新聞記事のタイトルです。この記事を読んで姿勢だけが腰痛の原因ではないみたいです。便利になってある程度裕福になって何も心配がないように見える現代人の心の奥底には大きな不安、悲観、怒りが渦巻いているのです。目に見えないエネルギーが見えない感情となり、見えない痛みとなり、動けない体になってしまうのは、見えることばかりを追求してきた私たちに対する警告のような気がします。
先日、読みなおしている「祈る力」(角川新書)の引用としてクラスで話したことは「祈り」は思いであり、「思い」が現実の世界に何かのはたらきがあることです。それは何気なく体操として行っている太陽礼拝スーリヤナマスカーラや月の礼拝チャンドラナマスカーラは大自然の偉大な力に対して祈ることであり、その思いが自己中心ののぼせ上がる気持ちを冷静におだやかに謙虚にしますと伝えました。
最近、耳に良くするのことですが、カトリック教会の総本山のバチカンでは教皇が交代して、フランシスコが即位しました。中世の聖フランチェスコ(無所有、清貧の実践を行った)をならったと聞いています。私はクリスチャンではありませんが12世紀の聖人の一人になった修道士、聖フランチェスコの「平和祈り」を好んで教室で時おり読んでいます。この句は沖ヨガ行持集の中にあり「祈り」をテーマにするときなど仏教の「四弘誓願文」と共に教室で声を上げて読んでいます。片方が絶対的な神に対する祈りでありもう片方は仏陀に対するよりも自分に対する誓いと言えましょう。これらはいくら祈っても誓っても世の中は大きな変化はないかもしれませんが、祈っている自分の心に変化が生じ、そしてその心の変化は自らの行いとなって変化が生まれてくることは間違いありません。
日本人にとってもう一度、手を合わす習慣を身につけ、心を整えるることが必要だと思います。それは呼吸が整い、そして体が整うのです。私の教室に「統一心、調和息、統一身」の掛け軸があるのはそういった意味を込められています。
リンク先:資料
参考NHKクローズアップ現代