将来、自分が地獄に落ちないようにいい人になることを誓う季節なのでしょう。いい人とはうそを言わない、盗みをしない、欲を持たない、殺生しない、満足を知る、真実を求める、神仏を大切に祈る、心身をきれいにする、のを言います。(出典:ヨガの教本ヤマ・ニヤマから)


精進料理の中身

あるお寺で不許葷酒入山門という石碑を見つけました。ウェブ検索は便利です。「葷」クンと読みます。すなわち「にんにく、ねぎ、玉ねぎ、にら、らっきょう」は食べてはいけません、そしてお酒もいけません、 お寺に持ち込んではいけませんという石碑なのです。精進料理の基本なのでしょう。お魚も駄目だしかつおだしも禁止だそうです。

台湾のあるヨガ関係者はこれと同じなので合宿のときは一切不可です。台湾合宿に参加したときは小麦のタンパクから作ったグルテン料理の種類の多さに驚きました。またシバナンダアシュラムの指導者もねぎやたまねぎを食べませんでした。なぜと聞くと独身だからという返事です。日本のお坊さんもなぜ、葷不許なのかと調べましたら、欲望を捨て去るのが仏道の根本ということで、性欲を抑えるためだったらしいです。

そのおきてを公然と破ったのは親鸞さんでした。その師匠の法然さんも自分を含めたおろかな衆生を救うためには自分自身がもっとおろかな存在としてを認め、念仏を通じて救済を説いたのですが、それをやむにやまれず実行したのは親鸞さんでした。すなわち肉食妻帯でもって衆生に近づいたのです。お上は僧職の堕落と決めつけ流罪となりましたが、益々、勢力は広がりました。どちみち当時のお坊さんは隠れて妻帯、お酒を食らうことしていたのですから。明治時代になって神道と仏門を分けるためにお寺を壊しました。お坊さんを堕落させようと結婚を奨励したのです。それ以後近代、現代の日本のお坊さんは普通の人と同じような生活をするようになったとある本に書いてありました。修行僧は当然、別ですが。。

LA shopping

今日は最後の日です。またまたMさんのお世話になります。まず何はもとあれ郊外のアウトレットを目指します。車で2時間くらいのところ。なんでも車なのです。フリーウェーの高速でどこでも行くのです。サンフランシスコに9時間かけて出かけるとのこと。このサンフランシスコははLAに比べて小さい町だとのこと。でも77万人です。LAは370万だから名古屋市くらいでしょうか。フリーウェは120キロのスピードで6車線。右から左から追越をかけてきてよくも事故がないものです。

  http://www.premiumoutlets.com/outlets/outlet.asp?id=20

アウトレットのお店は160のお店があって迷子になりそうです。またまた女性群と分かれて単独行動です。彼女たちはコーチのお店へ行きます。男の自分が言うのも変だが安い。なぜなら価値がわかっていないからです。後で空港の免税店で見て驚きました。数十万なんてざら。その30%くらいで数千円単位です。失礼!数十ドル単位です。きっとバイヤさんでしょうか、大きな袋の中に商品を片っ端から入れていく人がいました。

ところでこのLAの街はこの乾燥地帯なのに緑の樹木や禿山が目立ちます。聞いてみるとほとんどがスプリンクラーで給水しているそうです。日本であれば川があるところに町ができるのですが、こちらはまずメキシコ人の布教活動の拠点としての町なのです。カトリックでしょうね。そのくらい信仰というものに力が入っていたのです。お買い物も一段落過ぎ、今度はヨガ教室です。前もって調べておいてもらったところです。

  http://www.theyogacenter.com/

Mさんは用事がある、後で迎えに来るといって教室に私だけ下ろして出かけてしまいました。さぁ、大変です。クラスが始まりましたが、何がなんだか言葉がわかりません。しかし私もヨガを少しかじっています。カパラバーティ、ナディショダナーらしい言葉がでてきました。それからイクヘロ、インヘロです。(当然、吐いて、吸ってです。)先生はきれいなアメリカ人です。えっと思ったのは一回だけやり方を教えて後は勝手にどうぞといった具合です。そしてずーっとイクヘロ、インヘロだけを繰り返します。何が何だかわかりません。となりにおじさんがいてその人を見ながら汗びっしょりです。でもそんなにきつくありません。スリヤナマスカーラ太陽礼拝のような動きでした。あとでMさんの通訳が入ってわかったのは呼吸をコントロールすることで生き方や人生を変えることができるというのです。このイクヘロ、インヘロで90分がたちました。でもなんとなく参考になったことはたくさんありました。教室でいつか披露しますね。当然水野式ですが。

泊まったホテルから見るダウンタウンはビル群がニョキニョキですがこれを郊外から見るとその一角だけが平原から急にビルがそびえたつ文明都市のようです。そういえばハリウッドの話をしていませんが、このLA市内でニューヨーク風やシカゴ風サンフランシスコ風に映画を撮るそうです。アメリカ映画見るときには気をつけようっと。

いよいよLAからさよならです。たくさんの人にお世話になりました。英語ができなかったのは残念でした。おそばを食べに行ったところではきれいな日本語を話しできる二世がいました。彼は大学を出て料理を専攻しているうちに音楽に目覚めてそちらの勉強をいましているといいます。又彼は近くのサンタモニカのストリートでダンスも踊っていたという現代若者です。人生はまだまだ続くのです、がんばってね。

LA 市内観光

はじめはバスに乗る、電車に乗ると意気込んでいたのですが、いざとなると安易なほうへ流れる癖があります。それでお決まりのツアーに申し込みました。なんと!私たちだけです。もう今の旅行の主流は個人で動くのですね。今回のLA行も某有名なパックツアでした。この日本出発の日も私たちだけ。なに・これと?不思議でした。今回は前途有望な青年と一緒なので冒険は許せません。家族が許さないのです。それでパックツアになったわけですが、これほど同行者がいないと拍子抜けです。それで貸切でぐるぐる回りました。

これはビバリーヒルズの高級住宅街にあるgreystne park(http://www.yelp.com/biz/greystone-park-and-mansion-beverly-hills)です。出処は疲れるのでやめます。

サンタモニカの浜に出ました。暑いので日陰だけで散歩です。この街にはサンタという名前の町がたくさんあります。サンタアナは13日間にメキシコ共和国軍とテキサス分離独立派(テクシャン反乱軍)の間で行われた将軍の名前です。ジョンウェィンのアラモの砦の映画は大好きでした。この辺にアラモの遺跡があるのかと聞くとテキサス州のサンアントニオの伝道所だとのことでした。LAにはそういうわけでメキシコの領土だったわけでスペイン語がここでは必須です。電話オペレータも英語、つづいてスペイン語が使われています。

シビックセンターは都庁みたいに、と言っても実物は拝んでいませんが背の高い建物です。市役所だけでなくカリフォルニアの州庁も兼ねているみたいです。すみません。キチンと英語が訳せません。とにかく立派です。

  

LA-Disneyland

天気はいいし、体調も昨日と打って変ってすこぶる快調。ジェットコースタ系は絶対無理と思っていたけど、大丈夫でした。時間延長して22時までうろうろしていましたよ。花火はきれいだったけどものすごい人で何も見れなかった。頭と頭の間に少しだけ。でも音や光で想像力豊かにしてもそれはそれはすごかった。レザー光線の物語などは圧巻ですね。一人で行ったのではないですよ。相棒がいて、なだめ、機嫌を取りながらの行動です。疲れてくると切れるのです。でもお互い、こんなところで迷子になったり、帰りのバスに残されたりすると永遠に日本に帰れなくなる可能性があるので我慢し合いました。この施設で感心したのは乳児連れ、足が悪い人、でぶった人(300kgくらい)などにフォローができているのです。車椅子に電動車、乳母車は無数、そしてボランティアが実に充実しています。日本もそうなのかなぁ。

LA 報告3

下調べもままならぬうちにロスアンゼルスに到着しました。見慣れぬ街の風景です。

ロス在住のMさんの案内で市内、周辺をふらりとドライブです。そしてビバリーヒルズ近くの1924年から営業を続けている有名なレストランに入りました。(http://www.cantersdeli.com/)サンドイッチやスパゲッティを注文しましたが、これからこの食事でびっくりが続く、量の多さの洗礼を受けました。この四分の1で十分です。無理して二分の一食べました。お酒でいうツキダシみたいなものが、注文前に大きなベーグル数個、ピクルスのキュウリ丸ごと4,5本が来るのです。そしてお代わり自由ですとのこと。。

サンタモニカへ移動しました。3日に日本を出て今日はまだ3日です。女性陣はファッションブティックにお買いもの。何もすることがないので、街をぶらぶら。大道芸人があちらこちらで芸を磨いています。何をしているか分からない-ただ路上で寝転がっている-人もいましたが。

サマータイムなので9時になっても通りにはたくさんの人が行き通っています。

明日はディズニーに行ってきます。日本のは行ったことありません。この期間中、ヨガにも行きますの報告を楽しみにしてください。

心はロスアンゼルス

今日からロスアンゼルスに行ってきます。数日前から準備に忙しく、と言っても気持ちだけですが、本業(仕事)のこと、本業のような副業のこと(所属団体の作業)、遊びでやり残していること(作りものですが内緒)が気になって仕方がありません。英語の勉強もしなくちゃ。何もっていく?と昨日まであわただしく過ぎました。

ブログも最近のレッスンも仕上げないといけないのでもくもくとパソコンの前に座り続けます。終わると買い物に付き合わなければなりません。ロスでお世話になる人のお土産です。彼女がいるので勇気を奮っていけるのです。

そして子供(大きな子供です)の自転車パンク修理を軽いつもりで請け負いました。しかし、買って2年目の自転車はチューブがぼろぼろ、そしてノリが風邪をひき(といってもわからんでしょうね。昔はこのように言ったのです。ノリの効力がなくなった)、空気入れが壊れている、そして雨です。子供に聞いたところ、パンクしたまま数キロ走ったとか。仕方なくチューブ交換です。30分くらいの作業のつもりが後ろの車輪を外して数時間の大仕事になりました。

3か月ぶりの何も予定の入っていない日曜日はこのようにしてロスの準備もあまりできない状態で過ぎていきました。

ロス在住のMさんからは丁寧なメールでたくさんの情報を教えてくれました。
レストランならマクロビオティックのお店が日本にあります。
(閉店していました。)
ロスのほうの店舗は
http://www.mcafedechaya.com/です。
1924年からやっている24時間オープンの老舗カフェもあります。
http://www.cantersdeli.com/
ローストビーフならアメリカな感じでお勧めです。予算は一人40ドルくらいです。
http://www.lawrysonline.com/theprimerib.asp
日本のバージョン
http://r.gnavi.co.jp/c557001/
ショッピングはサンタモニカのプロムナードに行くとキットソンのアウトレットやH&M・フォエバー21アバクロなどあります。昼間には歩行者天国になっていて大道芸人が芸をしていて開放的な気分になるのでお勧めです。
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g33052-d103427-Reviews-Third_Street_Promenade-Santa_Monica_California.html
グローブというショッピングモールが
あるのでそこもMカフェやカンターズなどに近いので紹介できます。
グローブにはアバクロなど入っています。
http://allabout.co.jp/gs/travelwusa/closeup/CU20070509A/
コーチなどが入っているアウトレットモールでショッピングは車で2時間ほどの場所にありますので6日に行くことも可能ですが、アウトレットに行くと広いので1日かかると思います。
http://www.premiumoutlets.com/outlets/outlet.asp?id=20
たくさんの見所食いどころを教えてもらいました。

最澄さんと空海さん

私は比叡山の麓の西側で育ちました。修学院の横から雲母坂(キララザカ)を10数回上りました。坂は険しく雨後などは沢になって滑りやすく難儀ものです。それも中腹から尾根にでて景色は抜群、そしてロープウェの終点、延暦寺に続きます。

そんなわけで比叡山延暦寺はなじみ深くひいきにしています。ところがどうも知名度のほうは和歌山県高野山の方が分がよいようです。空海さんの卓越した能力なのでしょうか。今回、我が所属の協会合宿も高野山で10月23日から始まります。空海さんの真言密教の世界もも興味あるところです。

最澄さん、空海さんは平安時代にともに卓越した能力で新時代を開きました。ライバルのような関係だったようです。今年の数か月前の新聞に天台宗と真言宗は1200年後の和解という記事を見つけ、お互い当時から仲たがいしていたようです。最澄さんは家柄もいい、年上で桓武天皇の信頼を受けていました。一歩先んでいたわけです。ところが共に遣唐使として中国に留学して帰ってきたが、空海さんのほうが密教をより多く学んだようで、最澄さんが本を貸してくれと頼んで初めは快く貸していたのだそうですが、そのうちに拒絶したり、弟子を人質にして返してくれなかったり、かなり険悪な関係だったといいます。当時の後半になってくると空海さんが一歩先んじていたわけですね。彼は書の達人であったともいいます。

私は比叡山が好きなのでちょっと悔しさがありました。ところが最澄さんはテクニック的な能力よりもシステムを作った人だったのです。天台宗の勉強だけでなく、ほかの派の学問を弟子にさせていたのです。12年間は山(比叡山)にこもって降りることを許さなかったとか。そのような厳しい修業のシステムを作ったために鎌倉時代以後に山は堕落したと法然さん、親鸞さん、道元さん栄西さんなど今の宗派を作る偉人を輩出してきたのです。

私は勝った負けたが大好きなので心良くして高野山合宿に参加してきます。