北海道のロマン

 知人から「骨鬼(くい)の末裔」という本を借りて読んだ。面白くて再度読み返す予定であったところ、教室で山好きのKさんにその話しをしたところ、読みたいと熱望された。その場には所有者の知人も同席し、そんなに面白かったら「あげましょう」と言われ、Kさんに渡したのだが、それからヨガの授業は著者の「新谷暁生」の雑談で時間を大幅に遅れてしまった。著者と懇意にしているという又別の人Iさんがいて著者の豪快さとカヤック、ニセコ、知床談義が始まり、話がつきそうもない。
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 そして本の内容に及ぶと又別のSさんがすごい、すごいと言って授業に戻れなくなってしまった。何がすごいというと13世紀末に中国のチンギスハンの流れを汲む元朝(げんちょう)の元冦(げんこう)が九州を襲ってこれが原因で鎌倉幕府が衰退するが同時にその頃、北のオホーツク千島を拠点とする民族が中国大陸のアムール川付近を侵略し元(げん)の人々に骨鬼(くい)と呼ばれて恐れられていたという話しが気に入ったというのだ。日本は元にやられっぱなしではなかったのだと大喜びしていた。
 この本はニセコの雪崩事故防止方法の画期的なニセコ協定から知床の国による環境保護がかえって環境破壊につながっていくという自然観そして山で事故を起こしてはならない、北方民族の盛衰、アリュウシャンの民族、松前藩のアイヌを酷使した愚政策、差別はまた同時に日本人から差別されしまうシャモ(鶏ではない)の話し、アイヌとカイいう民族、北海道の開拓に大きな足跡を作った松浦武四郎・・・このように多岐にわたる内容は「新谷暁生」の人物の魅力そのものである。
 数年前に網走に行ったときに1,000年以上前のモヨロ遺跡があるということでタクシーに乗って行った。土を盛った竪穴住居みたいであった。そのときオホーツクのたくましい民族のことが印象的であった。(2006年10月31日モヨロ遺跡 当ブログ参照)そのことも思い出した。
 幕末のころ青森にあった松前藩のアイヌ差別、搾取や移住禁止などで統治能力がないことから幕府が蝦夷地を開拓に乗り出した。そのころから日本各地から本州から移住が盛んになり今の町や街が生まれてきたがそのためには蝦夷地を探査する必要があった。松浦武四郎は三重の松阪出身者で探検家、冒険家であった。はじめは個人的好奇心で松前藩の妨害を受けながら蝦夷地旅行であったが幕府から調査を命じられ、アイヌの人たちの協力を得ながら探検に成功した。彼はアイヌ民族の文化を保存して現在の北海道の地名などを命名している。
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 たとえば札幌はアイヌ語の「サッポロベツ」(乾いた大きな川)であったり知床は「シリエトゥク」(ちのはて)など、ほかにもそのままにアイヌの言葉を漢字に当てたりカタカナにしたりしている。そしてまた北海道に現在12支庁に行政区が分かれているがこれも松浦が民族や地勢の違いを調べ上げた区別した結果をそのまま使っているそうだ。
 そういったことから松浦武四郎は北海道の開拓者であり名付け親でもある。彼の銅像は北海道内に50カ所以上に及ぶ。又名もない小さな町にも彼の銅像は建っているということだ。松浦は初め北海道を北加伊道と呼んでいた。それはこの大きな大地に数種類の民族がいることがわかり、オホーツクなど北の方はカイと呼ばれる人々がいた。著者の新谷はカイとクイ(骨鬼)には関連づける文献はないとしているが、言葉の音からから想像してしまう。明治政府は北加伊道を東海道などと関連づけて海という字に変えて今の「北海道」にしたそうである。
 松浦武四郎、わたしも北海道で生かさせていただいて40年近くたつが何回もいろいろな所で銅像を見てきたが、そんな偉大な方とはつゆ知らず大変失礼なことをしてしまった。彼は明治政府になって開拓史となって送り込まれた役人と意見が合わず、元の三重、松阪に戻り、故郷の大台ケ原の探査探検にエネルギーを注いだという。
 そういえば若い頃、台高山脈縦走(大台ケ原—高見山)をしたことがあるがそれは大変なきつい山行であった。台高山脈は三重県と奈良県を分ける標高1600メートル前後の山であるが上ったり下りたりの往復40キロを一日で走破したことを覚えている。当時はベースを途中においてほとんど空身で走るがごとく、ただ登ったという行動であった。ばてるものが続出し雨が降ってくる、動けない者どうするか、野営の準備もない。新谷暁生は山で絶対遭難してはいけないというがほとんど遭難しそうであった。私はというと偶然ポケットにカンロ飴(今でもある、あのまるっこいの)を食べていたからばてなかったのだろうと懐かしい思い出である。
 遠い昔は征夷大将軍という官職で東国を支配する武将(坂上、源、徳川)がいた。榎本武揚が率いる「蝦夷共和国」の夢もあった。蝦夷地から北海道へ。今北海道は都会と自然が調和をとっているすばらしい土地である。これからも震災も含めて大きなうねりがあるかもしれないが日本国が北を頭にして、東京大阪を手足として発展する日がくるかもしれない。