今日の朝の新聞です。一流のための条件は自分を客観視できるかどうかだとのことです。平静で落ち着いているときは自分はどのように見られているのか、服装は、言葉遣いは、顔はきちんと作っているか、ひげは剃ったか、また歩き方は、姿勢はと言う風に理性でもって客観視できるのですが、パニックになるとまくらを持って家を飛び出すことになりかねません。
私たちの日常はそれほどパニックになることなく、坦々と過ぎて行くのですが勝負師的なプロスポーツ選手は日常がパニック状況だと思います。
実は私たちもヨガのアサナを作るときに結構パニックになることがあります。痛い、苦しいという状況のときに自分のことしか考えていないことがあります。そんなときに幽体離脱ごとく、天井の片隅から自分を見てみると意外と楽になることがあります。つらいときは新聞の一流プレイヤーも同じように「我」の世界になるのですが、普段から別の自分が自分を見ている習慣を作ると変な癖が直るかもしれません。
そういえばこの発想は「インナーゲーム」(ガルウェイ)でセルフワン、セルフツーで自分を客観視する方法が書いてありました。つながっている体、集中力
投稿者「mizuno」のアーカイブ
映画を見た
お正月に映画ロビンフットを見ました。見ているうちに小さい頃読んだ「ロビンフット冒険」の本の場面がありありと浮かんできまます。映画のようにかっこ良くなく、代官との戦いに終始していたような気がします。名前もリトルジョンとか僧侶も本の中にたくさん登場していました。(映画では少なかった)本の中ではシャーウッドの森の中は奥深くてロビンフットとその仲間の世界だったという物語でした。
この映画は史実にも基づいて作られているようです。例えばマグナカルタという(むやみに人を拘束してはいけないなどという国民の権利を定めた)現英国憲法の一部がこの場面で提案されています。この提案に怒った王様がロビンフットを放逐、罪人、無法者アウトローにしたという最後のナレーションでした。
ここで連想ゲームになります。ローマ人物語(塩野七生著)も二回目となると少々飽きてきますが、今はカエサルのガリア戦記3年目で映画のシャーウッドの森と同じようにガリア(フランス辺り)は深い森の中でガリア人、ゲルマン人と戦う場面です。そしてガリア人の裏切りに対して皆殺しと従順であれば寛容友人扱いという二面作戦でライン川の西側のヨーロッパを支配します。ついでにイングランドにも上陸しますが視察程度です。しかしガレー船100隻,10000人という大軍です。ガレー船というのは地中海世界の定番の櫂の付いている船で相手のガリアの船は原始的な帆船です。カエサルの圧倒的勝利です。この年(BC55年8月26日)が大英帝国建国の日になっているのは面白いことです。この時代は日本は漢之倭之那之国王の印字をもらった年から100年前、三国志の時代から300年くらい前です。
今読んでいるところは戦いの場面が多いのですがカエサル5万、ガリア集団10万人が戦い、この10万以上が全滅するのですからスケールは大きくて、異民族同士の戦いなので戦闘員が全滅するとその民族(住民女子供)は抹殺に近い状況になります。日本史の大きな戦いは関ヶ原の戦いで徳川と豊臣の戦いで両者それぞれ8万くらいですが死者はあまり多くないと思います。これは武将同士ですから負ければ退却、切腹でおしまいです。日本では仲間意識があるので戦闘が終われば後は話し合いです。しかし古代ローマは野蛮人相手ですから人間と見ていなかったのでしょう。極刑でもって見せしめもありました。世界中の戦闘とは西欧だけでなく東洋、中国もそのような歴史を持っています。日本も太平洋戦争では同様な互いが住民を含めた悲しい戦争があったことを思い出します。
12世紀のロビンフットは鎌倉時代とほぼ同時期です。ヨーロッパではイスラム教に対して聖戦を行う十字軍の時代です。映画ロビンフットの中でも十字軍がありましたが、武士、騎士階級の登場は世界史的に同じなのでしょうか。
ローマの歴史を見ても十字軍のイスラムとの戦いを見ても、またまた近代、現代を見ても殺戮の歴史があるのです。なんと人は残酷な存在なのでしょうか。それに比べて日本人は先にも述べた戦争を体験しましたが、総じて平和を愛する国民と言えましょう。幕末に坂本龍馬の提案である大政奉還が無かったら明治維新ならぬ、日本の地は殺戮の焦土、列強の帝国支配になっていたかもしれません。
ローマ人物語の著者塩野七生は去年から十字軍物語を書き始めました。読みたいけれど、本屋さんでちらちら立ち読みしている程度ですが難しそうです。
しかしイスラムは地上最大の宗教ですからこれからは勉強する必要はあるでしょう。
大晦日
今年もあと、数時間です。紅白、K1とチャンネルをまわしましたが、面白くないのでパソコンに向かいます。年末の各クラスのファイナルレッスンは行持集を読みました。この行持集のフルネームは生活行持集といって、道場生活では朝起きてから寝るまでを意識的に自己向上のために読む資料集のことです。
自己の改善のためには生活が大切ということが「自己解放の誓い」にありますのでこれを転写します。
本題です。ファイナルレッスンなので皆さん、今年一年お世話になりました、良いお年をお迎えください、来年もよろしくお願いします。とご挨拶するのですが、それと同様に「眠りの誓い」を読んで一日の反省ならぬ、一年の反省として声を出して読むのです。「自分の努力の足らざらしことをお詫びします、また明日の新しい誓いをたてています・・」という内容です。
また、「目覚めの誓い」では一年の計は元旦にありというわけで、「目覚めたということは生きるに十分な体力の与えられていることに気がつきました、私は全力で生きることを誓います・・」となるわけです。
それでは皆様、良いお年をお迎えしましょう。
まっすぐが大好き
体が歪んでいるような気がするとか体のバランスが悪いという話を良く聞きます。
ヒトは脳化(養老猛司さん)といって自然を排して人工のものを作り出すのを好むそうです。都市には自然である牛や馬や蛾やミミズがいないのもそうです。その人工のものとは道路であったり建物であったり運河もそうです。またまたまっすぐのキュウリ、丸いトマト、スイカ リンゴなどなどは人の理想を商品にしてしまいました。自然界でたまたままっすぐのキュウリができるのは偶然に海岸がまっすぐなのと同じように偶然の代物のはずです。
このまっすぐ、を体にも当てはめて自分で体が曲がっていると一生懸命ストレッチや体操、整体治療、カイロプラクティック等に精を出しています。しかし真の治療家は見えないところの歪みを取って心身を癒す方法を取るのですが凡人の我々は体のバランスが悪い、栄養のバランスが悪いと大騒ぎをします。
体は元々歪んでいるものです。内蔵は左右対称ではないし、また、右利き、左利きとそれぞれが生まれつき持っている癖もあれば、知らぬうちに身についた癖もあります。姿勢の癖や話し方の癖、考え方の癖などそのヒト特有で独特、個性であります。沖先生はその癖を業と言いました。悪い意味での業ではありません。自業自得も悪い意味ではないのです。ヨガでは自業自得の教えといって自分が持っているものに対して当然のように獲得する、失うことをいいます。
それなら良い意味の業を得るためには不得意なことを獲得するために学ぶことが大切、日々の習慣を変えることが大切と教えています。嫌なことを喜んですること、弱いところを強化すること、まっすぐであるべきところをまっすぐにすることをいいます。沖先生はそういう修正法を教えていました。なにもまっすぐにすることばかりではないのです。体が曲がって正常な人もいます。玄米の食事がいいとは限りません。道場時代に白米、甘いもの、肉魚を食べさせている光景を見たことがあります。ヨガとは生活のバランスだと改めて知りました。
カラカタ(体が硬い人のためのヨガ本)4刷決定
先ほどPHP出版から通知が来ました。年末になってうっとおしい話が多いなかで急に頭の中は華やかになりました。
体も気持ちいいとチャレンジ精神がわいてくるように、気持ちも明るい話題の中では面白い発想が出てくるものです。
kagerouみたいに43万部じゃないけど、実用書としてじっくりと浸透して行けばいいなぁと思います。
アマゾンでは本の中身を見せてくれるサービスがあるのですが、まだ採用されていません。それではちょっとだけということで作業にとりかかります。
ここをクリック
はなしは全然別だけど、高校生の娘が持っていた「ノルウェイの森」村上春樹が映画化されると聞いて読んだがその小説はやたらにひらがなが多いことに気がつきました。それで最近の文章はできるだけひらがなで書くことにしています。これもどうでもいいけれど、この本、高校生の娘が読むことに親として抵抗があります。大人になればみんな知っていることばかりだけれどそれでも抵抗があります。
スカイプ会議
スカイプとはご存知でしょうか。インターネットでつながるテレビ電話です。先日これで東京と札幌で会議を行いました。はじめはもたつきましたが、十分出来ます。こちらは札幌は3名、東京は7名くらいで4時間行いました。こちらはらく~です。朝早く起きなくても、夜遅く帰宅しなくてもいいのです。会議とは要領よく2~3時間で決め事をはっきりして、討論をし、どこかに収束することが大事です。だらだらと何回もしなければならないのは焦点が合っていないからです。
大阪から来た人は今度はスカイプにしようと言ってました。今回ははっきり会議ということで外に出てる雰囲気で服装や顔を作って始めましたが、だんだん慣れてくると、自宅でくつろいでやってしまい、家の中を相手に全部見られてしまい、もっと大変なのはスカイプをしていることなど知らない家人が風呂上りのあられもない姿を映し出すこともあるのです。用心用心です。
忘年会の集合写真
毎年、自信を持ってカメラ担当になります。その理由は7年くらい前のコニカミノルタα-7 DIGITALを持っているだけです。これがはじめから調子が悪い。ホテルの照明は特殊な光源だからでしょうか。全部茶色になります。それを元富士フィルム社員の方に調整してもらい、なんとか焼き増しして参加者に配っていました。
このカメラはスイッチがやたらに多いので取り扱い説明書を片手にスイッチをいじるのですがわかりませーんでギブアップ。まあ、いいかのたぐいで重いカメラを今年も持参しました。今年も案の定、全く写っていない。暗い。茶色の色が濃くなったような気がします。
困った困ったと独り言言っていると、同じテーブルの方がなんと新聞社勤務だったのです。調整してくれましたがやはり良くなりません。私のカメラで撮りましょうとプロ仕様のカメラ(ニコンD300だった)で集合写真取ってくれました。今年はいい写真をできましたよ。ありがとうございました。
ちなみにスナップ写真はRICHO GRで撮りました。このカメラもいいカメラです。
h22年忘年会
顔は心を表す
自分の顔に責任を持たねばならぬとは誰かが言っていました。気持ちや心が生まれつきでなく、たくさんの経験で付いてきたものなら、確かにその通りです。この顔を恥ずかしくもなく、人前にさらすために少しでも良くしておきたいものです。かといって、そんなに大それた経験もなしに、良くするのなら、せっせと顔の体操をするしかないと思って教室で、洗面所で、誰もいないところで大口をあけて、曲げて体操をしています。これを顔ヨガと言うそうです。
どこかにそんな資料がたくさんあるのですが、見つけられずにいたところ、新聞に記事が出ていました。
舌の位置を記事の中のように上の歯の付け根に置くと説明しているところを拝見すると、作者は道元禅師の普勧座禅儀を参考になさったかもしれません。
とりあえず、ここに舌をおくと口の中や首周りがすっきりすること間違いありません。そして顔の体操を毎日、しっかりと行うことで、自分の顔に責任が持てるようになるでしょう。
夢を持つ
年始の欠礼ハガキが来たました。お世話になった会計事務所の先生が6月に亡くなっていたのです。驚きました。息子さんに事務所を形だけ預けて、10名位の所員を前に朝礼をし、あれこれと現役と同じく活躍していると思っていました。私には20数年間、経営ののイロハを教えてくれました。夜事務所に呼んでお酒やお寿司を振舞ってくれました。先生ははっきり言ってケチです。経営はけちでなければいけないと口酸っぱく言われました。家を買う時もなんでそんなむだなものにお金を使うのだと忠告されました。商売しているのなら投資しろとも。先生がお役人から税務事務所を開いた時は本当に苦しかったそうです。金は使うな。はじめの頃こんな話ばかりでした。
いつもは立派な会計事務所の事務室や応接室で打ち合わせをするのですが、今日、お参りに始めて先生の自宅に入りました。有言実行!本当に小さな部屋でした。
無駄なものは一切買わないという先生が晩年、大きな買い物をされました。札幌市内の一等地にある山を買ったのです。テレビ塔から西の方にいただきが見える山だというのです。周りは無駄なものとして大反対したそうです。しかし私にも俺の山で合宿できないか、瞑想にいいぞ、使ってくれとしきり言われていました。
功を成しても贅沢は一切されなかったけれど、夢だけは持ち続けておられたのだと、晩年になってのこの夢が生きる力なのだと思いました。