先日の登別合宿研修会の際に台湾ヨガ会の事務長「頼玉秋」先生のアサナ指導がありました。流れるような動きです。見ているだけでは何の変哲もないアサナですがこの一部の動きをしただけで、驚きの結果が生まれました。
まず私自身ですが、この後、前後開脚のポーズ、いわゆるハヌマーンアサナを行いました。私はこのポーズは不得手です。普段は痛い、伸びない、尻が落ちない、体全体が緊張に包まれます。しかしこの時は違いました。なんのストレスもなく、足は開きます。しっかりと胸の前で合掌できます。手を上に上げることもできます。140人の内の部屋の一角は私への拍手に包まれました。すごいすごい、瞬間です。今までのあの痛さは錯覚だったのか。体の条件が満たされると瞬間に可能になる事実の再現です。少しずつできるようになるのではなく、突然にできるのです。
それは合宿後、数日を経て教室で再現してみました。私のクラスは体の固い人ばかりです。教室は壁が少ないので二人組を作り、背中を借りて同じ動作を行います。そして開脚前屈のポーズを挑戦しました。10数人中90%の人が格段とポーズが進歩していました。腰がしっかり入っているのです。
いつも言っていることですが、腰を緩めるポイントはそけい部を締めること、胸を開くことであることがよくわかりました。そして動きの中で腸骨を回転するように行うことが大切です。この回転という動作は締めて緩めてという複雑な動き、協調が必要な動きでもあります。
「rai_T_asana.m4v」をダウンロード
投稿者「mizuno」のアーカイブ
ipadの人気
今日の8時に日本全国でapple社のipadが発売されました。わざわざ、どのくらい集まっているか見にきました。期待していたより大したことありません。私も少しだけMacファンなので興味があります。数日前、apple storeに用事があって知り合いの店員さんにどう?と聞くと、ipadの発売はお祭りだからたくさん来てくれるとうれしいのですがという返事でした。でもその店員さんはkindle for macの使い方をいろいろ教えてくれました。installしたけれどあまり使い勝手は良くないみたい。ipadに期待をしよう。この写真は札幌三越前を写しました。角度を変えて合成ですから角地のようになりました。並んでいる人の1割くらいが報道陣のような気がしました。
つくしんぼーです
医療類似行為について
新聞記事に人気の整体師が逮捕されたことが出ていました。私たちヨガ関係者も健康問題を扱う上でしっかりと記憶に残しておく必要があります。すなわち○○が直るという言葉は医療行為になります。言葉は微妙で自然治癒力を前面にもってくるのなら問題がないそうです。
前に社団法人○○会で治療師という名称で資格認定講習を受けたことがあります。この時はその医療類似行為についてかなり詳しくしつこく、授業を受けた記憶があります。現在、医師以外で医療行為ができる資格は医療類似行為と言われ、はあき法で厳しく行為を制限されています。はあき法とはあんま、マッサージ、鍼灸、指圧などの有資格者が守らなければならない法律です。その資格を持っていれば皮膚に鍼や灸で傷つけることを許され、治療目的でマッサージ、指圧ができるのです。
しかし、ここで職業選択の自由と言う憲法上の問題がでて最高裁判所まで持ち込まれ最終的に人の健康に害を及ぼさなければ誰でもよいというところに落ち着いたそうです。この判例によって今や整体師などの無資格の業者が増えてきました。
考えてみたらヨガの関係者も同じです。どうしても不調を訴える受講生、それに対処する行為は医療類似行為なのです。今回の新聞記事に取り上げられているのは治療行為の上、けがをしたという点です。この辺も微妙な問題を含んでいますが無資格者というマイナス面だけでなく、営業に力が入って、直す、直るという言葉を繰り返し行うことで医療行為と見なされたのかもしれません。健康増進という社会貢献を生業としている人は多くなりましたが、貢献と同時に無秩序ではないということを肝に銘じなければなりません。この業界の最高峰に位置する医師とて、やり方によっては傷害罪を適用される世の中です。この生業の中にいる私たちはしっかりと受講生とコミュニケーションを取り、言葉に気をつけてお仕事に励まなければなりません。そして調子が悪いときは病院へ行きなさい、自分で回復することができるのならヨガをしなさいとアドバイスしています。
一難去ってまた一難
5月メインイベントが終わり、あとはプライベートの法事だけとのんびりした生活に戻れると思っていましたが、合宿から帰ったその日に原稿の書き直し!のお告げ。先に渡したスケジュールは大幅に変更!とお達しのメールです。
よく聞くと図柄変更です。私の担当部分を半分にしなければなりません。期日は法事の帰る日までということです。というとその前に仕上げなければなりません。先の合宿前に仕上げるのと同じ状況になりました。でもひとつ、一つが大切なのです。学生時代の試験期間を思い出すようなタイムスケジュールです。学院でヨガ指導はできません。急きょ、代行です。やさしいスタッフの皆さんありがとう。
それもようやく仕上げて、久しぶりのヨガレッスンに出ました。寝不足です。合宿の疲れもあります。還暦過ぎると寝不足が一番よくありません。その日のレッスンは順調に進んでいきます。くつろぎのポーズになりました。ここが危ないところです。横になると寝てしまうので、座ってくつろぎの誘導です。ところが意識がもうろうとしてきました。そして「家の壁が」という私の声にはっと目が覚めました。くつろぎのフレーズに「家の壁」はありません。寝言を言ったのです。何と言ってごまかしたか、壁の重さが、いや紙の重さが、もうどうでもよくなりました。私の寝言に気がついた人はきっといないでしょう。皆が寝入っていたのです。
というわけできれいな本ができる前のぐちゃぐちゃの原稿を公開します。
協会合宿が終わりました
ヨガ本を出版します
今ベッキーパパはあわただしい朝を迎えています。今日から北海道登別温泉で協会合宿が3泊4日で開催されます。全国から130人の参加です。気が引き締まりますが、不安もたくさんあります。実行委員長というとんでもない役職をいただいていますが、すべて仲間が段取りをつけてくれました。感謝感謝です。
というのも、パパは今年の初めから具体的になった、出版計画に入り、東京で打ち合わせること数回、札幌でも1回、このゴールデンウィークの連休中は計画に没頭していました。連休明けもヨガ学院のお仕事はほとんどストップで代行を立てています。スタッフの皆さんありがとう。
初めてのお仕事には、いつも不安が頭をよぎります。20年前の野球部部員にヨガを指導するときもそうです。またヨガ指導員コースを作るときもそうでした。今回はそれらの体験をもとに出版することになったのですが、不安は新しい力を得られます。本を出すのも不安です。しかし編集者の応援のおかげで原稿をすべて納めて、出版社からこれからの予定のメールが来た時には不安は消えて今度は責任感がいっぱいになりました。出版社に迷惑かけられない、たくさんのエネルギーを注ぎ、企画を出してくださった編集者に迷惑をかけられない責任でいっぱいです。
数時間後にはヨガ仲間と合流する登別は全国有数の温泉地です。ゆっくりと温泉に使って新しい知恵をしぼり、まだわからない新しい力が得られるようにと思います。どんな本ですって?仮名称またはコンセプトは「体の固い人のヨガ」です。私の文章の拙いところが多々あり手直しは続きます。全国のヨガ愛好者の皆様、体が固くてヨガがにがてなスポーツ愛好家の皆様、出版されたあかつきにはぜひ手にとって、ヨガの楽しさを堪能してください。
他山の石にしたいものです。
オホーツク圏内ヨガ講習
網走市内でヨガ講習会がありました。
当水野ヨガ学院指導員養成基礎研修コースの修了生が招待してくれました。札幌までコースに通った方、今でも月に何回か通っている人、研究会に所属していた人、当地で養成コース修了した方たくさんの方々とヨガを楽しみました。
沖ヨガの考えは時間、人、物を有効に使うこと、要するにこき使うこととあるので、私もその教えに従って徹底的に時間を割かしていただきました。ほとんど合宿研修と同じです。〜つかれたー〜。
今、網走近辺は支庁の統廃合となって網走支庁からオホーツク統合振興局という地域になりました。北海道は広いです。そのオホーツク圏内の主な地域のヨガ指導者が、北見、紋別、常呂、網走から集まりました。そして最後はそれぞれの地区から受講生が集まってヨガ教室でした。2日間の延べ人数は100人になります。大きなテーマは「気持ちよく体を扱う」でしたから、年配の方も楽しく過ごしていただいたかなと思っています。帰りにスーパーで今、旬のかに(札幌の半分くらいの値段と今日水揚げしたもの)お買い物をしていたとき参加者に会い、楽しかったーと言われて疲れもすっ飛びました。メンバーの方には本当に暖かいおもてなしを受けありがとうございました。
女満別空港までは飛行時間、約30分のフライトを楽しみました。帯広近辺の山岳写真です。
親鸞上人
五木寛之作「親鸞」読み始めました。前に丹羽文雄作を読んで当hpの「最近のレッスン」にも取り上げました。(http://www.mizunoyoga.com/gakuin/q23.htm#l134)どちらも小説だから伝記の切り口がずいぶん変わるものです。読みやすいのは圧倒的五木寛之作ですが、親鸞の考えをもっと知りたいと思うのは丹羽文雄作です。丹羽文雄は浄土真宗の僧侶だから当然と言えば当然なわけです。昨秋に空海さんの高野山へ行きました。和歌山県の山の中なのに何か明るい景色が印象深いのですが、比叡の山は京都に近いのに何か暗い感じがします。高野山と比叡山は当時、宗教界の巨頭、空海、最澄が同時に生きた時代の山です。共に密教として修業のお山でした。しかしその後の偉人を輩出したのは比叡のお山で道元、栄西、日蓮ほかでした。最澄の教えには世の中を変えていく要素があるのだと思いました。
私が読んだ両著のキーワードは「地獄」だと思います。平安末期の混乱時代かもしれませんが、その「地獄」という言葉は「罰が当たる」と言葉を変えてと近世まで続きました。死ぬことの恐ろしさです。誰もが長い人生の中で後ろめたい言動があったから、浄土、天国に行けないのです。キリスト教に似ています。だから親鸞は祈り、宗教心を高めたのでしょう。浄土に行けるように南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えたのです。