月の礼拝体操

ヨガのカリキュラムで太陽礼拝体操はあまりにもポピュラーです。あるグループはこの体操しかしないそうです。それだけ瞑想に打ち込んでいるのでしょう。
私が初めて習ったのは、合掌礼拝体操と名うっていました。師は癖や習慣、思いこみを見直し、より新しい考えで社会を見ていくことで進化向上が生まれるのだと説きました。そして、既成概念を打破することに集中して、ポーズの名前もことごとく独創的でした。今私たちが使っている名前と大きく違うのは、犬のポーズを山のポーズといい、三角のポーズを釣針のポーズ、肩立ちのポーズを逆さかだちのポーズと言っていました。その真意はサンスクリットや欧米思想から離れた日本独自のヨガを伝えたかったのでしょう。
話は変わります。わが師のヨガは月の礼拝の名称はありませんでした。私はこれを知ってからなぜか、太陽礼拝以上に好きになっています。理由は体がつながる実感が得られること、ポーズ一つ一つが意識しやすいこと、体の変化が大きくなること、呼吸のリズムが取りやすいことです。ゆったりと満月を思い出しながら、新月、三日月を思い出しながら繰り返すのです。
太陽があらゆる生き物に照らしている一様な空間があるとしたら、月は照らされている限局の空間を主張するマイナーな存在なのです。(小池龍之介氏講話から) ある時は暗闇を作りいつもは光を放っていないあてにならない存在だけれどその隠れた恩恵に静かに感謝する存在が月なのです。
月の礼拝体操を続けていくと心も体も自然と一体化していきます。そう意味で学院で好んで繰り返しています。太陽礼拝体操も月の礼拝体操もラジオ体操とおもむきが異なります。師は動きを禅にする、動きのみに集中する、動きが自然と一体になるような効率を求めていく動き、これを動禅と言いました。これは立派な瞑想になるのです。心のためのポーズを作ることを目指しなさいとよく言われました。
下のイラストはmi.soさんの作品です。学院のためにたくさんのイラストを書いていただきました。
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「肺の日」講演会は無事終了しました。

たくさんの方が参加された講演会でした。呼吸器学会の記念講演会は今回で11回目を迎えるそうです。いつも70人くらいの参加と聞いていたのですが、150人くらい来ていたようです。タイトルががん、間質性肺炎という重い病気なので、難しい話も皆さん真剣です。私の関係者も少なからず参加してくれました。後の感想を聞くと、重病者でないので、関心は薄く、中には病人ばかりで気分が悪くなったという人もいました。転ばぬ先の杖ですよ、気をつけて、今の健康に感謝しましょうとありきたりの返事です。
私の担当は場に似合わず、笑いヨガです。皆さん笑ってくれるか心配でしたが、上手に笑ってくれました。何とか面目を保った次第です。札幌医大第三内科のスタッフの皆さんありがとうございました。貴重な体験をさせていただきました。
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学習すること

地下街の広告の写真です。別に某新聞の回し者ではありません。いろいろな講演会に参加したり、本を読んでいて、すごい人がいるものだ、どうしてそんなことに気がついたのかと感心することがよくあります。
「自分の意見は他人の意見を・・・・」の文字が目に入ってきたとき、そうだ、そうだと変に感心してしまいました。よく講演会等で私のオリジナルですという考えをとうとうと述べる人がいますが、やっぱり眉唾だとわかります。どこかにネタがあるはずです。普通はこのネタに感謝して、誰それ先生の考えを参考にして自分はこのように考えるようになりましたと言えばその人の謙虚さが見られるのです。書籍にしてもたくさんの引用があればあるほど、著者の博識が見え隠れてしてきます。
ところで私のヨガのポーズは決してラジオ体操形式のように機械的に動かしているのではありません。感覚をもとにして動きを学習する事が大切だと説く、イスラエル人、モーシェ・フェルデンクライスの書物に学び、それをヨガに応用しました。彼はその動きや考えはまた柔道から学んだと言います。彼は独特のメソッドで体の動かし方を世界中に広めました。彼は動きの中で感じること、比べること、つながることの大切さを説きました。そして人にとって学ぶということは生に対する喜びだと言います。動物でも小さい頃はいたずら好きです。これは好奇心が旺盛なためです。好奇心こそが学習していくエネルギーです。
年齢に関係なく人の話しをしっかり聞く、本を読む、音楽や絵画、博物館など情報を採取することが大切です。共感や感動したならば、それだけ自分が豊かになり、さまざまなところから得た無数の考えが自分の考えを作っていくのだろうと思います。
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静岡県三島市日帰り出張

日帰り出張をしました。今回の出張は遠いというより、本州は暑い!という印象でした。この前日は沖正弘導師が亡くなって25周年の法要が営まれました。不肖の弟子で法要に参加できなくその後に続く理事会のみ参加した次第です。札幌の自宅を6時頃に出かけ、羽田を経て、新幹線で三島入りです。
この三島も何年ぶりでしょう。懐かしい風景とすっかり街になった景色が頭の中でまだらになっています。沖導師の活躍した道場は今は更地になっています。その更地の小さいことに驚きです。ここには世界各国から、日本中から修行生が200人も集まっていたのです。3階建ての道場で缶詰状態で瞑想、強化法、講義等明け暮れていました。道場の前には小さな川だけれど、せせらぎの音がいつもしていました。川の流れを見たり聞いたりすると何か落ち着くのはそのせいかも知れません。川向こうには道場を解体した後、断食セミナー等をしている建物があり、沖導師の遺品や写真が保管されています。
暑い日中の中、懐かしい人たちと挨拶しますが、顔は暑さで真っ赤です。部屋に入ればクーラーがフル稼働で少しは涼しくなりますが、話しに熱が入るとクーラがないのと同じなります。本州の人たちのものすごい忍耐力に驚きます。この暑さは平気なのと何回も人を変えて聞きますが、やっぱり暑いそうです。会議に参加した皆さんは昨日も暑かったのです。今日も明日も。この暑さは8月末まで続くでしょう。私は今日、札幌に帰ります。夜の気温は18度と伝えていました。
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農業学校の中の菖蒲園

この菖蒲園は札幌市月寒にある、農業専門学校八紘学園の中にあります。八紘とは耳慣れない言葉ですが戦時中によく使われた「八紘一宇」というと大東亜共栄圏を思い出します。私は終戦っ子なので戦争は知りませんがよく戦争体験者からその言葉を聞きました。その「八紘」とは「8つの方位」「天地を結ぶ8本の綱」を意味する語であり、これが転じて「世界」を意味する語となったとそうです。元は日本書紀の中の神武天皇の項目から出たそうですが、戦争推進のスローガンとなりました。
その八紘を思い出す八紘学園です。私立の専門学校です。大きな敷地に牧場や広大な畑を持っています。その一部に写真のような菖蒲園があります。今花盛りの真っ最中です。乗馬をする施設もありますし、バーベキュウのいい匂いも漂ってきます。広い校庭の中でどこを車で走っているのかわからなくなります。フェンスの向こう側は大きな道路でその道路に合流できないのです。狭い農地の中を走り抜け、ようやく住宅地に行き着いたときほっとしました。北海道は広いです。
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今年もサボテンの花が咲きました

去年もこの欄で紹介しましたサボテンです。梅雨頃(北海道にもあります)は雨に打たれ、暑い夏は炎天下にさらされ、冬は氷と雪の中で放置されていても、命の働きはすごいものです。年々大きく、たくさんの花が咲きます。生きていることを主張しているようです。
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水天宮って

東京地下鉄の駅名です。はじめは単にそう思っていました。東京に出かけるとき、泊るホテルへいくときは茅場町を利用していました。地理感覚は全くなく、夜にホテルに入る時、200メートルの距離をタクシーを使ったこともあります。最近利用する地下鉄を変えてみました。水天宮という駅の利用です。何回か使っていて、水天宮という社(やしろ)が見え、好奇心で中に入っていくと子供連れの家族が多いのに驚きました。なんと子宝に恵まれますようとか安産を願う御宮さんだったのです。調べてみたらこのたぐいの御宮さんは全国にありました。子供連れが多いのはそのお礼なのかもしれません。こま犬の人形がたくさん飾っていました。このような風景を見ると何か昔ながら神を信じ、神を祈る姿勢に心うたれます。そういえば京都にある北野神社は受験生がわらをもつかむ気持ちでお参りするところでした。今週の学院のカリキュラムは「月の礼拝」です。単なる連続ポーズですが生きる日常から祈りを主とする生かされていることを実感するひとときです。
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「肺の日」の記念公開講座のお知らせ

呼吸器学会北海道支部主催の「肺の日」記念公開講座のパンフレットです。7月31日午後1時から3時まで開催されます。
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生きる上で脳も大事、心臓も大事、体、全部が大事ですが、呼吸は息をしていることで目立って気になります。その呼吸器科のお医者さんたちの一般向け講演会です。難しい内容もきっとわかりやすく説明してくれるでしょう。今日パンフをいただいて受け付けにおいておくと年配の方のクラスであったためか、あっという間に少なくなりました。そういえば今週のカリキュラムで発声体操をやっていたところ、そこらじゅうで、せき込んでいました。気管が、肺が弱くなっているのですね。
ということで私は講演の前座ならぬ、合間にヨガを担当することになりました。
タイトルは笑いヨガです。笑うという動作一つで呼吸の健康、心の健康、体の健康を同時に兼ね備えているのが笑いです。笑う機会がない人はぜひ参加してください。気分転換になるのですから。そしてひょっとして切実なメインテーマの肺がんや間質・・という病気の勉強よりも笑うということで今を生き、ありのままに生きるに何か役立つヒントがあると思います。
(ここに講義抄録を書こうと思いましたがブログだと書きにくいですね。次回案を練って掲載する予定です。)

青空ヨガを開催しました

数年前菅野美穂さんのインドヨガ旅行記がテレビ放映されました。そのとき大きな公園の芝生の上で数組のヨガグループがヨガをしていました。今回は研究生の発案でお外ヨガ、青空ヨガを初めて企画しました。教室ヨガとはぜーんぜん違うヨガであることを発見しました。またまたアバターを例に出して恐縮ですが、大地のエネルギー、宇宙のエネルギー、人と人のエネルギーが感じられる時間でした。たくさんの人が参加してくださいました。関西から来たという旅行中の人も飛び入りです。昔の研究生も受講生の方々も、家族総出、赤ちゃんも、家族と同じペットも参加でした。
北海道の春から夏に向かう最高の天気でした。皆で参加者の精進の賜物だという声が聞こえます。一時間のヨガでしたが研究生が次々と切れ目なくヨガレッスンを楽しみました。私もインドのヨガビデオをイメージしながらアハハハという笑いを紹介しました。
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断捨離ってなに?

先日の合宿の時に講師が断捨離という言葉を発せられ、当学院の受講生がそれを聞いて後日、あの「だんしゃり」ってなんですか、と聞いてきました。
その講師は「断捨離のすすめ」という本がよく売れている、あの本は整理整頓する方法を仏教の言葉で上手に本の書名にしたものだ、ヨガの中でプラティヤハラという段階があるが心の執着をとるために断捨離が必要だ、という内容でした。
私の身の回りには物にしろ、情報にしろ溢れています。ほっとくと物であれば「ゴミ屋敷」になるし情報であれば「自称評論家」になりひいてはノイローゼーになってしまいます。中村天風師の本を読むと、インドのヨガ部落で修業しているときに「文明人の理屈の多い頭をからっぽにしないければ何を教えても無駄だ」と言われるところがあります。映画「アバター」の中でも自然の中で生きている惑星人が地球人に向かって「頭をからっぽにしなければ自然の神から何も教えを得ることはできない」というような場面がありました。
私たちの生活は物欲、名誉欲、金欲、欲、欲ときりがありません。この欲のコントロールをするのがプラティヤハラ(制感自律訓練行法)です。詳しくは当学院hpに少しだけ書きました。
http://www.mizunoyoga.com/gakuin/q23.htm#l121
ところでヨガのポーズを作っているときに、できない、痛いは日常茶飯事ですが、できるときには突然できると様々なところでのべています。工夫と努力は当然大切ですが、痛みを我慢するという、とらわれや、ポーズを作ろうという気持ちが執着が欲につながってきているのです。頭をからっぽにしてただその場その場を感覚を受け入れていくしぐさこそがポーズであり、そのようなときになると瞑想になっていきます。そしてそのようなときに、こちらから思い追い求めていた対象が向こうからやってくるのです。求めているものを断つ、捨てる、離れるという断捨離は言葉で言えるほど簡単なことではありません。断捨離という思いこそが欲になってしまうのです。
それで数年前面白い体験をしました。我が家のリフォームの際です。家を片づけなければなりませんのでいらないものを捨てているとこの捨てるという作業が楽しくなってきました。来週の大型ごみの日に向かって、毎日小さな家の中を探索しています。何か捨てるものないか、いらない、いらないを繰り返し身軽になったわが持ち物に満足していました。ところがリフォームも終わり数年経ちました。また物が増え始めてきました。あれほどすっきりしていた家の中も見苦しくなってきました。これを見ても捨てるというのは癖です。またため込むというのも癖です。身一つで雲水のごとく、インドのサドゥのごとく生きることが一番の幸せかもしれません。
Maslowマズロー欲求階層説から抜粋
Sadu出典絵葉書