先日、受講生がバリアフリーの話しをしてくれました。介護のし過ぎ、至れり尽くせりは本当にお年寄りにいいことなのだろうか。ますます弱らせしまうのではないかという話しです。昔は台所は土間にあり、地面にかまどがありました。食事するところや、居間などの上がったり下りたりはお年寄りは大変だったのですが、それをなんとかこなしていたそうです。現在でも台所に立っているとその動線の量はすごいものです。バリアフリーは体の負担を少なくしますが楽することで体も心もマイナス方向に変わっていくような気がします。
同じような話し。ヨガのとき体の使い方は丹田が大切というのは常套文句になっています。一番丹田を使う職業は何かというと土方じゃないかと話しをしたら、今は土方とは言わないで土木作業員と言いますとのこと。でもこの二者は全然違うのです。土木作業員は機械を操り、機械の補助、周辺作業をする人たちです。肉体労働には違いないけど、土方ではないのです。大きな違いは自分の体と作業対象の間合いでしょう。力の入れ方、対象の状態の変化、扱い方などが伝わるのが土方作業だと思います。
同じような話し。前に説明しましたホムンクルスの人形で口がやたらに大きいのは一番敏感で生きるに大切な部位だからです。生まれた赤ちゃんはおかあさんの乳房をしゃぶります。この作業は何をしているのでしょうか。おっぱいを認識し、口の感覚を通して生きることを学びます。感覚が神経の中に刻まれ、記憶され、満足や将来の行動を作るようになります。お年寄りの退化の逆を歩んでいきます。
この三つの例で人の行動で一番大切なのは認識することが大切だと知りました。お年寄りが動けなくなると、故障を認識して動きを緩慢にして代償作用で若い時と違う動きを学びます。土方作業は体を痛めない体の使い方を学んでいくのです。赤ん坊は口使い、手を使い物を認識し自分の存在を学び、こどもはイタヅラを通して道徳を学ぶのだと思います。
これも先日教室にて。この暑い日が続く中。珍しくクーラーを入れました。その瞬間は幸せいっぱいです。でもすぐ慣れてしまいます。久しぶりに呼吸法スイッタリーを行いました。舌を丸めてその間から息を吸う呼吸法です。この呼吸法は乾きや飢えを防ぐ呼吸と効能を上げています。しかしこのときは違いました。肺に水をすするような感覚で息を入れると体感温度が下がってくるのです。クーラーのせいではありません。体の中から冷えを感じるのです。それも一人や二人じゃないのです。かなりの人が涼しくなったと感想を聞きました。たくさんある呼吸法は無意識に行っている息を意識し、しっかりと脳に認識する作業だったのです。脳はからだ丸ごと小宇宙の神の教えに従って処理してくれるでしょう。
認識することの大切さは広がります。懺悔だってそうです。ごめん、すみませんが懺悔の意味です。しかし本当に懺悔が理解できる時は認識した時です。そのとき訂正、修正が伴います。そして反省が伴って行くのが懺悔なのです。何回もすみませんが出てくるのは懺悔ではないのです。
ヨガが体操ではない理由はその行為を認識しているかどうかだと思います。しっかりとした感じや識別することで認識が深まって、心身の機能を高める一連の行がヨガだと思います。