神話的発想

 「ひと」という誌の最新号をいただきました。この冊子は前に私が取材を受けたものです。その当時の「ひと」には私がヨガを始めたころのこと、師と仰ぐ沖正弘師の考え方、体の不思議さ、心の不思議さの話を2時間くらいインタビューで10枚くらいの文章にしてくれました。(旧ブログ 2013年5月参照)
 今回は伊達市噴火湾文化研究所所長大島直行さんです。彼の著書「月と蛇と縄文人」は副題として<縄文人の精神から人間とは何かを読み解く>という話です。
 日本人の源流が縄文人にあり、その遺伝子は未だにしっかりと現代人に気質として残っているそうです。それは今の日本人を見ても適当な仏教徒であり,神道信者であり、時にはクリスチャンになったりしている多神教的発想は縄文時代という1万年以上にさかのぼる神話的世界観から出発しています。
 多くの日本人が大きな木を切り倒すとき、神主さんがお祓いをし、お神酒をささげる行事をします。我が家も古い家を買ったとき、大きなしらかばの木を倒すとき同じことをしました。そして神主さんに神棚の祭り方を教えてもらい、水は毎日、塩は1日と15日に取り換えて不浄のところに流し、排水口のある台所、風呂、洗面所、トイレを清めました。残念ながら今はもうやっていませんがこのように私の中にも神話的世界観が残っています。地鎮祭もそうですし、アイヌの人たちは生き物の、熊や木などを獲るときに代償としてカムイノミという儀式を延々とするそうです。
 どうして日本人にはこのような儀式をするのかというと、人間の世界観にはその神話的発想と合理的発想が今も昔もありその中で生活が営われてきたそうです。特に縄文人は他の文明国、4-5000年前のインダス、メソポタミア、黄河文明のように農耕牧畜文化にならず、いつまでも狩猟採取文化の中にいました。縄文初期は他の文明よりもはるかに古い15000年前と言うから驚きです。
 そのため富もない権力もない原始社会でした。農耕牧畜社会は権力社会を作るために合理的な考え、宗教哲学科学が必要でしたが狩猟採取社会は神話的世界を作り上げ死と再生や生きるための原始宗教を作り上げました。たとえば竪穴住居とは穴を掘ってその中で暮らす住居ですが壁あり住居はとっくに知っていたのに尚、竪穴で暮らしていました。本州では8cころ奈良時代までそうだったし、北海道でも13cまであったそうです。かれらが貧しかったから?いえそうでありません。竪穴住居は母の子宮だったのです。命の再生が子宮であり住居だったのです。
 神話的に生きる考え方はゆくゆく神道に繋がりました。そしてその発想が長ければ長いほど新しいものを受けがたく、仏教が入ってきても日本式の仏教になりそこに儒教や道教が加わります。決してインド仏教や中国仏教ではないのです。奈良時代には神宮寺なるものが出現し仏教は神道とも合体していくのです。重ね合わせの文化です。一つのものが他のものにとって変わるということはありませんでした。
 住居おいても洋式は便利になりましたが畳とフローリングの和洋折衷がいまだにありそして靴を脱いで家に入る習慣はしっかり残っています。日本人の発想が改良、改善が得意なのも今まで持っていたものは捨てない、それを生かして新しいものを作るということでした。
 日本のヨガの草分けである中村天風師はインド山奥のカンテンジュンガ山麓にあるゴーク村で修業をしてヨガを体得しましたが、日本に帰ってきてもインドヨガはしないで日本古来にある修練体操であり呼吸法そして暗示を使った瞑想語録をヨガとして紹介しました。沖正弘師も同様に日本の禅と仏教、陰陽哲学を応用した修業、治病法として沖ヨガを普及しました。
 まだまだ例があると思いますが、その考え方のルーツが縄文人の1万年を超える神話的発想から現代に残っているのです。