古いブログに親鸞のことを書きました。復刻版として掲載します。作者の丹羽文雄は浄土真宗のお寺の長男として生まれ、住職の傍ら数多くの作品を生み出しています。’230114
2008-12-10 親鸞
ヨガを学ぶにあたって仏教というものを少しは知りたいと思い、以前に読んだことのある丹羽文雄著、親鸞を読みかえしました。
以下の生涯の話は小説を前提にしています。しかし小説、作り話かもしれませんが著者が親鸞を通して生きることの意味、宗教観を述べていること、そしてその中から煩悩の考え方を知ることはヨガを別の角度から学ぶことになるでしょう。
親鸞は自らの苦悩をとおして念仏という手法を使い、師である法然の教えを広めました。はじめから、宗派の開祖になるつもりはなく布教する喜びを通して生きることの苦しみ、欲望を持つ自分と戦ったのです。僧侶として公然と妻帯し、普通の人が歩む道を庶民とともに悩み、嘆き歩んだのです。
そしてそれは、弱い人間が生きていくために只、仏の力のみを信ぜよと言う他力本願を勧めているのです。自力にいたらしめるそのものが仏の力だといいます。ヨガの世界で言えば仏の力とは生命力のことでしょうか。命の働きに素直になれと言うのでしょう。
当時の仏教は鎮護国家が目的であり、支配階級のみでした。宇治の平等院は藤原家のものであり、極楽浄土を願う親鸞と同じ阿弥陀如来を本尊にしています。しかし源信や法然とともに民衆への仏教に急速にこの浄土の教えは広まっていきました。それだけ生きるのが苦しかったのでしょう。後にこの宗派は一向宗、門徒宗となって全国津々浦々に広まっていきました。
煩悩や悟りといった文がたくさん出てきます。引用の数字の4-42は4巻42ページを表します。
木は、自分によって燃え上がる火によって、自分全体が火になってしまう。悟りと煩悩の関係は木と火のたとえのようである。煩悩と離れられないからこそ、悟りは煩悩を燃やして智恵となるのである。煩悩は煩悩であることによって燃えて智恵となるのだ。煩悩、自分の中から得た智恵によってつくりかえられる。煩悩はみちびかれる。煩悩全体が変じて智恵となるのだ。智恵の母体は煩悩それ自身である。4-42
人間のもろもろの欲求を放れたところには、仏はないということだった。「生きている人間だけが、仏になれると言うことである。この身で、この世で成仏するほかには、悟りのひらきようがないのだ。」4-43
仏は光である、光は智恵であるという意味のことを、親鸞はあらゆる場合に口にした。光りはもののすがたをありのままに照らすものだ。あるがままのものを、ありのままに知るはたらきが、仏法で言うところの智恵であった。ことばを変えると仏にしたがうということは真理にしたがうということになる。仏のはたらきとは、ありのままな真理のちからであるということになる。それが釈迦以来の仏教の本流であり、基本的な考え方であった。親鸞もそうであった。
「煩悩は煩悩であることによって燃えて智恵となるのだ。煩悩、自分の中から得た智恵によってつくりかえられる。」煩悩はあってもいいのです。マンネリや不満があっても、そのことに気づき、そのまま二者両立を目指す心境を知恵といいました。煩悩を消して意気消沈するよりは激しい欲やエネルギーを社会のために使うこと、能力を発揮、高めることのほうがクリエイティブなのです。
「木像よりは画像、画像よりは名号」とつねに口にしていた親鸞であった。それなら親鸞の意に反して、宗派を確立しようとした覚如は不肖の曾孫ということになる。4-47
寺もいらぬ、経もいらぬ、ただ六字の名号があればよいのだと、九十年の生涯を通した。4-48
親鸞はいついかなる場合にも、浄土真宗なる新興の旗をたてたことはなかった。4-80
歎異抄をあらわした唯円は廻心ということを反省とか、懺悔とか自己批判という意味に解しているようであった。が、廻心は改心とはちがうのだ。煩悩具足の凡夫には、善心とか清浄心というようなものは、もともと持ち合わせていないのである。善悪のけじめさえのみこめていないのだ。改めようがないのである。親鸞は人間とはそういうものだと見きわめていた。その凡夫にできることは、改心ではなく廻心である。改めるのではなく、向け直すのである。凡夫のままで、仏の道をあゆむことであった。4-76
自分の内にみい出される他力のはからいによって、ためらわず、疑わず、自力いっぱい生きることこそ、とりもなおさず絶対他力の信心生活である。そのような生き方を不安がったり、疑ったりするのは、仏の智慧と慈悲を知らないところからくるものだ。4-84
根本の心理を悟って、それ以後はまったく煩悩疑惑がなくなることを意味するが、もしも廻心をそういうふうに解釈しているのなら、とんでもないまちがいだ。大悟徹底とはよく言われる言葉だ。しかし人間が生きていく上にはたしてそのようなことが可能か。悟った瞬間から人間がすっかり変わるものかどうか。私は今日まで、人間というものは決してそうしたものではないということを、くどいくらい、そなた(子の善鸞)に話してきたと思っている。廻心とは大悟徹底ではない。生活全体が廻心につらぬかれているということは、仏の誓願を信じるということの裏には、かぎりない反省と自己批判があってのことだ。大悟徹底したおかげで、以後は煩悩疑惑と一切縁が切れるというものではないからだ。4-89
二十九歳のとき、ひとたび廻心し、以後は死ぬときまで廻心生活を続けながら、親鸞は絶望と、悲歎と、懺悔をくりかえした。これは容易ならぬことであった。教法の真理性は、自己において自証されるものでなければならないのだが、親鸞は九十年の生涯にわたって絶望し、悲歎し懺悔することによってそれを自証した。教えというものは、たれのためのものではなく、よくよく自分ひとりのためのものであった。4-94
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
親鸞は「自然法爾」ジネンホウニを書いた。自然とはそのものとして自らそうなっていることをいい、法爾とは真理そのものにのっとって、そのごとくあることをいうのである。親鸞が自力のはらいを捨てて如来の手にすべてをまかせきることを自然法爾と説いたのは、その意味であり、弥陀という絶対の中に身を投ずることを意味した。4-370
親鸞ははじめから浄土真宗の開祖ではありません。そんなことどうでもよかったのです。名号、称号の南無阿弥陀仏だけを唱える生き方でした。寺も何もありませんでした。阿弥陀如来の慈悲を信仰し、全ての人が浄土へ往生して成仏するという絶対他力への信仰でした。
京で妻帯し、京を追放され、越後に流され、許された後は関東で布教活動を行い、そして晩年はまた京に戻っています。そのとき関東の門弟たちの信仰上の動揺を鎮めるために子の善鸞が派遣されましたが、親鸞と異なる教えを広めようとして善鸞を破門してしまいました。教えても教えても理解できない子に対する愛情があふれています。このことも親鸞を大いに苦しめることでした。仏教でいう四苦八苦の愛別離苦が襲うのでした。
善鸞にとって父の教えはあまりに奇怪であった。いままでだれもそんなことは言っていなかった。父の師の法然ですら、そんなふうに言っていなかった。即身成仏というのは、この肉体のままで仏になるというのだが、それは真言秘の教えの根本の意趣であった。そのためには、三密加持といって、手に印契を結び、口に真言を誦え意に本尊を観じて、大日如来の身口意の三業と行者の三業とを相応せしめる神秘な修行によって成就される悟りであった。また、六根清浄といって、眼耳鼻舌身意の六根、すなわちこの肉身が清浄無垢となって、無碍自在のはたらきをなす法は、一乗の妙典である法華経に説かれていることであった。それは四安楽行といって、身も心も安楽にみちびく身口意と誓願との四つの修行によって感得される功徳であった。真言の即身成仏も、法華の六根清浄も、いずれも難行の道であって、生まれつきすぐれた聖者によって漸く修することが出来、観念を凝らしてはじめて成就される悟りであった。悟りとはそういうものだと善鸞は思い込んでいた。4-46
善鸞の考えは現代にもよくある状況です。自力で行う座禅瞑想を独学で行うものほど、野弧禅という独りよがりの悟りに達するのです。自分は特別な存在であり、悟ったから人を導く権利ができたなど、という話はよく聞きます。親鸞のごとく死ぬまで自分の師は法然であるという下座心と感謝心が心の成長には欠かせません。禅や真言の世界でもここのところは長い歴史の中で組織として厳しく律しているとありました。
最後に私はいかなる宗派にも所属していません。ヨガには考え方がありますがそれは生命即神という考え方です。命の働きは親鸞の考えにも似ているところがあります。煩悩の肯定です。思い通りにならなくて良かったなぁ。具合悪くて良かったぁ。そこから努力し命の計らいに協力することを生活に求めるのです。生きるのに思い通りにならないからヨガの先生になったという人もたくさんいます。人に説き、自ら動き、自分を戒めるのです。