昔は良かった!昔はこんなことができたんだ!昔は若かった! 昔は・・昔は。。
この世は諸行無常の世界である。
「盛者必衰の理(りじゃないよ。ことわりと読むんだよ。)をあらわす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。」というのもある。
若いというのは「春の夜の夢の如し」なのか。
いくらサムエルウルマンの「60歳であろうと16歳であろうと人の胸には・・」を引き出しても駅の階段を駆け上るお尻キュッの若者には嫉妬する。
誰しも若いころがあった。中年よ、がんばれ!「春の夜の夢」だけでがんばれ。
いつかお尻キュッもジジババになる。
投稿者「mizuno」のアーカイブ
結ぶ.・つながる=ヨガ
結婚式の司式者をさせてもらいました。貴重な体験でした。
場所は写真の札幌・モエレ沼公園のガラス張りのピラミッド状建物です。この公園はイサム・ノグチが設計したものでこの建物もその一部です。広い敷地の中に国土地理院に登録したという人工の山62メートルもあります。
式はガラス張りの大きな空間の中で一般入場者をギャラリーに厳かにそして皆さんに祝福されました。
お祝いの言葉を述べさせていただきました。努力することの大切さ、そして受け入れることも必要です、というのはヨガのポーズを作るときと同じことです。お幸せになってください。
時間が短くて、だらだらとうまくない、つまらない話ししかできない私には、こういった場ではつらいところです。
結婚ってなんだろう。私は人の歴史を顧みるのが好きです。サルから人へ。森から草原へ。熱帯から寒帯そしてアラスカを経てインカ帝国の先祖まで人は進化し発展していきました。苦難の時代を乗り越えて、ついこのあいだの時代まで生きるというのが大変だった。そこに互いに寄り添い・つながる存在が人を強くしたのでしょう。世界帝国を作ったジンギスカンだって妻(ボルテ)の役目は大きかったのです(蒼き狼)。誰だって妻や夫の存在大きいのです。
結婚ってある意味では儀式です。世にいろいろな儀式があります。入学式や入社式そして葬式もそうです。これは本人と周りの人にこうなんだという儀式です。儀式は覚悟です。どうにでもなるうつろぎな心の働きを決めてしまう儀式が必要なのです。覚悟して生きていく、毎日毎日、真剣に生きていく、このことを私の師は「最後心で生きろ」と言われました。
幸運な写真
たまごが立つ
姿勢を良くするテーマで坐骨をたまご二つに見立ててたまごを立てるように座ると
姿勢が良くなると説明している。
それで卵を実際に立て見ようということを提案したらいくつか写真を送ってくれた。
姿勢を良くしたら疲れると聞くことがある。そんな馬鹿なことはない。立ったたまごは
疲れた等、言わないでいつまでも立っている。
地震がない限り、風が吹かない限りづっとづっと立っている。

ある人のコメントは以下のとおりであった。
内藤礼さんという彫刻家の作品に『地上にひとつの場所を』というものがありますが、僕の中ではそのイメージとダブります。
ぜひ私もその作品に触れてみたいものである。
坐骨をそっとたまごの様に立てることをしたとき腰も肩も楽にしていられるのである。
座禅の座り方の極意であろう。
何のために生きるのか
本屋さんの前に「何のために生きるのか(五木 寛之著)」が山積みされていた。チラッと見てウーンと考えながら通り過ごした。この本の中身は知らないがこの手のテーマはたくさんある。
生きるために食べる。生きるために殺す。動物の話だ。
生きるのか。生きているのか。動物と植物。
生きてどうするのか。動物は生まれたのだから必死に生きている。生きるために殺す。殺されないために生きる。
これが自然だ。
背骨を持った生物の歴史が数億年前からこれを繰り返している。
その頂点に立った人が生きること。それはやっぱり殺されないために生きることだった。
人々は殺されないために戦いそして受け入れられることを探ったのだろう。
比叡山に行ったとき伝教大師最澄の碑に「一隅を照らせ」と書いてあった。生きるためのひとつの方法だった。そしてそれは社会から生かされることだった。
宗教心体得の誓い
宗教とは一番大切な教えのことであります。私たちにとって一番大切なことそれは生きることであります。生命すなわ<ち神を大切にすることであります。私たちは生きるために生まれてきたのであります。生きることが目的であり意味であり価値であり使命であることに気づかせていただきました。宗教心とは最上の生き方の工夫と努力をすることであることを自覚させていただきました。ただ今からの私はあらゆることを通じて正しい生き方の工夫と実行をさせていただきます。(沖ヨガ行持集から抜粋//注:宗教心と宗教団体とは意味が違います。)
人は殺されることは少なくなったが、生きるために殺している。今も。
だから。。精一杯生きて行きたいねと上の誓いの言葉に書いてある。
道東の春
春だねぇ。いまから。ここからだよ。
街にも温かい風
あるがまま、気持ちよくと教室で言いつつ、あるときは結果を出さなければならない。仕事も学業も成績である。ノルマがかかってつらい日々が続く。見ても聞いてもみんな大変だ。思い通りにならないときにストレスを感じる。そんなとき、外に出てみる。
いままで寒い日が続いていたけど、ちょっと思い通りの温かい日差しを感じる。誰に感謝するわけでない。でも春が来るとうれしい。人に生まれたからにはひとつ、ひとつ結果を出していかなきゃならん。それをいやっ、とみるかよし次っと考えるか。そんな結果を一つ一つこなしてあるがままの年を取る。人生の結果は「死」だという。結果の積み重ねはプロセスだ。人は大きくあるがままに生きていくことだ。