この沖先生の著作は「沖ヨガ修道場」で発行されていた月刊誌「求道実行」の初期のものと思われます。偶然入手しましたので、沖ヨガの真髄ともいうべき簡潔な教えが中に入っています。是非読んでいただきたいので、ここに載せたいと思います。
逆立ちのポーズと肩立ちのポーズ
BKSアイアンガー「ハタヨガの真髄」から逆立ちのポーズと肩立ちのポーズを抜粋しました。
この本は一つのポーズを多くの紙面を割いています。是非、日々の取り組みに生かしてほしいと思います。逆立ちのポーズができない人が多いですが、壁を利用しても良いでしょう。繰り返しすることで、何か必ず進歩します。肩立ちのポーズも同様です。きれいな美しいポーズでなくてもとにかく、やってみることが大切です。そして紙面にもあるようにまず1分、それができれば2分、と時間を延長していきましょう。
この二つのポーズはポーズの王様、母なるポーズと言われるくらい大切で効果が大きなポーズです。ヨガのポーズはそれぞれ筋肉や神経、内臓に刺激を加えることを目的にして、その刺激が普段の偏った体癖からくる不調を自ら修正するという考えです。
逆立ちのことをヘッドスタンドポーズといいます。一部腕も使いますが、頭で体を支えるポーズです。脳の機能を活性化する可能性があるのなら是非やってみたいポーズです。内臓の逆転も内臓強化になります。詳しくは抜粋を読んでやってみてください。
2008-12-10 親鸞
古いブログに親鸞のことを書きました。復刻版として掲載します。作者の丹羽文雄は浄土真宗のお寺の長男として生まれ、住職の傍ら数多くの作品を生み出しています。’230114
2008-12-10 親鸞
ヨガを学ぶにあたって仏教というものを少しは知りたいと思い、以前に読んだことのある丹羽文雄著、親鸞を読みかえしました。
以下の生涯の話は小説を前提にしています。しかし小説、作り話かもしれませんが著者が親鸞を通して生きることの意味、宗教観を述べていること、そしてその中から煩悩の考え方を知ることはヨガを別の角度から学ぶことになるでしょう。
親鸞は自らの苦悩をとおして念仏という手法を使い、師である法然の教えを広めました。はじめから、宗派の開祖になるつもりはなく布教する喜びを通して生きることの苦しみ、欲望を持つ自分と戦ったのです。僧侶として公然と妻帯し、普通の人が歩む道を庶民とともに悩み、嘆き歩んだのです。
そしてそれは、弱い人間が生きていくために只、仏の力のみを信ぜよと言う他力本願を勧めているのです。自力にいたらしめるそのものが仏の力だといいます。ヨガの世界で言えば仏の力とは生命力のことでしょうか。命の働きに素直になれと言うのでしょう。
当時の仏教は鎮護国家が目的であり、支配階級のみでした。宇治の平等院は藤原家のものであり、極楽浄土を願う親鸞と同じ阿弥陀如来を本尊にしています。しかし源信や法然とともに民衆への仏教に急速にこの浄土の教えは広まっていきました。それだけ生きるのが苦しかったのでしょう。後にこの宗派は一向宗、門徒宗となって全国津々浦々に広まっていきました。
煩悩や悟りといった文がたくさん出てきます。引用の数字の4-42は4巻42ページを表します。
木は、自分によって燃え上がる火によって、自分全体が火になってしまう。悟りと煩悩の関係は木と火のたとえのようである。煩悩と離れられないからこそ、悟りは煩悩を燃やして智恵となるのである。煩悩は煩悩であることによって燃えて智恵となるのだ。煩悩、自分の中から得た智恵によってつくりかえられる。煩悩はみちびかれる。煩悩全体が変じて智恵となるのだ。智恵の母体は煩悩それ自身である。4-42
人間のもろもろの欲求を放れたところには、仏はないということだった。「生きている人間だけが、仏になれると言うことである。この身で、この世で成仏するほかには、悟りのひらきようがないのだ。」4-43
仏は光である、光は智恵であるという意味のことを、親鸞はあらゆる場合に口にした。光りはもののすがたをありのままに照らすものだ。あるがままのものを、ありのままに知るはたらきが、仏法で言うところの智恵であった。ことばを変えると仏にしたがうということは真理にしたがうということになる。仏のはたらきとは、ありのままな真理のちからであるということになる。それが釈迦以来の仏教の本流であり、基本的な考え方であった。親鸞もそうであった。
「煩悩は煩悩であることによって燃えて智恵となるのだ。煩悩、自分の中から得た智恵によってつくりかえられる。」煩悩はあってもいいのです。マンネリや不満があっても、そのことに気づき、そのまま二者両立を目指す心境を知恵といいました。煩悩を消して意気消沈するよりは激しい欲やエネルギーを社会のために使うこと、能力を発揮、高めることのほうがクリエイティブなのです。
「木像よりは画像、画像よりは名号」とつねに口にしていた親鸞であった。それなら親鸞の意に反して、宗派を確立しようとした覚如は不肖の曾孫ということになる。4-47
寺もいらぬ、経もいらぬ、ただ六字の名号があればよいのだと、九十年の生涯を通した。4-48
親鸞はいついかなる場合にも、浄土真宗なる新興の旗をたてたことはなかった。4-80
歎異抄をあらわした唯円は廻心ということを反省とか、懺悔とか自己批判という意味に解しているようであった。が、廻心は改心とはちがうのだ。煩悩具足の凡夫には、善心とか清浄心というようなものは、もともと持ち合わせていないのである。善悪のけじめさえのみこめていないのだ。改めようがないのである。親鸞は人間とはそういうものだと見きわめていた。その凡夫にできることは、改心ではなく廻心である。改めるのではなく、向け直すのである。凡夫のままで、仏の道をあゆむことであった。4-76
自分の内にみい出される他力のはからいによって、ためらわず、疑わず、自力いっぱい生きることこそ、とりもなおさず絶対他力の信心生活である。そのような生き方を不安がったり、疑ったりするのは、仏の智慧と慈悲を知らないところからくるものだ。4-84
根本の心理を悟って、それ以後はまったく煩悩疑惑がなくなることを意味するが、もしも廻心をそういうふうに解釈しているのなら、とんでもないまちがいだ。大悟徹底とはよく言われる言葉だ。しかし人間が生きていく上にはたしてそのようなことが可能か。悟った瞬間から人間がすっかり変わるものかどうか。私は今日まで、人間というものは決してそうしたものではないということを、くどいくらい、そなた(子の善鸞)に話してきたと思っている。廻心とは大悟徹底ではない。生活全体が廻心につらぬかれているということは、仏の誓願を信じるということの裏には、かぎりない反省と自己批判があってのことだ。大悟徹底したおかげで、以後は煩悩疑惑と一切縁が切れるというものではないからだ。4-89
二十九歳のとき、ひとたび廻心し、以後は死ぬときまで廻心生活を続けながら、親鸞は絶望と、悲歎と、懺悔をくりかえした。これは容易ならぬことであった。教法の真理性は、自己において自証されるものでなければならないのだが、親鸞は九十年の生涯にわたって絶望し、悲歎し懺悔することによってそれを自証した。教えというものは、たれのためのものではなく、よくよく自分ひとりのためのものであった。4-94
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
親鸞は「自然法爾」ジネンホウニを書いた。自然とはそのものとして自らそうなっていることをいい、法爾とは真理そのものにのっとって、そのごとくあることをいうのである。親鸞が自力のはらいを捨てて如来の手にすべてをまかせきることを自然法爾と説いたのは、その意味であり、弥陀という絶対の中に身を投ずることを意味した。4-370
親鸞ははじめから浄土真宗の開祖ではありません。そんなことどうでもよかったのです。名号、称号の南無阿弥陀仏だけを唱える生き方でした。寺も何もありませんでした。阿弥陀如来の慈悲を信仰し、全ての人が浄土へ往生して成仏するという絶対他力への信仰でした。
京で妻帯し、京を追放され、越後に流され、許された後は関東で布教活動を行い、そして晩年はまた京に戻っています。そのとき関東の門弟たちの信仰上の動揺を鎮めるために子の善鸞が派遣されましたが、親鸞と異なる教えを広めようとして善鸞を破門してしまいました。教えても教えても理解できない子に対する愛情があふれています。このことも親鸞を大いに苦しめることでした。仏教でいう四苦八苦の愛別離苦が襲うのでした。
善鸞にとって父の教えはあまりに奇怪であった。いままでだれもそんなことは言っていなかった。父の師の法然ですら、そんなふうに言っていなかった。即身成仏というのは、この肉体のままで仏になるというのだが、それは真言秘の教えの根本の意趣であった。そのためには、三密加持といって、手に印契を結び、口に真言を誦え意に本尊を観じて、大日如来の身口意の三業と行者の三業とを相応せしめる神秘な修行によって成就される悟りであった。また、六根清浄といって、眼耳鼻舌身意の六根、すなわちこの肉身が清浄無垢となって、無碍自在のはたらきをなす法は、一乗の妙典である法華経に説かれていることであった。それは四安楽行といって、身も心も安楽にみちびく身口意と誓願との四つの修行によって感得される功徳であった。真言の即身成仏も、法華の六根清浄も、いずれも難行の道であって、生まれつきすぐれた聖者によって漸く修することが出来、観念を凝らしてはじめて成就される悟りであった。悟りとはそういうものだと善鸞は思い込んでいた。4-46
善鸞の考えは現代にもよくある状況です。自力で行う座禅瞑想を独学で行うものほど、野弧禅という独りよがりの悟りに達するのです。自分は特別な存在であり、悟ったから人を導く権利ができたなど、という話はよく聞きます。親鸞のごとく死ぬまで自分の師は法然であるという下座心と感謝心が心の成長には欠かせません。禅や真言の世界でもここのところは長い歴史の中で組織として厳しく律しているとありました。
最後に私はいかなる宗派にも所属していません。ヨガには考え方がありますがそれは生命即神という考え方です。命の働きは親鸞の考えにも似ているところがあります。煩悩の肯定です。思い通りにならなくて良かったなぁ。具合悪くて良かったぁ。そこから努力し命の計らいに協力することを生活に求めるのです。生きるのに思い通りにならないからヨガの先生になったという人もたくさんいます。人に説き、自ら動き、自分を戒めるのです。
TNCアドバンスコースレポート
TNCートータルニューロコンディショニングーを学んで3年目になります。その間ベーシックの復習期間もあり、今年はアドバンスコースにチャレンジしました。
脳・神経の発達そして強化、そして衰退にどのように対処するかを学びました。強化にいたっては筋力不足もあり、ついていけないところもあります。そしてあらゆる生物と同じく衰退期のプロセスも面白く講義を受けました。なにせ自分のことですから実感することばかりです。
それぞれの講習でレポート提出を課せられましたのでここに記録として載せていきます。誤字脱字があることに気がつきましたがそのまま載せることにしました。
TNC_水野レポート1
TNC_水野レポート2
TNC_水野レポート3
TNC_水野レポート4
バランスをよくする方法
病的ではないけれど、立って靴下やズボンが脱げない・はけないでふらつく、ヨガの「木のポーズ」(片足で立って手を上にあげる)がうまくできないなど、何かバランスが悪いとき、加齢だけのせいにしないでそれを克服する方法をいかに述べます。このバランスの悪さはくらやみになると一層、悪くなります。なんでもないと思っていても転んだりぶつけたりで、大変危険でもあります。家庭の中で転んで入院、そのまま寝たきりになるケースも多々あります。(私の父がそうでした。)
ここでは前にTNCプログラムの紹介をいくつかしています。その流れでもあります。
参考資料として以下のブログに記事としてありますので是非ご参照ください。
※1強化法・修正法を脳神経学的に説明※2TNCプログラム_ベーシックコース修了※3TNC_発達ステップ
同じものをPDFで掲載します。
TNC_7モーションを学ぶ
感謝のこころ
年の瀬も迫り。「お世話になりました」「いいお年を」の挨拶が飛び通います。
そんな数年前の出来事です。押しボタン式の横断歩道をいつもと同じように青になるまで待っていました。青になったので、いざ渡ろうとした時です。目の前をダンプカーが走り去って行きました。瞬間のことなので「えっっ」と運転手の顔を見上げました。何か手を挙げている仕草が見えます。多分それは、悪い悪いというジェスチャーなのでしょうか。
通り過ぎてから、しばらく足が動きません。命拾いしました。
この出来事があってから、私は横断歩道が怖くなりました。そういえば新聞等で見る事故は横断報道上が多いのです。考えてみたら交通規則では赤はとまれ、青は行けですが、赤で止まってくれるのは絶対でありません。歩行者と運転者は全く信頼がないので、善意で止まっているにしかありません。見ず知らずの人と信頼が築けるわけありません。信号を見ていないこともあります。考え事をしていたり、スマホを手にしたり、車の中ではいろいろなことをしているのです。前を向いていないこともあるのです。そんな時に青信号になったからといって、歩道に出ることは自殺行為です。
そんなことがあってからは、横断歩道は危険な場所として、車が止まってから、またはかなり減速してから、一歩を踏み出すことにしています。そして運転手の顔を見て、そして渡り終わった時には軽く会釈をします。時には渡ろうとしている時にすでに歩行者信号は青信号を点滅していることもあります。それでも命のやり取りの場です。しっかり確認して渡らなければならないのです。
そして赤で車が止まることは決して当たり前のことではないのです。だからこそ止まってくれたことに感謝の意味で会釈をするのです。ありがとうと。渡り終えた時はとても気持ちいのです。
ヨガでは感謝とは価値を見出す己の力と言います。止まらないこともある横断歩道で止まってくれることは当たり前ではありません。これは死にそうになった自分だからこそ、当たり前でなく価値のあることです。それでありがとうと会釈をします。
私たちが生きていることでは当たり前のことは何一つありません。だからこそ一つ一つのことに小さな価値を見出すと、「ありがとうございます」の言葉が出てきます。心が和やかになるのです。この「ありがとう」だけで生きる力が湧いてくることは間違いありません。
そろそろ新年を迎えます。当たり前に新年を迎えるのではなく、今、元気でよかったな、いつもと同じでよかったな、生かされていることに感謝の気持ちで、「あけましておめでとうございます。」と言える喜びを迎えます。たくさんの人々のおかげで、今年も生かさせていただきました、ありがとうございます。
来年もどうぞよろしくお願いします。
コラボヨガセミナーについて
このセミナーは新潟市の山田晃先生と私の二人が講師になって、「沖ヨガとは」というタイトルで毎月1回、オンライン_ZOOMを使って開催しています。去年の8月から開催して16回目になります。受講者は札幌市、恵庭市、網走市、北見市、新潟市、燕市、上越市、長岡市など多方面から参加いただいています。
発端はコロナ禍が始まり、山田先生とは、沖ヨガ協会の役員であったため近況報告している間に、沖ヨガをもっと伝えたいということに意見が一致しました。当初は沖正弘先生の考え方や沖ヨガ道場での行法内容を紹介する程度でしたが、回を重ねて、系統的にテーマを作り、「沖ヨガとは」を案内しています。
この数回は山田先生は沖ヨガ10段階を毎月、1段づつ解説して現在、8段階のサマディ、三昧です。私は数回前より沖先生の初期の出版である”ヨガのすすめ”を使って動禅の説明、そしてポーズの説明を紹介しています。
最近のコラボヨガのレジメ(水野分)ここに掲載します。どうぞ一読してください。
第27回コラボヨガセミナー
第26回コラボヨガセミナー
第25回コラボヨガセミナー
第24回コラボヨガ水野レジメ
第23回コラボヨガ水野レジメ
第22回コラボヨガ水野レジメ
第21回コラボヨガ水野レジメ
第20回コラボヨガ水野レジメ
第19回コラボヨガ水野レジメ
第18回コラボヨガ水野レジメ
第17回コラボヨガ水野レジメ
第16回コラボヨガ水野レジメ
第15回コラボ_配布
第14回コラボ_レジメ水野担当
第13回コラボ_レジメ水野担当
各種呼吸法
呼吸法は古来から心身一如を得るための方法として、伝えられてきました。十分な医療が発達していない明治期後半には民間療法として普及した時代もありました。インドヨガのプラーナーヤーマは修行法として数々の呼吸を紹介しています。
現在はビジネスパーソンを中心としたマインドフルネス(瞑想)の一環として、又ヨガのプラーナーヤーマとして呼吸法が見直されてきました。そしてその呼吸法は一般の方にも不眠解消や心身を向上させるために紹介されています。
ここでは、呼吸法をいくつか挙げて日々の練習の一つにしてもらえばと思います。
呼吸法の注意点
・空腹時に行う:横隔膜を強く使うので、できるだけ空腹、または食後3時間くらいが良いでしょう。
・背筋(せすじ)を伸ばす:呼吸筋を十分に使うために、背中や腰の筋肉をリラックスしておくためです。
・鼻から吐いて鼻から吸う:基本的に鼻を使います。説によっては口から吐くとありますが初学者の時だけにしましょう。
・息は吐き切ってから吸う:「吐き切らないで吸う」ことを続けると過換気(過呼吸)の状況になります。気分が悪くなり目まいさえ出てきます。
・舌は上アゴに軽くつける:口呼吸を防ぐ方法です。座禅ではこの方法で行います。
・秒針付きの時計を用意する:呼吸の時間や割合を知るために目の前にあるといいでしょう。ただし、本来呼吸法は目を閉じて行うとあります。
・息を止める時の注意:息を吸って息を止める時(クムバクと言います)、首や顔に力が入らないようにあごを鎖骨の間に当てます。
・無理しないこと:個々人の体調や体力は様々です。時間や割合は各人に合うように適切に行ってください。病気による禁忌の呼吸法もあります。心配の方は専門の方に相談してください。
・一般用語として呼息は吐く息であり、吸息は吸う息です。普段安静の呼吸数は12〜18回と言われ、静かで呼吸をしている意識がないのが普通です。しかし慢性疾患のある人は呼吸が速くて強い傾向があるそうです。
1丹田呼吸法
丹田とは身体の動きの中心と言われ、丹田を鍛える、または丹田を練ることで心身の状態が統一されるという武道から来ている言葉で、すなわち心身の健康であったり、動きが良くなったりする中心点を表しています。又これに対応する仏性は心が開発される、心がとらわれをなくして、純粋なあるべき姿になる脳の状態を言います。丹田というのは本来、中国語あり、インド古来の言葉サンスクリット語ではウディアナ、これが中国に伝わり、日本語では肚という文字になって日本に伝わったと言います。肚はそういうことで心を表す意味でもありました。
<丹田呼吸法のやり方>
背筋を伸ばして座ります。そして丹田の位置を確認します。丹田はヘソ下の架空の位置とします。ここに軽く意識と力を入れる練習を行います。両手を押し合って丹田を確認するなどして確認します。そして鼻から10秒吐きます。吐いている間も丹田に軽く力を入れ続けます。そして次に鼻から5秒で息を吸います。この吸っている間、腹も腰も胸も膨らんでいる状態を意識します。これを10回行います。これを1サイクルとします。1サイクル毎に終わってから丹田、肛門を強く力を入れる動作を3回行います。3サイクル行います。10分間くらいかかるでしょう。この丹田呼吸法を基本エクササイズとします。
別法として丹田に力を入れるところは同じですが、吐く息を3つに分けて、吐き切ります。そして息を吸ってまた吐いていきます。途中で丹田に力を入れるのは上述と同じです。5分くらいかかるでしょう。
2.完全呼吸法
欧米でもパーフェクトブリージングと呼ばれて、吸う・止める・吐くと呼吸の機能をすべて使う呼吸法といわれています。しっかりと内臓を動かすので内臓強化になります。又息を止めるので炭酸ガスに対する耐性強化になり、疲れをなくし、持久力が高まります。
背筋を伸ばして座ります。そして鼻から吐き切り、鼻から吸います。吸う時は下肺(解剖名では下葉)中肺、上肺、鎖骨肺(肺尖と言う)と空気を入れていきます。そして次に鎖骨肺から空気を抜くつもりで、肩を落とし息を止めます。このクムバクをしている間、喉を締めて、肛門を締め、丹田を締めます。そして上肺から静かに息を鼻から吐いていきます。その割合は以下の通りです。
<完全呼吸のやり方>
鼻から息を吐きます。そして5秒で息を吸います。その時の意識は上記の説明通りです。次に10秒間息を止めます。クムバクと言います。そして10秒で息を吐き切ります。そして又吸います。5分から10分間行います。このクムバクは練習に応じて増やして20秒でも可能です。長くするときはその長いクムバクを使った完全呼吸法を5分間持続できるようになることが大切です。無理をしないことが大切です。
3.片鼻呼吸法(ナディショダナー)
ナディショダナはサンスクリット語でナディは血管、リンパ、消化管・・などの管を意味し、ショダナーは浄化を意味します。よってこの呼吸を行うと体中の管をきれいにすることになります。最近の研究ではこの呼吸法で鼻腔の血管を刺激することから、血管拡張作用があると言われています。これは一酸化窒素が心血管系システムの研究からノーベル賞を得ました。これでこの呼吸ことをノーベル呼吸という人もいます。一酸化窒素NOは高血圧、脳卒中、心臓発作、動脈瘤、動脈硬化などの予防効果、免疫力を高める効果があるとされています。又右左の鼻腔を交互に空気を通すため、右側が交感神経、左側が副交感神経で、自律神経のバランスも整うと言われています。
<片鼻呼吸法のやり方>
背筋を伸ばして座ります。右手の親指と薬指を使い、小鼻の少し上をおさえます。そして左から10秒で吐いて、同じ左鼻から5秒で吸います。次に左鼻はおさえて右鼻から10秒で吐きます。そして右から5秒で吸う、繰り返します。胸腹式呼吸で行います。胸腹式呼吸は腹と腹を同時に膨らます方法です。5分から10分間行います。息を吸った時に横隔膜が下がり(筋の緊張)、胸郭が広がります。膨らむ箇所は腹だけでなく腰や胸や背中が膨らむ感覚を身につけましょう。吐くときは腹圧をかけて横隔膜をあげて(筋の弛緩)いきます。
4.鼻すぼめ呼吸法(アヌローマ)
この呼吸法は鼻腔を狭めて吐く息に抵抗を加えます。これはストローを使う方法や口を狭めてする方法と同じです。吐く息に抵抗があれば呼吸筋に圧力がかかり、気管などが拡張され、楽に吸うことができます。又練習の時は決まった時間で吐く吸うを行うためかなり腹や胸に圧がかかり強化されます。そのため、この呼吸法を行うと長く息を吐けるし、吸うこともできます。やめてからも長い呼吸が続きます。呼吸障害を持っている人は呼吸が浅く、息切れや呼吸困難を強いられていますが、この呼吸を行うことで吐く息も吸う息も長くなって呼吸困難を軽減します。注意事項として他の呼吸法にも言えるのですが、呼吸困難の時には肩をあげたりする呼吸をしがちですが、これは首にある二次呼吸筋を使うことになります。この呼吸はやめましょう。首に大きな負担がかかります。
<鼻すぼめ呼吸法のやり方>
息を吐きます。両鼻から5秒で息を吸います。次に右手を両鼻の小鼻に当て、2秒間のクムバクをしてから手で抵抗をかけながら10秒で息を吐きます。腹腔や胸に力が入ることは丹田強化になって良いことです。そして手を下ろして両鼻から5秒で息を吸います。5分から10分間行います。この鼻すぼめ呼吸は鼻腔にも圧力がかかり、心地よい耳管の刺激にもなります。
5.カパラバーティ(浄化の呼吸)
早い呼吸を行うと、頭頂に光を得るという意味でこの名前がついています。真意は別してお腹を急速に動かして短く息を吐く呼吸法です。過呼吸(呼吸性アルカローシス)とよく似た呼吸ですが、吐く息が強くて、吸う息は自然であるところから過呼吸のような障害はありません。この呼吸は強く血液に酸素が送り込まれるため、数分間行うだけで元気になる呼吸法と言われています。目覚めの呼吸法としていいでしょう。
<カパラバーティのやり方>
他の呼吸も同じですが、特に空腹の状態で行います。すぐに早い呼吸を行わないで、呼吸を観察します。そして腹をへこまして息を吐き、その反動で息が吸えるのを確認します。これを2、3回行います。徐々に速さをあげていきます。吸う息は自然に任して、吐く息だけを強く出します。1秒間に一回の割で60回行います。60回終えた時、吸う息でクムバクを10秒行い、息を吐いて楽にします。これを1サイクルとして3回行います。次に左鼻だけで3サイクル、右鼻だけで3サイクル行います。終わった後はゆっくりとした呼吸を数回行ってください。もう少し早く60回を30秒を楽にできるときは、この方法で進めても構いません。右鼻左鼻はそれぞれ交感神経刺激、副交換神経刺激なるので自律神経のバランスに役立ちます。
別のやり方として両鼻で上記と同じように60回行い、1サイクル。次に片鼻呼吸のように手で鼻を押さえ、左鼻から60回行い、同様に1サイクル、次に右鼻から1サイクルで終えます。
他にも紹介したい呼吸法があります。
・笑いの呼吸 大きな声で笑います。体を動かしながら行うと効果抜群です。
・ライオンの呼吸法 戦う意欲が出てくる呼吸法です。
・バストリカ(ふいごの呼吸法)長く息止めるための呼吸法です。肺を強くする呼吸法です。
・スカアプルバク ナディショダナの中で吸って10-20止める呼吸法です。鼻腔のリズムを整える働きがあり、ナディショダナよりも強い効果が得られます。
・ウディアナバンダ 吐いて息を止めます。このとき肋骨を上げて内臓をリラックスさせます。吸うときは必ず肋骨を下げてから息を吸います。息苦しさを少なくする呼吸法です。炭酸ガス耐性の強化です。
・数息法 マインドフルネス、座禅で行う呼吸法です。1から10まで呼吸をゆっくり数えます。そして10までいったら、また1から数える呼吸法です。
・478呼吸法 入眠しやすくなる呼吸法で4秒で吸い、7秒止めて、8秒で吐きます。止めた後の吐く息でリラックス効果が得られるのでしょう
TNC_発達ステップ
沖ヨガ北海道連合会の緊急事態明けのセミナーに参加して上記のテーマで話しをしました。懐かしい面々が集まりお互いの安否&活動など交流しました。この会は設立から事務局長、副会長、総務、代表世話人など肩書きはさまざまですが、それも30歳の時の設立から40年間で役を降り、今は気ままに参加させてもらっています。残念ながら写真を撮らなかったので、レジメだけを紹介します。
終了後の反応は上々で、やはり心身の不調、普通の行動が取れない教室受講生の人がいるけれども、この発達ステップのエクササイズを是非取り入れたいという相談もありました。このエクササイズは他のエクササイズが出力させることが中心で不調な人はついてこれないのですが、発達ステップは入力を意識することが大切であり、それを元に心身の不調を解消するものです。
加齢や運動不足は単なる筋肉骨格だけでなく、脳の機能までも低下します。脳の向上について、可能性のあるエクササイズをこれからも伝えていきたいと思います。
TNCプログラム_ベーシックコース修了
TNC(TOTAL NEURO CONDITIONING)という江口典秀氏主宰の「神経科学」を学びました。そのTNCは「脳・神経科学」への刺激とその効果を通して機能回復や健康増進に導くトレーニングのことを言います。このトレーニングはスポーツ選手の能力開発、又カイロプラクティクの心身不調の改善、そして発達障がい改善へのアプローチになっています。
2021年5月から8月までコロナ禍の最中に、オンラインを中心にTNCプログラム ベーシックコースを受講し、先日実技・補講を経て修了試験を合格しました。覚えることがたくさんあり、また実技テストも使えるようになるまで何回も練習しました。
TNCプログラムは立ち座り歩くとところからプロ運動選手のパフォマンスの達成という、運動機能から一般の健康維持の向上に役立てる「神経コンディショニング」を整えるシステムです。
日常の生活や運動に必要な体の動きをコントロールしているのは脳神経系です。感覚情報として感覚が入力されて大脳や小脳、脳幹等で情報処理して、思い通りの動きが発揮されます。正しく感覚入力され、脳で処理され運動機能が高まります。私たちはこの脳・神経のコンディショニングを行っているからこそ思い通りの動きを実現することができます。
感覚入力とはご存知のように「見る、聞く、匂う、味わう、皮膚などに感じる」働きを言いますが、他にも「前庭感覚」も基本的な感覚のひとつです。前庭感覚の働きは姿勢制御のための感覚です。それは立ったり、歩いたりそして運動する能力などがこの前庭感覚です。この前庭感覚は三半規管、耳石器の二つが入力として受け取り、小脳や大脳の機能を合わせて、運動機能、パフォーマンス、健康維持の向上に役立っています。
TNCプログラム ベーシックコースの1章は出生から1年をかけて立つまでの発育過程の原始反射および神経システムを学びます。原始反射の残存や発育過程の不全で脳機能の低下が原因で心身の行動が不完全な時に1歳くらいに卒業をしていなければならない動きを再現して心身の改善に役立てます。これは生命の進化過程をたどる動きです。詳しくは前項の<強化法・修正法を脳神経学的に説明>参照。
脳機能の低下に陥ることは脳卒中だけでなく長期のストレスなどの脳疲労や加齢、運動不足などにも起こります。一般の成人では高度の大脳の活動により出生後の原始反射は抑えられていますが、脳機能の低下が出現すれば、日常生活や運動機能低下が現れます。これを防ぐTNCエクササイズはとても大切で、いつまでも脳の機能を高め続けます。
2章は立つ歩くための制御です。立つ歩くためには目の感覚も大切です。当然前庭感覚、また足裏などの感覚、体性感覚と言いますがこの3つの入力系が大切です。この機能を高めるエクササイズがあります。前庭器官の仕組みも学びました。
私は現在73歳で歩くのも、駅の階段を降りるのも少し遅くなったと感じていましたが、この2章のエクササイズを行うことで少し早くなった気がします。
3章は眼球運動の制御です。私たちの生活は視覚に頼ることが他の感覚よりもはるかに多いことに気がつきます。この視覚、眼球のコントロールのエクササイズです。この眼球エクササイズも立つ歩くの役割りを担っています。眼の機能はこの歩行だけでなく瞬間的に認識する機能は生活の中でも広範囲に使われています。車の運転もそうですし、本を読む機能、究極の使い方はプロ運動選手に当てはまります。
車に乗って気がつかずにヒヤッとすることや、読書がスムーズに進まないというのもこの機能です。専門的にはサッケード衝動性眼球運動と言います。
TNCプログラムは学ぶほど奥が深い分野でかつ生活に密接に関係しているのです。ヨガの指導にこのTNCプログラムを取り入れる企画を練っています。