LA 報告3

下調べもままならぬうちにロスアンゼルスに到着しました。見慣れぬ街の風景です。

ロス在住のMさんの案内で市内、周辺をふらりとドライブです。そしてビバリーヒルズ近くの1924年から営業を続けている有名なレストランに入りました。(http://www.cantersdeli.com/)サンドイッチやスパゲッティを注文しましたが、これからこの食事でびっくりが続く、量の多さの洗礼を受けました。この四分の1で十分です。無理して二分の一食べました。お酒でいうツキダシみたいなものが、注文前に大きなベーグル数個、ピクルスのキュウリ丸ごと4,5本が来るのです。そしてお代わり自由ですとのこと。。

サンタモニカへ移動しました。3日に日本を出て今日はまだ3日です。女性陣はファッションブティックにお買いもの。何もすることがないので、街をぶらぶら。大道芸人があちらこちらで芸を磨いています。何をしているか分からない-ただ路上で寝転がっている-人もいましたが。

サマータイムなので9時になっても通りにはたくさんの人が行き通っています。

明日はディズニーに行ってきます。日本のは行ったことありません。この期間中、ヨガにも行きますの報告を楽しみにしてください。

心はロスアンゼルス

今日からロスアンゼルスに行ってきます。数日前から準備に忙しく、と言っても気持ちだけですが、本業(仕事)のこと、本業のような副業のこと(所属団体の作業)、遊びでやり残していること(作りものですが内緒)が気になって仕方がありません。英語の勉強もしなくちゃ。何もっていく?と昨日まであわただしく過ぎました。

ブログも最近のレッスンも仕上げないといけないのでもくもくとパソコンの前に座り続けます。終わると買い物に付き合わなければなりません。ロスでお世話になる人のお土産です。彼女がいるので勇気を奮っていけるのです。

そして子供(大きな子供です)の自転車パンク修理を軽いつもりで請け負いました。しかし、買って2年目の自転車はチューブがぼろぼろ、そしてノリが風邪をひき(といってもわからんでしょうね。昔はこのように言ったのです。ノリの効力がなくなった)、空気入れが壊れている、そして雨です。子供に聞いたところ、パンクしたまま数キロ走ったとか。仕方なくチューブ交換です。30分くらいの作業のつもりが後ろの車輪を外して数時間の大仕事になりました。

3か月ぶりの何も予定の入っていない日曜日はこのようにしてロスの準備もあまりできない状態で過ぎていきました。

ロス在住のMさんからは丁寧なメールでたくさんの情報を教えてくれました。
レストランならマクロビオティックのお店が日本にあります。
(閉店していました。)
ロスのほうの店舗は
http://www.mcafedechaya.com/です。
1924年からやっている24時間オープンの老舗カフェもあります。
http://www.cantersdeli.com/
ローストビーフならアメリカな感じでお勧めです。予算は一人40ドルくらいです。
http://www.lawrysonline.com/theprimerib.asp
日本のバージョン
http://r.gnavi.co.jp/c557001/
ショッピングはサンタモニカのプロムナードに行くとキットソンのアウトレットやH&M・フォエバー21アバクロなどあります。昼間には歩行者天国になっていて大道芸人が芸をしていて開放的な気分になるのでお勧めです。
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g33052-d103427-Reviews-Third_Street_Promenade-Santa_Monica_California.html
グローブというショッピングモールが
あるのでそこもMカフェやカンターズなどに近いので紹介できます。
グローブにはアバクロなど入っています。
http://allabout.co.jp/gs/travelwusa/closeup/CU20070509A/
コーチなどが入っているアウトレットモールでショッピングは車で2時間ほどの場所にありますので6日に行くことも可能ですが、アウトレットに行くと広いので1日かかると思います。
http://www.premiumoutlets.com/outlets/outlet.asp?id=20
たくさんの見所食いどころを教えてもらいました。

モヨロ遺跡

暖かい10月末早朝、タクシーで網走港はづれの当地を訪れた。運転手さんは何もないよという。本当に何もなかった。
この遺跡は北海道独自のアイヌ文化とも違ったオホーツク沿岸文化の遺跡だそうだ。大正二年アマチュアの考古学研究者、米村氏が貝塚を発見し、当地で理髪業を営みながら遺跡を発掘したという。フェンス越しに見た竪穴は聖徳太子の時代の人間が過ごした生活跡を物語る。流氷の海の中でアザラシを追いたどり着いた網走の地は「南の楽園」だったという。夏には地上に上屋も立てたという。しかし1000年前に突如この民族は姿を消した。(観光協会パンフから)

Moyoro

網走川には河川敷がない。洪水で溢れることがないという。それは上流に大きな網走湖をかかえているからだ。豊かな水量に満たされたこの川に沿って街が栄えている。

Abasirikawa

秋の散策

休日の朝、ぶらっと近くの山の中に入った。キノコ採りのグループに時おり会う。今はラクヨウだそうだ。みそ汁に入れるとうまい。しかしほとんど誰にも会わずどんどん奥の方へ入っていく。見通しが利かないのでどこを歩いているのかわからない。当然地図も持っていないし、水も持っていない。散歩スタイルである。キノコ採りのおじさんにあんまり奥に入らん方がいいよ、迷うよ、と言われてていたので不安いっぱい湧いてくる。熊が出やしないか、スズメバチの大群に襲われやしないか、ましてやオバケが出ないかと妄想にかりたてられる。
むかしむかし、おじいさんとおばあさんが住んでたという昔話の中にとなり村に峠を越えて用事で出かけたという状況はこんな様子であったのだろう。今は昼間で散歩だが、夜にこの道を歩くというのはかなり厳しい。昔は昼までも追いはぎも出たのだろう。追いはぎだけで命まで取らずに衣服を奪うところがロマンチックである。

と、妄想がいっぱいの中、明るいところに出た。峠みたいである。おおっ、ここは!。遠くに日本ハム本拠地のドームが見える。現在地がわかってからは勇んで山を降りた。山から下りて10分ほど歩いたら見覚えのある住宅地にたどり着いた。ひょっとしてと携帯電話で連絡をするとすぐ近くに親戚の家が。やれやれと大昔の一山越した親戚の家に来た気分であった。何はともあれすぐに水を所望した。

私の趣味

私には趣味というものが特にない。学院に来てくださる受講生の方はヨガが趣味ですと言ってくださる。私のヨガは趣味でなく仕事です。仕事であるから受講生の方の要望とヨガを伝える方向をいつも考えている。だからヨガは趣味ではない。趣味を軽く扱っているのではない。ヨガを趣味にしている人は造詣が深い。私よりよく知っているし、体も柔らかい。毎日スポーツジムで鍛え、アサナを作っているという、瞑想も必ず行うとのこと。うーん。仕事としている私はそこまでやっていない。
家族は私に趣味がないことをバカにする。きっとその趣味というのは釣りとか、ゴルフとかお料理とかカラオケ、碁、山登りなどをいうのであろう。別にそんなことしなくてもけっこう忙しく楽しく毎日が過ぎ去っていく。
パソコン歴はけっこう古い。マニアに近いくらい古い。昭和54年に発売のNEC製のPC-8001だった。それからなんだかんだ途切れたことはない。でもパソコンのこと何も知らない。今もワープロ、表計算という言葉を使っているくらい無知で又、それらを使えない。

おおっ、そうだ。これが趣味と言えるかわからないけれどあった。イス作りである。かれこれ3台作った。まずはご覧あれ。そして私の手指には刃物傷が絶えない。これと同類でわりとこまめに棚をつくり、ペンキを塗り電気器具を修理する。ちょっとは家族に評価される。

上賀茂神社

私の本籍は京都市北区上賀茂○○。今は親戚の誰も住んでいない。そこで生まれたというだけである。後年、近くに京都産業大学ができた。この上賀茂(かみがも)と上賀茂神社はそれほどポピュラーな名所名跡ではない(拝観料はタダ)。史跡仏閣から歴史的に遠い昔、地理的にも離れているからであろう。神社の歴史は神代の代までさかのぼるらしい。天皇家のもっと前だ。賀茂族という宗教的儀式を行う氏族が全国に散らばったていたという。

私の幼少ころ、昭和27年頃、この地はまだ整備されていなくて誰もが小川で、能楽の舞台で遊んだ。まるで近所の公園のような存在だった。
ちょっと京都を留守にしている間に世界遺産になってしまった。畏れ多い存在になった。ちなみに京都三大祭の一つ「葵祭り」は下賀茂神社と上賀茂神社を往復する平安貴族のお祭りである。このあたりに住む中学校の同級生の名前も「位田いんでん」「幡野」という律令を思い出す苗字であった。この界隈は家の前をきれいな水が流れる川に橋がそれぞれが架かっている独特の町並みである。

日々・青春

こんな時代があったんだ。ついこの間までこんな時代だった。このときの少年は今100歳近いだろう。みんないろいろな人生を歩んだ。ご苦労様。私もあなたも、時を刻む。街の元気なねえさんもにいさんも、今生まれた赤ちゃんも時を刻む。そして泣き笑い。そして人生を已む。


ヨガは「生命即神」がご本尊。生きるために最高の努力をする。工夫をする。一人では生きられぬ。誰かが言った。「多様なものが多様なままに生きる」と。おかげさまでだ。努力の足らざりしことすみませんだ。苦しいことも楽しいこともその価値をわかっているからありがとうである。
そして人格を高め、次につなぐ。魂はつながっている。この少年の青春は次に続いていく。

結ぶ.・つながる=ヨガ

結婚式の司式者をさせてもらいました。貴重な体験でした。
場所は写真の札幌・モエレ沼公園のガラス張りのピラミッド状建物です。この公園はイサム・ノグチが設計したものでこの建物もその一部です。広い敷地の中に国土地理院に登録したという人工の山62メートルもあります。
式はガラス張りの大きな空間の中で一般入場者をギャラリーに厳かにそして皆さんに祝福されました。
お祝いの言葉を述べさせていただきました。努力することの大切さ、そして受け入れることも必要です、というのはヨガのポーズを作るときと同じことです。お幸せになってください。

時間が短くて、だらだらとうまくない、つまらない話ししかできない私には、こういった場ではつらいところです。
結婚ってなんだろう。私は人の歴史を顧みるのが好きです。サルから人へ。森から草原へ。熱帯から寒帯そしてアラスカを経てインカ帝国の先祖まで人は進化し発展していきました。苦難の時代を乗り越えて、ついこのあいだの時代まで生きるというのが大変だった。そこに互いに寄り添い・つながる存在が人を強くしたのでしょう。世界帝国を作ったジンギスカンだって妻(ボルテ)の役目は大きかったのです(蒼き狼)。誰だって妻や夫の存在大きいのです。

結婚ってある意味では儀式です。世にいろいろな儀式があります。入学式や入社式そして葬式もそうです。これは本人と周りの人にこうなんだという儀式です。儀式は覚悟です。どうにでもなるうつろぎな心の働きを決めてしまう儀式が必要なのです。覚悟して生きていく、毎日毎日、真剣に生きていく、このことを私の師は「最後心で生きろ」と言われました。