所用で京都へ行った。今年はまだ神社で年始をしていないので、平安神宮でお参りをした。神さんの本山はお伊勢さんに出雲神社、そして平安神宮もまあまあの格だと思っていたが歴史はきわめて浅いことが判明した。以下に説明文がある。「1895年(明治28年)3月15日に平安遷都1100年を記念して平安京遷都当時の天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創建された。」だそうだ。いつも道民がお世話になっている北海道神宮とあまり変わらないのだ。しかし「平安」という言葉は好きである。「平和」でもないし「安心」でもない。ヨガのくつろぎのポーズのときもよく使っている。「あなたに平安がきますように」「平安な日々を楽しんでください。感謝してください」と。
カシコミカシコミで始まる祝詞は神さんとの会話であり生死を約束する人間社会の初期の生活すべてを表しているという。日本では古事記の中で神話が出てくるが、これがもっともっと奥が深いらしい。とても手に負えないとあきらめていた「白川静」が今ブームになり漢字の成り立ちは神との約束事が詳しく当時の人たちが神との会話が成り立っていたことを説明している。甲骨文字は神との駆け引き、証文だったらしい。それが日本に来て仮の文字、すなわち、かなになったと。野口三千三の体や動きの説明がいつも「白川静」を参考にしていた。読解力を身につけ、ヨガの授業に役立てたいと思う。