このウィルス禍に思うこと

 私は朝は早起きです。夜はテレビを見ることが少なくなったのでしょうか、早く寝ます。いや年老いたからでしょう。
 いつもと同じに早く起きて、何気なく古い辞書を手に取りました。中から黄色くなった新聞の切り抜きとメモがパサリと落ち、しみじみと眺めていると、遠い昔が思い出されます。それは1967年の高校卒業式のメモとその説明の記事でした。その記事は後年ですが、メモの意味がよくわかります。
 そのメモと記事には「時代考験青年_青年創造時代」と書いてあり、台北市のレンガ壁の落書きだそうです。漢字の国らしく深い意味が当時の、この国に置かれた事情を表しています。

 「歴史の大転進期に直面している現代は青年を厳しく試験し、激しく追求している。果たして彼らが、時代の試練に耐え、その要請に応えうる実力を養いそだてつつありや否やと。他方、青年には明日の世界を開拓して、一段と人類社会の進化発展に寄与すべき責任が現存する、明日の時代は、今日の青年が想像する責任がある、義務がある。」
と、記事の中で筆者が解釈をしています。
 今21世紀の現代の中で、新型コロナウィルスの大きな問題、そして新たな香港問題、まだまだくすぶっている、中国・台湾問題。これらは50年前とほとんど変わらないことに驚きです。今やコロナ問題が余計に加わって、ますます、人間とは社会とは経済とはと考えなければならないことが山盛りです。その中で当時のような青年のエネルギーが少なくなってきているような気がします。
 安保時代の私にとって、当時は青年たちが社会に働きかける機運が多くありましたが今は何か寂しい気持ちです。青年が頑張っているのが香港だけです。

 ちなみにこの作者 湯浅八郎さんは当時、京都市教育委員長として高校の卒業式に来賓挨拶に来られました。湯浅八郎さんは長く同志社大学の総長を務められ、この記事からもわかるように国際基督教大学を創始され初代総長にもなった人です。

 朝のひと時、とても気持ちのいい時間を過ごしました。

・・書いていて、あれ、どこかでこれ書いたことあるな、と思い、このブログを「時代考験青年」で検索してみたら、「2009.04.09」にありました。関心があれば読んでください。

最後に湯浅八郎さんのこと調べていたら以下の詩がありました。とても深く感銘を受けましたので、ここに記させていただきます。
 湯浅は自身の生活信条を表す言葉として、次のような言葉を残した。
「 生きることは愛すること
愛することは理解すること
理解することは赦すこと
赦すことは赦されること
赦されることは救われること」
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水野ヨガ学院の解散のご挨拶

今まで、お知らせの項目に掲載していましたが、一段落が過ぎましたので、お知らせから削除して別項を立てて、このブログに移すことにしました。

新型コロナウィルスは世界を恐怖のどん底に落とし込み5/26現在、540万人の感染者、34万人の死者を作り出しています。それもようやく恐るおそるですが、市場開放に向かいつつあります。やむを得ない経済活動の必要性からでしょう。しかし、またいつ何時、都市封鎖になるやもしれません。今日現在であれば、まだまだ、安心などできたものではありません。

旧水野ヨガ学院の解散に至った出来事を時系列に記しておきたいと思います。

2月24日お知らせ;
新型コロナウィルス予防のために水野ヨガ学院は3月、1ヶ月間クラス授業をお休みします。

2020年3月17日のご挨拶;
<水野ヨガ学院は3月31日をもって解散します。33年間、ありがとうございました。>
新型ウィルスは世界的に広がりを見せています。ただいま、当学院は休講中ですが、その先のことを考えると学院の運営が厳しいと判断しました。ただ、長くご利用いただいている方のことも考え、、、思慮を重ねて、大変申し訳なく解散することになりました。受講生の方、スタッフの一人一人の顔を思い浮かべ、ある人には事情の電話をかけて了承してもらいました。ホントー、ホントーにお世話になりました。現在、来ておられる受講生の方、ご契約をいただいているご法人には挨拶文を出させていただきましたが、管理不足で住所が不完全な方もおられ、出すことはできませんでした。ここにお詫び申し上げます。
解散ご挨拶

2020年3月21日 経過報告
新型ウィルスは北海道はかなり縮小されましたがまだまだ油断はできません。ご挨拶状を一部ですが出させていただきました。住所不明で帰ってきた人も多々あります。またお電話やお手紙などいただきます。
恐縮の限りです。しかしいろいろな方とお話しして、内面の気づきも多々ありました。3月4月と待てば回復の兆しはあるのですが、やはり結論には多くの伏線がありました。まず私が高齢になったこと、後継者を育てられなかったこと、そしてカリキュラムやシフトの硬直化などがあったのかもしれません。
1年前くらいから、誰もいない教室で、ふっといつまで出来るのかなと思うことしばしばでした。たくさんの受講生、そして難題に答えてくれる研究生に囲まれ、それでも寂しさはありました。やはり生まれ、生き、消滅が森羅万象の掟なのです。その消滅がただ新型ウィルス問題と重なっただけでした。なにやら解散をウイルス問題にすり替え、ウィルスに申し訳なかったような気がします。
30歳前にヨガの世界に入り、10年間は学びの立場でヨガに関わり、33年間は組織的に活動してきました。
今、改めてフリーの立場でまたヨガを見ることができるのかと思うと、何かちょっと楽しい気分もあります。何しよう、どのようにしよう、どこでしよう、誰としよう、、など。
その日のために、高齢になったとはいえ、いつもと同じように、毎日を過ごしています。その日のために。どうぞまた、その日が来たらよろしくお願いします。水野健二

お家ヨガ30分_2のご案内

そろそろ、非常事態宣言の解除の可能性が待ち焦がれている時期になりました。ステイホームも最近では大きなストレスになりつつあります。いまは我慢です。日本の対応がどうのこうのと言われていても、感染者死者も諸外国からみても圧倒的に好成績です。島国ニッポンの過去の感染を調べてみました。(https://books.j-cast.com/2020/03/24011184.html)

 律令国家による中央集権国家は全国の道路網の発達で疫病が拡散しやすい社会になった。奈良時代は、まさにそうした時代であり、聖武天皇(701~56)は疫病の蔓延や天候不順による飢餓、大地震などに深く悩んだ。そして人身一新を図る究極の国家的プロジェクトとして東大寺の大仏造営に着手し、仏法の威霊によって天地が安泰となることを祈った。神仏に頼る機運は人々の間にも高まり、「節分」の「鬼は外」の鬼とは、「疫病神」のことで、「感染症は国外に出ていけ」の意味だったという。

 昔からある、この感染症を現代人はそこにある自然を見くびり、この世の春を謳歌し続けた人間への大きな警告であったと言えましょう。人間は大自然の中のごくごく小さな存在であり、この大自然に育まれているのだということを忘れてはいけないのです。
 
 ということで、今日の30分レッスンはヨガの規則と言われている「八支則」に従って進めていきたいと思います。沖先生の後半の教えは「十支則」ですが説明上、世界共通の「八支則」で進めます。
 ヨガをするには心構えが必要です。それがヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)です。心を整えること、人であり続けるためには、他人との関係、自分の訓練が必要です。それをヤマ・ニヤマといいました。沖先生は「生きる」ベース、基本なるものを「生命則神」と定義し、その行動を感謝・懺悔・下坐・捧仕・愛行であることを示し、生活上の心構えとして「生活行持集」を定めました。
 次にアサナです。以下に続く各修行法、例えば呼吸法や瞑想の前に体を整える必要があるためにこのアサナを重要視しています。次に続くことが大切です。それをしないと、単なる柔軟体操、ストレッチ、筋トレで終わります。
 いよいよ、呼吸法です。腹式もあれば、片肺呼吸法もあります。プラナ(生命素)を体に取り入れ、それをしっかり吸収できるために、炭酸ガスをたくさん発生させるクムバクが太古の昔からあるというのは先人のひらめきだったのでしょうか。
 プラティヤハラは制感自立訓練といわれ、感情・感覚を制感コントロールしていく練習です。人間は本能のままにというわけには、いかないのです。
 そして瞑想行法、ダラーナ統一行、ディアーナ禅定行に入っていきます。ディアナはとらわれない練習という意味で禅を意味しますが、現代は様々な瞑想の学びがあってサマタ瞑想、ビパサナ瞑想という言葉も私は覚えました。仏教国日本は古くから念仏、真言、題目、禅などを民衆に広げてきましたが、大乗仏教であるがゆえに、救済目的の教えから易行が多かったようです。すなわち、集中を中心とする瞑想、サマタ瞑想が多かったように思えます。しかしある宗派は芸術的な分野でどんどん裾野を広げていき、茶道や庭園制作、書道などと発展しました。これなどは観察瞑想であるビパサナ瞑想の要素があるのではないかと思います。どちらも人間形成になくてはならないものです。禅という考えはとらわれない、自然の一部として生きていくことを考えると異常な欲を廃する教えでもあります。人と接することで欲を出しやすくなる、現代社会の中で欲を持たないで、ただ生きるという生き方も感染症に無縁になる生き方だったのでしょう。
 次にサマージ三昧です。喜び、生きる喜び、山川草木悉皆成仏という生き方らしいです。私はわかりません。ある歴史作家も仏教ほどわかりにくい宗教は他にないのに、世界宗教になっている。まずお釈迦様みたいな人になるために修行しているが、そのような人はみじかに誰もいない、それなのにお釈迦様になりたいと思って修行する、変な宗教だと。本来、お墓もお寺もないのにいまは立派なお寺がたくさんあるのは変だと言います。無い物ねだりの目標であったり、幸せであったりを求めていく心境でしょうか。ヨガの行も個人の幸せを求めていく一つの方法です。その行の仕方に先生がいて、インドではグルと言われていました。インドでは多くのグルがいますがまた、たくさんの聖者もいます。ツアーで連れて行ってもっら時、この人は聖者、次の日にこの人も聖者、そしてまた別のところで聖者とたくさんの聖者を紹介してもらいました。聖者の特色はとにかく物をくれるのです。ハガキであったり、アメであったり。日本では心身ともに仕えるグルは、かの事件があって皆無になりました。
 グルや導師がおられなくても、ヨガは自力修行の一つです。そんなことを考えながら、コロナ禍の最中、修行練習に励みましょう。
 節分はとっくに過ぎたけど、おにわそと、と疫病神を追い払いましょう。

<30分お家ヨガ_2>0519朝M

新しいヨガマットです。10mmあります。
 

「お家ヨガ30分_1」のご案内

新型コロナウィルスのエーキョーで皆さま、いかがお過ごしですか。
お仕事に出かける方はホントーに大変でお気をつけください。
さて、3月以来、缶詰め状況の私にとって、頭はもう鈍っていますので、ここでは横に置いて体が鈍らないように、1万円で買ったビデオでお家ヨガのたびに映像化しています。パソコンに入れるのは時間がかかって大変ですが、今回はブログに載せるのを念頭に、慎重に、流れを作って映像化しました。30分のものをブログに載せるために、一番大変なのは映像の容量です。きれいで、そのままの時間で撮ると数GB必要でとても載せられません。数MBくらいです。1000分の1縮小しなければなりません。どうするか、桜の木下でもやりましたように、早送り、メール添付仕様くらいに少なくしました。見ずらいと思いますが、想像力を豊かにして参考にしてください。(映像アプリによりますが、コマ送りしてみると一つ一つがしっかりと見えます。)
今回は肩周りを中心に行いました。私の肩をもう少しなんとかしたいと思っています。柔らかいと思っていたのですが、あるポーズを作ると全く動きません。ということで肩を楽にしたいと思っています。部分即全体というので肩だけなんとかしてもそうはいかないのは承知しています。体全体を意識しながらやってみてください。私は肩こりが無いのでわかりませんが、肩背中の不調にも良さそうです。

『「お家ヨガ30分_1」』0512昼


懐かしヨガマット

桜を背景にヨガポーズ

朝早く起きて近くの森林綜合研究所敷地内の桜をバックにヨガポーズをしました。1万円で買ったビデオカメラ、十分働きます。このカメラは前にも話したようにアサナのチェック用ですがなかなか使い勝手が良いようです。一応毎日何かしら、体を動かしているので、久しぶりのお外ヨガは快調でした。
お家ヨガでは現在、情けない体の硬さの矯正に明け暮れています。まず時間をかけること、同じ動作で変化を確かめること、ベルトやブロックも使うこと、ですが、一筋縄では行きません。そんなことしていて思ったのは、関節が動かない、すなわちロックしていることがあります。靭帯が癒着しているような感じです。動かないしまた痛くないのです。これは今まで指導していてもよくありました。なんでと思うこともありましたが、自分の体もそうでした。まず時間をかけて、痛みが出てくれば少し前進です。関節の可動域の拡大は痛みが出てくるのです。初めは耐えられない痛さ。そして続けると気持ちの良い痛さに変化します。これで少しはマシになると思います。
ということで、動画撮影にチャレンジしましたので、ご覧あれ。バックは抜群でキレイです。

0504試験場3アサナ

0504試験場4アサナ