沖導師の著作に「生きている教育 沖ヨガ式子供教育」というのがあります。未来の子供たちへの期待とそれを取り巻く大人たちの啓蒙書です。教育というテーマは社会システムの中で文科省などで厳格に規制されていますが、個々の子供は育てられるのでなく、DNAのプログラムの中で、時間というプログラムと時間の環境と内容で心身が成長していきます。次世代の日本国民をつくる重要な役割があるだけでなく、沖導師は世界を見据える子供教育であるべきだと説いていました。
私はちょうど良いときに「天才と、キンピラゴボウの作り方」という本を読む機会があり、著者である母親の自然食と自然の中での教育の結果を驚嘆な育てかたで、命の可能性を知りました。しかし誰もがこの著者のように育てられるわけでなく、日本国民や制度がこの著者の活動に対して寛容になれたときには大きくクローズアップされると思いました。簡単にあらましを説明しますと、玄米菜食をすることから著者の大病が治り、現代医療を否定した、また一般の教育方針からかけ離れた子供教育を母親、著者の孤軍奮闘で天才を育て上げた内容です。著者の哲学は早いうちから成長を促すような立ち歩きではなく、いつまでもはいはいであり、歩けるようになれば勉強をさせずに、戸外で育て遊ばせること、テレビなどで脳に早くから不要な情報を入れさせないことを基本としていました。成績は中学校まで3人ともほとんどオール1であり、15歳で大検入試合格させ、それぞれがイタリアで音楽関係や日本で医学関係他でそれこそ天才を作ったという内容です。
さて、今日、受講生の前からの勧めで「未来を生きる君たちへ」というデンマーク映画を見ました。普段はエキナカの大きなスクリーンでメジャな内容の映画を見ることが多いのですがマイナーで、客席は30席くらいの小さな映画館です。パンフレットをもらったのである程度ストーリは読めると思います。要するに可能性のある子供だが大人と同じように仕返しという犯罪を犯して友人を傷つけてしまうが謙虚にあやまり、反省をしました。大人同士は勝ち負け、仕返し、闘争、戦争の中で生きているが、子供の屈託のない明るい表情こそが大人たちにも未来に明るさを感じさせる希望なのだと言うストーリです。
沖導師も子供から心の狭い大人がもっと学ぶべきであり、可能性を奪っては行けない、もっとたくさんの体験をさせること、自分で考える力や生きる力をつけられるようにすべきだと説いていました。