7月中旬に「骨ゆらし」の創始者永井幹人先生(鍼灸按摩マッサージ指圧師)が来道され、セミナーを開催し、引き続いて翌週に偶然、小樽在住で永井先生に師事されている小川先生の体験会が催されました。
永井先生とは私の沖ヨガ修道場時代の先輩で難病の修行生を担当され、その後の実績も数多くの施術体験があり、その複雑な施術法を誰にでもわかりやすく伝えることに力を注いでおられます。今も水野ヨガ学院では「ゆらゆら体操」をリラクゼーションとして取り入れていますが、この体操の考案者も永井先生です。それから数十年を経て癒しの確信と施術の簡易法を開発され、この「骨ゆらし」になったと思います。
永井先生のセミナーではいきなり高度なテクニックを誰にでもできるという方法から入り、体の各部分をゆらし、伝わる、ひびく、ゆれるを主に直伝の様にセミナーが進めていきました。これでいいのかと参加者同士がまず実習するのはこの手のセミナーでは定番です。ひびかない、伝わらないの苦労をしながら感受性を身につける努力も必要でした。しかし互いに終えた後は体がリフレッシュしたことはいうまでもありません。
永井先生のそのような下地の上に小川先生の体験会はまた違った、全身を理論通りの流れの中で手、肩、足、腰骨、頭、そして骨盤内、腹部と各部を丁寧にゆらし続けました。ほとんどの人は硬い床の上のにもかかわらず眠ってしまった人、よだれをたらしてしまった人、最高の時間が過ぎていきました。
永井先生はこの骨ゆらしの基本は経絡指圧であり、骨髄に刺激を加え、脳にも刺激が行くイノチの複雑さを単純に「気持ちがいい」と言う表現で生命力を活性化するものと教えてくれました。そしてまた、施術する方は瞑想状態であり丹田、仏性に働きかけて自己一如を達成するものであると、さすが沖正弘導師の内弟子の一人です。しっかりと沖ヨガの伝道者でした。
再度、セミナーが開かれるのを期待して先生の来道をお待ちしています。
小川先生の講義資料を紹介します。
骨揺らし
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ある日の研究会
教室の勉強会で野口体操を取り上げました。研究会のシステムは研究生がテーマ毎に内容を決めて、発表・シェアをします。当然私もその内容を補足する形でコメントを入れたりします。今までに数回同じテーマを繰り返して行っていますが、それぞれがとても新鮮で新しい発見が得られます。
まずはじめは開脚のテーマでした。さすが皆さん、見た目は柔らかくてこれ以上に発見がないようにも見えましたが、人によっては無理があったりします。ちょっとしたところが盛り上がり緊張が私には見えてきます。ヨガは見せることでなく、自分が本当に気持ちがいいのか、重さのふるさとのの地球と仲良しをしているのかが大切です。たとえ柔らかさがなくてもおかれた立場・状況でやさしく体の隅々まで暴力のない素直な気持ちを持ち続ける時間を大切にしたいと思います。その動きの中で瞬間的に無理であったも小さな動き(呼吸法含む)を繰り返すことで可能性、可動域が広がっていくのです。
尻歩きは長座姿勢になって片足ずつ前に出してお尻で歩いていく動きです。しかし歩くことばかりに集中するのでなく、尻を上げ下げしていると面白い現象に気がつきます。尻が床に着いている方は身動きできませんが反対の方は浮いていて自由なのです。この自由は別に前に進まなくても、後ろに動き始めても、横に移動し始めてもいい可能性を持っています。そんな動きを足踏みのように同じところを繰り返していると楽しくなってきます。繰り返すことの面白さは好奇心です。決して退屈することはありません。ほかの動作でもまた日常の退屈な作業でも通じるところがあるでしょう。
野口体操ではイメージとは言葉にならないものを想像予感すると言っています。イメージが膨らむために擬音語を使う話しが出ました。これはちょうどNHK「オノマトペが切り開く世界とは」の番組を参考にしたそうです。今春の朝ドラ「あまちゃん」で「じぇじぇじぇ」が大流行しています。これも驚きの表現だそうです。「そーっと」も「パーン」も動作を表現する言葉です。フランス語でオノマトペというそうです。私は言葉にすることはイメージを伝達し記憶のために固定化するものですが言葉にならないイメージは可能性がどんどん広がっていきますが変質したりどこかへ行ってしまうものと思っています。このオノマトペはイメージと言葉の中間にあたるものでしょう。
私はこの研究会の下調べをしていて面白いことを見つけました。野口三千三さんは筋肉は運動器の前に感覚器であることと言っておられます。筋肉バカにならないために繊細な筋肉を養う必要があります。私にはこれこそがヨガなんだと一人合点をしています。ほかにホトケの語源を日本語の「ほどく」に見いだし、心をほどくことでとらわれのないの世界が得られることを見つけた日本人の発想の豊かさに驚きています。このひらがなのすごさは他にも物事を分けることができたときにわかると言う言葉を作ったのも同じです。例えば双子の区別(わける)がついたときに「わかる」というようにわかる・わけるの語源は同じなのです。臓器の名前を経絡から借用した知恵も同じようにすごいことです。(http://mizunoyoga.no-blog.jp/karadanotikara/2011/12/ohashiatsu_5f59.html)
もっと日本語を勉強すべしと以下の本を手に入れました。
今回の研究ではスキのポーズの作り方で自分だけができないやり方があったことはショックでした。それは仰向き、腕を耳横において足を上げ足先を床に着ける動きです。私のできない動きの課題がまた一つ増えました。
前屈のポーズの極意
一般に体が柔らかいという表現はこの「前屈のポーズ」をもって言うようですが筋肉マン系の男性にとって気持ちのいい前屈は永遠のテーマでありその過程は悲鳴を上げるだけのポーズのようです。
今回はこの筋肉マン系の人に対してどうしたら前屈系の可能性を見いだせるかをテーマにします。
前屈のポーズは骨盤の股関節が回転することであり、そのバリエイションとして長座前屈、開脚前屈、そして立ち前屈があります。この中で一番やりやすいのは開脚前屈、そして立ち前屈、難しいのは長座前屈です。私もまだ、長座前屈はかなり無理をしています。
前屈としては骨盤をとにかく動かしたいので、イスに座って足を開いて前屈をチャレンジすることにしました。どうしたら骨盤が動くかというと脊柱起立筋(骨を支える筋肉)を緊張させるとその周りの背中の筋肉(骨・関節を動かす筋肉)が緩みます。筋肉が緩むと骨・関節が動きます。姿勢が悪いと骨を動かす筋肉で体を支えるためにその筋肉が硬くなり、骨・関節が動かなくなるです。そして今回の一番重要な点は首回りの筋肉を緩めることを大原則として、取りかかりました。
まず背骨を骨盤から首までまっすぐにしてもらいます。うまくいかなければサポートする人が触れ、50gくらいの力でうなじ、後頭骨を誘導します。もう一度大切なことを確認しますと背骨(骨盤)の角度と首の位置(あごの位置)をまっすぐにすることです。(50gとはできるだけ小さな力を表現しています。強すぎると本人は首力を入れて抵抗し首を硬くしてしまい、固まってしまうのです。)
はじめは60度くらいでもいいから背骨をまっすぐにする、そしてあごの位置を微調整しながら首すじを伸ばします。このような作業を1分くらいします。いつもは膝裏が痛いのですがその感覚は全くないそうです。痛くないから時間をかけることもできます。
そして背骨(骨盤)の角度を下げていきます。痛さがあれば首に負担(あごが上がる)が来るので補助をしている私にはすぐに分かり「頭上げて、あご引いて」などと指示を出します。こんなアプローチで行うとどんどん角度は下がってきます。
あまり欲張らないで3分くらいやってやめます。(もしどこかに痛みがあれば、やり方が間違っているのでやめましょう。)終わってまっすぐ立ってもらうと本人は背すじが伸びた感じ、腰も背中も気持ちがいいという評です。
今まで姿勢の悪さで圧迫していた筋肉が緩んだことで痛みが消え、本来の姿勢を保つための筋肉(脊柱起立筋)がしっかり働いて背筋が伸びたことによるものでしょう。
この感覚を覚えてもらうと床に座っての開脚前屈ができる日は近いでしょう。
欠陥について
先日ある人から自閉症について啓蒙として読んでほしいと文章をいただきました。この中にあるように、私も大きな間違いをしていました。そして普通にまたは時には大きな仕事に取り組んでいる才能のある人もいるのだと、人間のすばらしさえ感じました。
自閉症について
自閉症とは昔からある障害です。古くはヒステリーや分裂病と一緒にされてきましたが近代になってから区別されるようになりました。そのため病院で誤診されることもあるようです。
自閉と書くと自分を閉ざして殻にこもる(心の病気でない)ような印象を受けますがそうではありません。(ひきこもりは状態のことを指し、自閉≠ひきこもりです。)これは生まれつきの障害で脳の中枢神経の異常によるものです。遺伝的な影響も強く男性に多く見られます。知的障害を伴う人もいますが、そうでない人もいます。多くは社会性、コミュニケーション、想像力、他の弱さがあります。空気を読めない、協調性が無い、ストレートすぎる発言、常識が無いなどと表現され、叱責されます。
外見から全く分からない障害のために、社会では誤解を招き、非難され、うつ病になる人も多くいます。言葉のやり取りが苦手な半面、視覚的な情報処理に優れた力を持ち、ITなどの分野で大成する人もいます。Facebookの社長やスピルバーグ、アインシュタインなども自閉症の一種であると言われています。シリコンバレーで働いている人の半数以上は自閉症だともいわれています。
また近年は虐待により自閉症様の状態におちいることも指摘されています。昔は自閉症は母原病であると、育て方のせいにされてきましたが、この10年で新しい発見が多くなり変わってきていますので以下の番組等をご参考ください。
NHK「ハートネットTV」「バリバラ」という番組でよく紹介されています。機会があればぜひご覧ください。
少しでも、世の中の自閉症の認知度を高めたいと思い書きました。
文章作成者は当学院受講生でそういう分野の仕事をされている方です。いちおう私水野の判断で匿名にさせていただきました。
この文章を読んで「野口体操」(野口三千三)からの文章を思い出します。
欠陥について;欠陥は可能性を高める。すべての人間は障害者であり、病人であり、老人である。比較論、平均値から離れても人には代償作用がある。病気になるとは欠損だけではない。それで癒しを行ったり、シャーマンであったりする。欠損は有効である。
(水野意訳)私たちの生活や仕事などから不足、不満が生じることで次の可能性を探し新しいものへとつながっていく。欠陥もそうである。欠陥のない人はいない。だから進化向上しうるのだ。障害者とは特定の人を言う法律用語ではない。比較の問題である。70歳から見た30台は若者だが10台から見たそれはおじさんでありおばさんである。たとえ大きな障害であってもそれを補う力が人にはある。身体能力の欠損ある人がすばらしい頭脳を持って代償している人が多々ある。障害や病気があることで人を癒すこともある、そんな人こそ人や社会に対して大きな力を施している。
★シャーマンとはシャーマニズムにおいて、超自然的存在と直接接触・交流・交信する役割を主に担う役職。呪術者・巫・巫女・祈祷師・ムーダンなど。 (Wikipedia)
欠陥さえも有効に変えてしまうホモ・サピエンスは知恵ある人々と言う意味だそうです。
最近目を通し始めた「5万年前-このとき人類の壮大な旅が始まった」ではアフリカの5,000人くらいの規模の村から150人がネアンデルタール人の占拠している中東の入り口を突破し、全世界へ旅立ちました。彼らはそれぞれの土地に適応していくために長い年数をかけて皮膚の色を変え、またそれぞれの人種として適応していきます。この本の中では現代の人間も現代社会に適応するために「人間は進化の途中にある」といっています。
また、最近のNHKスペシャル「病の起源」ではチンパンジーから人間へ進化したため、ある部分が適応できなくなって病が発生したという番組でした。
私たちの生はせいぜい100年足らずの限られた中で、遺伝子を変えることはできませんが、ホモサピエンス(知恵ある人)として意識的な学びをせざるを得ない時代になってきています。どうぞ意識的に学び行じる生活をモットーにしていきましょう。
最後に沖ヨガ行持集「自己解放の誓い」を紹介します。
自己解放の誓い
私たちはヨガにより自業自得の真理を自覚させていただきました。自分を支配しているもの自分をつくりだすものそれは自分の身に付いている働きであります。今私は自分に現れている一切の現象は自分の業のあらわれであることに気づかさせていただきました。自分へのあらわれ他人へのあらわれを通じて業の学びを行わさせていただきます。業とは何でしょうか。先天的なものとしては遺伝と霊であります。後天的なものとしては習慣癖記憶の内容であります。業が誤っていればどうしても誤ったことをせざるを得ません。自分を損ねるものも自分を助けるものもそれは自分の身に付いているものの正否であることを自覚させていただきました。業のつくり主それは生活であります。今私は生活を正し整える以外に救われる道悟りにいたる道のないことを自覚いたしました。ただ今からの私は意識的に自己解放自己啓発の業を身につける修行・修養・修業・教養を行うことを誓います。(沖ヨガ行持集より)
すばらしい私たち
私の机の上に「自己即神」の額がかかっています。
それは沖正弘導師の直筆のものです。この額には他にも「生命即神」そして大きく「聖」とあります。これだけではなかなか理解できません。沖先生の考えがこの中に詰まっています。
沖先生の考えは以下のようでした。このことは道場で使っていた生活行持集にもあります。
自分自身を清らかにせよ。命、特に命の働きは神のごとき尊いものだ。命の声を聞け。
せっかくいただいた命、その能力を粗末にするな。限りなく開発・強化せよ。
正しい生き方の工夫と実行をせよ。悪い癖をのぞけ。心を磨き、ととのえよ。
感謝すること、懺悔すること、下座すること、奉仕することだ。生きることに協力する愛の心をはぐくめ。このことは一番、「命」がのぞんでいる。これらは今でもきびいしい考えです。
最近思うことはこれも沖先生の言葉ですが「自己即神」についてです。普通ではとてもそんな自分が神だなんてというとばか、あほ、気が狂ったということになるでしょう。沖先生は、そのように自分は尊い存在なんだと自覚し、切磋琢磨しなさいと言っています。限りなく素晴らしい能力や知恵が誰にでも存在しているのだと言われているのです。
学院で教材にしている天風先生座談の本に中村天風師の「観念要素の更改」という言葉があります。これは潜在意識を変えることを言います。自分で勝手思っている「自分の思い」を根本から変えていくことを言います。
大病であった天風師はをインドでヨガ修行をして悟りを得て、人生や運命、健康を成功に導く天風哲学へと導いた方です。基本は暗示法ですがそれは徹底したものから生まれてきます。
天風師の教えは体や運命を強化するには心を強くしなければならない。その心の積極性が絶対的な条件になり、それはいついかなる時でも「尊く、正しく、強く、清く生きること」である。これを毎晩寝る前に徹底的に暗示をかける、起きたら今度は自分自身の眼を鏡で見て、また暗示をかける。
以上の偉大なお二人がほとんど同じようなことを言われていることがわかります。
私はこの心のあり方、心と言うと大げさになりますので「思い」という言葉を使いますが、思いが自分を作っていることにまちがいあありません。この思いはイメージという言葉でも置き換えられます。
この自らの思いは自分を取り巻く社会に対する思いで、自分が社会をどのように思っているのかで自分の言動が変わります。
社会に愛を感じているのか憎悪を感じているのかで本人の行動は変わってくるでしょう。数多くの偉人が社会に対する大きな貢献をしています。彼らも私たちも自分の思い通りの行動をして、自分自身を作っていくのです。
他人に対する思いも同じです。友人、家族、上司、部下、それぞれの思いで言動を変えています。信頼されるか否かは自分の他人への思いです。
そして自分への思いはどうでしょうか。自分を可能性のある存在としたときの行動は学び、自分を大切にし自信を持って困難へと向かいます。それこそ「いついかなる時でも尊く、正しく、強く、清く生きること」が「自己即神」「偉人」に変える可能性を持っているのです。
自分自身を変えるために社会に対する、対人に対する、自己に対する「思い」を変える必要があります。
劇的な変化はないかもしれませんが、長い時間をかけて必ず変わっていきます。
すばらしい遺伝子を持った私たち。学習することが本能である私たち。わずかな違いを識別することができる私たち。そのように私たちは太古から進化してきました。ピラミッドを造り、万里の長城をつくってきた先人たち。
現代の私たちもたくさんの可能性を秘めているのです。それを沖先生はあるときは’怠け者’と活を入れ「自己即神」を気づかせてくれました。
祈る力 腰痛は心の悲鳴かも
新聞記事のタイトルです。この記事を読んで姿勢だけが腰痛の原因ではないみたいです。便利になってある程度裕福になって何も心配がないように見える現代人の心の奥底には大きな不安、悲観、怒りが渦巻いているのです。目に見えないエネルギーが見えない感情となり、見えない痛みとなり、動けない体になってしまうのは、見えることばかりを追求してきた私たちに対する警告のような気がします。
先日、読みなおしている「祈る力」(角川新書)の引用としてクラスで話したことは「祈り」は思いであり、「思い」が現実の世界に何かのはたらきがあることです。それは何気なく体操として行っている太陽礼拝スーリヤナマスカーラや月の礼拝チャンドラナマスカーラは大自然の偉大な力に対して祈ることであり、その思いが自己中心ののぼせ上がる気持ちを冷静におだやかに謙虚にしますと伝えました。
最近、耳に良くするのことですが、カトリック教会の総本山のバチカンでは教皇が交代して、フランシスコが即位しました。中世の聖フランチェスコ(無所有、清貧の実践を行った)をならったと聞いています。私はクリスチャンではありませんが12世紀の聖人の一人になった修道士、聖フランチェスコの「平和祈り」を好んで教室で時おり読んでいます。この句は沖ヨガ行持集の中にあり「祈り」をテーマにするときなど仏教の「四弘誓願文」と共に教室で声を上げて読んでいます。片方が絶対的な神に対する祈りでありもう片方は仏陀に対するよりも自分に対する誓いと言えましょう。これらはいくら祈っても誓っても世の中は大きな変化はないかもしれませんが、祈っている自分の心に変化が生じ、そしてその心の変化は自らの行いとなって変化が生まれてくることは間違いありません。
日本人にとってもう一度、手を合わす習慣を身につけ、心を整えるることが必要だと思います。それは呼吸が整い、そして体が整うのです。私の教室に「統一心、調和息、統一身」の掛け軸があるのはそういった意味を込められています。
リンク先:資料
参考NHKクローズアップ現代
寝返り
先日、元研究生のGさんから出産後3ヶ月目で初めて寝返りができましたという写真を送ってく来てくれました。そのコメントには学院で行なっているうつぶせ仰向きとそっくりだったと言葉が添えられていました。赤ちゃんの寝返りは私にとって最高のお手本です。しっかりと首を曲げているかと思うとごろりと寝返っています。
そこでYouTubeで「赤ちゃんの寝返り」をいろいろ調べました。たくさんの投稿があり、必ずしも首から寝返るだけでなく、腰から寝返っている動画もあります。
自分でも教室でもいろいろやってみました。しかし首や腰の悪い人、動かない人はやめた方がいいでしょう。動きは体操ではないので、赤ちゃんがやっているように、気持ちよく、そして自慢げに寝返っているように気持ちよく行なうことが大切です。その動きで応用として割座弓パターンも行なってみました
その動画が下記のものです。
negaeri_kubiをダウンロード
しかし、もう一つしっくりこないのです。私はこの方法だと首の負担が大きいのです。首からではなく腰から寝返ってみたくなりますし、無意識でやっているときは腰からのような気もするのです。その画像は以下の通りです。
「腰から寝返り」をダウンロード
結果は手を上げているときはうつぶせ仰向きどちらでも、腰からでも寝返りができますが、弓を作った状態からは腰から仰向きはできないのです。映像にはありませんが足を伸ばしたままでも手を下げると肩が邪魔して仰向きにはなれませんでした。弓のうつぶせから仰向きは腰からでもできます。
結論は首からでも腰からでも楽な方で動くこと、そしてできないと思ったら次の手を考えて動いていくことが大切だと思います。
大事なことは力を抜いて、体のつながりを意識して動いていくと上手くいきます。
わたくしごとです。今はほとんど腰を痛めることは無いのですが、昔はヨガをやっているのによくぎっくり腰の状態になっていました。ご存知のようにかがめない、ひどいときは歩くことさえ不能でした。
その解決方法が「弓・割座」の4〜5回くらい、ゆっくりとした回転でした。乱暴に思える動きが不思議に腰を楽にしてくれました。
このような動きは、他の人にはお勧めできませんが(勧めたことがあって上手くいった。マンツーマンの指導だった。)私流の腰の柔軟法にもなっています。
付け加えると、この動きをするとコブラのポーズなどそりポーズが楽になるのです。なぜ腰が楽になったり、腰が柔らかくなるのかは、首が一因ではないかと思います。私たちの生活は姿勢にしろ、頭を悩ますことにしろ、首が硬くなることばかりです。その首を緩め、腰とつなげることで体は自然に戻り不快は解消されるのでしょう。
イスに座る、イスから立つ
イスへの立つ座るは職場や家庭のイス、ソファ、食卓、電車、バス、ベンチなどたくさんあります。この動作の間違いが積もり重なって首腰に負担になっています。小さな不具合だから感覚はほとんど知覚しませんが重なってくるといつか故障になりうると思います。
動作の基本は動作の最中は背骨が伸びることですから、座る時も立つ時も首も背中も伸びる感じをつかむことが大切です。その動作が漫画にしています。行って見るとわかるのですが、足で床を押したり、腹筋に力が入っているでしょう。ところがただおしりを上げる、お尻を下ろす動作をすると(いつもの動作です)首に力が入ったり、腰が緊張したりするはずです。
このような正しい動作の習慣を身につけて下さい。首や腰の緊張がかなり軽減されるはずです。
歩き方
姿勢について 2012-10-26 の続き
”何か疲れやすい”というのはよく会話に出てきます。
心の問題も体の疲れやすさを招きます。心の問題は自分で気づいて解決できることもあれば、他から解決法を与えられるのも一つです。例えば、先の当学院のセミナーのような「心の成長を支援するセミナー」などを受講することも、またカウンセリングを個人的に受けることも大いに利用したらいいと思います。
要するに心身のアンバランスが”何か疲れやすい”と体に訴えています。
心には問題ない、病気とかそういうものではないとすると、体の使い方の問題になります。
「疲れない体」になるためには栄養剤やマッサージではなくて、体に負担をかけないことが大切です。間違った姿勢でいることは筋肉への負担が大きいのです。世の中には猫背を自認している人が多いのですが、前に倒れないように筋刺激を受けている背中などにはいつの間にか筋トレーニングの結果のように筋肉がついて丸くなっています。そしていつも負荷をかけているために柔らかくなることなく緊張し続け、不快を感じてしまいます。
「猫背になるのはやめる」(タバコをやめると同じたぐい)とウソみたいに楽になります。静止の姿勢「座る」、「立つ」は前項(姿勢について 2012-10-26 )にも”骨で立つ”とありますので省略します。
次に歩き方です。歩き方を間違えればやっぱり疲れます。
私はモデルさんの歩き方は知らないので、できません。
しかし疲れない歩き方はできます。足にハネがあがらない歩き方、靴が長持ちする歩き方、足が太くならない歩き方を紹介します。
漫画を見てください。右脚の運びを強調しています。右足はずっと後ろから股関節から振り子のように振り出していますが、その途中の瞬間がその漫画です。足首の力が抜けているでしょう。実際地面に直角かどうかはわかりませんが、力が抜けていればだらんと直角近くになるのではと思い、描いてもらいました。その脚は地面に着いていません。空中の状態です。そしてこの右足は振子のようにヒュッと振り出しています。そして後ろから振り出すときもけっして地面をけっていません。地面をけるからハネが上がります。後ろからこの漫画の状態まで足の甲は前を向いたままです。
ここのところをどのように表現するかといいますと右足の「甲を前に出すようにして歩く」、ということになります。
太古の昔から歩くことは基本です。間違った歩き方をしたら足を痛めるのです。歩くこと、この基本的なことをこれでいいのかと自問しながら歩いてください。
この歩いている漫画の女の子は下を向いていますが、これは良くありません。まっすぐ前を向きましょう。
{余談}山に登っていたときに重い荷物を担ぐときは少し重い靴を履くことといわれました。これもこの説明でわかるような気がします。荷物の加重のせいで重い靴ではなく、軽い靴だと足首の緊張が残って脱力ができないためではないかと思います。重い靴だとその重さで足首が脱力できるのです。足の疲れが脱力で取れて長時間歩けるのです。
参考漫画 拙著「体が硬い人のためのヨガBasic Lesson」
肩を楽にする
牛面のポーズ(ゴームカアサナ)の上半身を紹介します。
肩の構造は腕、鎖骨、肩甲骨から成っていて腕は鎖骨で胸骨だけに付いています。だから人間の腕は動物と比べて可動範囲が大きく、手を背中で上からと下からとで合わすこともできるのです。ただ力づくで腕を背中にまわしても痛い=緊張するので動くことはできません。肩の力を抜くことが大切で、補助をしている動画がありますので参考にして下さい。ポイントは腕をぶら下げているところと補助の人が力を入れないために手の甲で正座している人の腕を後ろへ動かしているところです。
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次に一人で行う方法です。このポイントは他のところでもよく使う方法ですが、小指を強く意識することで肩の力が抜けます。そして体を反らすことが体全体が緩むことになりますので、何回も腕が楽に動くようになるまで楽に気持ちよく反らせます。手の指を使わないのもポイントです。指に力を入れると肩が硬くなります。腱鞘炎もこの辺に問題があるようです。上から下に下ろす方の手も体を揺すりながら下ろしていきます。腕は胸と背中の大きな筋肉で動いているのでこの部分をゆるめる動作をしているのです。
これも動画を見て下さい。
kataworakuni
肩の硬い人は痛くないようにアゴや胸や胴体を動かしながら腕をひっぱっると柔軟になります。痛くしないで動かすこと、軽くて楽に繰り返し動かすことで筋肉が緩んでいきます。
注釈:手の指を使わない意味は背中へ、ベルトなどを使って補助する場合がありますが、これは肩を硬くするだけで私は勧めていません。