オンラインヨガレッスン

6月初めから無料オンラインヨガレッスンを始めました。解散以降、あってない人と会えて、また札幌を超えて、オホーツク地区、新潟、時々ですが愛媛とかオンラインの時空を超えた能力に感心します。

そして9月からは有料になりますが、気軽にヨガに接してください。オンラインのメリットは何と言っても出かけなくてもいいということです。それにほとんど見られていないので、できなくても恥ずかしくないことです。そして人と話し合ったり、情報交換できるということは素晴らしいことです。

9月のカリキュラムは掲示板に発表していますが、ヤマニヤマ のところは沖正弘先生の語録をこれからテーマにしていくつもりです。

オンラインヨガレッスン15
目をリラックスしよう(瞬き、視点移動 、etc)
沖先生の語録:ヨガとは何か
 一番基本になっている心というものを養い、高め、強め、清めるには、一体どういう体を作ればいいのかということから、体の訓練がくっついとるわけ。心だけのやつを「修養」というんだ。体だけのを「修行」という、生活だけのを「修業」という。これを全部合せてのヨガ、わかるね。
だから、そこが普通の肉体訓練とは違う。普通の肉体訓練は、心とか生活から離れておるのが大半なのよ。それを唯物的と、こういう。心だけのを唯心的という。唯物だけでも困る。唯心だけでも困る。一緒にしたものがヨガ。(沖正弘選集13_p2Q&A)
1(心がまえができると体をていねいに扱うことができる)
アサナ:体を楽にするテーマ:ほぐすことの大切さ
  五感を通して内部感覚を意識する
 半月のポーズ(内蔵の強化/ヘルニア調整)
 バッタのポーズ(脊椎下部調整・膝強化)
  大切なことは自分の体を観察する習慣を持つこと。
2(体が整うことで呼吸が楽になる。)
 プラナヤーマ:発声体操
      (肺機能高める呼吸法です。)
 3(体と呼吸が整うことで心が素直になる)
ディアナ:ソーハム瞑想法 (あなたと私)   <出所不明>
 吸う時 「ソー」 吐く時 「ハム」を心で繰り返す。
  私は太陽です。太陽は私です。
  私は空です。空は私です。
  私は宇宙・・
  私は花・・・。・・鳥・・。・海・。・山・。
  あなたは私です。私はあなたです。
  全ては一つです。すべてはつながっています。
宇宙創成の100億年前にビッグバーンであらゆる元素が均等に宇宙にばらまかれた。多くの銀河の元素組成はそのためによく似た構成になっている。
すなわち、私という存在の元素組成は山や川や鳥や太陽や空と同じなのだ。合掌
水野健二
「質疑応答」全文
  (沖正弘先生晩年のヨガ行法の中心はQ&Aであった。)
1301(沖正弘選集13_p2Q&A)(当時の雰囲気のままに言葉を訂正していません。)
 (ヨガ体操を行じながら、物理療法や漢方薬を併用してもいいのでしょうかという質問)<ヨガとは何か>
 あのね、ヨガはどんなものかというとね、精神修養が中心なんだ。それが出発だ。人間も動物の一種だけど、動物の中で心が優先しているのは人間だけ。人間以外の動物は体が優先している。いちばん心身の異常を作り出しやすい元になってるのは心なんだ。
わかるでしょう。
 だから、そういう心のための体の訓練がヨガの肉体的訓練になっているわけ。わかるね。どうしてそういう結論に達するかというと、自己を支配しとるものは、自分の中で働いている命の働きであるからである。
 他物に頼ってみても、自己の中の力が高まるわけじゃない。力というものは、使ったほど高まる。使わないほど弱まる。だから、例えば病気の場合でも、いくら他物に頼ってみたところで、自分の中にその他物を活用するだけの力がなかったら、「これは、こういう効能がありますよ」と言ったって、ある人にはあるかもしれないけど、そのもの自身に効能を引出すだけの力はない。
 例えば、ある人がいい話をしたとするね、その場合でも、百人集っている人が同じような受け取り方をするかというと、決してそうではない。その人の、いいかね、受け取り態勢、理解能力、その人の体験で、同じ一つの言葉の捉え方が違うだろう。それと同じこと。だから、他物は、頼らなきゃなん時は頼るべしだ。頼っていいんじゃない、頼らなきゃならん。ところが、多くの者は、今言った、己れの力を高め、整え、清めるという基本原則を忘れてしまって、他物にだけ頼ろうとする。それが、いいかね、人間世界への弊害を生み出している。
 他物に頼る学問というのは非常に発達しているんだ。医学なんてものすごく発達してるじゃない。治療法なんて、ものすごく発達してるじゃない。薬物学なんて、ものすごく発達してる。「もう要らん」というぐらいだ。「これでもか、これでもか、これでもか、これでもか」と、効能を並べ立てたものが毎日生産されている。
 ところが、本当の事を知らない奴は、その他物の効能に惑わされちゃうんだ。「これはこういう効能がある」って言うと、それがそのまま自分に当てはまると思っている。「そんなはずがない」て言ったって「そんなはずはある」と言う。だから救われない。
 ヨガはそういう愚かなことを言わない。他物に頼ってもいいから、まず、自分の頼る他物が最高の効能を発揮できるような自分を作ることを、まず第一番にする。他の人に「助けて下さい」と言っていいんだよ。しかし、他の人に「助けて下さい」という場合は、自分が出来るだけのことをやって、それから他の人に「助けて下さい」と言え。
 これは正しいんだ。「俺は俺の力だけで生きる」なんて言うてみたところで、それは不可能なこと。だから、ヨガは「正しい生き方をしろ」ということ。他物が必要な場合は、他物の協力を得るのが当たり前である。
 ところが、例えば、病気を専門に研究する医学と称しているものには、阿呆みたいなことをやってるじゃないか。薬を使ったって治らない病気に薬を使う。薬で治るんなら、皆んな薬のんでるものは、治ってるはずじゃないか。色々、薬をのんでみても薬で治らない、ということは、その人にとっては効力がないということよ。絶対に体はウソを言わないんだから。命が、「本当なら、この薬はあなたには効能がないんだけども、折角、一生懸命飲んでんだから、じゃ効能を出してあげましょうか。」とウソを言うと思うか。
「本当は、あんたはハリは効かないんだけども、お灸なんか熱いのを我慢してんだから、あんたの我慢に免じて、治るようにしてあげましょう。」なんて、やってくれないんだ。
 だから、いいか、沖ヨガ以外は全部ウソばっかり言ってる。沖ヨガの特色は、「絶対にウソを言わん」というのが特色だ。沖ヨガの場合は、絶対に他のものを否定しない。なぜかというと、それが必要な人には必要なんだ。先日も、こんな女にね、誰かくっつく男があるだろうか、と心配しておった女が、(俺は本当に嬉しく思うんだが、)「こんな男の嫁さんになる女がおるだろうか」と思っていたところで「結婚します」と言った「あー、一人の男を救ってくれた」と嬉しく思った。
 だから、否定もしない、肯定もしない。否定も肯定もしないという、いいかい、純白なる立場をとるから誤らなぃ。誰が何と言おうとも、いいものはいいんだ。誰が何と言おうとも、間違いは間違いだ。だから、ヨガにとっては学説は関係ない。知識も関係ない。民族別も関係ない。何にも関係ない。ヨガは本当のことだけを求める。
はい、次。
 (沖正弘選集13_p2Q&A)
このQ&Aを読んでいると、当時の沖ヨガ修道場や札幌での合宿講演会後の「質疑応答」の場面を思い出します。 大変緊張した時間でもありました。当然正座です。シーンとしています。道場ではあるときは100人〜200人くらい在籍していました。後ろの方では英語やスペイン語、中国語で訳しているグループがいます。
それを体験している我々は、札幌で合宿があると同様に緊張していました。スタッフだけ10~20名くらい集められ、「質疑応答」が始まります。車座になって、夜遅くまで続きます。終わるとラーメン買ってこいと言われ、大きな鍋を持って1時2時頃ススキノに車を走らせ、藻岩山にある、合宿所の東本願寺まで帰ってくると、かなりノビテています。一筋だけ沖先生は食べ、うまい美味いと言って、食べろ食べろというのですが、ノビテ冷えています。残したり捨てたりしたらまた怒られるので数人で美味しそうに食べました。
当時、北海道には門下生が10位のグループをつくり、沖先生の来道を機に講演会合宿をしていました。沖先生の千歳空港への送迎は全部私がやりましたので、ずいぶん個人的に接する機会があったのは恵まれていました。と、懐かしい思い出がこの「質疑応答」で湧いてきました。
最後にこの「沖正弘選集」は20冊以上有り、膨大なテープの中から「テープ起こし」をされたものです。ボランティアの皆様に感謝しつつ、引用させていただきました。合掌

癖・習慣を見直そう

ヨガの最終目的は体を柔らかくすることではありません。良くない心身の癖習慣を直すことが目的です。そのために学び実行していくことをヨガ行法と言います。難しいことですが一つ一つ気がつくことで少しづつ改善されて行きます。今回は目の癖について考えます。 続きを読む

歩き方

ヒトの歩く能力はヒト固有の歩き方があります。例えば犬や猫の歩き方は種が同じであればだいたい同じだけれど、人の場合は遠くからでも個性的なのがよくわかります。また、テレビでライオンやチーターが獲物を獲る時、そっと近づいてあと全力疾走します。足の筋肉がつったり、捻挫したりしている場面に出くわしたことがありません。やっぱり人間と同じように自然界でもするのでしょうか。でも準備運動はしていないことだけは確かです。 続きを読む

丹田力強化法(生命力強化法) —脳幹の強化—

定例研究会では学院の研究生の強化法を行いました。今日は札幌でも30度の気温と蒸し暑さでした。朝から私はテンションが上がり、普段使いのカメラではない古い眼レフカメラを持ち出しカメラにその風景を撮るつもりでしたが、研究会が始まるとすっかり忘れてしまいました。それで写真はなしです。
まず魚のポーズの強化法をいくつかやって、体に喝を入れます。sakananokyouka
きわめつけはここにはありませんが、魚のポーズをして足を持ってもらって、胸から起き上がる動きを5回行います。腰にかなり負担を強いますが、全員大丈夫でした。そして延々と1時間半行いました。クーラーをあえてつけていないので汗びっしょりです。本州並みの汗が出ました。いつもは男私一人ですが、最近はもうすぐ67歳の頼もしいメンバーがいますのでお互い老体に鞭打って、いや本当に鞭打って頑張りました。女性群も老いも若きもきつい楽しいと終わりました。強化法のご存知のない方は例えば下の絵のような動きを延々と続けていきます。
kyouka 続きを読む

眼ヨガバラエティクラス開催

学院のクラスで「バラエティクラス」があります。このクラスは毎週テーマを変えて、予告して予約受付で開催しています。今回このブログに紹介するのは「眼ヨガ」です。正しくは「龍村式眼ヨガセミナー」です。本格的なインストラクター養成セミナーは12時間の講座ですが今回短縮で2時間でした。短くてもエッセンスはつかんでもらったと思います。現代はパソコン・スマホで不自然な眼の使いかたを強いられます。疲れた眼を癒すのは眼の運動不足解消です。眼をたくさん動かす、眼をストレッチする、眼をリラックスする。ヨガの刺激、バランス、安定と同じです。資料を添付します。ぜひやってみましょう。出典は雑誌クロワッサンから引用です。
眼ヨガバラエティ配布_ページ_1

眼ヨガバラエティ配布_ページ_3

考え方の癖(思考の癖)

 前の「瞑想_新聞記事から」の項で考え方の癖、認知行動学などの語句が出ていて少し調べてみようと思いました。調べてみると大変面白いもので、どこかで学んだことがあると資料を探してみると、半年間の「神野屋総合研究所_コーチングの基礎コース」にありました。それは毎日の生活の中である出来事があった時に心が推論したり、解釈したり、評価した事柄が感情になり行動に表れるという内容的です。
感情の起源_二宮

 しかし、今回は切り口を変えて「認知の歪み」をテーマにまとめてみました。 続きを読む

瞑想 新聞記事から

 ヨガアサナと瞑想は動きと静寂の表裏一体です。ヨガのアサナそのものが瞑想にもなります。体操をするのでなく、体の感覚、呼吸の状態、ふくらむしぼむなど、ここの記事に掲載されていることを行えば瞑想になります。このことを動禅といいます。
 最近ではフィットネスとしてのヨガのブームでアサナはヨガらしいけれどただ運動だけで満足している傾向が多くなっています。動禅としてのヨガは痛みを受け入れること、そして一人でやっているのなら自分自身を、そして複数でやっているのならうまくできたときは共感することです。自分をほめる、他人をほめることで自信につながります。
 この新聞記事で瞑想のことを知ってもらうともっと奥深いヨガライフが得られるでしょう。
 またマタニティの出産のときも前はラーマーズ法という呼吸で出産をコントロールすることを行っていましたが、ソフロロジーという新しいヨガ、瞑想と同じ概念で出産は自然なもの、あるがままに受け入れるという考え方のもとに、瞑想と同じ手法をつかってます。
 それでは記事の中身をがっつりと検証してください。そしてやってみてください。 続きを読む

シムハアサナの再登場

前のシムハアサナは以下にあります。https://mizunoyoga.com/blog/?p=415
「身体のホームポジション」参考にしました。
kara  rion1

 ヨガは心身修正法です。体を通して心をコントロールし、また心を通して体を調節します。今週の学院のテーマはシムハアサナであるため、いつものように腹から息を吐き出すようにしてライオンのたくましさをまねてみました。まねをして気持ちをパワフルにするにはいい方法です。

 余談ですが今、司馬遼太郎の「坂本竜馬」を読んでいます。フィクションが入っているから龍馬でなく竜馬と名前をつけたとあります。その坂本龍馬の出身地、土佐藩には幼名としてやたら動物の名前の一部を付ける傾向があったそうです。龍馬も牛太郎、寅吉、馬三郎などなどでエネルギーをちょうだいしたのでしょう。ヨガのポーズの名前もその特異なパワーを感じながらポーズを作るようにと名付けられたのでしょう。

 最近は顎関節が痛い、音がするという人の話も聞きます。不都合なときは病院ですが、自分で習慣を変え対処できるのであればその方がいいでしょう。顎関節の不都合はほっぺの筋肉が緊張しすぎているのです。もっと顔をだらしなくすればいいのですが、人前では賢そうにしなくてはなりません。顔の筋肉は脳神経に属しています。心が緊張すると顔に表れます、そして歯ぎしりをするように強く歯を噛み締める傾向があります。
それで舌をもっと動かしたら良いという「身体のホームポジション」を見つけました。それを参考に話を進めたいと思います。

 舌を大きく出したり、引っ込めたりすると下顎が緩む感覚になります。すなわち顔が緩み気分的にもリラックスしてきます。おしゃべりの好きな人はヨガ関係者(失礼、講義好きでした。)にも多いですが女性は特にその傾向が多く、わが教室の下のエレベータの前で1時間以上立ち話をしている人がいます。話せば話すほどリラックするのでしょう。舌が自由になることを滑舌というそうです。ストレス解消です。

 舌を繊細に前後、左右動かすと心と体の自然性が回復してのどが敏感になり味覚も良くなり過食も防ぎ、また体に不具合なものはすぐに吐き出す能力もつくとのことです。ここの所とても大切です。ぜひ実践してください。

 戦後間もないころ帝銀事件というのがありました。十数人に青酸カリを飲ませましたが数人は吐き出して死ななかったそうです。沖先生の講演にも不要で不適なものは出してしまう、それが本能だと言われました。

 シムハアサナを四つ這いになって作ってみます。背中を丸くして下を向いて大きく口を開けてはぁーーーぁ、とするのですが、そのときお腹をみぞおちに押し上けるようにすると効果的です。終わった後正座をして体を確認すると顔は緩み、舌が沈み、あごが重くなっているのに気づきます。そして何よりも口の中が広がりのどが広がり、口と腹がつながって一本の管のようになっています。管をひっくり返したら表になる、管の内側は表面で外気とふれあって口の中のようにの潤っている感じです。このことは腹、内臓が無感覚で見えないものでなく、実感できるのは自然であり生きる力をそこに見ているのです。
 
 シムハアサナを通して口と消化器の自然性を回復する気づきがあって、過食を防ぎ、食事の美味を感じ、不要で不適なものを入れないようにしたいものです。

ホリスティックの考え方

 普通、ホリスティックというと後に続くのが医学という言葉が出てきます。しかしホリスティックは全体、大きなという概念ですから、医学という専門的な分野でなくても、普通の人が自ら良くしていこうというときに使われる言葉だと思います。
 体の不調な時に今の科学的な考えでは部分の改良を意味しています。肩がおかしい、膝がおかしい、胃の不調であるというようにそこの部分が悪い、それ以外は問題ないということを暗に告げています。まるで車の故障のように部品交換を期待している言葉です。
 西洋医学は医療のますますの発達のために多くの人たちが苦しみから救われました。けがをしても感染症にかかっても死ななくて済みます。小説「白い航跡」(吉村昭)の中で鳥羽伏見の戦いでけがをしたら、感染症で死ぬのが普通であり、漢方医学の限界を当時の医者は感じ、西洋医学に転向していった話しがあります。科学技術と医学は世界の大きな戦争のたびに発達していったのです。
 ところが今はこの部品扱いの医療では対応ができなくなっています。すなわち全身の機能が悪くなって部分に病状が出ている病気が多くなってきているのです。糖尿病や高血圧、血管障害、アレルギー、ガンなどがこれに当たるでしょう。
臨床医は病気を直すという大きな使命を持って病気に対応していますが、一部の医療関係者は一度は捨てた東洋医学の復活だけでなく、食養法や気功やそのほか癒すための可能性のあるものは何でも試みることを模索しています。
 現代の科学技術が進歩して人の幸せを満たすために万能と思われる思想が頂点に差し掛かろうとしているときに、命や人生に対して物の考え方が限界になったように思えます。ここに至ってホリスティック思想が問題解決の一つになろうとしています。命が太古から生き続けた、いや命が発生したもろもろの条件は、水や空気や食べ物や思いや魂や気の流れであり、自然と合致してきた結果であります。それならば人間が文明の中で失いつつあるのは自然観であり、私たちが自然の一部であり、自然そのものを再度理解しなければならないと思います。
Youjoukun
 中村天風師は病気を病と言いました。それは個人の責任で命のアンバランスを表す言葉です。病気と言うと自分とは関係のない不運のために体がおかしくなったという印象があります。しかし彼は治すのは自分という意味で使っています。同じように沖正弘師は「治さない治し方」と表現されました。すなわち心身霊を整えることで治っていくという意味です。
 ハリや灸が今では西洋医学と同じように○○に効くツボなどと称しているのは本来のホリスティックな考え方から逸脱しています。食べ物もそうです。○○に良いという食べ物は存在しません。生きるために必要なものが食べ物です。同じようにヨガのポーズも○○に効くなどもありえません。ヨガのポーズは全体を整える動きが目的なのです。だからヨガポーズは体操ではないのです。ヨガポーズは体の機能を整える重要な働きを持っています。
 生きものである私たちは、人間関係も命も人生も部分的な小手先でコントロールはできません。全人格的に全人生をかけて修復することが必要でしょう。それがホリスティックの考えだと思います。そしてますますホリスティックが必要な世の中になるでしょう。