1899年〜2002年にかけて本格的ヨガ修行をしてハリウッドなど女優にも大きく影響を与えた西洋人初の女性ヨガ講師として知られるインドラ・デヴィ女史を紹介します。ここでは、ロシアで生まれてアルゼンチンで生涯を終えるまでのインドラ・デヴィの102年間の生涯を時系列で追っていきます。
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世の中は広く繋がっている
沖先生の講義や書物の中でとらわれ、執着という言葉が何回も出てきます。そしてそれは道元禅師の正法眼蔵に書いてあるとのことでした。これは沖先生でなくても、仏教を少し勉強すればわかることですが、前から「正法眼蔵」には興味がありました。しかし難解で文庫本で全4巻という大作には手が出せません。
それで「正法眼蔵随聞記」というお弟子さんが書いたものなら読めるかと一部を手に入れました。そしたらこれもまた難解です。しかし前に般若心経の用語解説を試みたことがあり、諸行無常や諸法無我、涅槃寂静は聞いたことがあります。ということで、とりあえず、諸法無我について調べました。手強いですがまあまあついていけそうです。
この学びを少し続けてみようと思います。
このブログにも「般若心経について」(https://mizunoyoga.com/blog/?p=1302)「般若心経訳してみた」https://mizunoyoga.com/blog/?p=1749などがあります。
また鴨長明の方丈記や平家物語はここでは割愛して他の資料を参照してください。
なお「正法眼蔵」は(しょうぼうげんぞう)と読みます。正法とは正しい修行のやり方という意味です。有名な言葉の一つとして「仏道をならふは自己をならふなり」「身心脱落」「只管打坐(しかんたざ)」があります。
いまはググるといってgoogleで調べても「AIによる概要」が出てきます。GeminiというAIでしょう。ここではChatGPTに慣れているのこれを採用します。Geminでも同じ用語を調べましたが、少し曖昧な部分があったものですから。。。(今はAIといってもChatGPT,Gemini,Claude,Llamaなどがあるそうで、それらが相互に調べあっているそうです。)
「高瀬舟」を読んだ。(青空文庫:無料で20分くらいで読めた。)森鴎外の作品である。理由は諸法無我の考え方があると上記の資料にあったからだ。
内容は高瀬舟は江戸時代、罪人を遠島に流すときに、京の高瀬川を舟に乗せて淀川を下り大阪から島流しをする風習があった。(高瀬川は鴨川の西の先斗町などの歓楽街を流れている角倉了以が江戸初期に造った運河である。)
高瀬舟に同心という役人が罪人を船に乗せていくのが決まりであった。しかし今回はその罪人がいつもと違う様子である。落ち着いて、時には喜びをどこかに漂っているように見えた。同心は不思議に思ってお前はどいういう罪で島流しの罪をおったのかなどそれとなく聞いた。兄を殺したというのだ。その兄は病弱で弟の自分に生活を見てもらいすまない、すまないといつも口癖のように言っていたという。その兄がこれ以上弟に迷惑をかけることができないと、喉にカミソリ(小刀)を当てたが、失敗して死にきれず、喉のところに刺さったままになって苦しんでいた。それを仕事から帰った自分が見つけ、助けようとしたが、そのカミソリを取ってくれたら、この苦しみがなくなると言われ、苦しんでいる兄の喉にあるカミソリを取ってやると出血多量で死んだ。それを近所の人に見つかり兄殺しにされたという。
考えてみれば、自分の人生は辛くて何もいいことがなくて、仕事もきつくて、お金をもらっても右から左へと蓄えも何にもない。それが罪を犯してみると、仕事をしなくてもご飯が食べられる。そして島に流される時に支度金とまとまった金が支払われる。こんなありがたいことはない。自分の人生の中で有り難さに満ち溢れた心境であるという。
同心はこの話を聞いて、自分はどうなのか。嫁は同心の給料以上の生活を望み、毎日生きていることが地獄のようである。
有ることの不都合と、無いことの幸せをこの物語で対比した。
諸法無我は自分という自己を否定したところに喜びが得られ、執着や苦しみから解放される。この罪人のように何も無くなった時、しがらみなどが全て無くなり、周りに感謝や感動が生まれたために、溌剌としているのはそのためである。結果的に生きていることの喜び、人を含めた他の存在と相互に依存し合うことを理解して、繋がっていることに幸せを感じ入っている。逆に執着があった時は自分を守るために孤独になってしまう。
第50回記念コラボ沖ヨガセミナーBRG
ヴィパッサナー瞑想について
沖ヨガ修道場での一日

沖ヨガの特色は自分自身をより良い方向に変えるために、総合ヨガとか生活ヨガなどと称して心身や環境を総合してバランスをとることです。。 沖先生の晩年に発行されたパンフレット(1980年頃)には以下の内容で道場生活が紹介されています。沖ヨガ道場が無くなってずいぶん時間が経ちます。今でもそこで過ごした方々はすばらしいシステムであったこと、再現したいと望んでいますが、大変残念です。そこでは精神修養、肉体訓練は老若男女が一緒になって修行したものです(多い時は200名以上)。この沖ヨガのシステムをあまりご存知のない方もおられます。上記の当時沖ヨガ修道場で発行された資料から抜粋します。
今、これを読んでいると非近代的と言われるかもしれませんが、命の生きる力を発揮させる変化刺激、適応能力を身につけるためにこのようなカリキュラムで生活をしていました。この生活はずっと続くものではありません。自分の希望する日数だけ滞在します。滞在中は外部からの講師の方の講話があり、積極的に取り組めばこのような体験は日常ではまず不可能でしょう。イヤイヤなら地獄のようなものです。。そういえば辛くて道場から無断で帰った人もいました。後になって私の友人になり、沖ヨガ活動の中心になるのですが、自ら逃亡した〇〇ですと後日、沖先生に挨拶していました。

<< 起床 >
ある目的から、3時4時に起きることもありますが、普段は午前5時から5時半にかけて全員起床し、 身体を 浄めます。 洗面、 乾布摩擦、冷水摩擦をします。
<読経行法>
般若心経を読経します。 ここではおのおのの理解力に もとづいて般若心経を唱えますが、呼吸法として、また発声法として、また統一法として行います。 読経行法によって呼吸は長く深くなり、また丹田からの発声法を行うことにより心身統一が、安定力が高まります。
<清掃行法>
ヨガは全生活を通じて求道せよという教えですから、清掃もたんに”そうじをすることではありません。 日 常生活をさせていただいている所、使用させていただいている一切のものに感謝し、心と生活の浄めを誓います。
<ヨガ式マラソン行法水浴・滝行>
軽い柔軟体操を行ってから修道場付近の丘や山々ヘマラソンに出かけますが、どれだけの距離を走るかは本人の自由であり、無理に体力の限界を破らせることはしません。 また、逆走法、横走りなど独得の走法をしますが、 それは、あらゆる動きを禅定行とする練習で、 統一体、統一心、調和 (禅の三密) の体得のために走るのです。 マラソン (熱刺激) 後は、水浴 (冷刺激) をします。その後、朝食としてみそ汁を一杯いただきます。 みそ汁の中の生きた酵素は代謝を促進し、マラソンで出た塩分を補給します。また朝は体内の浄化作用が高まっていますから、食物を入れることよりも不要物を出すということに重点を置くという意味で、みそ汁一杯だけをいただくのです。 少量の食物が胃に入ることによって、腸のゼン動運動も促進されます。
<浄化行法>
身体面の浄化ということは、排便・排尿・排ガス・発汗、および残留エネルギーです。 すべての生物には、体外から栄養物を取り入れ、生活エネルギーにして不要な残留物を排泄するというエネルギーの出入りがあります。 この点人間の場合は文化生活をしていますので、エネルギ ーを残しやすく、また不要な残留物を出しきれずに毒としてしまいやすいので、これが心身の異常 (病気) 因となりますから、せいいっぱいの力をこめ、心身の不要物を出しきる訓練としての行法を行います。
<強化行法>
一日のスケジュールの前半の最後は、 強化行法です。 生命の働きは適応性の働きですから、楽なことだけをしていたら楽なことに順応してしまい、生命力は低下してしまいます。顕在の能力は、 実際にある潜在力の1/10以下だといわれますが、 あらゆる困難に見える種々の動作を行うことで、潜在力を引き出します。
また、個性別に弱さや歪みは異なりますから、その歪みを矯正する内容のことも行います。 また、強化法は体操をすることが目的ではなく、自分の体の状態を発見することと、心身の統一力、積極心を身につけるのがその目的です。
<食事休憩>
起床してから約7時間が過ぎたところで一区切りということになります。 12時半から午後1時にかけて、第1回目の食事をとります。
内容は、玄米、野菜、豆類・海藻、つけ物、野草、果実、山菜などの自然食で、献立は一日として同じことはありません。 変化させつつ、 バランスをとるのが自然法則に従うことです。食事は全員そろって合掌し、「栄養摂取の誓い」を行い、各自、自分に適したものを食べます。さて、食事の後約2時間休憩します。 この時午睡をとってもかまいません。 食事のあとはゆっくり休みリラッ クスして、身体が食事を消化・吸収することに協力します。
<午後からの行法>
午後一番は、戸外へ出て自然に接し、スポーツをしたり、野草とり、散歩などを行います。 雨が降った時は室内で、体験発表会や輪読会などを行います。 野外で土を堀ったり、石を積んだり、畑仕事をしたり、また室内で月刊誌の原稿清書や発送の仕事をしたりする作業の時もあります。
<個人別修業-議義・質疑応答会>
戸外から帰って来て夕方からは、 個人別に必要な修業と、修正行法や改造行法の時間となります。 基本のアサナやプラナヤマ行法、また希望をとってサウナ・物理療法・武道・茶道・華道・ダンスなどいろいろなことを行います。もちろんこれらのことを通じて、心の持ち方・ 姿勢の取り方・呼吸の仕方ものの活かし方を学びます。 講義は、沖正弘導師による質疑応答会や、その他の講師 によって様々なテーマで人生全般にわたり、されます。 時には、修業生の人生経験豊かな人、珍しい体験のある人など様々な人々が、 お互い学び合い、協力し合うため交替で講義をする場合もあります。
<夕食 歌と笑いの行法、座談会>
午後7時頃に2回目の食事が出ます。 これはソバが一 椀で最後の食事です。ソバのほかウドン・パンおじや など軽いものが原則です。またこの食事はとってもとらなくてもよいことにしてあります。この夕食は、内臓に負担をかけないもの、消化の良いものを選んでいるわけですが、それは、夕食に消化と時間のかかるもの、交感 神経を刺激するものを食べますと、それだけ心身がくつろげず、睡眠も浅くなるからです。食後は、みんなで歌を歌ったり、笑いの練習(笑いの行法)などを行ったりします。夕食後の行法は、人々との接触、団らんの行法であり、自分を放下するとともに、じゅうぶんに人にも心を開放できるように努めます。座談会では、修業生が質問を出したり、それについての意見をみんなが言ったりして、いろいろと話をします。率直な意見が交換され、一人で考えていてもわからないことがわかり、またいろいろな事柄についての認識を深 めます。
<夜の冥想行法>
修道場での生活全体が、正しい感じ方・考え方・行い方ができる人間になるために仕組まれたプログラムですが、それはヨガのヨガたる唯一の行法である冥想行法の現実生活化ということにほかなりません。冥想行法は、統一・禅定・祈り三昧仏性啓発・法悦を一つにしたものです。ローソクの黒点やマントラを利用しての統一と放下(禅定・祈り)の練習が基礎です。
<入浴・感想文 就寝 >
入浴は、個人の選択と必要性で、水風呂・温冷交互浴・サウナ・酵素風呂・温泉・薬湯などいろいろが選べます。温冷交互浴は、自律神経の安定力を高めますので、入浴行法の基本となっています。
消燈 就寝までに各自は学習し、その日一日の講義や自分の修業などについて感想や反省を書き、頭の整理を行います。ヨガはすべてのことに心を結びつける心身一如の意識的生活と、知行合一の学び方を本旨としていますから、一事一事を教えとして反省し、分析し求道するのです。
以上にあげた日程はまったくの一例で、毎日変わりますし、あらかじめ修業生にスケジュールを発表することはありません。それはすでにわかってしまっているスケジュールは、修業生に”とらわれ、をつくりやすいからです。毎日変化させ、日程発表をしない原則で、慣れを防ぎ、適応力を高めるわけです。
ChatGPTによる適度なヨガとは?メリットとデメリットを調べました。
ChatGPTの質問の回答は文字だけでなく、文章を読み上げてくれます。発音は少しおかしいところがありますが、一応聞き取れます。男性、女性の選択もできますが、ここでは男性にしました。文章を読むのが面倒という方は、読み上げを聞いてください。
質問:高齢者の適度なヨガとは?
回答:70代の高齢者にとっての「適度なヨガ」とは、柔軟性やバランスを向上させると同時に、体に無理のないように行う運動です。柔軟性や筋力を維持しながら、心身のリラックス効果を得られるような内容が適しています。以下の要素が、高齢者に適したヨガの特徴です。
### 1. **優しいポーズの選択**
– 高齢者向けのヨガでは、体に優しいポーズを選び、関節に負担がかからないように注意します。無理に難しいポーズをとる必要はなく、穏やかな動きが基本です。
– おすすめのポーズ:
– **椅子のポーズ(ウットカータアーサナ)**:脚の筋力を優しく鍛えます。

– **木のポーズ(ブルクシャアーサナ)**:バランス感覚を高めるシンプルなポーズです。

– **猫のポーズと牛のポーズ(キャットカウ)**:背骨の柔軟性を向上させます。

– **橋ポーズ(セーツバンダアーサナ)**:背骨を柔らかくし、体幹を強化します。

– **祈りのポーズ(バーラアーサナ)**:リラックスしながらストレッチできます。

### 2. **ポーズの持続時間**
– ポーズは、**30秒から1分程度**キープするのが理想的です。ポーズを長めに維持することで、柔軟性や筋力が向上しますが、無理をしない範囲で行います。
### 3. **呼吸法(プラーナーヤーマ)**
– 呼吸法は、ヨガの重要な要素で、心を落ち着かせ、リラックスさせる効果があります。70代には、深い呼吸を意識する**腹式呼吸**や、リズムを整える**ナディショーダナ(片鼻呼吸)**が適しています。
### 4. **ヨガの強度**
– 高齢者向けのヨガでは、強度を抑え、ゆっくりとした動きでポーズを行うことが基本です。ヨガの流れは緩やかで、体に無理をかけずに徐々に進めていくアプローチが推奨されます。
– **チェアヨガ**:椅子を使って行うヨガは、関節に負担をかけずに行えるため、70代の高齢者にとって非常に効果的です。
### 5. **リラクゼーション**
– ヨガセッションの最後には、必ずリラクゼーションの時間を設けることが推奨されます。これにより、心身がリセットされ、ストレス解消に役立ちます。**シャヴァーサナ(くつろぎのポーズ)**は、特にリラクゼーションに効果的です。
### 6. **頻度と時間**
– ヨガは週に**2~3回**、1セッションあたり**30~45分**程度が適度な強度です。体調やその日のコンディションに合わせて、柔軟に調整します。
### 7. **インストラクターのサポート**
– 高齢者向けヨガでは、**インストラクターの指導**が非常に有効です。正しいポーズや呼吸法を学び、無理のない範囲で進めることで、安全に運動が行えます。
### 注意点
– **体の状態を常に意識する**:痛みや違和感を感じた場合はすぐに運動を中止し、無理せず行うことが大切です。
– **ウォームアップとクールダウン**:ウォームアップで体を温め、クールダウンでリラクゼーションを行うことがケガの予防になります。
適度なヨガは、70代の高齢者にとって柔軟性の維持、筋力強化、そして心の安定に役立つ効果的な運動となります。
質問:高齢者の適度なヨガをすることのメリット
回答:高齢者にとってヨガは、体力や柔軟性を維持・向上させるだけでなく、心の健康にも良い影響を与える効果的な運動です。以下は、高齢者がヨガを行う際の主なメリットです。
### 1. **柔軟性とバランスの向上**
– 年齢とともに硬くなりがちな関節や筋肉を柔軟に保ち、日常生活の動作がスムーズに行えるようになります。バランス感覚も改善され、転倒やケガのリスクが軽減されます。
### 2. **筋力の維持・向上**
– ヨガのポーズには筋力を鍛える要素が含まれており、筋肉の衰えを予防します。特に脚や体幹の筋力が向上することで、立ち上がりや歩行が楽になり、日常生活の自立性が保たれます。
### 3. **呼吸機能の改善**
– ヨガの深い呼吸法(プラーナーヤーマ)は、呼吸機能を向上させ、肺の働きをサポートします。酸素の取り込みが良くなることで、エネルギーレベルが向上し、全身の健康が促進されます。
### 4. **心血管系の健康の改善**
– ヨガは心拍数や血圧を安定させる効果があり、心臓や血管の健康をサポートします。リラックス効果により、ストレスホルモンの分泌が抑えられ、心血管疾患のリスクを減らします。
### 5. **ストレス軽減と精神的な健康**
– ヨガの穏やかな動きと呼吸法、そして瞑想は、ストレスや不安を軽減し、心を落ち着かせます。特に高齢者にとっては、孤独感や不安感を軽減し、幸福感や満足感を高める効果があります。
### 6. **認知機能の向上**
– ヨガは集中力や注意力を高め、認知機能の改善に役立つとされています。これにより、記憶力や判断力が向上し、認知症のリスクを低減する可能性があります。
### 7. **睡眠の質の向上**
– ヨガのリラックス効果により、心身の緊張が解け、睡眠の質が向上します。特に夜間の不眠や不安を軽減し、深い眠りに誘導する効果が期待できます。
### 8. **痛みの軽減**
– ヨガは、関節痛や腰痛、筋肉のこわばりを和らげる効果があります。緩やかなストレッチや筋力強化が、慢性的な痛みを軽減し、動きやすさを取り戻すのに役立ちます。
### 9. **社会的なつながり**
– ヨガクラスに参加することで、同年代の仲間と一緒に運動を楽しむことができ、社会的なつながりが生まれます。これにより、孤独感が軽減され、心の健康がサポートされます。
### 10. **自己肯定感の向上**
– ヨガを続けることで、自分の体と心の変化を実感し、自己肯定感や達成感が得られます。これは、高齢者の精神的な幸福感を高め、前向きな生活へのモチベーションとなります。
### 結論
高齢者にとって、ヨガは無理なく体を動かすことができ、心身の健康を維持・改善するための優れた方法です。柔軟性や筋力を向上させるだけでなく、ストレスの軽減や認知機能のサポートにも効果的であり、全体的な生活の質を高める役割を果たします。
質問:高齢者にとってヨガのデメリット
回答:高齢者にとってヨガは多くのメリットがありますが、いくつかのディメリットや注意点もあります。高齢者がヨガを行う際は、以下の点に注意する必要があります。
### 1. **怪我のリスク**
– 高齢者は柔軟性や筋力が低下している場合があるため、無理なポーズを取ると筋肉や関節に負担がかかり、怪我のリスクが高まります。特に、転倒や捻挫、筋肉の損傷が懸念されます。
– 解決策として、インストラクターの指導を受けながら、安全な範囲で行うことが重要です。
### 2. **持病や健康状態への影響**
– 心疾患、関節炎、骨粗しょう症などの持病がある高齢者にとって、無理なポーズや過度のストレッチは症状を悪化させる可能性があります。
– 事前に医師と相談し、健康状態に合ったプログラムを選ぶことが必要です。
### 3. **体力の消耗**
– ヨガは一見穏やかに見える運動でも、長時間続けると体力を消耗することがあります。特に高齢者にとっては、過度な疲労を感じることがあり、これが続くと身体の調子を崩す原因となるかもしれません。
– 自分の体力やその日の体調に合わせ、無理のない範囲でヨガを行うことが大切です。
### 4. **心理的な負担**
– 他の人と比較してしまい、ポーズが思うようにできないことから自己嫌悪や劣等感を感じる場合があります。また、グループクラスに参加すること自体がストレスになることもあります。
– 自分のペースで進めること、無理に完璧を目指さないことが心の健康を保つために重要です。
### 5. **呼吸法の難しさ**
– 高齢者には、ヨガで推奨される特定の呼吸法が難しい場合があります。特に、深い呼吸や特定のリズムを維持することが難しく、これが逆に息苦しさを感じさせることがあります。
– 呼吸法が難しい場合は、シンプルな呼吸法から始め、少しずつ慣れていくことが推奨されます。
### 6. **費用の負担**
– 専門のインストラクターに指導を受けるクラスに参加する場合、費用がかかることがあります。特に、定期的に参加する場合は、金銭的な負担が心理的な負担につながる可能性があります。
– 自宅でできるオンラインのヨガクラスや、地域の無料クラスを利用することで、コストを抑えることができます。
### 7. **集中力や認知力の低下**
– 高齢者の中には、認知機能の低下や集中力の持続が難しい方もいます。ヨガのポーズや呼吸法に集中することが難しい場合、誤ったポーズをとってしまうことで、怪我のリスクが高まります。
– 短時間で集中できる簡単なヨガから始め、徐々に難易度を上げていくことが安全です。
### 8. **環境への依存**
– ヨガを行うためには、ある程度のスペースが必要であり、適切な環境(静かでリラックスできる場所)が必要です。これが整っていないと、ヨガを行う際に快適さを欠く場合があります。
### 結論
高齢者がヨガを行う際には、メリットが多い一方で、無理をせず、安全に行うことが大切です。個々の健康状態や体力を考慮し、適切な指導のもとで行うことで、これらのディメリットを最小限に抑えることができます。また、何か問題が起きた場合は、すぐに中止して医師やインストラクターに相談することが重要です。
近所に出没する動物
近くに林や森があるので小さな動物が出没します。夜になるとギャーギャーと何か叫ぶよう声も。これはキツネです。コンコンとはなきません。少し古い写真も集めて紹介します










近所に出没する野鳥
免疫力強化_発声体操&笑い
今春に取材を受け、「北海道の病院 2023」に<発声体操&笑いのヨガ>が掲載されました。「笑う門には福来る」のいわれ通り、笑いの研究が進められ、免疫力強化が実証されています。
教室でも1分間の笑いをときどき行っています。クラスによっては毎回必ず行います。声を出すこと、腹に力が入り、長く息を吐き出すのでリラックスには最適です。また発声体操もアイウエオの音を体を使いながら、大きな声で行います。これも息が続く限り行うので腹筋強化、丹田強化にとても良い動きです。
大きな声を出すのにご近所さんに対して抵抗がある時は小さい声で大きく口を開けて、お腹に力を入れて行います。気分も爽快です。ぜひ日課に取り入れてください。
沖正弘師の著作「生き方の探求」
この沖先生の著作は「沖ヨガ修道場」で発行されていた月刊誌「求道実行」の初期のものと思われます。偶然入手しましたので、沖ヨガの真髄ともいうべき簡潔な教えが中に入っています。是非読んでいただきたいので、ここに載せたいと思います。
2008-12-10 親鸞
古いブログに親鸞のことを書きました。復刻版として掲載します。作者の丹羽文雄は浄土真宗のお寺の長男として生まれ、住職の傍ら数多くの作品を生み出しています。’230114
2008-12-10 親鸞
ヨガを学ぶにあたって仏教というものを少しは知りたいと思い、以前に読んだことのある丹羽文雄著、親鸞を読みかえしました。
以下の生涯の話は小説を前提にしています。しかし小説、作り話かもしれませんが著者が親鸞を通して生きることの意味、宗教観を述べていること、そしてその中から煩悩の考え方を知ることはヨガを別の角度から学ぶことになるでしょう。
親鸞は自らの苦悩をとおして念仏という手法を使い、師である法然の教えを広めました。はじめから、宗派の開祖になるつもりはなく布教する喜びを通して生きることの苦しみ、欲望を持つ自分と戦ったのです。僧侶として公然と妻帯し、普通の人が歩む道を庶民とともに悩み、嘆き歩んだのです。
そしてそれは、弱い人間が生きていくために只、仏の力のみを信ぜよと言う他力本願を勧めているのです。自力にいたらしめるそのものが仏の力だといいます。ヨガの世界で言えば仏の力とは生命力のことでしょうか。命の働きに素直になれと言うのでしょう。
当時の仏教は鎮護国家が目的であり、支配階級のみでした。宇治の平等院は藤原家のものであり、極楽浄土を願う親鸞と同じ阿弥陀如来を本尊にしています。しかし源信や法然とともに民衆への仏教に急速にこの浄土の教えは広まっていきました。それだけ生きるのが苦しかったのでしょう。後にこの宗派は一向宗、門徒宗となって全国津々浦々に広まっていきました。
煩悩や悟りといった文がたくさん出てきます。引用の数字の4-42は4巻42ページを表します。
木は、自分によって燃え上がる火によって、自分全体が火になってしまう。悟りと煩悩の関係は木と火のたとえのようである。煩悩と離れられないからこそ、悟りは煩悩を燃やして智恵となるのである。煩悩は煩悩であることによって燃えて智恵となるのだ。煩悩、自分の中から得た智恵によってつくりかえられる。煩悩はみちびかれる。煩悩全体が変じて智恵となるのだ。智恵の母体は煩悩それ自身である。4-42
人間のもろもろの欲求を放れたところには、仏はないということだった。「生きている人間だけが、仏になれると言うことである。この身で、この世で成仏するほかには、悟りのひらきようがないのだ。」4-43
仏は光である、光は智恵であるという意味のことを、親鸞はあらゆる場合に口にした。光りはもののすがたをありのままに照らすものだ。あるがままのものを、ありのままに知るはたらきが、仏法で言うところの智恵であった。ことばを変えると仏にしたがうということは真理にしたがうということになる。仏のはたらきとは、ありのままな真理のちからであるということになる。それが釈迦以来の仏教の本流であり、基本的な考え方であった。親鸞もそうであった。
「煩悩は煩悩であることによって燃えて智恵となるのだ。煩悩、自分の中から得た智恵によってつくりかえられる。」煩悩はあってもいいのです。マンネリや不満があっても、そのことに気づき、そのまま二者両立を目指す心境を知恵といいました。煩悩を消して意気消沈するよりは激しい欲やエネルギーを社会のために使うこと、能力を発揮、高めることのほうがクリエイティブなのです。
「木像よりは画像、画像よりは名号」とつねに口にしていた親鸞であった。それなら親鸞の意に反して、宗派を確立しようとした覚如は不肖の曾孫ということになる。4-47
寺もいらぬ、経もいらぬ、ただ六字の名号があればよいのだと、九十年の生涯を通した。4-48
親鸞はいついかなる場合にも、浄土真宗なる新興の旗をたてたことはなかった。4-80
歎異抄をあらわした唯円は廻心ということを反省とか、懺悔とか自己批判という意味に解しているようであった。が、廻心は改心とはちがうのだ。煩悩具足の凡夫には、善心とか清浄心というようなものは、もともと持ち合わせていないのである。善悪のけじめさえのみこめていないのだ。改めようがないのである。親鸞は人間とはそういうものだと見きわめていた。その凡夫にできることは、改心ではなく廻心である。改めるのではなく、向け直すのである。凡夫のままで、仏の道をあゆむことであった。4-76
自分の内にみい出される他力のはからいによって、ためらわず、疑わず、自力いっぱい生きることこそ、とりもなおさず絶対他力の信心生活である。そのような生き方を不安がったり、疑ったりするのは、仏の智慧と慈悲を知らないところからくるものだ。4-84
根本の心理を悟って、それ以後はまったく煩悩疑惑がなくなることを意味するが、もしも廻心をそういうふうに解釈しているのなら、とんでもないまちがいだ。大悟徹底とはよく言われる言葉だ。しかし人間が生きていく上にはたしてそのようなことが可能か。悟った瞬間から人間がすっかり変わるものかどうか。私は今日まで、人間というものは決してそうしたものではないということを、くどいくらい、そなた(子の善鸞)に話してきたと思っている。廻心とは大悟徹底ではない。生活全体が廻心につらぬかれているということは、仏の誓願を信じるということの裏には、かぎりない反省と自己批判があってのことだ。大悟徹底したおかげで、以後は煩悩疑惑と一切縁が切れるというものではないからだ。4-89
二十九歳のとき、ひとたび廻心し、以後は死ぬときまで廻心生活を続けながら、親鸞は絶望と、悲歎と、懺悔をくりかえした。これは容易ならぬことであった。教法の真理性は、自己において自証されるものでなければならないのだが、親鸞は九十年の生涯にわたって絶望し、悲歎し懺悔することによってそれを自証した。教えというものは、たれのためのものではなく、よくよく自分ひとりのためのものであった。4-94
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
親鸞は「自然法爾」ジネンホウニを書いた。自然とはそのものとして自らそうなっていることをいい、法爾とは真理そのものにのっとって、そのごとくあることをいうのである。親鸞が自力のはらいを捨てて如来の手にすべてをまかせきることを自然法爾と説いたのは、その意味であり、弥陀という絶対の中に身を投ずることを意味した。4-370
親鸞ははじめから浄土真宗の開祖ではありません。そんなことどうでもよかったのです。名号、称号の南無阿弥陀仏だけを唱える生き方でした。寺も何もありませんでした。阿弥陀如来の慈悲を信仰し、全ての人が浄土へ往生して成仏するという絶対他力への信仰でした。
京で妻帯し、京を追放され、越後に流され、許された後は関東で布教活動を行い、そして晩年はまた京に戻っています。そのとき関東の門弟たちの信仰上の動揺を鎮めるために子の善鸞が派遣されましたが、親鸞と異なる教えを広めようとして善鸞を破門してしまいました。教えても教えても理解できない子に対する愛情があふれています。このことも親鸞を大いに苦しめることでした。仏教でいう四苦八苦の愛別離苦が襲うのでした。
善鸞にとって父の教えはあまりに奇怪であった。いままでだれもそんなことは言っていなかった。父の師の法然ですら、そんなふうに言っていなかった。即身成仏というのは、この肉体のままで仏になるというのだが、それは真言秘の教えの根本の意趣であった。そのためには、三密加持といって、手に印契を結び、口に真言を誦え意に本尊を観じて、大日如来の身口意の三業と行者の三業とを相応せしめる神秘な修行によって成就される悟りであった。また、六根清浄といって、眼耳鼻舌身意の六根、すなわちこの肉身が清浄無垢となって、無碍自在のはたらきをなす法は、一乗の妙典である法華経に説かれていることであった。それは四安楽行といって、身も心も安楽にみちびく身口意と誓願との四つの修行によって感得される功徳であった。真言の即身成仏も、法華の六根清浄も、いずれも難行の道であって、生まれつきすぐれた聖者によって漸く修することが出来、観念を凝らしてはじめて成就される悟りであった。悟りとはそういうものだと善鸞は思い込んでいた。4-46
善鸞の考えは現代にもよくある状況です。自力で行う座禅瞑想を独学で行うものほど、野弧禅という独りよがりの悟りに達するのです。自分は特別な存在であり、悟ったから人を導く権利ができたなど、という話はよく聞きます。親鸞のごとく死ぬまで自分の師は法然であるという下座心と感謝心が心の成長には欠かせません。禅や真言の世界でもここのところは長い歴史の中で組織として厳しく律しているとありました。
最後に私はいかなる宗派にも所属していません。ヨガには考え方がありますがそれは生命即神という考え方です。命の働きは親鸞の考えにも似ているところがあります。煩悩の肯定です。思い通りにならなくて良かったなぁ。具合悪くて良かったぁ。そこから努力し命の計らいに協力することを生活に求めるのです。生きるのに思い通りにならないからヨガの先生になったという人もたくさんいます。人に説き、自ら動き、自分を戒めるのです。