心はロスアンゼルス

今日からロスアンゼルスに行ってきます。数日前から準備に忙しく、と言っても気持ちだけですが、本業(仕事)のこと、本業のような副業のこと(所属団体の作業)、遊びでやり残していること(作りものですが内緒)が気になって仕方がありません。英語の勉強もしなくちゃ。何もっていく?と昨日まであわただしく過ぎました。

ブログも最近のレッスンも仕上げないといけないのでもくもくとパソコンの前に座り続けます。終わると買い物に付き合わなければなりません。ロスでお世話になる人のお土産です。彼女がいるので勇気を奮っていけるのです。

そして子供(大きな子供です)の自転車パンク修理を軽いつもりで請け負いました。しかし、買って2年目の自転車はチューブがぼろぼろ、そしてノリが風邪をひき(といってもわからんでしょうね。昔はこのように言ったのです。ノリの効力がなくなった)、空気入れが壊れている、そして雨です。子供に聞いたところ、パンクしたまま数キロ走ったとか。仕方なくチューブ交換です。30分くらいの作業のつもりが後ろの車輪を外して数時間の大仕事になりました。

3か月ぶりの何も予定の入っていない日曜日はこのようにしてロスの準備もあまりできない状態で過ぎていきました。

ロス在住のMさんからは丁寧なメールでたくさんの情報を教えてくれました。
レストランならマクロビオティックのお店が日本にあります。
(閉店していました。)
ロスのほうの店舗は
http://www.mcafedechaya.com/です。
1924年からやっている24時間オープンの老舗カフェもあります。
http://www.cantersdeli.com/
ローストビーフならアメリカな感じでお勧めです。予算は一人40ドルくらいです。
http://www.lawrysonline.com/theprimerib.asp
日本のバージョン
http://r.gnavi.co.jp/c557001/
ショッピングはサンタモニカのプロムナードに行くとキットソンのアウトレットやH&M・フォエバー21アバクロなどあります。昼間には歩行者天国になっていて大道芸人が芸をしていて開放的な気分になるのでお勧めです。
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g33052-d103427-Reviews-Third_Street_Promenade-Santa_Monica_California.html
グローブというショッピングモールが
あるのでそこもMカフェやカンターズなどに近いので紹介できます。
グローブにはアバクロなど入っています。
http://allabout.co.jp/gs/travelwusa/closeup/CU20070509A/
コーチなどが入っているアウトレットモールでショッピングは車で2時間ほどの場所にありますので6日に行くことも可能ですが、アウトレットに行くと広いので1日かかると思います。
http://www.premiumoutlets.com/outlets/outlet.asp?id=20
たくさんの見所食いどころを教えてもらいました。

最澄さんと空海さん

私は比叡山の麓の西側で育ちました。修学院の横から雲母坂(キララザカ)を10数回上りました。坂は険しく雨後などは沢になって滑りやすく難儀ものです。それも中腹から尾根にでて景色は抜群、そしてロープウェの終点、延暦寺に続きます。

そんなわけで比叡山延暦寺はなじみ深くひいきにしています。ところがどうも知名度のほうは和歌山県高野山の方が分がよいようです。空海さんの卓越した能力なのでしょうか。今回、我が所属の協会合宿も高野山で10月23日から始まります。空海さんの真言密教の世界もも興味あるところです。

最澄さん、空海さんは平安時代にともに卓越した能力で新時代を開きました。ライバルのような関係だったようです。今年の数か月前の新聞に天台宗と真言宗は1200年後の和解という記事を見つけ、お互い当時から仲たがいしていたようです。最澄さんは家柄もいい、年上で桓武天皇の信頼を受けていました。一歩先んでいたわけです。ところが共に遣唐使として中国に留学して帰ってきたが、空海さんのほうが密教をより多く学んだようで、最澄さんが本を貸してくれと頼んで初めは快く貸していたのだそうですが、そのうちに拒絶したり、弟子を人質にして返してくれなかったり、かなり険悪な関係だったといいます。当時の後半になってくると空海さんが一歩先んじていたわけですね。彼は書の達人であったともいいます。

私は比叡山が好きなのでちょっと悔しさがありました。ところが最澄さんはテクニック的な能力よりもシステムを作った人だったのです。天台宗の勉強だけでなく、ほかの派の学問を弟子にさせていたのです。12年間は山(比叡山)にこもって降りることを許さなかったとか。そのような厳しい修業のシステムを作ったために鎌倉時代以後に山は堕落したと法然さん、親鸞さん、道元さん栄西さんなど今の宗派を作る偉人を輩出してきたのです。

私は勝った負けたが大好きなので心良くして高野山合宿に参加してきます。

46年ぶりの皆既日食

皆既日食は少年時代に見たことになります。ガラスにススを付けて校庭で太陽を見ました。だから目が悪くなったのだろうか。校庭にはうろこ状の影が無数に散らばっていたのを思いだします。

日本で見れる場所が吐喝喇列島の悪石島ということで懐かしいトカラ列島を思い出しました。これは青年時代です。奄美大島北西に横当島という無人島があります。ここに一週間くらい滞在しました。何をしに行ったのかって?それは内緒。何もないところですからね。説明つかないです。水もない。船もない。名瀬市から70キロのところをお役所の船で行きましたね。いろいろ大変だったですね。お役所もですが。


ところで皆既日食のこの日、ヨガの授業がありました。アシスタントがいないのでエスケープできず部屋の明かりを消して11:10、暗くなるのを期待したけれど曇り空の札幌は全く変化なしでした。ただ新聞とテレビ報道でのみ46年ぶりの日食を知るのでした。天文にうつつを抜かすわが友は職場放棄してでも海外で皆既日食を見ていることでしょう。

合宿&理事会

二兎を追うは一兎を得ずではありませんでした。二者両得でした。暑い本州の猛夏をのがれて、北海道の合宿に合流して会議を行うという意図はよかったのですが、避暑どころか寒い、暖房を入れなければならにくらい寒ーい日が続きました。そして展望の良い室蘭岳山麓公園という最高のロケーションが霧の中です。本州の役員の皆様申し訳ありませんでした。私のせいじゃないけど、避暑どころじゃなかったです。大雪トムラウシでは大事件が起きていました。

(トムラウシ山遭難事故とは、2009年7月16日早朝から夕方にかけて北海道大雪山系トムラウシ山が悪天候に見舞われ、ツアーガイドを含む登山者9名が低体温症で死亡した事故です。夏山の山岳遭難事故としては近年まれにみる数の死者を出した惨事となりました。)

合宿には全く出れなかったけど、有意義な会議でした。一つ一つの意思の確認が後進に残せる組織体が出来上がるでしょう。合宿ではベテラン講師が短時間でありましたが十八番(おはこ)講義をしてくださいました。

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命は続くってすごい

無理を言って法事に出かけました。本家筋でないので義理はないのですが33年前にただ遠いからということで無視された仇を取ったのです。50年前によく遊んだいとこが来ています。いやーぁ、○○ちゃんと懐かしさで顔がほころびます。相変わらず口は達者です。これでよくケンカしました。そういえば庭に大きな柿の木がありました。それに向かって先祖伝来の錆びた小刀(しょうとう)でついたり切ったりして遊んでおじさんにこっぴどく叱られました。そのおじさんは今95歳です。家族からカマやのこぎりの持ち出しが御法度になっています。作物の苗や植林した木を切り倒すと言うのです。あれあれ。

法事では写真のようなパンフを配って説教がありました。誰一人欠いても今の自分は無いのだと。なるほど。ご先祖様を大切に。素直に感謝しましょう。「つづいている いのちの不思議に ありがとう わたしたちのいのちは、お父さんとお母さんがいたから、おじいちゃんとおばあちゃんがいたから、ええっと、10代前までさかのぼると1024人、20代前だと、104万8576人・・・たくさんの人のいのちがあったから、今があるのんだ!いのちってすごいなぁ」って書いてあります。

ちなみに10代前ってどのくらいかな。20歳~30歳で産んで200年~300年前という計算でいいのかな、なら20代前は15歳くらいが成人だから15歳~20歳として300年~400年前になります。江戸時代初期か。それがどうしたというわけだが。同時代の人が記憶に残るのは80年くらいですね。ひ孫、孫、子供、自分、親、祖父母と続柄があるがひ孫という特定が出てくるのは自分が60歳以降だろう。そして記憶に残る祖父母は遠い昔です。60歳過ぎた自分にとっては6代だけです。でもひ孫の立場であればもうご先祖様は64人になります。それがどうしたといわけだが法事はそのことに気がつかせてくれたわけです。

この系図で思い出すのは今から2000年前のローマ、カエサル時代です。彼の暗殺後次に初代皇帝になったオクタウィアヌスは皇帝を直系から出すことに懸命であったが当時は病気で死ぬ、戦争で死ぬ、毒殺されるで暴君ネロに至るまで極めて細い血筋でつながっていました。人類の歴史は病気と戦争、略奪、飢えでほとんど死んでいます。人生を全うすることは難しかったのです。物心、豊かに生きることに感謝です。

御旅所って

愛知県一宮市にある御旅所でヨガセミナーをさせていただきました。言い方に謙虚なのはお願いして、頼まれもしないのに押しかけたのです。その一つの会場は桜満開の公園内にありました。ヨガの授業が終わる頃、桜の下で宴会が始っていました。知らない人たちなので誘ってはくれませんでした。

御旅所って何? ある辞書は神社の祭礼に神輿が本宮から渡御(おでまし)して仮にとどまる所とあります。よくわからんです。

ならばネットでは御旅所(おたびしょ)とは、神社祭礼神幸祭)において神(一般には神体を乗せた神輿)が巡幸の途中で休憩または宿泊する場所、或いは神幸の目的地をさす。巡幸の道中に複数箇所設けられることもある。御旅所に神輿が着くと御旅所祭が執り行われる、とありました。これもそのためにわざわざそんなことするのとまだ疑問符です。

写真を撮るときに土地に人に聞いた内容のほうがぴったりします。神代(かみよ)の時代に神様がご旅行されるときに縁起のいい場所を定めて仮宿にした場所だと教えてくれました。やっぱり日本は神風の吹く国なのです。

ことばにする

WBCはすごかったですね。ヨガはさまざなところから学びに取り入れることが大切です。今回はイチロー語録です。「キューバ、韓国のユニフォームを着、ようやくジャパンのユニフォームを着ることができました。そしておいしいところだけをいただきました。ゴチソウサマ。」

Itiro

感覚、感じを言葉にできるヒトはあまりいないですね。それも伝えられる言葉でね。言葉は共有するものですからね。ヨガ指導のときのほとんどは指示語です。足を延ばして、体をねじって、後ろを見て・・というふうにです。または教えてヤルというように断定語です。これはここに効きます、とか。(本当か、うそを言うなよと、このフレーズを聞くと思ってしまいます。)

ポーズを作っているときはいろいろな感覚が現れてきているはずです。そしてそれが感じや気持ちになっています。この感覚を共有したいのです。そのためには言葉が必要です。擬音でもいいです。イテテ、スーゥ、ンーム・・あまりぱっとしないけど少しはましでしょう。

イチロー語録みたいにはいかないけど、何か言葉がほしいです。筋肉をかき分けていくと、すごく怒っている部分があります。そこをなだめるのです。やさしく、感謝し、自分の傲慢さを懺悔するあやまるとかとかです。そんわけのわからないことをいつも言っているのですが聞いてくれている人もいるのです。教室全体が何か変わっていくといいと思いながら。

動物も感覚や感情を持っています。しかし彼らは言葉を持っていないために、自他に伝達できません。それで本能のまま、または学習したまま行動しています。そして自分をコントロールすることができません。人の素晴らしいところはコントロールできること、いやなことを快に変える能力を持っているのです。その道具はコ・ト・バです。

除雪と排雪

北海道の名物風景、排雪作業です。大きな道路では夜間にときどき、行われていますが、これは一冬に一回、町内の排雪作業風景です。雪が降ると道幅が狭くなります。除雪は雪が降るたびに大きな機械、小さな機械で頻繁に行われています。この除雪された雪も道路に溜められていくと、ますます道路は狭くなるのです。やはり取り除かなくてはなりません。この雪はどこへ行くかというと、冬の間だけ常設される大きな公園や豊平川、畑などに積まれていきます。この排雪作業、見ていて飽きないのです。流れ作業での連携は見事です。雪をダンプに積み込むのはロータリー車。ここまでに何台もの種類の違う除雪車が雪を氷を削り、帯状に溜めていくのです。そしてロータリー車です。

Photo

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=NsxHHF1Z9Tw

平安神宮

所用で京都へ行った。今年はまだ神社で年始をしていないので、平安神宮でお参りをした。神さんの本山はお伊勢さんに出雲神社、そして平安神宮もまあまあの格だと思っていたが歴史はきわめて浅いことが判明した。以下に説明文がある。「1895年(明治28年)3月15日に平安遷都1100年を記念して平安京遷都当時の天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創建された。」だそうだ。いつも道民がお世話になっている北海道神宮とあまり変わらないのだ。しかし「平安」という言葉は好きである。「平和」でもないし「安心」でもない。ヨガのくつろぎのポーズのときもよく使っている。「あなたに平安がきますように」「平安な日々を楽しんでください。感謝してください」と。
カシコミカシコミで始まる祝詞は神さんとの会話であり生死を約束する人間社会の初期の生活すべてを表しているという。日本では古事記の中で神話が出てくるが、これがもっともっと奥が深いらしい。とても手に負えないとあきらめていた「白川静」が今ブームになり漢字の成り立ちは神との約束事が詳しく当時の人たちが神との会話が成り立っていたことを説明している。甲骨文字は神との駆け引き、証文だったらしい。それが日本に来て仮の文字、すなわち、かなになったと。野口三千三の体や動きの説明がいつも「白川静」を参考にしていた。読解力を身につけ、ヨガの授業に役立てたいと思う。Photo