歯磨きの方法

沖ヨガ行持集に”自己解放の誓い”というのがあります。その文の中に「業のつくり主それは生活であります。」とあり、習慣・癖・記憶の内容で自分の業が変わるという文章です。
私たちは毎日、歯を磨きます。毎食後、きちんと歯の手入れをしている人でも、それが間違ったやり方でればやはり歯は悪くなります。今は歯科衛生士の方から歯の磨き方を教わるのですが、また自分の癖・習慣に戻ってしまいます。
今回、札幌市東区のポプラ歯科クリニックの高橋藤雄先生から待合室にあった高橋先生自作の”ブラッシングの方法”の資料をコピーさせていただき、ここに発表させていただきます。
高橋先生からはいつも歯の資料をいただいています。”口のトレーニング”の資料もここに添付させてもらいます。
コピー(ダウンロード)してお使いください。
<ブラッシングの方法>

歯のブラッシング方法の画像解説

毎食の口のトレーニング

般若心経を訳してみた

2019年4月にこのブログに掲載したのとダブっているかもしれないが、それのバージョンアップ版として書いてみた。第7回コラボヨガセミナーの資料に使いました。合わせて読んでもらえば幸いです。
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般若心経について
釈迦の教えは生老病死の苦から逃れることのできる教えです。
移ろいゆくものはすべて空であることを知ったら、苦しみから免れることができると言っています。
般若心経は空の教えです。

知恵の教え
修行中の菩薩が言うには知恵をつければ苦しみから免れると。
その知恵とは肉体も心の働きも、物も空である。
空とは何か。何も無いことである。何も無いのだ。 あれもこれも何もない。死ぬことも老いることも無い。
苦しみから逃れる方法もない。
菩薩が言うには何もない空を信じることが最高の知恵である。
過去の悟りの師もこの知恵によって、悟ることができた。
この知恵を身につけるために呪文を説くことが大切だ。
素晴らしい呪文である。
ぎゃていぎゃていはーらぎゃていはそうぎゃていぼじそわか
作・水野健二

訳語解説
”空”とは移ろいでいく世界のこと。
般若心経は知恵の教えのこと、真理の法ダルマに目覚めること。
真理とはありのままの姿。ありのままの姿をありのままに見ることを知恵という。

五蘊皆空の五蘊とは
心の働きを受・想・行・識という。そして身体のことを色という。この五つで五蘊。
受とは感覚器で受ける働き、想は思いを作る働き、行は意志の力が生まれる働き、識は
是非を作る働きをいう。
色は形あるもの変化するもの、欲望の対象にあるもの。

無明とは煩悩のこと。心経ではその無明を自覚せよという。
煩悩とは貧(とん)瞋(じん)痴(ち)。
受想行識という心の働きが言動の発端になって 煩悩を生み出す。
貪(むさぼ)るべからずを貪る。瞋(いか)るべからずを瞋る。愚痴る べからずを愚痴ること。

苦集滅道は四諦(したい)といって釈尊の最初に説かれた四つの真理の教えである。 初転法輪という。

苦諦「人生は苦なり」生老病死の四苦から逃れることはできない。
四苦八苦の続編は愛別離苦、怨憎会苦(おんぞうえく・怨んで憎んでも別れ られない苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく・求めても得られない苦し み)、五蘊盛苦(ごうんじょうく・身も心も苦しみの原因を抱えている)

集諦はこれらの苦しみは煩悩による業が集まって生じたものだ。
滅諦は苦から逃れ、幸せになるにはおろかさと欲を断つことである。
道諦は愚かさと欲を断つ方法は「八正道」を実践することである。
※「八正道」 は「八支則」に似ている。

八正道とは
仏教の修行の基本となるもので正しい見解(考え方)、決意、言葉、行為、生活、努力、
思念、瞑想をいうとあります。(広辞苑出典)正思・正見・正語・・・
理性の鍛錬・精神の鍛錬・意思の鍛錬

ヨガの八支則とは社会的鍛錬、身体的鍛錬、精神的鍛錬
1.やっちゃいけないこと。 2.やらなければならないこと。
3.アサナをすること。 4.呼吸をすること。 5.感覚をコントロールすること。
6.集中すること。 7.とらわれないこと。 8.瞑想すること。

仏教の根本教理に三法印がある。
諸行無常 あらゆるものが常に変化していく。
諸法無我 あらゆるものが互いに深く関連している
涅槃寂静 心の安らぎこそが真の幸せであり、実相の世界(宇宙の心)を感じ取れることである。(仮相の世界は苦難や迷い。)

別の般若心経の意訳

https://mizunoyoga.com/blog/? p=1302#more-1302
2019.4.2 水野ヨガ学院ブログ参考

オンラインヨガレッスンで考えること

ZOOMを使うオンラインレッスン(オンライン略)を初めたのが5月30日。以来7ヶ月が過ぎようとしています。レッスンの内容も徐々に変わって、最近はyoga week by weekという書物を参考に動きを作っています。ただ、ヨガイコール体操ではないので、ヤマニヤマ を入れ、アサナを作り、そしてプラナヤマ呼吸法、瞑想を時間が少ないなりに入れないとヨガになりません。ヤマニヤマは沖正弘導師の「生きている宗教の発見」という沖先生が亡くなる数ヶ月前に発刊された書物から抜粋して使っています。
 オンラインは「画面の共有」があるので資料を作ったものを、それに載せて説明しています。オンラインの時間は1時間と決めているので、内容的には盛りだくさんになります。資料を作るのも、「生きている・・」を活字に変換しなければならず、手間がかかりますが、書物として読んでいた時よりもしっかりと理解ができるのはありがたいものです。
 また「・・week by week」も1年間52週を一ページ毎に掲載されているのですが、アサナにしても、日本語訳がないものも多く、いちいちwebサイトで調べています。それでもしっくりいかないものが多々あります。それにこの資料は初めは呼吸法で始まり、そしてアサナに入りますが、それがあまりそれぞれ関連性がなく、動きに統一感がありません。立ったり座ったり反ったり座ったりなのです。そこは前からやっている、ほぐす、緩めるという流れを作っています。

 その流れの中で一番意識することは、背中の柔軟性を作ることです。背中が柔らかくなれば、腰も動きやすく、前屈などしやすくなります。やはり動きの基本は前屈だと今でも思っています。すなわち背中を緩めることなのです。そしてその方法はいろいろな形で捻るのですが、背骨、胸椎の捻りを意識することを強調しています。胸椎の横突起はスライドしてねじれを作っていると説明します。しかし思うように捻じれないのは背中の筋肉が硬いからです。

 そしてこのねじりの時に肩甲骨の動きを強調しています。(例えば右へ背骨を捻るときは左の肩甲骨が背骨から離れ、右の肩甲骨は背骨に近づく。)これに限らないのですが、骨の動きを意識することは、「今、ここ」を大切にするマインドフルネスにつながります。アサナを作ることに懸命になると体から意識が無くなります。いつも骨の動き、体の動き、手の動きなどに意識を置くことが、動禅たるメディテーションになるのです。
 呼吸法は個人的にはワンパターンで行なっていますが、オンラインのときはバライエティな呼吸法を調べながらやるのは本当に役立つものです。呼吸が血管を柔らかくすること、体の体液循環に役立つこと、ガス交換を効率的に行えること、最高のリラクセーション(リラクゼーションは和製英語と書いてあった)になります。そのためにはこのオンラインでは時間的に少なくて、呼吸法で効果的を出すには10分以上というが定説です。
 最後にオンラインの環境ですが、いろいろ問題がありました。音が小さい、写りの範囲が狭いなど。。それでロジクールのwebカメラを導入し、音が解決しましたがパソコン(macbookpro2018)やこのwebカメラは会議や対話するものなので、視野が狭いのです。それであれこれ調べているうちに、ビデオキャプチャーなるものを使うと、持参品のSonyコンデジカメラ(コンパクトデジタルカメラ)RX100M3が使えるとわかり、視野が広くなり、また聞いたところでは画像がすこぶるきれいになったと言います。そりゃーこのカメラ、古くなりましたが新品で7万くらいしたのですから。。

 他にヨガマットですが、解散した後、古いヨガマットだけで何も無いので厚さ12mmを購入しましたが、やはりマットはブランド品がいいみたいで使いづらく、学院に敷き詰めてあった18枚のうち4枚くらい欲しいと言われ渡してあったのを1枚ゲットして、快適に使っています。
 ということで快適にオンラインをしていますと締めたいところですが先日、パソコンの電源が抜けてレッスンが途中で終了してしまいました。多分ビデオキャプチャーの重さで抜けたのでしょう。抜けたままレッスンを続けたみたいで、それ以来、チェックを厳しくしています。ということで、これからも有意義なオンラインを続けていきたいと思います。

オンラインヨガレッスン

6月初めから無料オンラインヨガレッスンを始めました。解散以降、あってない人と会えて、また札幌を超えて、オホーツク地区、新潟、時々ですが愛媛とかオンラインの時空を超えた能力に感心します。

そして9月からは有料になりますが、気軽にヨガに接してください。オンラインのメリットは何と言っても出かけなくてもいいということです。それにほとんど見られていないので、できなくても恥ずかしくないことです。そして人と話し合ったり、情報交換できるということは素晴らしいことです。

9月のカリキュラムは掲示板に発表していますが、ヤマニヤマ のところは沖正弘先生の語録をこれからテーマにしていくつもりです。

オンラインヨガレッスン15
目をリラックスしよう(瞬き、視点移動 、etc)
沖先生の語録:ヨガとは何か
 一番基本になっている心というものを養い、高め、強め、清めるには、一体どういう体を作ればいいのかということから、体の訓練がくっついとるわけ。心だけのやつを「修養」というんだ。体だけのを「修行」という、生活だけのを「修業」という。これを全部合せてのヨガ、わかるね。
だから、そこが普通の肉体訓練とは違う。普通の肉体訓練は、心とか生活から離れておるのが大半なのよ。それを唯物的と、こういう。心だけのを唯心的という。唯物だけでも困る。唯心だけでも困る。一緒にしたものがヨガ。(沖正弘選集13_p2Q&A)
1(心がまえができると体をていねいに扱うことができる)
アサナ:体を楽にするテーマ:ほぐすことの大切さ
  五感を通して内部感覚を意識する
 半月のポーズ(内蔵の強化/ヘルニア調整)
 バッタのポーズ(脊椎下部調整・膝強化)
  大切なことは自分の体を観察する習慣を持つこと。
2(体が整うことで呼吸が楽になる。)
 プラナヤーマ:発声体操
      (肺機能高める呼吸法です。)
 3(体と呼吸が整うことで心が素直になる)
ディアナ:ソーハム瞑想法 (あなたと私)   <出所不明>
 吸う時 「ソー」 吐く時 「ハム」を心で繰り返す。
  私は太陽です。太陽は私です。
  私は空です。空は私です。
  私は宇宙・・
  私は花・・・。・・鳥・・。・海・。・山・。
  あなたは私です。私はあなたです。
  全ては一つです。すべてはつながっています。
宇宙創成の100億年前にビッグバーンであらゆる元素が均等に宇宙にばらまかれた。多くの銀河の元素組成はそのためによく似た構成になっている。
すなわち、私という存在の元素組成は山や川や鳥や太陽や空と同じなのだ。合掌
水野健二
「質疑応答」全文
  (沖正弘先生晩年のヨガ行法の中心はQ&Aであった。)
1301(沖正弘選集13_p2Q&A)(当時の雰囲気のままに言葉を訂正していません。)
 (ヨガ体操を行じながら、物理療法や漢方薬を併用してもいいのでしょうかという質問)<ヨガとは何か>
 あのね、ヨガはどんなものかというとね、精神修養が中心なんだ。それが出発だ。人間も動物の一種だけど、動物の中で心が優先しているのは人間だけ。人間以外の動物は体が優先している。いちばん心身の異常を作り出しやすい元になってるのは心なんだ。
わかるでしょう。
 だから、そういう心のための体の訓練がヨガの肉体的訓練になっているわけ。わかるね。どうしてそういう結論に達するかというと、自己を支配しとるものは、自分の中で働いている命の働きであるからである。
 他物に頼ってみても、自己の中の力が高まるわけじゃない。力というものは、使ったほど高まる。使わないほど弱まる。だから、例えば病気の場合でも、いくら他物に頼ってみたところで、自分の中にその他物を活用するだけの力がなかったら、「これは、こういう効能がありますよ」と言ったって、ある人にはあるかもしれないけど、そのもの自身に効能を引出すだけの力はない。
 例えば、ある人がいい話をしたとするね、その場合でも、百人集っている人が同じような受け取り方をするかというと、決してそうではない。その人の、いいかね、受け取り態勢、理解能力、その人の体験で、同じ一つの言葉の捉え方が違うだろう。それと同じこと。だから、他物は、頼らなきゃなん時は頼るべしだ。頼っていいんじゃない、頼らなきゃならん。ところが、多くの者は、今言った、己れの力を高め、整え、清めるという基本原則を忘れてしまって、他物にだけ頼ろうとする。それが、いいかね、人間世界への弊害を生み出している。
 他物に頼る学問というのは非常に発達しているんだ。医学なんてものすごく発達してるじゃない。治療法なんて、ものすごく発達してるじゃない。薬物学なんて、ものすごく発達してる。「もう要らん」というぐらいだ。「これでもか、これでもか、これでもか、これでもか」と、効能を並べ立てたものが毎日生産されている。
 ところが、本当の事を知らない奴は、その他物の効能に惑わされちゃうんだ。「これはこういう効能がある」って言うと、それがそのまま自分に当てはまると思っている。「そんなはずがない」て言ったって「そんなはずはある」と言う。だから救われない。
 ヨガはそういう愚かなことを言わない。他物に頼ってもいいから、まず、自分の頼る他物が最高の効能を発揮できるような自分を作ることを、まず第一番にする。他の人に「助けて下さい」と言っていいんだよ。しかし、他の人に「助けて下さい」という場合は、自分が出来るだけのことをやって、それから他の人に「助けて下さい」と言え。
 これは正しいんだ。「俺は俺の力だけで生きる」なんて言うてみたところで、それは不可能なこと。だから、ヨガは「正しい生き方をしろ」ということ。他物が必要な場合は、他物の協力を得るのが当たり前である。
 ところが、例えば、病気を専門に研究する医学と称しているものには、阿呆みたいなことをやってるじゃないか。薬を使ったって治らない病気に薬を使う。薬で治るんなら、皆んな薬のんでるものは、治ってるはずじゃないか。色々、薬をのんでみても薬で治らない、ということは、その人にとっては効力がないということよ。絶対に体はウソを言わないんだから。命が、「本当なら、この薬はあなたには効能がないんだけども、折角、一生懸命飲んでんだから、じゃ効能を出してあげましょうか。」とウソを言うと思うか。
「本当は、あんたはハリは効かないんだけども、お灸なんか熱いのを我慢してんだから、あんたの我慢に免じて、治るようにしてあげましょう。」なんて、やってくれないんだ。
 だから、いいか、沖ヨガ以外は全部ウソばっかり言ってる。沖ヨガの特色は、「絶対にウソを言わん」というのが特色だ。沖ヨガの場合は、絶対に他のものを否定しない。なぜかというと、それが必要な人には必要なんだ。先日も、こんな女にね、誰かくっつく男があるだろうか、と心配しておった女が、(俺は本当に嬉しく思うんだが、)「こんな男の嫁さんになる女がおるだろうか」と思っていたところで「結婚します」と言った「あー、一人の男を救ってくれた」と嬉しく思った。
 だから、否定もしない、肯定もしない。否定も肯定もしないという、いいかい、純白なる立場をとるから誤らなぃ。誰が何と言おうとも、いいものはいいんだ。誰が何と言おうとも、間違いは間違いだ。だから、ヨガにとっては学説は関係ない。知識も関係ない。民族別も関係ない。何にも関係ない。ヨガは本当のことだけを求める。
はい、次。
 (沖正弘選集13_p2Q&A)
このQ&Aを読んでいると、当時の沖ヨガ修道場や札幌での合宿講演会後の「質疑応答」の場面を思い出します。 大変緊張した時間でもありました。当然正座です。シーンとしています。道場ではあるときは100人〜200人くらい在籍していました。後ろの方では英語やスペイン語、中国語で訳しているグループがいます。
それを体験している我々は、札幌で合宿があると同様に緊張していました。スタッフだけ10~20名くらい集められ、「質疑応答」が始まります。車座になって、夜遅くまで続きます。終わるとラーメン買ってこいと言われ、大きな鍋を持って1時2時頃ススキノに車を走らせ、藻岩山にある、合宿所の東本願寺まで帰ってくると、かなりノビテています。一筋だけ沖先生は食べ、うまい美味いと言って、食べろ食べろというのですが、ノビテ冷えています。残したり捨てたりしたらまた怒られるので数人で美味しそうに食べました。
当時、北海道には門下生が10位のグループをつくり、沖先生の来道を機に講演会合宿をしていました。沖先生の千歳空港への送迎は全部私がやりましたので、ずいぶん個人的に接する機会があったのは恵まれていました。と、懐かしい思い出がこの「質疑応答」で湧いてきました。
最後にこの「沖正弘選集」は20冊以上有り、膨大なテープの中から「テープ起こし」をされたものです。ボランティアの皆様に感謝しつつ、引用させていただきました。合掌

このウィルス禍に思うこと

 私は朝は早起きです。夜はテレビを見ることが少なくなったのでしょうか、早く寝ます。いや年老いたからでしょう。
 いつもと同じに早く起きて、何気なく古い辞書を手に取りました。中から黄色くなった新聞の切り抜きとメモがパサリと落ち、しみじみと眺めていると、遠い昔が思い出されます。それは1967年の高校卒業式のメモとその説明の記事でした。その記事は後年ですが、メモの意味がよくわかります。
 そのメモと記事には「時代考験青年_青年創造時代」と書いてあり、台北市のレンガ壁の落書きだそうです。漢字の国らしく深い意味が当時の、この国に置かれた事情を表しています。

 「歴史の大転進期に直面している現代は青年を厳しく試験し、激しく追求している。果たして彼らが、時代の試練に耐え、その要請に応えうる実力を養いそだてつつありや否やと。他方、青年には明日の世界を開拓して、一段と人類社会の進化発展に寄与すべき責任が現存する、明日の時代は、今日の青年が想像する責任がある、義務がある。」
と、記事の中で筆者が解釈をしています。
 今21世紀の現代の中で、新型コロナウィルスの大きな問題、そして新たな香港問題、まだまだくすぶっている、中国・台湾問題。これらは50年前とほとんど変わらないことに驚きです。今やコロナ問題が余計に加わって、ますます、人間とは社会とは経済とはと考えなければならないことが山盛りです。その中で当時のような青年のエネルギーが少なくなってきているような気がします。
 安保時代の私にとって、当時は青年たちが社会に働きかける機運が多くありましたが今は何か寂しい気持ちです。青年が頑張っているのが香港だけです。

 ちなみにこの作者 湯浅八郎さんは当時、京都市教育委員長として高校の卒業式に来賓挨拶に来られました。湯浅八郎さんは長く同志社大学の総長を務められ、この記事からもわかるように国際基督教大学を創始され初代総長にもなった人です。

 朝のひと時、とても気持ちのいい時間を過ごしました。

・・書いていて、あれ、どこかでこれ書いたことあるな、と思い、このブログを「時代考験青年」で検索してみたら、「2009.04.09」にありました。関心があれば読んでください。

最後に湯浅八郎さんのこと調べていたら以下の詩がありました。とても深く感銘を受けましたので、ここに記させていただきます。
 湯浅は自身の生活信条を表す言葉として、次のような言葉を残した。
「 生きることは愛すること
愛することは理解すること
理解することは赦すこと
赦すことは赦されること
赦されることは救われること」
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写真を見なくても自主トレできる方法。

 北海道では感染者が少なく、ヨガ教室もジムも開講していますが、外国まで至らない東京でも緊急事態宣言が出され、これからは自宅にこもることに強いられることは間違いありません。
 そして今や自宅でスポーツ関係の自主トレが普通になってきた様子です。

 それでは写真を見ないでヨガトレーニングを行います。エッと思うかもしれませんが、これは脳トレも兼ねています。私たちは感覚器を使って判断して、行動を起こしていますが、眼を使わないで、聴覚を使って脳を働かせて動きを作ります。いつも視覚だけに頼る脳の機能よりも、この脳トレを行うと脳のイメージ力が大きく機能アップするはずです。これは人間だけに備わった想像力を高めるために是非チャレンジしてみてください。
 まず注意して欲しいのは使ったことのない脳の分野を高めますから、まずめんどくさいこと、理解できないことがあると思います。これが大切です。想像して試行錯誤して行うのです。見ればわかることばかりですが、それは安易なことです。何か新しいことをする時、想像し、考え、ひらめくことが大切です。それは形にならないものからイメージを作り出し、言葉にしてそして形を作っていくのがアイデアであり創造です。自分で想像して動きを作り出してください。心身一如のトレーニングになります。

 それでは四つ這いののネコのポーズをメインにしていつもこのポーズに戻ります。ご存知のように手と膝で床を押し上体を支えます。腰と腹の力を使って背中を丸くしたり、凹ませたりを思いつきのまま繰り返します。呼吸もいろいろな方法でやってください。動きには答えがありません。皆がやっていることが正しいとは言えません。自分でやってみてください。皆と同じかもしれませんが、自分で感じ考えることが大切です。手の位置、手のひら、膝の感覚などいろいろです。楽で気持ちがいいことが命の働きです。またやりにくいけど、心身の栄養になる動きもあります。自分の命の不足を補う行為です。難しいポーズ、難しい本、苦手な人、、チャレンジしていくためには不可欠な要素です。
手と膝を床から離さない、ネコのポーズをどのくらいの種類ができましたか。レッツゴー!

15年前の教室風景。レオタード後期の時代でした。ネコのポーズです。 

今日はここまでです。次回からこのネコのポーズを使って動きを考えていきましょう。
懐かしのミニチュア。

月の礼拝

このブログにも月の礼拝体操というのがあります。(https://mizunoyoga.com/blog/?p=129)
他にも”「縄文人の精神から人間とは何かを読み解く」という話を載せました。(https://mizunoyoga.com/blog/?p=508)
「月と蛇と縄文人」という本の中で、縄文時代の1万年近くの文化の中に、命すなわち「月=子宮、蛇=男根」を象徴させて縄文じるしの器を作りました。縄文は縄でなく男根でうつわは子宮。そのうつわは水を入れる月なのです。そして命が生まれます。そんな神話作っていました。

他にも以下の文章をwebから見つけました。(https://www.epochtimes.jp/jp/2011/12/html/d67642.html)
『黄帝内経・素問』の「八正神明論篇」には、次のように記載されています。「月が満ちはじめると、気血が次第に盛んになり、衛気(脈の外を素早く循る気)の運行も活発になる。満月の時、気血が潤い、筋肉が強くなる。月が欠ける時、経絡内の気血が弱くなり、衛気が去り、肉体の活動を支える気血は空虚な状態になる」。すなわち、人体、気血、筋肉、経絡に流れている気血の虚実は月の満ち欠けと対応し、変化しています。

ということで、月の礼拝を定期的に行いましょう。

新型肺炎 閉じこもりリスク

新聞の記事から 本日3/2朝刊に掲載されていました。
高齢者の間では自宅に閉じこもることで運動量の現象で筋肉が衰える「サルコペニア」の懸念が高まっている。
転倒、骨折、寝たきりの可能性である。
筋肉量を20歳の時と60歳で比べると加齢で筋肉量が20~40%減少するという。
40歳以上でも筋力は年齢とともに衰える。特に衰えるのが下半身の筋力とバランス能力だという。
詳しくは記事をどうぞ。

癖・習慣を見直そう

ヨガの最終目的は体を柔らかくすることではありません。良くない心身の癖習慣を直すことが目的です。そのために学び実行していくことをヨガ行法と言います。難しいことですが一つ一つ気がつくことで少しづつ改善されて行きます。今回は目の癖について考えます。 続きを読む

歩き方

ヒトの歩く能力はヒト固有の歩き方があります。例えば犬や猫の歩き方は種が同じであればだいたい同じだけれど、人の場合は遠くからでも個性的なのがよくわかります。また、テレビでライオンやチーターが獲物を獲る時、そっと近づいてあと全力疾走します。足の筋肉がつったり、捻挫したりしている場面に出くわしたことがありません。やっぱり人間と同じように自然界でもするのでしょうか。でも準備運動はしていないことだけは確かです。 続きを読む