沖ヨガの学び方

私は約5年くらい前からコラボ沖ヨガセミナーをリモートで毎月開催しています。内容は私が沖先生を通してヨガを学んだことを後世の人たちに伝えるためです。沖正弘先生については他にもこのブログの中で紹介しているのでここではしません。

沖先生の没後40年になりますが残念ながら後継者も後継道場もありません。亡くなられて数十年は私も組織に参入し、沖先生の教えを伝える活動をしていましたが、今はそこからも離れています。

沖先生の教えを伝えるのは優しくて難しい面があります。優しいのは動きの部分です。強化法や、修正法、ヨガアサナは伝えやすくまたわかりやすい内容です。しかしその実践はとても激しいものです。修正法は真似はいくらでもできますが、本質は沖先生しかできない魔術的なオーラというか気が相手に入り、治療につながっていました。

難しいのは精神的な部分です。沖先生のヨガは宗教ではないですが、宗教的な意味合いが多々含まれます。「生命即神」や「自然法則」などはご存命中に何度も講演や「生活行持集」の中で学びました。沖先生には数多くの書物があり、「生きている宗教の発見」や「人間回復への道」など数多くあります。また道場では質疑応答というあらゆるテーマで受講生が質問し、それに答える時間がありました。後にそれらを活字にした資料もたくさん残っています。

私にとって残念なのは40年以上ヨガを学び、まだ沖先生のヨガがあんまりよくわかっていないのです。知っているけど身についていない、それが沖先生の精神的に思想的に難しいヨガなのです。

沖先生は学べ、勉強しる、体験しろとよく言われました。それが沖ヨガを学んでの救いでした。沖先生と同じことができないけれど、完全に理解できないけれど、沖ヨガのエッセンスを遠くから眺めることもできるのです。それは他のジャンルを学ぶことです。

そしてそれらを糧にヨガ活動を50年足らず行ってきました。私のクラス授業はほとんど沖ヨガから離れたものでした。ただ、法人開設以降(1987)以降、沖ヨガを学ぶ意図で『修学会」なるものをつくり、精神的な沖ヨガを勉強してきました。

これが紆余曲折(ウヨキョクセツ)で指導者養成コースにつながりました。テキストも自作ですがつくりました。130ページくらいのB5の小冊子ですが、全部で500部くらい印刷しました。プリンター数台取替ました。初期のプリンターはヘッドだけ交換できたものです。

その養成コースを通して受講者は少しは沖ヨガを理解してもらえたかもしれません。この養成コースは沖先生の他を学べという言葉通りいろいろなジャンルを参考にしています。操体法やフェルデンクライスメソッド、自律訓練法や解剖生理と幅広く取り上げました。しかしメインはやはり沖ヨガです。般若心経、行持集、生命即神、などは決して忘れてはいません。

法人を解散後、動きだけのヨガではなく、コラボ沖ヨガセミナーを開催でき、沖先生の教えを伝える機会をつくりました。私はただ長く体験してきただけですが少しでも沖先生を知ってもらいた気持ちは今でもあります。

そんなとき、司馬遼太郎の「この国のかたち」の’師匠の国’にふと目が止まりました。これは某雑誌に掲載された随筆です。師の教えをどのように今まで伝えられてきたかという内容で空海と最澄が取り上げられています。いうまでもなく平安時代の思想家です。一人はあまりにも論理が整然としているために後世になっても弟子たちはただそれに従うのみでした。あと一人は素晴らしく大きな功績を残しましたが、まだ完成されていませんでした。しかしそこから、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮が自派をつくりました。

この随筆を読んで、沖先生という完成された思想家に少しでも理解したい、その理解の仕方を他に学び、体験したことを交えて沖ヨガを伝えていきたいと思います。


「この国のかたち」の’師匠の国’>