生姜シップは痛み腫れ物の万能手当の一つで医薬が発達していないときは家庭で手当をするときによく使われていました。今でも食養生には欠かせない方法です。
その生姜シップでタオルを絞るときにねじるということで思い出しました。私はねじりのポーズを指導するとき、背骨がのびる感じがありますかと問いかけています。ポーズをラジオ体操にしないためには感じることが大切になります。単なる筋肉運動にするのではなく筋肉の大切な機能は「感じる」ことを意識することでいっそうの動きが得られます。「ねじるとのびる」の感覚を実生活ではゴムもそばもねじってのびるなど、例はたくさんあります。 続きを読む
月別アーカイブ: 2013年12月
丹田について
丹田の勉強会がありました。これについて日本の伝統的な身体を考えるにあたって重要なテーマです。丹田は体の中心であり、心のあり方まで左右する存在です。日本では腹(肚)ができているというのは精神的に完成されている意味を持っています。肚を見せるというのも本心を見せるという意味に使われています。 続きを読む
ブログが新しくなりました。
ブログ掲載がしばらく休止していました。拙い内容ですが楽しみにしていた方もおられるようです。申し訳ありません。
ブログのトップページが大きく変わっています。それだけではありません。たくさん変わりました。
名称も変わりました。「水野ヨガ学院」から「水野ヨガスタジオ」に変わりました。またhpも大きく変わりました。今までの手作り感がいいという方もおられますが圧倒的に今風になったと好評です。制作してくださった方、ありがとうございます。又チョコレート差し上げますね。今まで私がちょこちょこっと作っていましたが、このhpの変更は大変です。おかげでSEOも上がりました。普通の人はSEOは何のことかわからないですね。検索順位を上げるテクニックのことをいいます。当スタジオに問い合わせが多くなったのは間違いありません。きれいなhpが上位に来ている傾向ですが、やはり世間に公開するからには中身で勝負という態度は変わりません。ヨガってこんなに面白いんだ、こんなことにも役立った、体も心も変わった、生き方変わり人生も変わった。そんなことを期待しながら発表していきます。くどくて読まないという評にも負けず読んでもらえるように頑張ります。
アサナを作る前のアプローチ
ヨガを行うことは創造的です。アサナにしても呼吸法にしても瞑想にしてもそれぞれが創造的であり、またそれらの組み合わせも多種多様にあります。そして一つのアサナを行うにあたってもそのアプローチは無限です。しかし、そのアプローチへの動きと言えばまだまだ保守的です。どこが保守的かと言うとラジオ体操のようにある分だけを動かす、例えば首だけを動かす、腕だけを動かすとか、右側の動きをやれば左側の動きを同じようにするとか、方向でも真横、真ん前に動かしています。受講生に指導しているとき右側しかやらなかったら、左もやってほしいと言われます。その言葉を無視はしませんが、ならばペンを持つ手を右や左と持ち替えるのかといいたくなります。
普通の人はヨガの動きをラジオ体操と同列に見ているのです。私はヨガの動きとは生活の動きであり、無意識の動きであり、また創造の動きだと思っています。その創造的な動きから固定されたアサナへのアプローチの興味は尽きません。
一つのアサナでもオーソドックスに時間と呼吸と意識で製作(アサナの完成)することはできます。私はそのようなやり方も好きです。しかし他にも方法はないかと探していると、つながる動きや方向を変えた動きにはおもしろさがあることをみつけました。つながる動きを例にすると「左へ尻を落とす横座り、手は頭の後ろで指を組む、体を左へねじる、右ひざは右へ開く」などです。これらは普通にするよりは、よりよい動きになるでしょう。よりよいとはストレスのない軽くて楽な動きです。
(写真を入れる予定)
ラジオ体操の動きは人間の頭で考えて機械や構造物のようにまっすぐ、部分が中心とした動きです。たしかに構造物は力学的に安定していなければなりませんが、人は違います。動きに多様性があります。姿勢的にまっすぐという力学的な負荷を軽くすることは必要ですが、多様性が大切という考えであれば別に真ん前でなくてもいいことになります。動きでも発想を変えることが大切です。
それは酔っぱらって歩いている姿、お風呂上がりの気持ちよさ、眠くて仕方がないその立ち方歩き方、そのような動きを想像するだけでもおもしろく、その動きをアプローチ選んでいます。動きは自然であり、意識や力づくは入っていません。
ヨガをする方は自然を好んでいるはずです。
動きにも自然性を取り入れてほしいと思います。この自然性は無機質なものではありません。人間性でなければなりません。自分を尊び、周りを大切にすることです。その基準は動きの感覚です。私は「軽くて楽」という言葉をいつも反すうしています。力ずくで自分を痛めても動きを完成させようとするのは自分の自信喪失、不敬です。自分を大切に丁寧に動かすためには感覚を研ぎすまし、違いを探す芸術的要素も必要かもしれません。そしてその感覚は緩んだ緊張のない筋肉からだけから得られます。それは脳の感知能力でもあります。このように考えてくると感覚をたよりにした、変化に満ちたアプローチは創造的であると言えるのです。
ラジオ体操的発想からは何も得ることはできませんし、動きの高みに登ることもできません。健康体操・健康ヨガを目指している方も単なる筋肉だけの体操ではなく脳の力を発揮する創造的なアサナを作りましょう。 続きを読む