ヨガのポーズを作り終ると次はくつろぎのポーズをします。
ただ横になって寝るだけですが、本当に寝てしまうと今まで作っていたポーズの効果を引きだすのが半減します。
仰向きになって一定の公式を使ってリラクセーションを深めていきましょう。
私たちの心身は神経でコントロールされています。健康なのはその神経が緊張したり、弛緩したりしてバランスをとって心身が安定しているからです。
それでは始めましょう。
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投稿者「mizuno」のアーカイブ
札幌でヨガを学ぶなら水野ヨガ学院
水野ヨガ学院
札幌市中央区北1条西3丁目3-31古久根ビル4F
(チカホ9番出口)
http://www.mizunoyoga.com
yoga@mizunoyoga.com
011-222-1480
はじめて受講される方へ
ヨガは心と体を呼吸で結ぶことをいいます。
心静かにゆっくり動くことを学んでください。
そして丁寧にやさしく自分を扱います。大きなリラックスが得られるでしょう。
そのリラックスはストレス解消や健康、老化防止、美容に役立つことでしょう。
水野ヨガの特徴
呼吸法からはじめ手足の刺激で体を温めてそれから各種の動きやポーズを作ります
。体を感じることや連動性を大切にして楽に動ける方法を学んでいきます。
他にテーマを作ってマッサージや腹筋強化、笑いヨガ、瞑想など行います。
動きだけでなく、健康に役立つ食事や心がまえなどの情報も提供しています。
代表 水野健二 紹介
1948年生まれ。三島市沖ヨガ修道場沖正弘導師に師事。
札幌にて道新文化センター、朝日カルチャーほかでヨガ指導を始め、
昭和62年当地でヨガの教室を創業し現在は代表であり、
外部の活動としてNPO法人沖ヨガ協会副理事長。
「体が硬い人のためのヨガ」をPHP研究所から発刊。
最近の出来事
沖ヨガは生活ヨガです。カルマヨガともいいます。日常の生活が大切です。私は清貧な生活をしているわけではありませんが、気がつくことが多いです、そしてその日々の思いを皆さまがたにお伝えします。失敗もあれば、感動することもあります。そしてそれが多くの人と共有できる場が研修であり、合宿であるわけです。
私は昨日、台湾から帰ってきました。台湾の最南端である墾丁というところに青年活動中心(センター)があり、台湾沖道ヨガ会の合宿研修に参加しました。50人くらいの方が参加がありました。家族で来る方、若い方、年配の方、中国語は全くわかりませんが、アイコンタクトをするだけで親しくなれるのは合宿の素晴らしいところです。名刺もたくさんもらいました。これからgoogle翻訳で礼状を書く予定です。正しく伝わるか心配です。合宿を終えると桃園エアポート近くの「金金瑜伽健康坊」に招待され、素晴らしいスタジオでレッスンもさせていただきました。他にも多くの人のお世話になって4回目の実り多い台湾研修でした。いつも海外旅行で思うのはヨガの仲間のおかげで人と人が互いに学び合う素晴らしさを体験する喜びです。観光地や名跡も行きましたがそこに現地の仲間がいることで感動は大きくなります。台北のツアーにも参加しました。トライリンガルの通訳の人、やはり専門の知識のある人はすごいです。英語、日本語、中国語を上手に操っていました。時には本人がゴチャクチャになっていましたが。市内では正式な台湾料理もごちそうになりました。シジミを味付けした生の状態のもの、おいしかった。エビや角煮、ビーフン、沢ガニなど味付きで手で食べることが多いのでおしぼりはすぐ汚れてします。でもおいしかった。そこは高級ホテルのレストランでした。
台湾に行く前は愛媛、松山、道後温泉で合宿でした。台湾は直行だったのに、松山は東京乗換でした。到着してすぐに私の担当があり、いつものパターンのレッスンですが場所が変わればヨガの定義は同じでもすることも流れも進め方もずいぶん変わります。それが面白いところですが、なまじっか動きに自身のある時とは癖で動いてしまいます。こちらの意図としないことで満足してしまうのです。強い動きや速い動きではわからないことがたくさんあります。目の動き、連動、呼吸などが関わってくるのです。若い人のパワーは特権ですが無力者も非力者ではありません。非力者ほど感受性が強いものです。これは台湾でも感じました。非力者の動きの可能性を高めることが大切だと思いました。松山・道後温泉は来年5月にサマーキャンプが行われる場所です。翌日時間を取って下見に出かけました。再度道後温泉本館、これは重要文化財になっています。皇族が入れるようにもなっています。当然一般の人も400円で入れます。私は合宿期間中に1500円の80分限定の一番いい待遇のお風呂に入りました。特別なものはなく、湯船が違うだけです。着物を別に来て、夕涼みができる4畳半の部屋が借りれるだけです。まんじゅうとお茶もありました。○○期間中に何かをするのはまた違う雰囲気で好きです。台湾のときも責任者の許可でドライブにきました。無許可でも近くの高級ホテルでフルーツティを飲みに行きました。共犯者が4人います。道場時代、35年くらい前でもサボってインスタントラーメンを食べました。じんましんが出て天罰を食らいました。松山は「坂の上の雲」司馬遼太郎の小説ですが日本人として感慨深い内容です。江戸末期から日露戦争までの日本の黎明期、如何に西洋列強と組みしてのみこまれないように心血を注いだかという物語です。立派なミュージアムがあります。安藤忠雄作品です。他には松山城があります。このお城は平地から山に向かって築城されました。京都・名古屋・東京と違って地方のいつでも攻め込まれる可能性のある城を守り中心の建て方していました。城下の人たちがお城に上るのは大変だっと思います。いたるとこに鉄砲の穴があり、油を流し込む施設がありました。戦う城です。私たちが知っている城は統治の城、威厳を誇る城に反して戦う城とはこういうものだと知りました。関ヶ原の戦い後に築城され実際に戦いがあったかどうか知りませんが、当時では戦乱に明け暮れていたのでしょう。
さて松山に出かける前は風邪をひきました。かなりひどく学院も休みました。だから9月はあまり、いやほとんど特に土曜日は休みました。皆さん済みません。その原因は松山に出かける10日くらい前に体調不良にもかかわらず北見へ私用で出かけたからです。「行く、行かない、行く、行かない」をくり返し「行く」と決めたための天罰でした。
その体調不良の原因となった、いやこれは自分の自己管理のせいですから原因もくそもありません。9月の初めには恒例の北海道合宿です。今年は支笏湖湖畔のホテルで身内の合宿研修を行いました。関西からS先生をお招きしての予定でしたが急きょ変更になり、S先生の十八番(おはこ)の修正法を私がすることになりました。もともと修正法はいつも私が批判していた種目でそんなことで修正されるはずがないと吹聴しまくっていたのが、180度の転向で「修正法は素晴らしい」という講義をしたのです。これは本心からです。今までの諸先生の講義録を読み、探し、資料を作っているうちに、明るい世界が広がりました。今までの批判は何だったのか、食わず嫌いの恐ろしさをまたまた体験させられました。私は北海道に来るまで「うに」が大嫌いでした。臭い、にがいが理由です。しかし稚内のすし屋で本当の「「うに」を食べてから大好物です。でも高いのであまり食べませんが。。その修正体操、なかなか奥が深い、ポーズも作りやすくなるし、体も柔らかくなる素晴らし方法です。合宿後の当学院の研究会では偶然「修正法」でした。当然「修正法は素晴らしい!!!」の連続でした。さてその支笏湖合宿では朝の行法は気持ちのいい湖畔に出て散歩と体操です。湖畔には多くのリゾートホテルが建ちました。何せこのあたりは洞爺支笏湖国立公園なのです。私たちは弐段ベッドの質素なホステルです。ベッドで思い出しました。台湾の合宿所の部屋は一部屋にダブルベッドが2つあり、ここに男4人が寝るのです。一瞬凍りました。運よく、いや自主的に相棒は床に寝ると言ってくれたので私は大きなベッドに気持ちだけ横隅で寝ることができました。隣のベッドは?大男と小さな男がバランスよく寝ていました。支笏湖に戻します。朝の散歩の帰りにフットスパがありました。「どうぞ」と書いてあったので遠慮なくおばさま方と一緒に足の長湯を楽しみ、足をふくきれいなタオルまで用意され感謝と懺悔と下座でホテルを後にし、必ず埋め合わせのケーキを買って帰ることを心に誓いました。はい、誓ったとおり家族に大きなケーキを4つ買いました。あ、友人にも買ったけ。
長い1カ月分の出来事読んでくださりありがとうございます。今日久しぶりにレッスンを担当しました。やっぱり自分のところのクラスが一番です。わけのわからない説明してもわかろうとしてくださります。心温かい人たちです。その温かさの中で新しいテーマが作られていくのです。もっと磨きをかけていきます。
数日後、東京日帰りです。そのあとはもうしばらく何もないでーす。
謝謝!
アサナを作る前のアプローチ
ヨガを行うことは創造的です。アサナにしても呼吸法にしても瞑想にしてもそれぞれが創造的であり、またそれらの組み合わせも多種多様にあります。そして一つのアサナを行うにあたってもそのアプローチは無限です。このブログでもそのアプローチをいくつか紹介してきました。
しかし、そのアプローチへの動きと言えばまだまだ保守的です。どこが保守的かと言うとラジオ体操のようにある分だけを動かす、例えば首だけを動かす、腕だけを動かすとか、右側の動きをやれば左側の動きを同じようにするとか、方向でも真横、真ん前に動かしています。受講生に指導しているとき右側しかやらなかったら、左もやってほしいと言われます。その言葉を無視はしませんが、ならばペンを持つ手を右や左と持ち替えるのかといいたくなります。
普通の人はヨガの動きをラジオ体操と同列に見ているのです。私はヨガの動きとは生活の動きであり、無意識の動きであり、また創造の動きだと思っています。その創造的な動きから固定されたアサナへのアプローチの興味は尽きません。
一つのアサナでもオーソドックスに時間と呼吸と意識で製作(アサナの完成)することはできます。私はそのようなやり方も好きです。しかし他にも方法はないかと探していると、つながる動きや方向を変えた動きにはおもしろさがあることをみつけました。つながる動きを例にすると「左へ尻を落とす横座り、手は頭の後ろで指を組む、体を左へねじる、右ひざは右へ開く」そして方向を変えた動きは「片足の前屈、体を斜め方向に倒す、そしてのばしている足の方へ水平移動する。」などです。これらは普通にするよりは、よりよい動きになるでしょう。よりよいとはストレスのない軽くて楽な動きです。
ラジオ体操の動きは人間の頭で考えて機械や構造物のようにまっすぐ、部分が中心とした動きです。たしかに構造物は力学的に安定していなければなりませんが、人は違います。動きに多様性があります。姿勢的にまっすぐという力学的な負荷を軽くすることは必要ですが、多様性が大切という考えであれば別に真ん前でなくてもいいことになります。動きでも発想を変えることが大切です。
それは酔っぱらって歩いている姿、お風呂上がりの気持ちよさ、眠くて仕方がないその立ち方歩き方、そのような動きを想像するだけでもおもしろく、その動きをアプローチ選んでいます。動きは自然であり、意識や力づくは入っていません。ヨガをする方は自然を好んでいるはずです。動きにも自然性を取り入れてほしいと思います。この自然性は何でもありではありません。人間性でなければなりません。自分を尊び、周りを大切にすることです。その基準は動きの感覚です。私は「軽くて楽」という言葉をいつも反すうしています。力ずくで自分を痛めても動きを完成させようとするのは自分の自信喪失、不敬です。自分を大切に丁寧に動かすためには感覚を研ぎすまし、違いを探す芸術的要素も必要かもしれません。そしてその感覚は緩んだ緊張のない筋肉からだけから得られます。それは脳の感知能力でもあります。このように考えてくると感覚をたよりにした、変化に満ちたアプローチは創造的であると言えるのです。
ラジオ体操的発想からは何も得ることはできませんし、動きの高みに登ることもできません。健康体操・健康ヨガを目指している方も単なる筋肉だけの体操ではなく脳の力を発揮する創造的なアサナを作りましょう。
骨ゆらしセミナーを受講して
7月中旬に「骨ゆらし」の創始者永井幹人先生(鍼灸按摩マッサージ指圧師)が来道され、セミナーを開催し、引き続いて翌週に偶然、小樽在住で永井先生に師事されている小川先生の体験会が催されました。
永井先生とは私の沖ヨガ修道場時代の先輩で難病の修行生を担当され、その後の実績も数多くの施術体験があり、その複雑な施術法を誰にでもわかりやすく伝えることに力を注いでおられます。今も水野ヨガ学院では「ゆらゆら体操」をリラクゼーションとして取り入れていますが、この体操の考案者も永井先生です。それから数十年を経て癒しの確信と施術の簡易法を開発され、この「骨ゆらし」になったと思います。
永井先生のセミナーではいきなり高度なテクニックを誰にでもできるという方法から入り、体の各部分をゆらし、伝わる、ひびく、ゆれるを主に直伝の様にセミナーが進めていきました。これでいいのかと参加者同士がまず実習するのはこの手のセミナーでは定番です。ひびかない、伝わらないの苦労をしながら感受性を身につける努力も必要でした。しかし互いに終えた後は体がリフレッシュしたことはいうまでもありません。
永井先生のそのような下地の上に小川先生の体験会はまた違った、全身を理論通りの流れの中で手、肩、足、腰骨、頭、そして骨盤内、腹部と各部を丁寧にゆらし続けました。ほとんどの人は硬い床の上のにもかかわらず眠ってしまった人、よだれをたらしてしまった人、最高の時間が過ぎていきました。
永井先生はこの骨ゆらしの基本は経絡指圧であり、骨髄に刺激を加え、脳にも刺激が行くイノチの複雑さを単純に「気持ちがいい」と言う表現で生命力を活性化するものと教えてくれました。そしてまた、施術する方は瞑想状態であり丹田、仏性に働きかけて自己一如を達成するものであると、さすが沖正弘導師の内弟子の一人です。しっかりと沖ヨガの伝道者でした。
再度、セミナーが開かれるのを期待して先生の来道をお待ちしています。
小川先生の講義資料を紹介します。
骨揺らし
ある日の研究会
教室の勉強会で野口体操を取り上げました。研究会のシステムは研究生がテーマ毎に内容を決めて、発表・シェアをします。当然私もその内容を補足する形でコメントを入れたりします。今までに数回同じテーマを繰り返して行っていますが、それぞれがとても新鮮で新しい発見が得られます。
まずはじめは開脚のテーマでした。さすが皆さん、見た目は柔らかくてこれ以上に発見がないようにも見えましたが、人によっては無理があったりします。ちょっとしたところが盛り上がり緊張が私には見えてきます。ヨガは見せることでなく、自分が本当に気持ちがいいのか、重さのふるさとのの地球と仲良しをしているのかが大切です。たとえ柔らかさがなくてもおかれた立場・状況でやさしく体の隅々まで暴力のない素直な気持ちを持ち続ける時間を大切にしたいと思います。その動きの中で瞬間的に無理であったも小さな動き(呼吸法含む)を繰り返すことで可能性、可動域が広がっていくのです。
尻歩きは長座姿勢になって片足ずつ前に出してお尻で歩いていく動きです。しかし歩くことばかりに集中するのでなく、尻を上げ下げしていると面白い現象に気がつきます。尻が床に着いている方は身動きできませんが反対の方は浮いていて自由なのです。この自由は別に前に進まなくても、後ろに動き始めても、横に移動し始めてもいい可能性を持っています。そんな動きを足踏みのように同じところを繰り返していると楽しくなってきます。繰り返すことの面白さは好奇心です。決して退屈することはありません。ほかの動作でもまた日常の退屈な作業でも通じるところがあるでしょう。
野口体操ではイメージとは言葉にならないものを想像予感すると言っています。イメージが膨らむために擬音語を使う話しが出ました。これはちょうどNHK「オノマトペが切り開く世界とは」の番組を参考にしたそうです。今春の朝ドラ「あまちゃん」で「じぇじぇじぇ」が大流行しています。これも驚きの表現だそうです。「そーっと」も「パーン」も動作を表現する言葉です。フランス語でオノマトペというそうです。私は言葉にすることはイメージを伝達し記憶のために固定化するものですが言葉にならないイメージは可能性がどんどん広がっていきますが変質したりどこかへ行ってしまうものと思っています。このオノマトペはイメージと言葉の中間にあたるものでしょう。
私はこの研究会の下調べをしていて面白いことを見つけました。野口三千三さんは筋肉は運動器の前に感覚器であることと言っておられます。筋肉バカにならないために繊細な筋肉を養う必要があります。私にはこれこそがヨガなんだと一人合点をしています。ほかにホトケの語源を日本語の「ほどく」に見いだし、心をほどくことでとらわれのないの世界が得られることを見つけた日本人の発想の豊かさに驚きています。このひらがなのすごさは他にも物事を分けることができたときにわかると言う言葉を作ったのも同じです。例えば双子の区別(わける)がついたときに「わかる」というようにわかる・わけるの語源は同じなのです。臓器の名前を経絡から借用した知恵も同じようにすごいことです。(http://mizunoyoga.no-blog.jp/karadanotikara/2011/12/ohashiatsu_5f59.html)
もっと日本語を勉強すべしと以下の本を手に入れました。
今回の研究ではスキのポーズの作り方で自分だけができないやり方があったことはショックでした。それは仰向き、腕を耳横において足を上げ足先を床に着ける動きです。私のできない動きの課題がまた一つ増えました。
前屈のポーズの極意
一般に体が柔らかいという表現はこの「前屈のポーズ」をもって言うようですが筋肉マン系の男性にとって気持ちのいい前屈は永遠のテーマでありその過程は悲鳴を上げるだけのポーズのようです。
今回はこの筋肉マン系の人に対してどうしたら前屈系の可能性を見いだせるかをテーマにします。
前屈のポーズは骨盤の股関節が回転することであり、そのバリエイションとして長座前屈、開脚前屈、そして立ち前屈があります。この中で一番やりやすいのは開脚前屈、そして立ち前屈、難しいのは長座前屈です。私もまだ、長座前屈はかなり無理をしています。
前屈としては骨盤をとにかく動かしたいので、イスに座って足を開いて前屈をチャレンジすることにしました。どうしたら骨盤が動くかというと脊柱起立筋(骨を支える筋肉)を緊張させるとその周りの背中の筋肉(骨・関節を動かす筋肉)が緩みます。筋肉が緩むと骨・関節が動きます。姿勢が悪いと骨を動かす筋肉で体を支えるためにその筋肉が硬くなり、骨・関節が動かなくなるです。そして今回の一番重要な点は首回りの筋肉を緩めることを大原則として、取りかかりました。
まず背骨を骨盤から首までまっすぐにしてもらいます。うまくいかなければサポートする人が触れ、50gくらいの力でうなじ、後頭骨を誘導します。もう一度大切なことを確認しますと背骨(骨盤)の角度と首の位置(あごの位置)をまっすぐにすることです。(50gとはできるだけ小さな力を表現しています。強すぎると本人は首力を入れて抵抗し首を硬くしてしまい、固まってしまうのです。)
はじめは60度くらいでもいいから背骨をまっすぐにする、そしてあごの位置を微調整しながら首すじを伸ばします。このような作業を1分くらいします。いつもは膝裏が痛いのですがその感覚は全くないそうです。痛くないから時間をかけることもできます。
そして背骨(骨盤)の角度を下げていきます。痛さがあれば首に負担(あごが上がる)が来るので補助をしている私にはすぐに分かり「頭上げて、あご引いて」などと指示を出します。こんなアプローチで行うとどんどん角度は下がってきます。
あまり欲張らないで3分くらいやってやめます。(もしどこかに痛みがあれば、やり方が間違っているのでやめましょう。)終わってまっすぐ立ってもらうと本人は背すじが伸びた感じ、腰も背中も気持ちがいいという評です。
今まで姿勢の悪さで圧迫していた筋肉が緩んだことで痛みが消え、本来の姿勢を保つための筋肉(脊柱起立筋)がしっかり働いて背筋が伸びたことによるものでしょう。
この感覚を覚えてもらうと床に座っての開脚前屈ができる日は近いでしょう。
欠陥について
先日ある人から自閉症について啓蒙として読んでほしいと文章をいただきました。この中にあるように、私も大きな間違いをしていました。そして普通にまたは時には大きな仕事に取り組んでいる才能のある人もいるのだと、人間のすばらしさえ感じました。
自閉症について
自閉症とは昔からある障害です。古くはヒステリーや分裂病と一緒にされてきましたが近代になってから区別されるようになりました。そのため病院で誤診されることもあるようです。
自閉と書くと自分を閉ざして殻にこもる(心の病気でない)ような印象を受けますがそうではありません。(ひきこもりは状態のことを指し、自閉≠ひきこもりです。)これは生まれつきの障害で脳の中枢神経の異常によるものです。遺伝的な影響も強く男性に多く見られます。知的障害を伴う人もいますが、そうでない人もいます。多くは社会性、コミュニケーション、想像力、他の弱さがあります。空気を読めない、協調性が無い、ストレートすぎる発言、常識が無いなどと表現され、叱責されます。
外見から全く分からない障害のために、社会では誤解を招き、非難され、うつ病になる人も多くいます。言葉のやり取りが苦手な半面、視覚的な情報処理に優れた力を持ち、ITなどの分野で大成する人もいます。Facebookの社長やスピルバーグ、アインシュタインなども自閉症の一種であると言われています。シリコンバレーで働いている人の半数以上は自閉症だともいわれています。
また近年は虐待により自閉症様の状態におちいることも指摘されています。昔は自閉症は母原病であると、育て方のせいにされてきましたが、この10年で新しい発見が多くなり変わってきていますので以下の番組等をご参考ください。
NHK「ハートネットTV」「バリバラ」という番組でよく紹介されています。機会があればぜひご覧ください。
少しでも、世の中の自閉症の認知度を高めたいと思い書きました。
文章作成者は当学院受講生でそういう分野の仕事をされている方です。いちおう私水野の判断で匿名にさせていただきました。
この文章を読んで「野口体操」(野口三千三)からの文章を思い出します。
欠陥について;欠陥は可能性を高める。すべての人間は障害者であり、病人であり、老人である。比較論、平均値から離れても人には代償作用がある。病気になるとは欠損だけではない。それで癒しを行ったり、シャーマンであったりする。欠損は有効である。
(水野意訳)私たちの生活や仕事などから不足、不満が生じることで次の可能性を探し新しいものへとつながっていく。欠陥もそうである。欠陥のない人はいない。だから進化向上しうるのだ。障害者とは特定の人を言う法律用語ではない。比較の問題である。70歳から見た30台は若者だが10台から見たそれはおじさんでありおばさんである。たとえ大きな障害であってもそれを補う力が人にはある。身体能力の欠損ある人がすばらしい頭脳を持って代償している人が多々ある。障害や病気があることで人を癒すこともある、そんな人こそ人や社会に対して大きな力を施している。
★シャーマンとはシャーマニズムにおいて、超自然的存在と直接接触・交流・交信する役割を主に担う役職。呪術者・巫・巫女・祈祷師・ムーダンなど。 (Wikipedia)
欠陥さえも有効に変えてしまうホモ・サピエンスは知恵ある人々と言う意味だそうです。
最近目を通し始めた「5万年前-このとき人類の壮大な旅が始まった」ではアフリカの5,000人くらいの規模の村から150人がネアンデルタール人の占拠している中東の入り口を突破し、全世界へ旅立ちました。彼らはそれぞれの土地に適応していくために長い年数をかけて皮膚の色を変え、またそれぞれの人種として適応していきます。この本の中では現代の人間も現代社会に適応するために「人間は進化の途中にある」といっています。
また、最近のNHKスペシャル「病の起源」ではチンパンジーから人間へ進化したため、ある部分が適応できなくなって病が発生したという番組でした。
私たちの生はせいぜい100年足らずの限られた中で、遺伝子を変えることはできませんが、ホモサピエンス(知恵ある人)として意識的な学びをせざるを得ない時代になってきています。どうぞ意識的に学び行じる生活をモットーにしていきましょう。
最後に沖ヨガ行持集「自己解放の誓い」を紹介します。
自己解放の誓い
私たちはヨガにより自業自得の真理を自覚させていただきました。自分を支配しているもの自分をつくりだすものそれは自分の身に付いている働きであります。今私は自分に現れている一切の現象は自分の業のあらわれであることに気づかさせていただきました。自分へのあらわれ他人へのあらわれを通じて業の学びを行わさせていただきます。業とは何でしょうか。先天的なものとしては遺伝と霊であります。後天的なものとしては習慣癖記憶の内容であります。業が誤っていればどうしても誤ったことをせざるを得ません。自分を損ねるものも自分を助けるものもそれは自分の身に付いているものの正否であることを自覚させていただきました。業のつくり主それは生活であります。今私は生活を正し整える以外に救われる道悟りにいたる道のないことを自覚いたしました。ただ今からの私は意識的に自己解放自己啓発の業を身につける修行・修養・修業・教養を行うことを誓います。(沖ヨガ行持集より)
協会合宿岩沼にて
今年も沖ヨガ協会主催の合宿が開催され、3.11の被災地、宮城県岩沼市で行われました。企画当初は震災2年目でまだまだ合宿ができる状況ではないのではと不安もありましたが「現地へ行こう」の合い言葉で役員が頻繁に足を運んで状況を把握し、現地の方々の協力も得て開催ができました。会場は岩沼駅に近い小山の中の抜群の景色の良い「モンタナリゾート」です。
参加者は震災直後の幕張、1年目の琵琶湖湖畔よりも多いのは驚きでした。そして何よりも若い世代の参加者が増えたことはうれしい限りです。
合宿の中身は協会からの報告がありますので、ここでは私が唯一、担当した岩沼市周辺のヨガ愛好者に集まっていただきボランティア活動の研修内容を報告します。合宿期間は2泊3日。最後の日は朝から参加者は仮設住宅でマッサージや治療、簡単なヨガ、指ヨガなどのボランティアグループと被災地を慰問するグループにわかれてホテルから出発していきました。たくさんの合宿参加者がいきなりポツンと私一人が残されたのは心細いものです。
図のようなパンフがありそのテーマで進めようと15分くらいたった頃、なんとなくもぞもぞする人が多く、雰囲気が変なので、「今腰が痛い人?」と聞いたら7割がた手をあげます。ヨガ合宿なのでそれにふさわしい話しを半分くらいする予定が急遽、腰痛治療教室に変更することにしました。
一番重傷の若い男性(彼だけで後は中高年の参加者でした。)をモデルになってもらって、腸骨の内側のマッサージ、痛いことはいっさい行わないこと、軽くて楽な動きがいい動きを大原則にして、二人組になって片足ずつの割り座、同時にうなじの伸展、うつぶせで片足を持たれて逃げる動作で腰の伸展、そしてコブラのポーズ、橋のポーズ。最後にうなじの周りのマッサージで終えました。ふーう。ところでその青年に大丈夫ですかと聞いたらかなり良いというので、もとの場所に走って戻ってくださいと言うと猛ダッシュで戻りました。70人くらいの参加者から彼に拍手です。
今回のような精神的な状況が腰を痛くするのは当地の特別な環境だから仕方がないとしても、痛さを自分で解消するのが一番いいことです。腰の痛みは精神的な状況が首に現れ、首が特に原因になりますから、座っている姿勢、立つ姿勢などで首を緊張させないことが大切です。笑うような状況でないかもしれませんが、笑うことが心身を変えてくれるのはまちがいありません。
私たちが学んでいる沖ヨガは生活ヨガです。環境、状況は変えられないかもしれませんが、自分の感情・行動は変えられます。どうぞ希望をご自分で探し、力強く前に進んでいきましょうと結びました。
記念写真を撮りましたが現地から送ってきましたらこのブログに掲載したいと思います。
こちらの授業が終わる頃には仮設住宅ボランティア組が戻ってきて、やりがいがあった、たくさん来てくれた、とそれぞれ各自で勝手に報告会でした。
今回の合宿は私たちの内輪だけの学びでなく、地域の方々との協力や交わりで有意義な学びをさせていただきました。
最後に帰りのバス中で事務局から北海道までもって帰ってほしいと頼まれた「生きている宗教」(この本は沖先生の一番最後の10年の構想のをかけた書籍です。)10冊が重いのでこの場で買ってほしいとアナウンスするとなんと完売してしてしまいました。心優しい方達のおかげで荷物はグンと軽くなり家路につきました。


この人に聞く-水野健二さん
機関紙発行をされている受講生の豊沢様からインタビュを受けました。約束の1時間があっという間に過ぎ、雑談のような2時間が過ぎてしまいました。サブタイトルは「ヨガを通して人間の素晴らしさを伝える」です。私はこのタイトルは「生命即神」のことを言っているようで気に入っています。少し長い文章ですが面白く読めると思います。
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