「肺の日」の記念公開講座のお知らせ

呼吸器学会北海道支部主催の「肺の日」記念公開講座のパンフレットです。7月31日午後1時から3時まで開催されます。
Hainohi_s
生きる上で脳も大事、心臓も大事、体、全部が大事ですが、呼吸は息をしていることで目立って気になります。その呼吸器科のお医者さんたちの一般向け講演会です。難しい内容もきっとわかりやすく説明してくれるでしょう。今日パンフをいただいて受け付けにおいておくと年配の方のクラスであったためか、あっという間に少なくなりました。そういえば今週のカリキュラムで発声体操をやっていたところ、そこらじゅうで、せき込んでいました。気管が、肺が弱くなっているのですね。
ということで私は講演の前座ならぬ、合間にヨガを担当することになりました。
タイトルは笑いヨガです。笑うという動作一つで呼吸の健康、心の健康、体の健康を同時に兼ね備えているのが笑いです。笑う機会がない人はぜひ参加してください。気分転換になるのですから。そしてひょっとして切実なメインテーマの肺がんや間質・・という病気の勉強よりも笑うということで今を生き、ありのままに生きるに何か役立つヒントがあると思います。
(ここに講義抄録を書こうと思いましたがブログだと書きにくいですね。次回案を練って掲載する予定です。)

青空ヨガを開催しました

数年前菅野美穂さんのインドヨガ旅行記がテレビ放映されました。そのとき大きな公園の芝生の上で数組のヨガグループがヨガをしていました。今回は研究生の発案でお外ヨガ、青空ヨガを初めて企画しました。教室ヨガとはぜーんぜん違うヨガであることを発見しました。またまたアバターを例に出して恐縮ですが、大地のエネルギー、宇宙のエネルギー、人と人のエネルギーが感じられる時間でした。たくさんの人が参加してくださいました。関西から来たという旅行中の人も飛び入りです。昔の研究生も受講生の方々も、家族総出、赤ちゃんも、家族と同じペットも参加でした。
北海道の春から夏に向かう最高の天気でした。皆で参加者の精進の賜物だという声が聞こえます。一時間のヨガでしたが研究生が次々と切れ目なくヨガレッスンを楽しみました。私もインドのヨガビデオをイメージしながらアハハハという笑いを紹介しました。
Aozora_blog

断捨離ってなに?

先日の合宿の時に講師が断捨離という言葉を発せられ、当学院の受講生がそれを聞いて後日、あの「だんしゃり」ってなんですか、と聞いてきました。
その講師は「断捨離のすすめ」という本がよく売れている、あの本は整理整頓する方法を仏教の言葉で上手に本の書名にしたものだ、ヨガの中でプラティヤハラという段階があるが心の執着をとるために断捨離が必要だ、という内容でした。
私の身の回りには物にしろ、情報にしろ溢れています。ほっとくと物であれば「ゴミ屋敷」になるし情報であれば「自称評論家」になりひいてはノイローゼーになってしまいます。中村天風師の本を読むと、インドのヨガ部落で修業しているときに「文明人の理屈の多い頭をからっぽにしないければ何を教えても無駄だ」と言われるところがあります。映画「アバター」の中でも自然の中で生きている惑星人が地球人に向かって「頭をからっぽにしなければ自然の神から何も教えを得ることはできない」というような場面がありました。
私たちの生活は物欲、名誉欲、金欲、欲、欲ときりがありません。この欲のコントロールをするのがプラティヤハラ(制感自律訓練行法)です。詳しくは当学院hpに少しだけ書きました。
http://www.mizunoyoga.com/gakuin/q23.htm#l121
ところでヨガのポーズを作っているときに、できない、痛いは日常茶飯事ですが、できるときには突然できると様々なところでのべています。工夫と努力は当然大切ですが、痛みを我慢するという、とらわれや、ポーズを作ろうという気持ちが執着が欲につながってきているのです。頭をからっぽにしてただその場その場を感覚を受け入れていくしぐさこそがポーズであり、そのようなときになると瞑想になっていきます。そしてそのようなときに、こちらから思い追い求めていた対象が向こうからやってくるのです。求めているものを断つ、捨てる、離れるという断捨離は言葉で言えるほど簡単なことではありません。断捨離という思いこそが欲になってしまうのです。
それで数年前面白い体験をしました。我が家のリフォームの際です。家を片づけなければなりませんのでいらないものを捨てているとこの捨てるという作業が楽しくなってきました。来週の大型ごみの日に向かって、毎日小さな家の中を探索しています。何か捨てるものないか、いらない、いらないを繰り返し身軽になったわが持ち物に満足していました。ところがリフォームも終わり数年経ちました。また物が増え始めてきました。あれほどすっきりしていた家の中も見苦しくなってきました。これを見ても捨てるというのは癖です。またため込むというのも癖です。身一つで雲水のごとく、インドのサドゥのごとく生きることが一番の幸せかもしれません。
Maslowマズロー欲求階層説から抜粋
Sadu出典絵葉書

頼先生のアサナ指導

先日の登別合宿研修会の際に台湾ヨガ会の事務長「頼玉秋」先生のアサナ指導がありました。流れるような動きです。見ているだけでは何の変哲もないアサナですがこの一部の動きをしただけで、驚きの結果が生まれました。
まず私自身ですが、この後、前後開脚のポーズ、いわゆるハヌマーンアサナを行いました。私はこのポーズは不得手です。普段は痛い、伸びない、尻が落ちない、体全体が緊張に包まれます。しかしこの時は違いました。なんのストレスもなく、足は開きます。しっかりと胸の前で合掌できます。手を上に上げることもできます。140人の内の部屋の一角は私への拍手に包まれました。すごいすごい、瞬間です。今までのあの痛さは錯覚だったのか。体の条件が満たされると瞬間に可能になる事実の再現です。少しずつできるようになるのではなく、突然にできるのです。
それは合宿後、数日を経て教室で再現してみました。私のクラスは体の固い人ばかりです。教室は壁が少ないので二人組を作り、背中を借りて同じ動作を行います。そして開脚前屈のポーズを挑戦しました。10数人中90%の人が格段とポーズが進歩していました。腰がしっかり入っているのです。
いつも言っていることですが、腰を緩めるポイントはそけい部を締めること、胸を開くことであることがよくわかりました。そして動きの中で腸骨を回転するように行うことが大切です。この回転という動作は締めて緩めてという複雑な動き、協調が必要な動きでもあります。
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Rait