ことばにする

WBCはすごかったですね。ヨガはさまざなところから学びに取り入れることが大切です。今回はイチロー語録です。「キューバ、韓国のユニフォームを着、ようやくジャパンのユニフォームを着ることができました。そしておいしいところだけをいただきました。ゴチソウサマ。」

Itiro

感覚、感じを言葉にできるヒトはあまりいないですね。それも伝えられる言葉でね。言葉は共有するものですからね。ヨガ指導のときのほとんどは指示語です。足を延ばして、体をねじって、後ろを見て・・というふうにです。または教えてヤルというように断定語です。これはここに効きます、とか。(本当か、うそを言うなよと、このフレーズを聞くと思ってしまいます。)

ポーズを作っているときはいろいろな感覚が現れてきているはずです。そしてそれが感じや気持ちになっています。この感覚を共有したいのです。そのためには言葉が必要です。擬音でもいいです。イテテ、スーゥ、ンーム・・あまりぱっとしないけど少しはましでしょう。

イチロー語録みたいにはいかないけど、何か言葉がほしいです。筋肉をかき分けていくと、すごく怒っている部分があります。そこをなだめるのです。やさしく、感謝し、自分の傲慢さを懺悔するあやまるとかとかです。そんわけのわからないことをいつも言っているのですが聞いてくれている人もいるのです。教室全体が何か変わっていくといいと思いながら。

動物も感覚や感情を持っています。しかし彼らは言葉を持っていないために、自他に伝達できません。それで本能のまま、または学習したまま行動しています。そして自分をコントロールすることができません。人の素晴らしいところはコントロールできること、いやなことを快に変える能力を持っているのです。その道具はコ・ト・バです。

人は言葉を得て何を失ったのだろう

昨日まで雨、雪、風と最悪でした。今日はぽかぽかの春日和です。といってもご覧の通りですが。
Kaiwa
お隣のマロン君と久しぶりの対面です。室内犬なので人の話しはかなり理解できているようですが、まだ言葉を得ていません。直立を得ていないので声帯が発達していないのでしょう。彼らの仲間は皆、人のような言葉を持っていません。しかし人には無い、何かを持っているみたいです。時間も季節も天気もわかるみたいです。ある人は風と話しができ、木々や植物と話しができるといいます。それも何万キロと離れたところからでも理解し合っていたのです。前頭葉で理解する私たちには嘘のように聞こえます。体験したことが無いからです。彼らは人が生まれる前からそのように生活していたのでしょう。自然の中でただ、生を受け入れ、分かち合い、恵みに満足していたのでしょう。
ヨガのサマディは三昧とも悟りとも訳されています。それは「あるがまま受け入れる」ことによって生を満足するとあります。