本屋さんの前に「何のために生きるのか(五木 寛之著)」が山積みされていた。チラッと見てウーンと考えながら通り過ごした。この本の中身は知らないがこの手のテーマはたくさんある。
生きるために食べる。生きるために殺す。動物の話だ。
生きるのか。生きているのか。動物と植物。
生きてどうするのか。動物は生まれたのだから必死に生きている。生きるために殺す。殺されないために生きる。
これが自然だ。
背骨を持った生物の歴史が数億年前からこれを繰り返している。
その頂点に立った人が生きること。それはやっぱり殺されないために生きることだった。
人々は殺されないために戦いそして受け入れられることを探ったのだろう。
比叡山に行ったとき伝教大師最澄の碑に「一隅を照らせ」と書いてあった。生きるためのひとつの方法だった。そしてそれは社会から生かされることだった。
宗教心体得の誓い
宗教とは一番大切な教えのことであります。私たちにとって一番大切なことそれは生きることであります。生命すなわ<ち神を大切にすることであります。私たちは生きるために生まれてきたのであります。生きることが目的であり意味であり価値であり使命であることに気づかせていただきました。宗教心とは最上の生き方の工夫と努力をすることであることを自覚させていただきました。ただ今からの私はあらゆることを通じて正しい生き方の工夫と実行をさせていただきます。(沖ヨガ行持集から抜粋//注:宗教心と宗教団体とは意味が違います。)
人は殺されることは少なくなったが、生きるために殺している。今も。
だから。。精一杯生きて行きたいねと上の誓いの言葉に書いてある。