LA 市内観光

はじめはバスに乗る、電車に乗ると意気込んでいたのですが、いざとなると安易なほうへ流れる癖があります。それでお決まりのツアーに申し込みました。なんと!私たちだけです。もう今の旅行の主流は個人で動くのですね。今回のLA行も某有名なパックツアでした。この日本出発の日も私たちだけ。なに・これと?不思議でした。今回は前途有望な青年と一緒なので冒険は許せません。家族が許さないのです。それでパックツアになったわけですが、これほど同行者がいないと拍子抜けです。それで貸切でぐるぐる回りました。

これはビバリーヒルズの高級住宅街にあるgreystne park(http://www.yelp.com/biz/greystone-park-and-mansion-beverly-hills)です。出処は疲れるのでやめます。

サンタモニカの浜に出ました。暑いので日陰だけで散歩です。この街にはサンタという名前の町がたくさんあります。サンタアナは13日間にメキシコ共和国軍とテキサス分離独立派(テクシャン反乱軍)の間で行われた将軍の名前です。ジョンウェィンのアラモの砦の映画は大好きでした。この辺にアラモの遺跡があるのかと聞くとテキサス州のサンアントニオの伝道所だとのことでした。LAにはそういうわけでメキシコの領土だったわけでスペイン語がここでは必須です。電話オペレータも英語、つづいてスペイン語が使われています。

シビックセンターは都庁みたいに、と言っても実物は拝んでいませんが背の高い建物です。市役所だけでなくカリフォルニアの州庁も兼ねているみたいです。すみません。キチンと英語が訳せません。とにかく立派です。

  

LA-Disneyland

天気はいいし、体調も昨日と打って変ってすこぶる快調。ジェットコースタ系は絶対無理と思っていたけど、大丈夫でした。時間延長して22時までうろうろしていましたよ。花火はきれいだったけどものすごい人で何も見れなかった。頭と頭の間に少しだけ。でも音や光で想像力豊かにしてもそれはそれはすごかった。レザー光線の物語などは圧巻ですね。一人で行ったのではないですよ。相棒がいて、なだめ、機嫌を取りながらの行動です。疲れてくると切れるのです。でもお互い、こんなところで迷子になったり、帰りのバスに残されたりすると永遠に日本に帰れなくなる可能性があるので我慢し合いました。この施設で感心したのは乳児連れ、足が悪い人、でぶった人(300kgくらい)などにフォローができているのです。車椅子に電動車、乳母車は無数、そしてボランティアが実に充実しています。日本もそうなのかなぁ。

LA 報告3

下調べもままならぬうちにロスアンゼルスに到着しました。見慣れぬ街の風景です。

ロス在住のMさんの案内で市内、周辺をふらりとドライブです。そしてビバリーヒルズ近くの1924年から営業を続けている有名なレストランに入りました。(http://www.cantersdeli.com/)サンドイッチやスパゲッティを注文しましたが、これからこの食事でびっくりが続く、量の多さの洗礼を受けました。この四分の1で十分です。無理して二分の一食べました。お酒でいうツキダシみたいなものが、注文前に大きなベーグル数個、ピクルスのキュウリ丸ごと4,5本が来るのです。そしてお代わり自由ですとのこと。。

サンタモニカへ移動しました。3日に日本を出て今日はまだ3日です。女性陣はファッションブティックにお買いもの。何もすることがないので、街をぶらぶら。大道芸人があちらこちらで芸を磨いています。何をしているか分からない-ただ路上で寝転がっている-人もいましたが。

サマータイムなので9時になっても通りにはたくさんの人が行き通っています。

明日はディズニーに行ってきます。日本のは行ったことありません。この期間中、ヨガにも行きますの報告を楽しみにしてください。

心はロスアンゼルス

今日からロスアンゼルスに行ってきます。数日前から準備に忙しく、と言っても気持ちだけですが、本業(仕事)のこと、本業のような副業のこと(所属団体の作業)、遊びでやり残していること(作りものですが内緒)が気になって仕方がありません。英語の勉強もしなくちゃ。何もっていく?と昨日まであわただしく過ぎました。

ブログも最近のレッスンも仕上げないといけないのでもくもくとパソコンの前に座り続けます。終わると買い物に付き合わなければなりません。ロスでお世話になる人のお土産です。彼女がいるので勇気を奮っていけるのです。

そして子供(大きな子供です)の自転車パンク修理を軽いつもりで請け負いました。しかし、買って2年目の自転車はチューブがぼろぼろ、そしてノリが風邪をひき(といってもわからんでしょうね。昔はこのように言ったのです。ノリの効力がなくなった)、空気入れが壊れている、そして雨です。子供に聞いたところ、パンクしたまま数キロ走ったとか。仕方なくチューブ交換です。30分くらいの作業のつもりが後ろの車輪を外して数時間の大仕事になりました。

3か月ぶりの何も予定の入っていない日曜日はこのようにしてロスの準備もあまりできない状態で過ぎていきました。

ロス在住のMさんからは丁寧なメールでたくさんの情報を教えてくれました。
レストランならマクロビオティックのお店が日本にあります。
(閉店していました。)
ロスのほうの店舗は
http://www.mcafedechaya.com/です。
1924年からやっている24時間オープンの老舗カフェもあります。
http://www.cantersdeli.com/
ローストビーフならアメリカな感じでお勧めです。予算は一人40ドルくらいです。
http://www.lawrysonline.com/theprimerib.asp
日本のバージョン
http://r.gnavi.co.jp/c557001/
ショッピングはサンタモニカのプロムナードに行くとキットソンのアウトレットやH&M・フォエバー21アバクロなどあります。昼間には歩行者天国になっていて大道芸人が芸をしていて開放的な気分になるのでお勧めです。
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g33052-d103427-Reviews-Third_Street_Promenade-Santa_Monica_California.html
グローブというショッピングモールが
あるのでそこもMカフェやカンターズなどに近いので紹介できます。
グローブにはアバクロなど入っています。
http://allabout.co.jp/gs/travelwusa/closeup/CU20070509A/
コーチなどが入っているアウトレットモールでショッピングは車で2時間ほどの場所にありますので6日に行くことも可能ですが、アウトレットに行くと広いので1日かかると思います。
http://www.premiumoutlets.com/outlets/outlet.asp?id=20
たくさんの見所食いどころを教えてもらいました。

モヨロ遺跡

暖かい10月末早朝、タクシーで網走港はづれの当地を訪れた。運転手さんは何もないよという。本当に何もなかった。
この遺跡は北海道独自のアイヌ文化とも違ったオホーツク沿岸文化の遺跡だそうだ。大正二年アマチュアの考古学研究者、米村氏が貝塚を発見し、当地で理髪業を営みながら遺跡を発掘したという。フェンス越しに見た竪穴は聖徳太子の時代の人間が過ごした生活跡を物語る。流氷の海の中でアザラシを追いたどり着いた網走の地は「南の楽園」だったという。夏には地上に上屋も立てたという。しかし1000年前に突如この民族は姿を消した。(観光協会パンフから)

Moyoro

網走川には河川敷がない。洪水で溢れることがないという。それは上流に大きな網走湖をかかえているからだ。豊かな水量に満たされたこの川に沿って街が栄えている。

Abasirikawa

上賀茂神社

私の本籍は京都市北区上賀茂○○。今は親戚の誰も住んでいない。そこで生まれたというだけである。後年、近くに京都産業大学ができた。この上賀茂(かみがも)と上賀茂神社はそれほどポピュラーな名所名跡ではない(拝観料はタダ)。史跡仏閣から歴史的に遠い昔、地理的にも離れているからであろう。神社の歴史は神代の代までさかのぼるらしい。天皇家のもっと前だ。賀茂族という宗教的儀式を行う氏族が全国に散らばったていたという。

私の幼少ころ、昭和27年頃、この地はまだ整備されていなくて誰もが小川で、能楽の舞台で遊んだ。まるで近所の公園のような存在だった。
ちょっと京都を留守にしている間に世界遺産になってしまった。畏れ多い存在になった。ちなみに京都三大祭の一つ「葵祭り」は下賀茂神社と上賀茂神社を往復する平安貴族のお祭りである。このあたりに住む中学校の同級生の名前も「位田いんでん」「幡野」という律令を思い出す苗字であった。この界隈は家の前をきれいな水が流れる川に橋がそれぞれが架かっている独特の町並みである。

幸運な写真

家族を連れて京都へ行った。お決まりの京都見物だ。
札幌から家族旅行でずいぶん京都の観光地に詳しくなった。
タクシーの運転手が京都の人は誰もそんな観光地なんか行かへんわ。と。

写真は清水寺にて鶴を見つけた。オキモノと思っていたのが
次の瞬間、ゆっくりと宙に浮かんで飛んでいった。
次のは祇園にて舞妓さん。振り向いたところをパチリと
両方ともラッキーな写真である。