すばらしい私たち

私の机の上に「自己即神」の額がかかっています。
それは沖正弘導師の直筆のものです。この額には他にも「生命即神」そして大きく「聖」とあります。これだけではなかなか理解できません。沖先生の考えがこの中に詰まっています。
沖先生の考えは以下のようでした。このことは道場で使っていた生活行持集にもあります。
自分自身を清らかにせよ。命、特に命の働きは神のごとき尊いものだ。命の声を聞け。
せっかくいただいた命、その能力を粗末にするな。限りなく開発・強化せよ。
正しい生き方の工夫と実行をせよ。悪い癖をのぞけ。心を磨き、ととのえよ。
感謝すること、懺悔すること、下座すること、奉仕することだ。生きることに協力する愛の心をはぐくめ。このことは一番、「命」がのぞんでいる。これらは今でもきびいしい考えです。

最近思うことはこれも沖先生の言葉ですが「自己即神」についてです。普通ではとてもそんな自分が神だなんてというとばか、あほ、気が狂ったということになるでしょう。沖先生は、そのように自分は尊い存在なんだと自覚し、切磋琢磨しなさいと言っています。限りなく素晴らしい能力や知恵が誰にでも存在しているのだと言われているのです。
学院で教材にしている天風先生座談の本に中村天風師の「観念要素の更改」という言葉があります。これは潜在意識を変えることを言います。自分で勝手思っている「自分の思い」を根本から変えていくことを言います。
大病であった天風師はをインドでヨガ修行をして悟りを得て、人生や運命、健康を成功に導く天風哲学へと導いた方です。基本は暗示法ですがそれは徹底したものから生まれてきます。
天風師の教えは体や運命を強化するには心を強くしなければならない。その心の積極性が絶対的な条件になり、それはいついかなる時でも「尊く、正しく、強く、清く生きること」である。これを毎晩寝る前に徹底的に暗示をかける、起きたら今度は自分自身の眼を鏡で見て、また暗示をかける。

以上の偉大なお二人がほとんど同じようなことを言われていることがわかります。
私はこの心のあり方、心と言うと大げさになりますので「思い」という言葉を使いますが、思いが自分を作っていることにまちがいあありません。この思いはイメージという言葉でも置き換えられます。
この自らの思いは自分を取り巻く社会に対する思いで、自分が社会をどのように思っているのかで自分の言動が変わります。
社会に愛を感じているのか憎悪を感じているのかで本人の行動は変わってくるでしょう。数多くの偉人が社会に対する大きな貢献をしています。彼らも私たちも自分の思い通りの行動をして、自分自身を作っていくのです。
他人に対する思いも同じです。友人、家族、上司、部下、それぞれの思いで言動を変えています。信頼されるか否かは自分の他人への思いです。
そして自分への思いはどうでしょうか。自分を可能性のある存在としたときの行動は学び、自分を大切にし自信を持って困難へと向かいます。それこそ「いついかなる時でも尊く、正しく、強く、清く生きること」が「自己即神」「偉人」に変える可能性を持っているのです。
自分自身を変えるために社会に対する、対人に対する、自己に対する「思い」を変える必要があります。
劇的な変化はないかもしれませんが、長い時間をかけて必ず変わっていきます。
すばらしい遺伝子を持った私たち。学習することが本能である私たち。わずかな違いを識別することができる私たち。そのように私たちは太古から進化してきました。ピラミッドを造り、万里の長城をつくってきた先人たち。
現代の私たちもたくさんの可能性を秘めているのです。それを沖先生はあるときは’怠け者’と活を入れ「自己即神」を気づかせてくれました。

骨ヨガ 本の紹介

「骨ヨガ」本の紹介をします。この本はDVD付きで知人の奥様が著者です。
本の帯には下記のように紹介文がありましたが、芸能界に疎い私は「南果歩さん」が著者だと思っていました。同じ疎い人のために補足すると南・・さんは著名なオシドリ俳優さんです。
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 この帯にあるように今のヨガブームはロスで生まれたようです。当学院の古いhpにもシリコンバレーを話題にした項目があります。またそして数年前ロス在住の方を頼りに旅行したことがあり、一度だけヨガを受講しました。残念ながらファッショナブルなヨガではありませんでしたが、それはそれで多様性の一つでした。
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 そして今回のこの本は今の時代が作った傾向なのでしょう。わたしは私の方法しかできませんが、いろいろなヨガがますます多くなると思います。私たちの心も体もその時折に最適な状況を選択することで可能性を広げてきました。
 変化していくこと、好奇心を持ち続けることは生命力です。ヨガの世界も龍村仁監督の「多様なものが多様なままに生きる、これが命の本質である」という自然界の姿と同じように多くの人が多くのヨガで広く深く拡散していくと思います。
 初めは原始宗教としてヨガが、今は複雑な社会の息抜き、ストレス解消、不定愁訴解消そして楽しみ、喜びとしてなくてはならないものになっています。
 しんきくさいヨガの講釈を忘れて、流行の最先端のLA Studio風、ミュージックでHONEYOGA Let’s go!
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祈る力 腰痛は心の悲鳴かも

新聞記事のタイトルです。この記事を読んで姿勢だけが腰痛の原因ではないみたいです。便利になってある程度裕福になって何も心配がないように見える現代人の心の奥底には大きな不安、悲観、怒りが渦巻いているのです。目に見えないエネルギーが見えない感情となり、見えない痛みとなり、動けない体になってしまうのは、見えることばかりを追求してきた私たちに対する警告のような気がします。
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先日、読みなおしている「祈る力」(角川新書)の引用としてクラスで話したことは「祈り」は思いであり、「思い」が現実の世界に何かのはたらきがあることです。それは何気なく体操として行っている太陽礼拝スーリヤナマスカーラや月の礼拝チャンドラナマスカーラは大自然の偉大な力に対して祈ることであり、その思いが自己中心ののぼせ上がる気持ちを冷静におだやかに謙虚にしますと伝えました。
最近、耳に良くするのことですが、カトリック教会の総本山のバチカンでは教皇が交代して、フランシスコが即位しました。中世の聖フランチェスコ(無所有、清貧の実践を行った)をならったと聞いています。私はクリスチャンではありませんが12世紀の聖人の一人になった修道士、聖フランチェスコの「平和祈り」を好んで教室で時おり読んでいます。この句は沖ヨガ行持集の中にあり「祈り」をテーマにするときなど仏教の「四弘誓願文」と共に教室で声を上げて読んでいます。片方が絶対的な神に対する祈りでありもう片方は仏陀に対するよりも自分に対する誓いと言えましょう。これらはいくら祈っても誓っても世の中は大きな変化はないかもしれませんが、祈っている自分の心に変化が生じ、そしてその心の変化は自らの行いとなって変化が生まれてくることは間違いありません。
日本人にとってもう一度、手を合わす習慣を身につけ、心を整えるることが必要だと思います。それは呼吸が整い、そして体が整うのです。私の教室に「統一心、調和息、統一身」の掛け軸があるのはそういった意味を込められています。
リンク先:資料
参考NHKクローズアップ現代

団塊の同窓会

先日、たくさんの用事をかねて高校の同窓会に参加しました。私の卒業した高校は京都・大徳寺、今宮神社に接しています。団塊の世代ですから55人13クラス、約700人の同期生でした。卒業してから44年になります。この写真の参加者は130人くらいです。よくも集まりました。高校3年間で2回のクラス替えがあっても、気軽に当時の思いを伝えられるのは10人くらいです。全く知らない人もいます。ほとんど覚えていない人に、あのときこうだった、こんなことした、こんなことも言ったよと言われても覚えているわけありません。ところであなた誰?と一生懸命記憶を辿りますがわかったふりしておきました。非日常な時間が過ぎていき、だれ彼となく話し込み1次会2次会はあっという間に終わりました。次回は4年後だそうです。そのときまで生き残れるかサバイバルの4年間です。Dannkaipawa

駅前十街区

札幌駅と大通りを結ぶ地下道を「チカホ」といいます。東日本大震災のあった翌日に開通しました。札幌市の中心街、ススキノ、大通り、札幌駅が地下道で結ばれたことになります。すすきの大通り間がポールタウンと言って地下街に対してこのチカホは「地下歩道空間」と呼ばれ、地下街が補助金なしに対して国予算が少しだけ入っているとのことです。私の友人から講釈されました。
そのチカホは市民のバザーのような催しが道路両脇で連日にぎわっています。通行量も外は吹雪というのに通行人が多いというのは大きな恩恵です。私も9番のエレベーターで教室まで行くのに便利になりました。まず信号待ちをしなくてもいいのです。傘をささなくてもいい。吹雪のときは最高です。
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そのにぎわいのチカホの隅にひっそりとフリーペーパがおいてありました。写真がそうです。ここを毎日利用していてこのチカホ界隈を「駅前十街区(とがいく)」と言うそうですが知りませんでした。駅前は意味が分かるのですが、十街区の意味が分かりません。この冊子の中をじっくりみてなるほど駅前通りの左右のブロックを数えたら10あるので十街区だそうです。我が教室もこの中に入っています。
パラパラとめくっていくと、日頃お世話になっているお店がたくさん出ています。それになによりも驚いたのは、1ヶ月前に経営セミナーに参加したときの講師が一面に出ているのでした。大変バイタリティでイケメンで博学でもっともっとお近づきになりたい、この業界では著名な先生です。
何はともあれ、この地区でヨガ教室を開いて今年で27年目。まだまだお世話になる十街区です。

寝返り

先日、元研究生のGさんから出産後3ヶ月目で初めて寝返りができましたという写真を送ってく来てくれました。そのコメントには学院で行なっているうつぶせ仰向きとそっくりだったと言葉が添えられていました。赤ちゃんの寝返りは私にとって最高のお手本です。しっかりと首を曲げているかと思うとごろりと寝返っています。
そこでYouTubeで「赤ちゃんの寝返り」をいろいろ調べました。たくさんの投稿があり、必ずしも首から寝返るだけでなく、腰から寝返っている動画もあります。
自分でも教室でもいろいろやってみました。しかし首や腰の悪い人、動かない人はやめた方がいいでしょう。動きは体操ではないので、赤ちゃんがやっているように、気持ちよく、そして自慢げに寝返っているように気持ちよく行なうことが大切です。その動きで応用として割座弓パターンも行なってみました
その動画が下記のものです。
negaeri_kubiをダウンロード

しかし、もう一つしっくりこないのです。私はこの方法だと首の負担が大きいのです。首からではなく腰から寝返ってみたくなりますし、無意識でやっているときは腰からのような気もするのです。その画像は以下の通りです。

「腰から寝返り」をダウンロード
結果は手を上げているときはうつぶせ仰向きどちらでも、腰からでも寝返りができますが、弓を作った状態からは腰から仰向きはできないのです。映像にはありませんが足を伸ばしたままでも手を下げると肩が邪魔して仰向きにはなれませんでした。弓のうつぶせから仰向きは腰からでもできます。
結論は首からでも腰からでも楽な方で動くこと、そしてできないと思ったら次の手を考えて動いていくことが大切だと思います。
大事なことは力を抜いて、体のつながりを意識して動いていくと上手くいきます。
わたくしごとです。今はほとんど腰を痛めることは無いのですが、昔はヨガをやっているのによくぎっくり腰の状態になっていました。ご存知のようにかがめない、ひどいときは歩くことさえ不能でした。
その解決方法が「弓・割座」の4〜5回くらい、ゆっくりとした回転でした。乱暴に思える動きが不思議に腰を楽にしてくれました。
このような動きは、他の人にはお勧めできませんが(勧めたことがあって上手くいった。マンツーマンの指導だった。)私流の腰の柔軟法にもなっています。
付け加えると、この動きをするとコブラのポーズなどそりポーズが楽になるのです。なぜ腰が楽になったり、腰が柔らかくなるのかは、首が一因ではないかと思います。私たちの生活は姿勢にしろ、頭を悩ますことにしろ、首が硬くなることばかりです。その首を緩め、腰とつなげることで体は自然に戻り不快は解消されるのでしょう。

イスに座る、イスから立つ

イスへの立つ座るは職場や家庭のイス、ソファ、食卓、電車、バス、ベンチなどたくさんあります。この動作の間違いが積もり重なって首腰に負担になっています。小さな不具合だから感覚はほとんど知覚しませんが重なってくるといつか故障になりうると思います。
動作の基本は動作の最中は背骨が伸びることですから、座る時も立つ時も首も背中も伸びる感じをつかむことが大切です。その動作が漫画にしています。行って見るとわかるのですが、足で床を押したり、腹筋に力が入っているでしょう。ところがただおしりを上げる、お尻を下ろす動作をすると(いつもの動作です)首に力が入ったり、腰が緊張したりするはずです。
このような正しい動作の習慣を身につけて下さい。首や腰の緊張がかなり軽減されるはずです。

歩き方

姿勢について 2012-10-26 の続き
”何か疲れやすい”というのはよく会話に出てきます。
心の問題も体の疲れやすさを招きます。心の問題は自分で気づいて解決できることもあれば、他から解決法を与えられるのも一つです。例えば、先の当学院のセミナーのような「心の成長を支援するセミナー」などを受講することも、またカウンセリングを個人的に受けることも大いに利用したらいいと思います。
要するに心身のアンバランスが”何か疲れやすい”と体に訴えています。
心には問題ない、病気とかそういうものではないとすると、体の使い方の問題になります。
「疲れない体」になるためには栄養剤やマッサージではなくて、体に負担をかけないことが大切です。間違った姿勢でいることは筋肉への負担が大きいのです。世の中には猫背を自認している人が多いのですが、前に倒れないように筋刺激を受けている背中などにはいつの間にか筋トレーニングの結果のように筋肉がついて丸くなっています。そしていつも負荷をかけているために柔らかくなることなく緊張し続け、不快を感じてしまいます。
「猫背になるのはやめる」(タバコをやめると同じたぐい)とウソみたいに楽になります。静止の姿勢「座る」、「立つ」は前項(姿勢について 2012-10-26 )にも”骨で立つ”とありますので省略します。
次に歩き方です。歩き方を間違えればやっぱり疲れます。
私はモデルさんの歩き方は知らないので、できません。
しかし疲れない歩き方はできます。足にハネがあがらない歩き方、靴が長持ちする歩き方、足が太くならない歩き方を紹介します。
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漫画を見てください。右脚の運びを強調しています。右足はずっと後ろから股関節から振り子のように振り出していますが、その途中の瞬間がその漫画です。足首の力が抜けているでしょう。実際地面に直角かどうかはわかりませんが、力が抜けていればだらんと直角近くになるのではと思い、描いてもらいました。その脚は地面に着いていません。空中の状態です。そしてこの右足は振子のようにヒュッと振り出しています。そして後ろから振り出すときもけっして地面をけっていません。地面をけるからハネが上がります。後ろからこの漫画の状態まで足の甲は前を向いたままです。
ここのところをどのように表現するかといいますと右足の「甲を前に出すようにして歩く」、ということになります。
太古の昔から歩くことは基本です。間違った歩き方をしたら足を痛めるのです。歩くこと、この基本的なことをこれでいいのかと自問しながら歩いてください。
この歩いている漫画の女の子は下を向いていますが、これは良くありません。まっすぐ前を向きましょう。
{余談}山に登っていたときに重い荷物を担ぐときは少し重い靴を履くことといわれました。これもこの説明でわかるような気がします。荷物の加重のせいで重い靴ではなく、軽い靴だと足首の緊張が残って脱力ができないためではないかと思います。重い靴だとその重さで足首が脱力できるのです。足の疲れが脱力で取れて長時間歩けるのです。
参考漫画 拙著「体が硬い人のためのヨガBasic Lesson」

肩を楽にする

牛面のポーズ(ゴームカアサナ)の上半身を紹介します。

肩の構造は腕、鎖骨、肩甲骨から成っていて腕は鎖骨で胸骨だけに付いています。だから人間の腕は動物と比べて可動範囲が大きく、手を背中で上からと下からとで合わすこともできるのです。ただ力づくで腕を背中にまわしても痛い=緊張するので動くことはできません。肩の力を抜くことが大切で、補助をしている動画がありますので参考にして下さい。ポイントは腕をぶら下げているところと補助の人が力を入れないために手の甲で正座している人の腕を後ろへ動かしているところです。
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次に一人で行う方法です。このポイントは他のところでもよく使う方法ですが、小指を強く意識することで肩の力が抜けます。そして体を反らすことが体全体が緩むことになりますので、何回も腕が楽に動くようになるまで楽に気持ちよく反らせます。手の指を使わないのもポイントです。指に力を入れると肩が硬くなります。腱鞘炎もこの辺に問題があるようです。上から下に下ろす方の手も体を揺すりながら下ろしていきます。腕は胸と背中の大きな筋肉で動いているのでこの部分をゆるめる動作をしているのです。
これも動画を見て下さい。
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肩の硬い人は痛くないようにアゴや胸や胴体を動かしながら腕をひっぱっると柔軟になります。痛くしないで動かすこと、軽くて楽に繰り返し動かすことで筋肉が緩んでいきます。
注釈:手の指を使わない意味は背中へ、ベルトなどを使って補助する場合がありますが、これは肩を硬くするだけで私は勧めていません。

穏やかな感情を保つスキル

心の成長を支援するセミナー第2弾  <感情を整える>
穏やかな感情を保つスキルを身につける方法
       二宮嘉朗講師のセミナーを受講して

1. 感情の起源を考える。
 無秩序にでてくる感情とは何か、それはどこからやってくるのか

 図は感情はどのような形で発生するのかを示しました。このはじめの出来事から良くも悪くもなる最終結果の感情や行動に導く講義を私の理解範囲で述べたいと思います。
 私たちは、ある出来事があると、それを見たり聞いたり匂ったり、味わったり、皮膚で感じたりなどの五感で感じます。(仏教でも色声香味触『しきしょうこうみそく』のできごとを眼耳鼻舌身『げんにびぜっしん』の五感を使って感じるという内容が般若心経の中にあります。)
 その感じたものは大脳の中で「関心があるかないか」、それは「快か不快」などを解釈し自分の中であるべき姿、状態を評価します。下等な動物や虫でも危険か危険でないかの解釈をしますが、これはほとんど本能で、次の行動(逃げるか、闘うか、取得するか)に移りますが、人の場合はさまざまな経験を通して推論したり解釈したり、そしてあるべき姿を評価したりします。
 そしてそれを「関心あるかないか」「快か不快」の感情となり、関心が無ければ感情は消滅し行動もおきませんが。関心があればそれに対して「快か不快」に対応した行動(表情、言葉、動き)をおこします。
 以上が感情はどのような形で発生するかの段階です。
2. ネガティブな感情
 不快な感情(悲しみ、怒り、いらだち、自責、失望、うらやましさ、後悔など)は誰にでも出てくる現象であり、不健康なことではありません。逆に当然あるべき感情を抑えることにより、不健康になることもあります。
 出来事があり知覚し頭で推論や解釈するとき、様々なな推論が考えられ、それに対して感情が出てきます。例えば「何かの失敗」のとき自分の感情は悲しみになりますがこの感情にはさまざまなレベルがあり、ちょっとした悲しみもあれば、ネガティブなうつ状態的な感情から耐えられない不快感情まであります。その感情のレベルが問題であり、そのレベルが次の新たな感情になることで不健康=病的な感情になる可能性がでてきます。
 図の②についての評価についてですが、不健康な感情には自分が持っている信念や評価基準から離れた出来事が起きたときに強くでるようです。例えば電車の中などの公共の場で男女各年齢層の騒がしい行動を自分がどのような感情を持っているかという設問がありました。参加者の反応は子供が騒いでいるときはそんなに不快を感じないのですが。中高年の男性が騒いでいると男性ほど不快を感じ、女性が騒いでいるとその場にいる女性ほど不快を感じることになりました。それは同性同年代ほど、評価基準が厳しいのでしょう。こうあるべきだと思う気持ちが不快の度合いを強くしているようです。
 次にそれでは不健康な感情にならないためには推論・解釈するとき、どうするかというテーマに入ります。
3.評価を変える
 先程の例でわかるように、自分の信念、自分だけで決めてしまっているかもしれない、常識的善悪、適不適、こうあるべきという発想を変えることです。簡単に変えることもできれば、できないこともありますがこのように評価を変えることで今までの無意識に出てきた不快な感情や行動は緩和されると思います。
 図の②推論や解釈の部分をもう一度取り上げます。公共の中で騒いで最低と思うことは理性的に考えたらどうでしょうか。自分だけが「非合理的思い込み」かもしれません。絶対的要求(なければならない)もあれば(最悪)と思うことも、(ダメだ)(耐えられない)などは普通に現れる「非現実的評価」の現象です。本当に最悪でもなければ、命に関わることでもないのにそのように表現してしまっています。この「非合理的思い込み」は自分の狭い考えにすぎないのです。
4.自己啓発
 この「非合理的思い込み」を自分で、又は他人から指摘され、考えをめぐらす行為を次の3点で行います。自分の不快な感情にいたる推論解釈は(現実的か=経験的に現実と一致しているか)(論理的か=独断的、絶対的でないか)(実利的か=目標や目的を達成することを妨害していないか)などと考える続けるのです。
 そこから導かれる信念評価は初めに無意識にくだしたものとは大きく異なり、新しい信念に変わっていくことになるでしょう。すなわち幼いおとなから理性を持ったおとなに変貌するのです。この作業を通して気づきを伴った自己啓発ができるのです。
 この自己啓発こそ、このセミナーの命題である「感情を整える」「穏やかな感情を保つスキルを身につける方法」になっていきます。昨今の複雑な社会、情報社会で自分自身のまわりで出来事が多すぎ、それらにひとつひとつ感応していかねばならない日常です。 当然不快な出来事も多々あり扱いを間違うと人生設計に取り返しがつかないことにもなりかねません。無意識に「非合理的思い込み」にとらわれて、状況を間違わないためにも、又自分自身の不快感情が大きく長く続かないためにも、この考えをときにふれて活用してもらいたいし、又私自身も「感情を整える」意味で大きなツールを得たという気持ちです。
 心の成長を支援するセミナーの第1回の「あなたを変える幸せマネージメント」はヨガの中では感謝する心であり、第2回目の「感情を整える」は懺悔する心と私は理解しました。
 世間一般のヨガは心の部分のアプローチが弱く、心の教えを信仰心へもっていったり個人の能力に持っていく傾向がありますが、私にはこのセミナーを通じてヨガ教室として何かヨガ講座の一部としてすすめられないか考えています。
 貴重なセミナーを開催していただいた二宮講師に深く感謝します。そして次回のセミナーを楽しみにしています。