四方山話から・・

ヨガのムカシ友人Uさんに会った。四方山(よもやま)話が一段落ついたところで、当然ヨガ指導の話しになった。Uさんはテーマ話題が見つからなくて、健康雑誌やヨガ雑誌を買いあさっているという。けっこうヒントになることがあって生徒さん喜んでくれるという。

ヨガの指導は流れや振り付けがあるわけでなく、せいぜいポーズのテーマがあるくらいであとは全部一人で組み立てなければならない。若い指導員に聞くとその辺が難しいらしい。ベテランのUさんでなくてもビデオや本などを参考にしてしまうという。

だから私はヨガを始めるにあたって初心者も指導員クラスもいつも念頭に置かねばならないのは、「ヨガって何ですか」である。ベーシックなところを無視してほら呼吸法だ、ポーズだ、瞑想だというのは見せ掛けだけのような気がする。ベーシックなものに触れる一つの参考書は以下の単行本である。私はずいぶんお世話になっている。品を換え種を換えて話題は豊富になる。当然Uさんにも薦めた。
Sankou3

モヨロ遺跡

暖かい10月末早朝、タクシーで網走港はづれの当地を訪れた。運転手さんは何もないよという。本当に何もなかった。
この遺跡は北海道独自のアイヌ文化とも違ったオホーツク沿岸文化の遺跡だそうだ。大正二年アマチュアの考古学研究者、米村氏が貝塚を発見し、当地で理髪業を営みながら遺跡を発掘したという。フェンス越しに見た竪穴は聖徳太子の時代の人間が過ごした生活跡を物語る。流氷の海の中でアザラシを追いたどり着いた網走の地は「南の楽園」だったという。夏には地上に上屋も立てたという。しかし1000年前に突如この民族は姿を消した。(観光協会パンフから)

Moyoro

網走川には河川敷がない。洪水で溢れることがないという。それは上流に大きな網走湖をかかえているからだ。豊かな水量に満たされたこの川に沿って街が栄えている。

Abasirikawa

その日の出来事

Hamuitiban

自分が沸いているからといって皆が沸いているとは限らない。自分がファイターズファンだからといって皆がファイターズファンとは限らない。当たり前だ。レッスンで浮かれてはいけない。ましてやひいきにしてもいけない。今日のレッスンは受講者が少ないぞ。のんびり行こうとドーム恋し、テレビ恋しを拭い去り、さてシリーズ開始時間と同じ時間にレッスンの始まり始まり。。たくさんの人が来てくれましたね。心の中でどうしてテレビ見ないのと??がいっぱい。できるだけ話題にしまいとココロに決するがふとシリーズのことが出てしまう。ポ-ズを作るときの努力ってなんだ、悲鳴上げることか、違うよ。黙々と今できることをすることなんだ。小笠原はシリーズ中に打てないとき寡黙にトスバッティングに時間をかけていたという。それが3回戦では初ヒット二打点なんだよ。できることをそっとやさしくすることが大事なんだと腹筋をしてからスキのポーズをつくる。あっ、楽だと言っていただく。この言葉がうれしいんだよね。まずはファイターズ優勝、おめでとう。なぜか「虹と雪のバラード」を思い出し涙があふれてきた。

接待野球観戦

日ハム対ソフトバンクのプレーオフ第二ステージ戦です。札幌ドーム内は地響き鳴りっぱなしです。SINJOもよく打ちました。ダルビッシュもスバラシイ投球でした。

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ヨガ教室の皆さん、急きょ代講レッスンを立ててごめんなさい。Oさん代講レッスンありがとう。突然タダ券S指定席が断れないところから手に入ったのです。接待ゴルフならぬ観戦として目をつむってください。

ヨガワークショップ

久しぶりにヨガワークショップに参加した。先生はオーストラリアの女性。片言の日本語がグットタイミングで出る。しかし周りは女性ばっかり。黒は私ともう一人。ムカシの仲間である。偶然だった。やっぱりおじさんになっていた。


いくつかクラスがあったらしく、他のはパワーヨガ系。体を動かしっぱなしだったとのこと。そんな心肺機能を高める動きだったらどうしょう。やめて帰るか、それともすみません、見学しますとか言い訳を考えながら受講にのぞむ。20名くらいの参加者でやる気満々。知っている人もたくさんいる。こりゃ大変なところに来たとびくびく。
授業の内容は体の修正だった。体にエネルギーが通りやすくするために二人ペアーで修正していく。やれやれ、これならムカシよくやったやつだ。でもいまさらながら自分のカラダ硬いね。アサナもより合理的に進歩していく。一人の知識よりたくさんの知識で知恵になっていく。なんでも日進月歩だ。
ウッティッタトリコーナアサナ(三角のポーズ)は優しく体を扱っているので安定感がある。ダウンドッグ(下犬のポーズ)は背骨がまっすぐになるのって難しい。ベルトでそっと修正すると慣れない体が悲鳴を上げるが呼吸が楽である。割り座は基本的に不得手なのでどんなことをしても悲鳴を上げる。やめとこ。もう少しレベルアップしてから再チャレンジする。ねじりは呼吸を使うと楽である。吸って持ち上げ吐いてねじる、などなど。
終わって街中をヨガマットを持ったおじさんが足取り軽く家路にいそぐ。

秋の散策

休日の朝、ぶらっと近くの山の中に入った。キノコ採りのグループに時おり会う。今はラクヨウだそうだ。みそ汁に入れるとうまい。しかしほとんど誰にも会わずどんどん奥の方へ入っていく。見通しが利かないのでどこを歩いているのかわからない。当然地図も持っていないし、水も持っていない。散歩スタイルである。キノコ採りのおじさんにあんまり奥に入らん方がいいよ、迷うよ、と言われてていたので不安いっぱい湧いてくる。熊が出やしないか、スズメバチの大群に襲われやしないか、ましてやオバケが出ないかと妄想にかりたてられる。
むかしむかし、おじいさんとおばあさんが住んでたという昔話の中にとなり村に峠を越えて用事で出かけたという状況はこんな様子であったのだろう。今は昼間で散歩だが、夜にこの道を歩くというのはかなり厳しい。昔は昼までも追いはぎも出たのだろう。追いはぎだけで命まで取らずに衣服を奪うところがロマンチックである。

と、妄想がいっぱいの中、明るいところに出た。峠みたいである。おおっ、ここは!。遠くに日本ハム本拠地のドームが見える。現在地がわかってからは勇んで山を降りた。山から下りて10分ほど歩いたら見覚えのある住宅地にたどり着いた。ひょっとしてと携帯電話で連絡をするとすぐ近くに親戚の家が。やれやれと大昔の一山越した親戚の家に来た気分であった。何はともあれすぐに水を所望した。

デブ解消、迷信賛成

道立衛生研究所 市民のための講演会から

Eisei

やっぱり運動したらやせる、という話。 1万歩歩いて一日300カロリーくらい消費するという。ご飯で言えば二膳弱。これが大きい効果なのだ。たったこれだけでデブとの差を作る。これよりももっと運動で大切なことは太っている人(デブ)は基礎代謝(最低必要なエネルギー)が低い、消費しない。少々体を動かしてもやせない。やせている人は基礎代謝が高い。ちょっと動かすだけでやせる。だからダイエットをする人は一度は痩せることだ。後は楽になる。基礎代謝が高くなるのだから。。

Debu

迷信も役に立つ。黒死病ペストの話。
ヨーロッパで500年、1300年、1600年、1800年頃に10年も20年も国土を多い尽くす死者の数。人口が激減、幽霊船の出没(船員全員が死滅)。ドイツロマンティック街道の起源(街道沿いの村が絶滅のため古い町並みが残った)。などなど。中世では悪霊の退散儀式で病気が出た家を家族全員焼き殺すのがあった。そのことで偶然、村全体がペストから偶然救われた。1800年イギリスに発生したペストはやはり偶然にロンドン大火災があり世界中に蔓延することなく2年で終わった。
科学が発達していない時代では人は生きることに儀式、まじない、占いをして平安を願った。現在行われているお葬式でも同じようなものだ。罰が当たらないようにと。。ひとはやはり科学だけでは安心平安は得られないのだ。そのペスト菌の発見は北里柴三郎博士であった。もう私たち人類はペストにおびえることはなくなった。しかし同様のトリインフルエンザの脅威が私たちに残っているという。もうまじないはしないだろうが天罰が当たらないようにまじない、占いは続く。。

私の趣味

私には趣味というものが特にない。学院に来てくださる受講生の方はヨガが趣味ですと言ってくださる。私のヨガは趣味でなく仕事です。仕事であるから受講生の方の要望とヨガを伝える方向をいつも考えている。だからヨガは趣味ではない。趣味を軽く扱っているのではない。ヨガを趣味にしている人は造詣が深い。私よりよく知っているし、体も柔らかい。毎日スポーツジムで鍛え、アサナを作っているという、瞑想も必ず行うとのこと。うーん。仕事としている私はそこまでやっていない。
家族は私に趣味がないことをバカにする。きっとその趣味というのは釣りとか、ゴルフとかお料理とかカラオケ、碁、山登りなどをいうのであろう。別にそんなことしなくてもけっこう忙しく楽しく毎日が過ぎ去っていく。
パソコン歴はけっこう古い。マニアに近いくらい古い。昭和54年に発売のNEC製のPC-8001だった。それからなんだかんだ途切れたことはない。でもパソコンのこと何も知らない。今もワープロ、表計算という言葉を使っているくらい無知で又、それらを使えない。

おおっ、そうだ。これが趣味と言えるかわからないけれどあった。イス作りである。かれこれ3台作った。まずはご覧あれ。そして私の手指には刃物傷が絶えない。これと同類でわりとこまめに棚をつくり、ペンキを塗り電気器具を修理する。ちょっとは家族に評価される。

上賀茂神社

私の本籍は京都市北区上賀茂○○。今は親戚の誰も住んでいない。そこで生まれたというだけである。後年、近くに京都産業大学ができた。この上賀茂(かみがも)と上賀茂神社はそれほどポピュラーな名所名跡ではない(拝観料はタダ)。史跡仏閣から歴史的に遠い昔、地理的にも離れているからであろう。神社の歴史は神代の代までさかのぼるらしい。天皇家のもっと前だ。賀茂族という宗教的儀式を行う氏族が全国に散らばったていたという。

私の幼少ころ、昭和27年頃、この地はまだ整備されていなくて誰もが小川で、能楽の舞台で遊んだ。まるで近所の公園のような存在だった。
ちょっと京都を留守にしている間に世界遺産になってしまった。畏れ多い存在になった。ちなみに京都三大祭の一つ「葵祭り」は下賀茂神社と上賀茂神社を往復する平安貴族のお祭りである。このあたりに住む中学校の同級生の名前も「位田いんでん」「幡野」という律令を思い出す苗字であった。この界隈は家の前をきれいな水が流れる川に橋がそれぞれが架かっている独特の町並みである。

日々・青春

こんな時代があったんだ。ついこの間までこんな時代だった。このときの少年は今100歳近いだろう。みんないろいろな人生を歩んだ。ご苦労様。私もあなたも、時を刻む。街の元気なねえさんもにいさんも、今生まれた赤ちゃんも時を刻む。そして泣き笑い。そして人生を已む。


ヨガは「生命即神」がご本尊。生きるために最高の努力をする。工夫をする。一人では生きられぬ。誰かが言った。「多様なものが多様なままに生きる」と。おかげさまでだ。努力の足らざりしことすみませんだ。苦しいことも楽しいこともその価値をわかっているからありがとうである。
そして人格を高め、次につなぐ。魂はつながっている。この少年の青春は次に続いていく。