今回の合宿は震災の影響を大きく受け、開催を危ぶまれましたが、規模こそ例年ではありませんが、100名を超える方々の参加いただき、内容の充実した研修を行いました。
台湾からも新理事長 張延梃先生、元理事長 楊増江先生他3名が参加をされました。
今回東京近辺で行うことでもあり、はじめて沖ヨガに接する参加者もありましたので沖ヨガ道場を意識したカリキュラムがいくつかありました。
三好先生の強化法では道場の一日の流れの中でこの行法の意味、精神性などの説明として生命力を高める具体的行法であるとして実習で汗を流しました。インドヨガと根本的に異なる総合ヨガとしての特色はこの強化法が代表的なものでした。
大阪枚方市で「かたの健康会館」を主宰されている珠数先生は今協会の役員をしている団塊の世代の一回り上の先輩です。日本で行われた’79国際総合ヨガ世界大会(1ヶ月間50カ国15,000人参加)の実行委員長でもありました。今回はメイン講師の一人として、修正体操の基礎から学びました。先生の最近出された「心も体も楽になる」の著作を例に出しながら、心の癖、体の癖を意識的に修正することの大切さを説かれました。
張延梃先生のアサナは独自にアサナの訓練をされ、アクロバティックなポーズが続きましたが、それは10年を超える毎朝2時間のアサナ訓練の賜物です。そのアサナからは瞑想的な雰囲気があり、単なる体操ではないことがはっきり見受けられます。私たち受講生には張式太陽礼拝体操を行いました。日本人で先生のところで定期的に修行をされている武藤さんという女性がデモンストレーションなどしてくれました。あとで彼女と話すと先生のアサナはひとつひとつがとても長いとのことでした。これも心を大切にしている訓練法と理解しました。(カメラ故障のため写真なし)
さて今、物にあふれている家の中で片付けをテーマにした「断捨離」がベストセラーになっています。その著者のやましたひでこさんの二日にわたり4時間の講演です。やましたさんは元沖ヨガ修道場の外部教室ヨガアシスタントでした。結婚してヨガをやめ主婦をしているときに沖先生のヨガの喜びの中にある「断捨離」が−こころと同じように家の片付けができるといいね−と言ったとたんにひらめいて、物の断捨離をテーマに講習会を始めたそうです。やましたさんの講義は沖先生の心の講義同じでした。今を大切にする、いつか役立つかもしれない物は雑念でいらない物です。退出してもらいましょう。そして人の心配をするよりも今の自分が輝いていますかを説明されました。物に例えれば高かった物や人にもらったもの、全く見向きしないもの、これも退出してもらいましょう。そして沖ヨガ特有の「治さない治しかた、教えない教えかた」と同じように「片付けない片付けかた」は心がそのようになると努力しなくても片付いてしまうのですと説かれました。
龍村先生の断捨離行法の講演は沖先生の修行時代の話しやこの断捨離の言葉をはじめて知ったのは「ヨガ行法哲学」の中で心身が麻痺しないように慣れてしまっていることを断つのだという箇所であったと断食断心を例に出して説明されました。また今やミリオンセラーの続いている「ヨガの喜び」は沖先生の原稿を龍村先生が2日間のホテル缶詰で出来上がった本であることを話されました。やました先生とのアシスタント時代の思い出や沖先生の言動が一見非合理に見えることが深い愛であり、理解できない人は不満を抱き、あとになって気がつかせる能力は沖先生のとらわれていない断心の無執着の実践なのだと述べられました。
投稿者「mizuno」のアーカイブ
今年もさくらが咲きました
北海道のロマン
知人から「骨鬼(くい)の末裔」という本を借りて読んだ。面白くて再度読み返す予定であったところ、教室で山好きのKさんにその話しをしたところ、読みたいと熱望された。その場には所有者の知人も同席し、そんなに面白かったら「あげましょう」と言われ、Kさんに渡したのだが、それからヨガの授業は著者の「新谷暁生」の雑談で時間を大幅に遅れてしまった。著者と懇意にしているという又別の人Iさんがいて著者の豪快さとカヤック、ニセコ、知床談義が始まり、話がつきそうもない。
そして本の内容に及ぶと又別のSさんがすごい、すごいと言って授業に戻れなくなってしまった。何がすごいというと13世紀末に中国のチンギスハンの流れを汲む元朝(げんちょう)の元冦(げんこう)が九州を襲ってこれが原因で鎌倉幕府が衰退するが同時にその頃、北のオホーツク千島を拠点とする民族が中国大陸のアムール川付近を侵略し元(げん)の人々に骨鬼(くい)と呼ばれて恐れられていたという話しが気に入ったというのだ。日本は元にやられっぱなしではなかったのだと大喜びしていた。
この本はニセコの雪崩事故防止方法の画期的なニセコ協定から知床の国による環境保護がかえって環境破壊につながっていくという自然観そして山で事故を起こしてはならない、北方民族の盛衰、アリュウシャンの民族、松前藩のアイヌを酷使した愚政策、差別はまた同時に日本人から差別されしまうシャモ(鶏ではない)の話し、アイヌとカイいう民族、北海道の開拓に大きな足跡を作った松浦武四郎・・・このように多岐にわたる内容は「新谷暁生」の人物の魅力そのものである。
数年前に網走に行ったときに1,000年以上前のモヨロ遺跡があるということでタクシーに乗って行った。土を盛った竪穴住居みたいであった。そのときオホーツクのたくましい民族のことが印象的であった。(2006年10月31日モヨロ遺跡 当ブログ参照)そのことも思い出した。
幕末のころ青森にあった松前藩のアイヌ差別、搾取や移住禁止などで統治能力がないことから幕府が蝦夷地を開拓に乗り出した。そのころから日本各地から本州から移住が盛んになり今の町や街が生まれてきたがそのためには蝦夷地を探査する必要があった。松浦武四郎は三重の松阪出身者で探検家、冒険家であった。はじめは個人的好奇心で松前藩の妨害を受けながら蝦夷地旅行であったが幕府から調査を命じられ、アイヌの人たちの協力を得ながら探検に成功した。彼はアイヌ民族の文化を保存して現在の北海道の地名などを命名している。
たとえば札幌はアイヌ語の「サッポロベツ」(乾いた大きな川)であったり知床は「シリエトゥク」(ちのはて)など、ほかにもそのままにアイヌの言葉を漢字に当てたりカタカナにしたりしている。そしてまた北海道に現在12支庁に行政区が分かれているがこれも松浦が民族や地勢の違いを調べ上げた区別した結果をそのまま使っているそうだ。
そういったことから松浦武四郎は北海道の開拓者であり名付け親でもある。彼の銅像は北海道内に50カ所以上に及ぶ。又名もない小さな町にも彼の銅像は建っているということだ。松浦は初め北海道を北加伊道と呼んでいた。それはこの大きな大地に数種類の民族がいることがわかり、オホーツクなど北の方はカイと呼ばれる人々がいた。著者の新谷はカイとクイ(骨鬼)には関連づける文献はないとしているが、言葉の音からから想像してしまう。明治政府は北加伊道を東海道などと関連づけて海という字に変えて今の「北海道」にしたそうである。
松浦武四郎、わたしも北海道で生かさせていただいて40年近くたつが何回もいろいろな所で銅像を見てきたが、そんな偉大な方とはつゆ知らず大変失礼なことをしてしまった。彼は明治政府になって開拓史となって送り込まれた役人と意見が合わず、元の三重、松阪に戻り、故郷の大台ケ原の探査探検にエネルギーを注いだという。
そういえば若い頃、台高山脈縦走(大台ケ原—高見山)をしたことがあるがそれは大変なきつい山行であった。台高山脈は三重県と奈良県を分ける標高1600メートル前後の山であるが上ったり下りたりの往復40キロを一日で走破したことを覚えている。当時はベースを途中においてほとんど空身で走るがごとく、ただ登ったという行動であった。ばてるものが続出し雨が降ってくる、動けない者どうするか、野営の準備もない。新谷暁生は山で絶対遭難してはいけないというがほとんど遭難しそうであった。私はというと偶然ポケットにカンロ飴(今でもある、あのまるっこいの)を食べていたからばてなかったのだろうと懐かしい思い出である。
遠い昔は征夷大将軍という官職で東国を支配する武将(坂上、源、徳川)がいた。榎本武揚が率いる「蝦夷共和国」の夢もあった。蝦夷地から北海道へ。今北海道は都会と自然が調和をとっているすばらしい土地である。これからも震災も含めて大きなうねりがあるかもしれないが日本国が北を頭にして、東京大阪を手足として発展する日がくるかもしれない。
震災現地の方々の気持ちを想像するだけでつながる
震災のお見舞い申し上げます。
お見舞い申しあげます
前屈のときは下を向くな!!
クラス授業のとき、足を伸ばして前屈を作るときも、胡坐前屈も合蹠前屈もいつも前を向いてと言うのですが、どうも日本語が通じないみたいです。どうしてほとんどの人が前屈のときに、下を向くのでしょうか。下を向くボディランゲージとは恭順、反省、内省とかいう心理状態ではないかと思います。すなわちおとなしくしている姿、内を見ている姿です。なぜでしょうか。たぶん痛いから下を向いて耐えているのかと思います。癖習慣ですから前屈のときに頭を上げるようにすると足回りは痛いかもしれませんが確実に背中は緩みます。
下を向いていると頭の重さで背中が緊張し、足回りも緊張状態で全屈しても痛くありません。しかし頭を上げると背中が緩み、足が緩み、伸びやすくなり、痛みも増してきます。この痛みがない限り、背中は硬くなり続けます。勇気を奮って背中を緩めると足回りは新しい世界が待ち構えています。ぜひ頭を起こして胸を出して、背中を緩め前屈系のポーズを作ってください。
心も静め自信も向上するヨガ
心も静め自信も向上するヨガのタイトルは朝日新聞に出ていた記事です。気に入った点は心について具体的に書いてあったこと、そして私の本が紹介してあったことです。
この記事を抜粋すると「」心理テストをした結果ヨガを実践した人のほうが平静さ、高揚感、自信などの指標があがった。その上ストレス状況にあっても、満足感や自己肯定感が高かったという。」の部分は非常に大切です。確かにそれが目的ではないけれど、肩こり腰痛、疲労回復が目的でヨガをしているのだけれど、本来とてもコントロールできない心の状況が変わっていくことはすばらしいことです。
きついポーズを作らなくても時間をかけて筋肉を緩めると脳の興奮神経が収まって上記の結果が得られると思います。
記事の中に「15秒以上続ける」というのは少しいただけない表現だと思います。15秒間歯を食いしばってもいいのかというのとそうではなく、何もしない時間が15秒だということです。何もしていなく筋肉が緩んだ実感があれば5秒でも10秒でもいいわけです。この緩むということは体が自然な状態になることで、自然になると、心も体も自然になり、落ち着き、自信、満足など生きる上で当たり前のことが現れるだけです。
話は似たようなことですが、よく対症療法といって意味のない手当てや姑息的手法ととられがちですが、病になったときの治療法はほとんどこれでこの方法こそが最高の治療法だと思っています。というのは痛みを消す、苦しみを消す、かゆみを消すなどの苦痛を消すことでその人の自然治癒力が最高に発揮されるのです。風邪薬でも症状を取ることで自然治癒力が生まれて快方に向かうのです。入院して安静にするのもそうだと思います。
力を入れて痛みを体に与えていくことで体は緩みませんし、心に対する働きも大きくはないと思います。しかし、前向きにあえて喜んで痛いことをするときはまったく違う働きをします。これが適応力というのでしょうか。いやいや苦しいことをしているのと、喜んで苦しいことをしているのとリラックス度も違えば心の強さも異なってきます。そのように考えるとヨガには両者に活かす力があることを教えてくれると思います。初級者には無理なことをしなくてもいいし、上級者には積極的に喜んで無理なことをする修業的要素があるのです。
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雪祭り
教室を抜け出して雪祭り会場に行きました。きゅうに寒くなってきたみたい。今日は初日なのでたくさんの人が来ています。でも寒いです。遠くからこの雪祭りを見に来ている人、ご苦労様です。少しは感動しないといけないみたいです。きれいに写っているのは新聞をコピーしました。色が変なのはわたしが撮りました。
寒いと体がぎゅっと締まります。特に屈筋側が硬くなります。胸もひじ裏も妙に硬いのです。口も開きづらくなります。お菓子やラーメンそのほかたくさんの売店が出ていました。湯気が出ていて食欲をそそります。しかし寒いところでどんぶりを持つ手は冷たいだろうと思いとどまりました。
たくさんの滑り止めの砂をまいているのですが、あちこちで滑って転んでいます。この転び方も上手に転ばないと病院行きです。転ぶときは一人で転んでほしいと思います。まったく知らない近くにいる人の肩をとっさにもって一緒に連鎖的に数人転ぶときもあります。
毎年ヨガの生徒さんも転んで手首を折ったり、頭をぶつけたり、中には尾骨を折る人もいるのです。転び方の練習をヨガの時間にすることもあります。それは柔道などの受身です。
毎年、大きな雪像を作ってくれるのは自衛隊隊員です。寒い中を感謝です。このお祭りで寒い札幌が少しは暖かくなります。でもやっぱり寒いです。
2丁ほど回って、何食わぬ顔でレッスン中の教室に戻ってきました。暖かい部屋は極楽です。
研究会のテーマ
今月の当学院のスタッフによる研究会は「イメージを使う」をテーマに行いました。IさんとSさんがコメンテーターです。今年から使用テキストは「体が硬い人の・・」を使います。私が強制したわけでありませんが、じっくり勉強したいとのことです。サブテキストとして今回は「原初生命体としての人間」(野口三千三)を使いました。「原初・・」の中のイメージによるからだの秩序変革を実際に行うと朗読とともに立つ姿勢の体がどんどん床に沈みこみ、それに反して肛門や背骨が上のほうへ伸びて行きます。「丹田子宮から新しい腕が生まれる」や「丹田子宮から新しい尻が生まれる」などは本当に今まで知らない腕や尻がそこにあるのです。体のおもさや足のおもさが地球に引き込まれる実感をたっぷり味わった時間でした。
そういえば、前の日にTVで面白い実験をやっていました。紙コップをひっくり返してその上にテニスボール、同じようにスーパーボール、野球のボール、砲丸の鉄球をおいてそれぞれ木槌で上から叩くと、どのコップが潰れないでしょうかという内容です。答えは砲丸の鉄球です。作用反作用の考え方だそうです。重いボールをスピードのついた軽い木槌であっても叩くと木槌は跳ね返されると言う説明でした。運動量の問題でもあるなぁと思いました。mv=MVなのだから鉄球はほとんど動かない。
私たちの体も姿勢をよくして反作用として自分の体の重さを感じてみるとその重さを実感できるものなのです。そして腕や尻が垂れたり挙がったりした存在として気がつくのです。
私たちの動きはすべて地球からの反作用で存在しています。この重さをうまく利用できることが疲れない動き方といえましょう。ちなみに北海道は雪がよく降ります。除雪などは冬の日常の風景ですが、これとて足ごしらえをしないとスコップを扱えません。あるとき、無精者のわたしは家履きのスリッパで玄関先の雪を軽いスコップで雪をどけようとするのですが足が滑ってまったく不可能でした。
イメージは単に思い浮かべるだけではありません。思いはエネルギーですから体を動かしたり、自分の将来さえ作り出します。普段はほとんどが意識の中で生活をしていますが、その意識を作っているのは無意識です。習慣癖の内容などが無意識となり、意識をコントロールしています。よって今回はイメージを使ってさまざまな動きを試してみました。ハヌマーンのポーズ、スキのポーズ、らくだのポーズをうまくいくこともあれば相変わらず出来ないものもあります。できないのは意識が圧倒的に表面出てくるのです。痛い、出来ない苦しいなどです。
この説明を聞いてガルウェの「インナーゲーム」を思い出しました。無意識のセルフ2を信じなさい、セルフ2こそが本当のあなたです、と説明しています。イメージを上手に使うためにはイメージと体の関係が連動するように練習しなければなりません。
両手を合わして「短い方の指が長くなれー」という説明は単なる実験でなく、繰り返し行って練習するものだと思います。
また、イメージは言葉です。おいしかった、気持ちよかったは誰でも共通の感想です。しかしそれを第三者に正確に伝えるためには言葉足らずです。自分が体験した感覚のイメージを膨らませ他人にわかるように説明しなければなりません。TVのレポーターがおいしかっただけでは即不的確になるでしょう。料理まんがの「おいしんぼ」のように言葉をひねり出す能力がますます料理の技やヨガでは動きの「妙」を磨いていくと思います。