普通、ホリスティックというと後に続くのが医学という言葉が出てきます。しかしホリスティックは全体、大きなという概念ですから、医学という専門的な分野でなくても、普通の人が自ら良くしていこうというときに使われる言葉だと思います。
体の不調な時に今の科学的な考えでは部分の改良を意味しています。肩がおかしい、膝がおかしい、胃の不調であるというようにそこの部分が悪い、それ以外は問題ないということを暗に告げています。まるで車の故障のように部品交換を期待している言葉です。
西洋医学は医療のますますの発達のために多くの人たちが苦しみから救われました。けがをしても感染症にかかっても死ななくて済みます。小説「白い航跡」(吉村昭)の中で鳥羽伏見の戦いでけがをしたら、感染症で死ぬのが普通であり、漢方医学の限界を当時の医者は感じ、西洋医学に転向していった話しがあります。科学技術と医学は世界の大きな戦争のたびに発達していったのです。
ところが今はこの部品扱いの医療では対応ができなくなっています。すなわち全身の機能が悪くなって部分に病状が出ている病気が多くなってきているのです。糖尿病や高血圧、血管障害、アレルギー、ガンなどがこれに当たるでしょう。
臨床医は病気を直すという大きな使命を持って病気に対応していますが、一部の医療関係者は一度は捨てた東洋医学の復活だけでなく、食養法や気功やそのほか癒すための可能性のあるものは何でも試みることを模索しています。
現代の科学技術が進歩して人の幸せを満たすために万能と思われる思想が頂点に差し掛かろうとしているときに、命や人生に対して物の考え方が限界になったように思えます。ここに至ってホリスティック思想が問題解決の一つになろうとしています。命が太古から生き続けた、いや命が発生したもろもろの条件は、水や空気や食べ物や思いや魂や気の流れであり、自然と合致してきた結果であります。それならば人間が文明の中で失いつつあるのは自然観であり、私たちが自然の一部であり、自然そのものを再度理解しなければならないと思います。
中村天風師は病気を病と言いました。それは個人の責任で命のアンバランスを表す言葉です。病気と言うと自分とは関係のない不運のために体がおかしくなったという印象があります。しかし彼は治すのは自分という意味で使っています。同じように沖正弘師は「治さない治し方」と表現されました。すなわち心身霊を整えることで治っていくという意味です。
ハリや灸が今では西洋医学と同じように○○に効くツボなどと称しているのは本来のホリスティックな考え方から逸脱しています。食べ物もそうです。○○に良いという食べ物は存在しません。生きるために必要なものが食べ物です。同じようにヨガのポーズも○○に効くなどもありえません。ヨガのポーズは全体を整える動きが目的なのです。だからヨガポーズは体操ではないのです。ヨガポーズは体の機能を整える重要な働きを持っています。
生きものである私たちは、人間関係も命も人生も部分的な小手先でコントロールはできません。全人格的に全人生をかけて修復することが必要でしょう。それがホリスティックの考えだと思います。そしてますますホリスティックが必要な世の中になるでしょう。