ヨガの呼吸法で息を止める目的は長く息を吐くためです。長く息を吐くとたくさん息を吸うことができます。息を止めることは体に良くないことなので、細かい作法が必要です。例えば、のどを締める、肩を下げる、肛門を閉める、首を伸ばすなどが重要です。この息の止め方はクムバクといいます。生命力を活発にする方法でもあります。
しかし、無意識に息を止めるのは緊張だというのは先の項目で書きました。「あれ何の音?」と息を止めるのも身の危険を感じるからなのでしょう。このように考えると、普段どのくらい息を止めているかはストレスの目安になるのではないでしょうか。思い通りにならない時、誰かに何かを言われはしないかと身構え、息を止める、これだけは許せないと息を止める、パソコン操作が思うようにいかないと息を止める、嫌な人が近づいてきたと息を止める、成績の話しになりそうなとき息を止める、、、本当にストレスだらけの毎日です。今日、会ったNさん、仕事のある日は甘いもの食べまくるけど、ヨガの日は甘いもの食べたくないと言います。きっと息を止めてお仕事されているのでしょう。
ストレス解消の方法は、甘いものを食べるのではなく、息を止めるのをやめた方が良さそうです。一度お仕事の最中に自分を見る時間、息の状態を観察する時間を作ってみたらいかがでしょう。きっと気がつくはずです。そしてそのような時間を過ごすだけでリラックスした状態になるはずです。
意識して行動する、これはヨガポーズでは必須事項です。ポーズが作れたらいいと息を止めて力づくで行うと必ず体を痛めたり、いつかは故障で、できなくなります。動きは息を止めてはいけないのです。吐く・吐く息で動くのです。息が止まったらやり直す、体をつなげて動かすことをするのです。気がつかないといつまでも緊張の中に入り、動きを改善できません。
ここで宿題を一つ。仰向きから右の脇を床に着けて横になります。足は両膝を90度に折ってお腹に近づけて左手を顔の前において、起き上がります(あぐらになります)。さて息を止めないで起きることができますか。答えは、体を連動して動かすのです。無理をしたり、ストレスを感じると息を止めてしまいます。
宿題を後一つ。間違った起き方をしてから仰向きになってくつろいだ時と、正しい起きかたをしてから仰向きでくつろいだ時と違いはどうでしょう。そうです、正しい動きをしているだけでリラックスするのです。
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食べるとき息を止める
ヨガでは息を止めることをクムバクといいますが、あまり日常で使うことは少ないのです。
そもそも息を止める時はどんなときでしょうか。緊張したとき、我慢するときくらいでしょう。しかし大切な作業の時息を止めるのです。それは飲食をするときです。それは飲食物が気管に入らないようにするためです。ただこれらはヨガで言うクムバクとは言いません。ただ息を止めているだけです。
ところで赤ちゃんはおっぱいを飲むとき息を止めないで鼻から息を吸いながら飲んでいます。我が家の犬は息をつかずにがつがつと長時間食べているのは鼻で息をしているからでしょう。人がビールやジュースを飲む時はごくごくと飲みます。このごくごくは息を止めるからごくごくとなります。赤ちゃんは喉が未発達なので息をしながらおっぱいを飲めるし、犬は喉の構造が違うから口と鼻は別々に使用が可能なのです。
だから赤ちゃんは喉が未発達の間は赤ちゃん語しか話せないし、人以外の動物はチンパンジーのような高等動物でもいくら言葉の訓練をしても言葉を話すことはできないのです。それは喉の構造が違うのです。犬やネコが鳴くのは気管が普段は鼻腔に近づいているのですが、そのときだけいったん下がって口から息を出して、ワンとかニャーゴとか音を出しているのです。彼らは息を吐いている時だけ気管が下がるからまず喉つまりがしません。彼らの食べ物は気管の周り、横を通って食道に入ります。犬はよく喉を詰まらしますが、それは食道の入り口なので、窒息はしません。しかし人は息を止めるのを忘れて飲み込むと気管に入り窒息という事故が待っていますから大変です。
このように飲食の時に息を止めないと飲み込めないという、不便になった原因は人が足で立ったことにあるそうです。進化の過程で喉が下がって鼻腔と離れてしまい、のどの奥には食道と気管という、二つのパイプが現れてしまいました。それでは困るというので、飲み込むとき、気管の方を上に上げて息を止め、食道に送るようにしたのです。当然その作業は無意識の反射で起こるのようにしましたが、間違って気管に入る可能性だってあるのです。またまた食べている時にくしゃみなどしようなら鼻から食べ物が出てくる始末です。(新・人体の矛盾参照)
全くヨガの話しになりませんでした。ヨガは雑学ですからいつか発声法や、呼吸法につながるかもしれません。後日、期待してください。
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<http://www.hat.hi-ho.ne.jp/kboy/fig-throat.htmから抜粋>
コブラのポーズの再考
普段、デスクワークや立ち仕事をしている人、と考えるとほとんどの人に当てはまりますが、背中が硬く、肩こり腰痛にならなくても、腰が硬くなっているのに気がつきます。それも年齢にを重ねるに従って、そりポーズ、特にコブラのポーズがぎこちなく、いつの間にか敬遠してしまいます。
ここでお勧めなのが、赤ちゃんの這い這いはいかがでしょう。真似をするのでなく、ホントーに赤ちゃんになってハイハイするのです。頭のいい大人は単に手足を交互に動かすだけしかしませんが、これではだめです。7ヶ月くらいの赤ちゃん、立つ少し前なら動きがかなり速いはずです。
腹ばいになって、何か獲物(Iおもちゃなど)を見つけたらなら、ぐいっと頭を上げ、それを目指していちもくさんです。目を固定して、手、ひじ、足、膝を使ってかなりのスピードで動きます。このころの赤ちゃんは目が離せないくらいです。そういう這い這いをするのです。
そんな気持ちで、動きを作ると5歩で十分ですから、かなり首、肩、腰が緩むはずです。どうぞコブラのポーズを作ってみてください。
いつまでも若く保つために、頭は無理としても、体だけはやれば改善できます。なぜ頭はダメかというと、あまりにも癖習慣がしみ込んでいるからです。体は若いころ、赤ちゃんであったころのの記憶が残っています。這い這いなんて簡単です。それも狭い部屋でも5歩、いや3歩でも上手にすれば(イメージだけでもいいのかもしれません)うまくいきます。写真なし。
講習会風景
所属している国際総合ヨガ協会北海道連合会の研修風景です。普段、教室で写真を撮ることは皆無ですが、会の研修の際には専属の優秀なカメラマンがいます。
「体が硬い人のために」出版本と同名のタイトルで講習会をしました。稲穂のポーズを作る時、どうしたら楽に作れるか、力を抜くことが大事だけれど抜けないときはサポートしてあげると楽にできるよという写真です。背中に密着して後ろに倒れないようにする。胸が閉じないように、腕を広げるように保つ。頭が垂れないように手で支える。そして胴体の重さで沈めていく。また呼吸の運動で膨らむ、しぼむを実感する。そのようなプロセスを経て体が自然にくつろいでいくのです。そんなことを説明する一コマです。
追伸:専属のカメラマンといっても専業ではありません。会の広報部長を担当しています。彼とは長い付き合いです。1年くらいヨガでは先輩です。先日、彼から30年以上前の昔話を聞きましたが私はすっかり忘れていました。その昔話とはまだ私がレッスンに慣れないものですから、彼のクラスを見学に体育館へ行ったときの話しです。講師の彼は受講生が集まっているのにさっぱり現れません。受講生は時間なので整列して待っているのです。仕方なく新米の私が急遽、代行レッスンをすることになったのです。彼は1時間くらい遅れてきました。一言、忘れてた、です。まあ、そんな人柄のためか人気があるのです、私はそれから、ながーいおつきあいをさせていただいています。
体が硬い人のためのヨガ・・・本の出版
おかげをもちまして、本当におかげをもちまして「体の硬い人のためのヨガ」の本の出版にいたりました。本当にご縁を感じる1年弱でした。昨年晩秋に縁あり、たくさんの出版社様を紹介していただき、縁あり、企画書を作ってもらい、出版社様からお話をいただき、実らず、またいただきを繰り返し、現実になりつつも、信じられぬまま、作業に入り、雪解けからゴールデンウィークにかけて、新規執筆、だめ直し、校正を繰り返し、写真を700枚撮り、ポーズの線画を書き、支離滅裂の文章に自己嫌悪に落ち入り、締め切り間に合わずレッスンをさぼり、思い違いをしたり、言い訳をしたりエトセトラ。そしてたくさんの支援のもとで完成した本です。
出版されてからもばたばたは続きます。おめでとうと言って20冊、10冊と注文をいただくのです。ありがたくせっせと荷造りです。本が200冊届いたその日に100冊出てしまい、4ヵ日目に出版社に追加注文です。これとてあまりもちそうにありません。楽しみにされている水・木曜日の受講生の皆さんは2週間も手に入らない方も出てきました。本当に申し訳ありません。まだまだ申し訳ないことはサインです。はじめは練習してないからパスと断ってきましたがその内、大胆にもボールペンでサインし始めました。それもえらそうに格言付きで。だれかにサインペンぐらい用意したらとアドバイス。そうなんだ、サインはサインペンなんだよなと初めて気がつく始末。まだサインペンは買っていません。至らぬところばかりすみません。
浮かれてばかりいられない昨今です。学院での企画もがんばらなければ。そして協会のお仕事もたくさん秋に向かって目白押しです。
ところでイラストの写真はかわいいお姉さんに仕上がっていますが、実はポーズはすべて私の写真をイラスト化したそうです。どうりでだめポーズは真に迫っていると思いました。
さっぽろ大通公園
盆踊り
夏の恒例の盆踊りが始まりました。やぐらを立てて紅白の幕を張り、子供がその上に登って太鼓や鐘のお囃子と北海盆歌(♪ちゃんこちゃんこっちゃんこっちゃんちゃんこちゃん 手拍子揃えてちゃちゃんこちゃん♪ ♪はぁ~ 北海 名物ぅ~ は~どうしたどした♪ )のラジカセ音楽で大人も子供も輪になって踊ります。案の定、遠くから遠征組がいます。近辺の町内では日を変えて開催しているので、それらを回っていると結構楽しめます。中には公園でカラオケ大会をする町内もあります。写真では踊る人まばらですが、周辺の柵に座ってご近所さんがたくさんいて、情報交換です。へえ~、そう~、誰それはどこへ行った、あの子は東京へお嫁に行ったなどなどです。やぐらでは高額アルバイトを狙って人気があり、お囃子もうまいものです。このようにして夏の風物詩は終わりました。ちなみ、最後のラジオ体操はお疲れさんということで景品をもらえるのですが、残念ながらこの日の朝は寝坊をしてもらえませんでした。来年また頑張ろう。
認識すること
先日、受講生がバリアフリーの話しをしてくれました。介護のし過ぎ、至れり尽くせりは本当にお年寄りにいいことなのだろうか。ますます弱らせしまうのではないかという話しです。昔は台所は土間にあり、地面にかまどがありました。食事するところや、居間などの上がったり下りたりはお年寄りは大変だったのですが、それをなんとかこなしていたそうです。現在でも台所に立っているとその動線の量はすごいものです。バリアフリーは体の負担を少なくしますが楽することで体も心もマイナス方向に変わっていくような気がします。
同じような話し。ヨガのとき体の使い方は丹田が大切というのは常套文句になっています。一番丹田を使う職業は何かというと土方じゃないかと話しをしたら、今は土方とは言わないで土木作業員と言いますとのこと。でもこの二者は全然違うのです。土木作業員は機械を操り、機械の補助、周辺作業をする人たちです。肉体労働には違いないけど、土方ではないのです。大きな違いは自分の体と作業対象の間合いでしょう。力の入れ方、対象の状態の変化、扱い方などが伝わるのが土方作業だと思います。
同じような話し。前に説明しましたホムンクルスの人形で口がやたらに大きいのは一番敏感で生きるに大切な部位だからです。生まれた赤ちゃんはおかあさんの乳房をしゃぶります。この作業は何をしているのでしょうか。おっぱいを認識し、口の感覚を通して生きることを学びます。感覚が神経の中に刻まれ、記憶され、満足や将来の行動を作るようになります。お年寄りの退化の逆を歩んでいきます。
この三つの例で人の行動で一番大切なのは認識することが大切だと知りました。お年寄りが動けなくなると、故障を認識して動きを緩慢にして代償作用で若い時と違う動きを学びます。土方作業は体を痛めない体の使い方を学んでいくのです。赤ん坊は口使い、手を使い物を認識し自分の存在を学び、こどもはイタヅラを通して道徳を学ぶのだと思います。
これも先日教室にて。この暑い日が続く中。珍しくクーラーを入れました。その瞬間は幸せいっぱいです。でもすぐ慣れてしまいます。久しぶりに呼吸法スイッタリーを行いました。舌を丸めてその間から息を吸う呼吸法です。この呼吸法は乾きや飢えを防ぐ呼吸と効能を上げています。しかしこのときは違いました。肺に水をすするような感覚で息を入れると体感温度が下がってくるのです。クーラーのせいではありません。体の中から冷えを感じるのです。それも一人や二人じゃないのです。かなりの人が涼しくなったと感想を聞きました。たくさんある呼吸法は無意識に行っている息を意識し、しっかりと脳に認識する作業だったのです。脳はからだ丸ごと小宇宙の神の教えに従って処理してくれるでしょう。
認識することの大切さは広がります。懺悔だってそうです。ごめん、すみませんが懺悔の意味です。しかし本当に懺悔が理解できる時は認識した時です。そのとき訂正、修正が伴います。そして反省が伴って行くのが懺悔なのです。何回もすみませんが出てくるのは懺悔ではないのです。
ヨガが体操ではない理由はその行為を認識しているかどうかだと思います。しっかりとした感じや識別することで認識が深まって、心身の機能を高める一連の行がヨガだと思います。
ラジオ体操
今年の夏はできるだけラジオ体操に参加することにしています。町内の公園で6時30分からNHKラジオ第二放送の全国版に合わせて老若男女、子供たちが約50〜60名くらい集まって10分くらいの体操をします。子供より大人が多いのはご近所さんのおつきあいがいいからでしょうか。体操が終わると子供たちの列に混じって大人も出席したというハンコをもらうために並びます。はじめは恥ずかしかったけれど朝のご挨拶を役員の皆さんとする唯一の機会です。
私はそのラジオ体操をあまりまじめにしていません。動きが速いからです。ヨガではしっかりと体を感じながらするのに慣れているので腕や首を痛めそうです。また反動も普段しないのですがアナウンサーの声で「横曲げ、大きく反動をつけて」と聞こえてくるのですが、体を痛めそうです。しかしたくさんの人の中に入っているだけで皆さんの気をいただけるようで元気に今日1日が始まります。
我が住宅近辺に熊が出没
驚きました。電信柱にヒグマの糞が発見された、立ち入り禁止、という張り紙があちこちに、また区役所からチラシが配られてきました。我が家の先の山は羊ヶ丘展望台、自衛隊の演習地を経て支笏湖、洞爺湖に続く原生林に続いています。今まで熊が出るなんて聞いたことありません。私は好んで近くの山に入り、どこに出て、そしてどこへ続くのか興味本位で歩き回っていましたが、熊が出る山だと思いもしませんでした。
ずっと以前に支笏湖にある恵庭岳に登ったことがありました。ここでははっきりと動物園のケモノの匂いと同じで熊の気配を感じ、寒気を感じながら下山をし、こんな恐ろしい思いで山に登るのならやめたと、それ以来山登りをしていません。
家の近くでは山に近いせいか、狐や狸はよく見ます。彼らはゴミをあさりに住宅街をさまよいます。見方によればかわいいものです。近所のある人はカラスと一緒に餌付けさえしているようです。周りの人はかんかんに怒っています。熊も山中で食糧難で生活しづらくなったのでしょうか。そういえば、庭にあるグミも姫リンゴも実を付けていません。
高校生の頃に読んだ西丸震哉(食生態学者、探検家)の「山の博物誌」にヒグマとツキノワグマの違いを書いていました。ツキノワグマは人を敵として見て逃げるが、ヒグマはえさと見るそうです。今はそんなこと無くヒグマだって音で逃げるそうですがそのくらい習性が違うと恐ろしくなります。彼は熊と出会ったら死ぬまねは意味がない、逃げろと言います。上りも下りもめっぽう足は速いし、木登りも上手だといいます。弱点と言えばフトコロで、そこに飛び込めと、その後は知らんと書いてありました。
熊の事件は北海道ではたくさんあります。大正初期の頃留萌地方の苫前町の開拓村、三ヶ別で村人が7人殺され、妊婦含めて3人が食べられる事件があり、その熊をしとめたのが銀次郎という猟師であることを本で読んだことがあります。生前の義母はその銀次郎を知っていると三ヶ別事件の話しを懐かしく話してくれました。
というわけでしばらくは近隣の西岡公園のキャンプ場も熊騒動が落ち着くまで、閉鎖だそうです。