新聞記事に載った

 久しぶりに新聞記事に載りました。自分ではまだ青春をしていると思っていたのが、履歴をいろいろ書いてもらうとずいぶんいろんなことをしてきたのだと恥ずかしいやら、感心するやら、力不足を感じるやらです。
 前にもこのブログで私のことを掲載された話しをしたことがあります。タイトルは「この人に聞く-水野健二さん」で平成23年5月頃のブログです。併せて読んでください。
 それでは以下が北海道新聞2015年12月18日夕刊ー自悠時間ーかがやくーヨガ教室主宰 水野 健二さん(67歳)
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雪道の転び方

 今年はいつもより雪が少なく、あまり雪かきをしなくて済んでいます。でも溶けた雪が凍って道路なんか危なくてしかたがありません。氷は雪道よりもはるかに危険です。この間も雪かきしているときに氷の上を踏んですってんころりと転びました。しかしそのときの様子が面白くて教室で紹介し、実践しています。
 ちなみに私はまず転ばない方です。用心するからです。氷の道があれば、膝を曲げ重心を下げ転んでも被害がないように対応します。教室に来ている方は一冬に二回左右それぞれ腕の骨折に見舞われました。12月に一回、3月に一回ですから治ったときに再びということになります。歩行道路と車道の間も雪が溶けるから危ない。坂道の氷道は最悪です。滑るしかないです。私は滑れません。
 さて、転び方ですが、驚いて悲鳴をあげてはいけません。転んだ瞬間、笑うのです。そして必ず大の字になって、空を見上げます。ここまで笑い続けます。これは先日の私の様子でした。これはすごい方法です。誰でもできます。ただ車道で転んだらそういうわけにかいないので、転ばないようにしましょう。
あと一つ、数年前、犬の散歩の途中で引っ張られて前につんのめるように転びました。しかし、このとき自分でも驚くような動き、前方受け身になりました。どこも痛くありません。これは少し練習がいるでしょう。
 というわけで教室では二人組みになって一人は四つ這いの猫のポーズ、もう一人は横から押し倒すように力を入れます。当然猫さんは頑張ります。でもできるだけ耐えて、フッと、力からを抜いて転びます。このとき笑います。そっして大の字になります。この練習は転ぶときの練習だけでなく、力のポーズの準備運動にもなります。アーチや半月のポーズや孔雀のポーズ、鶴のポーズがやりやすくなります。
 
 今回は写真がなくすみません。次回写真を載せます。

沖ヨガとは何か。

先日、静岡県御殿場(時の栖ときのすみか)で全国から沖ヨガ関係者が集う、国際キャンプが2泊3日で開催されました。
長崎、北海道他全国・そして台湾からと総勢120名が参加し高齢者も90歳近い方も若い人と同じように瞑想や講演や強い動きも盛りだくさんの沖ヨガ行法を行いました。

時代が変わり、今では沖ヨガとはと、説明しなくてならない時代になってしまいました。沖正弘先生が創始され、日本文化を取り入れた沖ヨガは日本国内で文化センターなどで40年前にいっせいを風靡しました。しかし、今では横文字のヨガがずいぶん多くなり、沖ヨガをきちんと説明する必要が出てきました。

沖先生の説かれたヨガはただポーズを作って柔らかくするとか呼吸法や瞑想をするという単純なものでなく、「生命即神」、「求道ヨガぐどう」「総合ヨガ」「生活ヨガ」をめざしています。

以上のところを明快に説明があったのは今回の龍村先生の講座でした。龍村先生は沖正弘先生の古くからの研修生で沖先生亡き後、長く沖ヨガ道場の道場長を勤められました。今では沖ヨガを伝えることのできる一人者と言えるでしょう。 続きを読む

シムハアサナの再登場

前のシムハアサナは以下にあります。https://mizunoyoga.com/blog/?p=415
「身体のホームポジション」参考にしました。
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 ヨガは心身修正法です。体を通して心をコントロールし、また心を通して体を調節します。今週の学院のテーマはシムハアサナであるため、いつものように腹から息を吐き出すようにしてライオンのたくましさをまねてみました。まねをして気持ちをパワフルにするにはいい方法です。

 余談ですが今、司馬遼太郎の「坂本竜馬」を読んでいます。フィクションが入っているから龍馬でなく竜馬と名前をつけたとあります。その坂本龍馬の出身地、土佐藩には幼名としてやたら動物の名前の一部を付ける傾向があったそうです。龍馬も牛太郎、寅吉、馬三郎などなどでエネルギーをちょうだいしたのでしょう。ヨガのポーズの名前もその特異なパワーを感じながらポーズを作るようにと名付けられたのでしょう。

 最近は顎関節が痛い、音がするという人の話も聞きます。不都合なときは病院ですが、自分で習慣を変え対処できるのであればその方がいいでしょう。顎関節の不都合はほっぺの筋肉が緊張しすぎているのです。もっと顔をだらしなくすればいいのですが、人前では賢そうにしなくてはなりません。顔の筋肉は脳神経に属しています。心が緊張すると顔に表れます、そして歯ぎしりをするように強く歯を噛み締める傾向があります。
それで舌をもっと動かしたら良いという「身体のホームポジション」を見つけました。それを参考に話を進めたいと思います。

 舌を大きく出したり、引っ込めたりすると下顎が緩む感覚になります。すなわち顔が緩み気分的にもリラックスしてきます。おしゃべりの好きな人はヨガ関係者(失礼、講義好きでした。)にも多いですが女性は特にその傾向が多く、わが教室の下のエレベータの前で1時間以上立ち話をしている人がいます。話せば話すほどリラックするのでしょう。舌が自由になることを滑舌というそうです。ストレス解消です。

 舌を繊細に前後、左右動かすと心と体の自然性が回復してのどが敏感になり味覚も良くなり過食も防ぎ、また体に不具合なものはすぐに吐き出す能力もつくとのことです。ここの所とても大切です。ぜひ実践してください。

 戦後間もないころ帝銀事件というのがありました。十数人に青酸カリを飲ませましたが数人は吐き出して死ななかったそうです。沖先生の講演にも不要で不適なものは出してしまう、それが本能だと言われました。

 シムハアサナを四つ這いになって作ってみます。背中を丸くして下を向いて大きく口を開けてはぁーーーぁ、とするのですが、そのときお腹をみぞおちに押し上けるようにすると効果的です。終わった後正座をして体を確認すると顔は緩み、舌が沈み、あごが重くなっているのに気づきます。そして何よりも口の中が広がりのどが広がり、口と腹がつながって一本の管のようになっています。管をひっくり返したら表になる、管の内側は表面で外気とふれあって口の中のようにの潤っている感じです。このことは腹、内臓が無感覚で見えないものでなく、実感できるのは自然であり生きる力をそこに見ているのです。
 
 シムハアサナを通して口と消化器の自然性を回復する気づきがあって、過食を防ぎ、食事の美味を感じ、不要で不適なものを入れないようにしたいものです。

棒を使ったヨガポーズ 

当学院の研究会では棒を使ったヨガポーズをテーマにしました。  
棒は家庭用品売り場にあるもので0.9m×φ30mmのサイズです。
棒はエッジを丸くしておいた方が床を痛めないためにいいようです。
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棒を使うことによるメリットは安定感のある支えがあるので体重を乗せることができます。それで苦手なポーズでもこの棒に体をあづけることができます。また体が硬いと、膝が曲がったり、背中が丸くなったりするのですが、これが無くなって姿勢の調整や余計な緊張を無くします。またベルトと同じですがこの棒を使って軽く楽な動きを繰り返すことでストレッチ効果を高めることができます。 続きを読む

集中力を身につける、くつろぎのポーズ

 ヨガのボースの中で一番簡単でまた奥が深いのが「くつろぎのポーズ」です。そのポーズはただ横になっているだけです。サンスクリットで「シャバアサナ」、「死人のポーズ」とあんまり好ましくない名前です。しかし普段やっていて、死人になるくらいそのくらい深くリラックスできますかというとほとんど横になっているだけです。時には寝ている、ほかのことを考えていることもあります。 続きを読む

神話的発想

 「ひと」という誌の最新号をいただきました。この冊子は前に私が取材を受けたものです。その当時の「ひと」には私がヨガを始めたころのこと、師と仰ぐ沖正弘師の考え方、体の不思議さ、心の不思議さの話を2時間くらいインタビューで10枚くらいの文章にしてくれました。(旧ブログ 2013年5月参照)
 今回は伊達市噴火湾文化研究所所長大島直行さんです。彼の著書「月と蛇と縄文人」は副題として<縄文人の精神から人間とは何かを読み解く>という話です。
 日本人の源流が縄文人にあり、その遺伝子は未だにしっかりと現代人に気質として残っているそうです。それは今の日本人を見ても適当な仏教徒であり,神道信者であり、時にはクリスチャンになったりしている多神教的発想は縄文時代という1万年以上にさかのぼる神話的世界観から出発しています。 続きを読む

最近の出来事

沖ヨガは生活ヨガです。カルマヨガともいいます。日常の生活が大切です。私は清貧な生活をしているわけではありませんが、気がつくことが多いです、そしてその日々の思いを皆さまがたにお伝えします。失敗もあれば、感動することもあります。そしてそれが多くの人と共有できる場が研修であり、合宿であるわけです。
私は昨日、台湾から帰ってきました。台湾の最南端である墾丁というところに青年活動中心(センター)があり、台湾沖道ヨガ会の合宿研修に参加しました。50人くらいの方が参加がありました。家族で来る方、若い方、年配の方、中国語は全くわかりませんが、アイコンタクトをするだけで親しくなれるのは合宿の素晴らしいところです。名刺もたくさんもらいました。これからgoogle翻訳で礼状を書く予定です。正しく伝わるか心配です。合宿を終えると桃園エアポート近くの「金金瑜伽健康坊」に招待され、素晴らしいスタジオでレッスンもさせていただきました。他にも多くの人のお世話になって4回目の実り多い台湾研修でした。いつも海外旅行で思うのはヨガの仲間のおかげで人と人が互いに学び合う素晴らしさを体験する喜びです。観光地や名跡も行きましたがそこに現地の仲間がいることで感動は大きくなります。台北のツアーにも参加しました。トライリンガルの通訳の人、やはり専門の知識のある人はすごいです。英語、日本語、中国語を上手に操っていました。時には本人がゴチャクチャになっていましたが。市内では正式な台湾料理もごちそうになりました。シジミを味付けした生の状態のもの、おいしかった。エビや角煮、ビーフン、沢ガニなど味付きで手で食べることが多いのでおしぼりはすぐ汚れてします。でもおいしかった。そこは高級ホテルのレストランでした。
台湾に行く前は愛媛、松山、道後温泉で合宿でした。台湾は直行だったのに、松山は東京乗換でした。到着してすぐに私の担当があり、いつものパターンのレッスンですが場所が変わればヨガの定義は同じでもすることも流れも進め方もずいぶん変わります。それが面白いところですが、なまじっか動きに自身のある時とは癖で動いてしまいます。こちらの意図としないことで満足してしまうのです。強い動きや速い動きではわからないことがたくさんあります。目の動き、連動、呼吸などが関わってくるのです。若い人のパワーは特権ですが無力者も非力者ではありません。非力者ほど感受性が強いものです。これは台湾でも感じました。非力者の動きの可能性を高めることが大切だと思いました。松山・道後温泉は来年5月にサマーキャンプが行われる場所です。翌日時間を取って下見に出かけました。再度道後温泉本館、これは重要文化財になっています。皇族が入れるようにもなっています。当然一般の人も400円で入れます。私は合宿期間中に1500円の80分限定の一番いい待遇のお風呂に入りました。特別なものはなく、湯船が違うだけです。着物を別に来て、夕涼みができる4畳半の部屋が借りれるだけです。まんじゅうとお茶もありました。○○期間中に何かをするのはまた違う雰囲気で好きです。台湾のときも責任者の許可でドライブにきました。無許可でも近くの高級ホテルでフルーツティを飲みに行きました。共犯者が4人います。道場時代、35年くらい前でもサボってインスタントラーメンを食べました。じんましんが出て天罰を食らいました。松山は「坂の上の雲」司馬遼太郎の小説ですが日本人として感慨深い内容です。江戸末期から日露戦争までの日本の黎明期、如何に西洋列強と組みしてのみこまれないように心血を注いだかという物語です。立派なミュージアムがあります。安藤忠雄作品です。他には松山城があります。このお城は平地から山に向かって築城されました。京都・名古屋・東京と違って地方のいつでも攻め込まれる可能性のある城を守り中心の建て方していました。城下の人たちがお城に上るのは大変だっと思います。いたるとこに鉄砲の穴があり、油を流し込む施設がありました。戦う城です。私たちが知っている城は統治の城、威厳を誇る城に反して戦う城とはこういうものだと知りました。関ヶ原の戦い後に築城され実際に戦いがあったかどうか知りませんが、当時では戦乱に明け暮れていたのでしょう。
さて松山に出かける前は風邪をひきました。かなりひどく学院も休みました。だから9月はあまり、いやほとんど特に土曜日は休みました。皆さん済みません。その原因は松山に出かける10日くらい前に体調不良にもかかわらず北見へ私用で出かけたからです。「行く、行かない、行く、行かない」をくり返し「行く」と決めたための天罰でした。
その体調不良の原因となった、いやこれは自分の自己管理のせいですから原因もくそもありません。9月の初めには恒例の北海道合宿です。今年は支笏湖湖畔のホテルで身内の合宿研修を行いました。関西からS先生をお招きしての予定でしたが急きょ変更になり、S先生の十八番(おはこ)の修正法を私がすることになりました。もともと修正法はいつも私が批判していた種目でそんなことで修正されるはずがないと吹聴しまくっていたのが、180度の転向で「修正法は素晴らしい」という講義をしたのです。これは本心からです。今までの諸先生の講義録を読み、探し、資料を作っているうちに、明るい世界が広がりました。今までの批判は何だったのか、食わず嫌いの恐ろしさをまたまた体験させられました。私は北海道に来るまで「うに」が大嫌いでした。臭い、にがいが理由です。しかし稚内のすし屋で本当の「「うに」を食べてから大好物です。でも高いのであまり食べませんが。。その修正体操、なかなか奥が深い、ポーズも作りやすくなるし、体も柔らかくなる素晴らし方法です。合宿後の当学院の研究会では偶然「修正法」でした。当然「修正法は素晴らしい!!!」の連続でした。さてその支笏湖合宿では朝の行法は気持ちのいい湖畔に出て散歩と体操です。湖畔には多くのリゾートホテルが建ちました。何せこのあたりは洞爺支笏湖国立公園なのです。私たちは弐段ベッドの質素なホステルです。ベッドで思い出しました。台湾の合宿所の部屋は一部屋にダブルベッドが2つあり、ここに男4人が寝るのです。一瞬凍りました。運よく、いや自主的に相棒は床に寝ると言ってくれたので私は大きなベッドに気持ちだけ横隅で寝ることができました。隣のベッドは?大男と小さな男がバランスよく寝ていました。支笏湖に戻します。朝の散歩の帰りにフットスパがありました。「どうぞ」と書いてあったので遠慮なくおばさま方と一緒に足の長湯を楽しみ、足をふくきれいなタオルまで用意され感謝と懺悔と下座でホテルを後にし、必ず埋め合わせのケーキを買って帰ることを心に誓いました。はい、誓ったとおり家族に大きなケーキを4つ買いました。あ、友人にも買ったけ。
長い1カ月分の出来事読んでくださりありがとうございます。今日久しぶりにレッスンを担当しました。やっぱり自分のところのクラスが一番です。わけのわからない説明してもわかろうとしてくださります。心温かい人たちです。その温かさの中で新しいテーマが作られていくのです。もっと磨きをかけていきます。
数日後、東京日帰りです。そのあとはもうしばらく何もないでーす。
謝謝!

アサナを作る前のアプローチ

 ヨガを行うことは創造的です。アサナにしても呼吸法にしても瞑想にしてもそれぞれが創造的であり、またそれらの組み合わせも多種多様にあります。そして一つのアサナを行うにあたってもそのアプローチは無限です。このブログでもそのアプローチをいくつか紹介してきました。
 しかし、そのアプローチへの動きと言えばまだまだ保守的です。どこが保守的かと言うとラジオ体操のようにある分だけを動かす、例えば首だけを動かす、腕だけを動かすとか、右側の動きをやれば左側の動きを同じようにするとか、方向でも真横、真ん前に動かしています。受講生に指導しているとき右側しかやらなかったら、左もやってほしいと言われます。その言葉を無視はしませんが、ならばペンを持つ手を右や左と持ち替えるのかといいたくなります。
 普通の人はヨガの動きをラジオ体操と同列に見ているのです。私はヨガの動きとは生活の動きであり、無意識の動きであり、また創造の動きだと思っています。その創造的な動きから固定されたアサナへのアプローチの興味は尽きません。
 一つのアサナでもオーソドックスに時間と呼吸と意識で製作(アサナの完成)することはできます。私はそのようなやり方も好きです。しかし他にも方法はないかと探していると、つながる動きや方向を変えた動きにはおもしろさがあることをみつけました。つながる動きを例にすると「左へ尻を落とす横座り、手は頭の後ろで指を組む、体を左へねじる、右ひざは右へ開く」そして方向を変えた動きは「片足の前屈、体を斜め方向に倒す、そしてのばしている足の方へ水平移動する。」などです。これらは普通にするよりは、よりよい動きになるでしょう。よりよいとはストレスのない軽くて楽な動きです。
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 ラジオ体操の動きは人間の頭で考えて機械や構造物のようにまっすぐ、部分が中心とした動きです。たしかに構造物は力学的に安定していなければなりませんが、人は違います。動きに多様性があります。姿勢的にまっすぐという力学的な負荷を軽くすることは必要ですが、多様性が大切という考えであれば別に真ん前でなくてもいいことになります。動きでも発想を変えることが大切です。
 それは酔っぱらって歩いている姿、お風呂上がりの気持ちよさ、眠くて仕方がないその立ち方歩き方、そのような動きを想像するだけでもおもしろく、その動きをアプローチ選んでいます。動きは自然であり、意識や力づくは入っていません。ヨガをする方は自然を好んでいるはずです。動きにも自然性を取り入れてほしいと思います。この自然性は何でもありではありません。人間性でなければなりません。自分を尊び、周りを大切にすることです。その基準は動きの感覚です。私は「軽くて楽」という言葉をいつも反すうしています。力ずくで自分を痛めても動きを完成させようとするのは自分の自信喪失、不敬です。自分を大切に丁寧に動かすためには感覚を研ぎすまし、違いを探す芸術的要素も必要かもしれません。そしてその感覚は緩んだ緊張のない筋肉からだけから得られます。それは脳の感知能力でもあります。このように考えてくると感覚をたよりにした、変化に満ちたアプローチは創造的であると言えるのです。
 ラジオ体操的発想からは何も得ることはできませんし、動きの高みに登ることもできません。健康体操・健康ヨガを目指している方も単なる筋肉だけの体操ではなく脳の力を発揮する創造的なアサナを作りましょう。