先日、静岡県御殿場(時の栖ときのすみか)で全国から沖ヨガ関係者が集う、国際キャンプが2泊3日で開催されました。
長崎、北海道他全国・そして台湾からと総勢120名が参加し高齢者も90歳近い方も若い人と同じように瞑想や講演や強い動きも盛りだくさんの沖ヨガ行法を行いました。
時代が変わり、今では沖ヨガとはと、説明しなくてならない時代になってしまいました。沖正弘先生が創始され、日本文化を取り入れた沖ヨガは日本国内で文化センターなどで40年前にいっせいを風靡しました。しかし、今では横文字のヨガがずいぶん多くなり、沖ヨガをきちんと説明する必要が出てきました。
沖先生の説かれたヨガはただポーズを作って柔らかくするとか呼吸法や瞑想をするという単純なものでなく、「生命即神」、「求道ヨガぐどう」「総合ヨガ」「生活ヨガ」をめざしています。
以上のところを明快に説明があったのは今回の龍村先生の講座でした。龍村先生は沖正弘先生の古くからの研修生で沖先生亡き後、長く沖ヨガ道場の道場長を勤められました。今では沖ヨガを伝えることのできる一人者と言えるでしょう。
資料を添付しますが、それをもっと簡単に私がまとめてみました。
第一の特徴は「生命即神」の思想です。
沖ヨガの思想の第一は「生命即神」(せいめいそくかみ)です。神とは生命であり、生命はすべてを生かしている力、自然法則、心理を意味し、すべての存在の中からその神性を見出す力を悟ること、生命に聞くことと説明しています。同様の内容として日本人になじみある言葉として「山川草木悉皆成仏」も沖先生の講演の中でよく聞きました。
第二の特徴は「求道ヨガ」です。テクニックや形だけにヨガを求めるのではなく、自ら学び試行錯誤し個性的に生きることを求めています、宗教にしても組織にしても形や教えを形骸化していることがあります。一人一人が学ぶ事の大切さを求めています。そこには学び合うという共存共栄の世界も存在しています。
第三の特徴は訓練の段階を今までの八支則から3つ増やしました。それは禅定行法のディアナからすぐにサマディへいくのではなく、沖先生の数々の体験の中からラマ教やキリスト教、イスラム教などの教えを通じて、祈り信仰行法(バクティ)、仏性啓発行法(ブッディ)、歓喜法悦行法(プラサード)を加えました。
第四の特徴はこれぞ沖ヨガという「総合ヨガ」です。ポーズや呼吸法、瞑想だけに終わる傾向のあるヨガではなく、生活の中で修行をするということになると体力の増強も必要だし、体の不調を正すことも、他人の手当をすることも、食事法のことも学びます。総合的に行うことで命の働きを向上させることは生命則神につながります。
第五の特徴は「生活ヨガ」です。私たちは本当に至らない存在で、失敗したり、傲慢になったり、悔んだり、病気になったり、思い通りのできないことばかりです。そうした私たちに感謝と懺悔を気づき、これでもかこれでもかと至らなさを気づきさせてくれるのが沖ヨガです。人はいつの間にか自分は「まとも」「それほど悪くない」と思ってしまいます。これを戒めるのは生活の中です。感謝と懺悔で、進化向上していくことを学びます。俺は悪くないと居直る場合があったり、偶然で運が悪かったと結論して解決してしまうことがありますが偶然はないと謙虚に自分を見つめ、他人を通して自分を見る練習でもあるのです。(子供の病は親がつくったものとして懺悔、訂正することをいっています。)