今週の教室のテーマは月の礼拝体操でした。月のテーマについての講義候補はたくさんありそうであまり現実的なものがありません。
助産師の方が出産は圧倒的に満月と新月が関係しているといっていました。今は都会では月を見上げる機会がなく、夜空の星も月もネオンや街頭などで気がつかなくなりました。でも少し街から離れてみるといつもそこには星と月がそこにいつもあることに気がつきます。大昔から人も動物も空を見ると生かされていることに気がつきます。女性の生理も潮の満ち引きも月に関係しているのです。きっと動物や植物は敏感に月の満ち欠けに気がついているのでしょう。
昨日の礼拝体操は「竹取物語のかぐや姫」の話しをしました。月の都から迎えにくる話です。帝の兵隊たちも、月の人たちの出す威力にはかないません。不老長寿の薬をもらった帝は姫がいないのなら必要ないと一番高い駿河の山で不死の薬を燃やしたところから富士山となったと言います。
ところで、月食についての神話はあまりいい話はありません。魔力や怖い話が多いようです。やはり天変地異は昔から忌み嫌うものだったのでしょうか。
そして、夜空の澄み切った中の天体ショーをパチリとショットしました。
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台湾の合宿に参加する
私が所属する総合ヨガ協会は台湾の沖道ヨガ会と互いに合宿などで交流をしています。台湾のヨガ会の活動は27年を経て、会として大先輩ですが創業者の方々が高齢になり、若返りをはかって順調に来ていますが日本のヨガ協会はまだその途中です。
今回も2年ぶりに秋季営という合宿に参加しました。千歳から台北へ直行便があり4時間のフライトで中華民国台湾に到着しました。桃園国際空港は辛亥革命から建国100年のお祭りで華僑が世界中から帰国をしているので混雑しています。迎えの頼さんは心配そうに入国待合室で待っていてくれました。4車線のハイウェーを一路、台北市に向かいます。左右では新たな高速道路なのかモノレールなのか工事があちらこちらで行われています。
翌日、日月譚(にちげつたん)という観光、リゾートの名所に大型バスで向かうのですがそのお祭りで高速道路は渋滞です。バスの中からは日本によく似た風景を4時間かけて目的地に向かうのですが風光明媚な湖は少し見ただけで、合宿所に吸い込まれました。
2泊3日の合宿は日本人8人含めて100人以上の参加者でした。台湾の参加者の特徴は若い人が多いこと、体が柔らかいこと、よく笑うこと、規律正しいことでした。前の理事長は仏教に詳しくその哲学を説きましたが今回は哲学的な講義はなく、私たち日本人3名が所々で沖ヨガの考え方を披露しました。80分の授業ですが通訳を入れていますので実質40分で少ない時間です。
私は3講座担当させていただきました。そのうちの一つを簡単に紹介したいと思います。
台湾と北海道に関係する話しを私のエピソードとして紹介しました。まず20歳の頃、私は探検部に所属していました。今もそうですが探検部は学術探検が主でした。(私は無人島調査というより踏破だけだったのですが)当時は過疎地に向かって古老の話を聞いて生活や文化を聞き出しレポートにするのです。京都比良山の西麓の朽木村や島根県の某地などで活動しました。そしてあるグループは大きな計画を立て、台湾の高砂族、中でもアミ族の文化人類学的な調査しました。(当時のキャプテンは今博物館の偉い人になっています。)古老の話しも高砂族の人たちも今は文化的な生活をしているかもしれませんが50年100年前の生活を知ることは知恵を出してたくましく生きることが生活だったと思います。彼らは私たちの一番身近な祖先です。同じように北海道にもアイヌ民族がいますし130年くらい前から倭人の進出が多くなりました。彼らは冬の寒さを克服するために想像を絶する生活をしていたと思います。食料がない、熊の出没、バッタの大群などで農作物が全滅など初期の開拓は大変だったと聞いています。これは台湾、北海道だけでなく世界中がそうでした。なにも生命強化法などという言葉を使わなくても生活がそうだったのです。そのパワーが私たちにもあることを知りましょうといった具合です。
現理事長の張さんは筋肉もりもりでいてアサナがきれいです。それは努力の賜物です。毎朝4時から2時間のアサナ練習をしています。今回も同行者5人くらいが行っていましたが私は見学だけさせていただきました。
台湾の夜明けは遅く5時頃で真っ暗です。
台湾はさすが暑く、部屋の中はどこもクーラが効いています。それで台湾の皆さんは長袖のシャツは必携みたいです。食事はパイナップルやトマトがスープの中に入っていたりしていましたがヨガ関係者ということでベジタリアン食でした。野菜、青物が多く何でも食料にできるようです。
あっという間に合宿が終わり、一人桃園市内のホテルに入り大きなダブルベッドでご満悦です。シャワーから解放され湯船にも久しぶりに入りました。近くのセブンイレブンに入ったのですが商品は当たり前ですが日本の商品はどこにも見当たりません。おにぎりもシンプルなのはありませんでした。しかし日本語通じたのはうれしかった。すごいと思いました。結構日本語を話しする人がいるのです。翌日また頼さんに迎えにきてもらい彼女の新しいスタジオ、道場を見せてもらいました。彼女は今もヨガ会の役員であり、前まで事務局長として能力の高い人でした。その彼女が独立するというのです。がんばってほしいと思います。空港では彼女にハグされ、これからも縁ができそうな台湾にひとまずさよならです。
珍しい果物がありました。名前のわからないものがあります。
これは龍眼という果物と柿ですが柿は渋抜きで皮がめちゃくちゃ薄いです。
薄荷工場見学
北見へ連休中に行きました。時間があったのであちこちと見学をしましたが、圧巻はここで紹介する薄荷工場とピアソン記念館です。どちらもヨガの「生命即神」でいう昔の人の生きるエネルギーが込められています。そして日本の大きな歴史から忘れられた存在でもたくましく生きてきたあかしがここにありました。
まず、薄荷工場についてですが今の読み名はハッカ工場でしょう。工場記念館の係の人は丁寧にたくさん教えてくれました。そして又この小さな記念館に見学者が多かったことも驚きました。
昭和15年頃から今も北海道の大企業のホクレンが北見にはっか工場を作り、戦後間もなくはっかは世界需要の70%を作付けしていたと言います。そして戦後間もなく天皇、しばらくして皇太子(現天皇)が見学に訪れているほど盛況だったのでしょう。ところが貿易自由化や合成品のメントルがあらわれると急速に衰え昭和末期には工場は閉鎖されました。
係の人は外国産のハッカは結晶ができないが日本産は水晶のようなハッカ脳と言われる針状の結晶ができるのが特色だとのことです。この針を食べてみなさいといわれ口に含むと胃腸薬を飲んだみたいにお腹がすうすうします。ハッカの使い道は薬品食品だけでなく、防虫や化粧品タバコやお菓子などたくさんの用途があります。今は当然、原料はメントールです。
以前にアロマを勉強していたときに植物から抽出される芳香成分は合成品では作れない素晴らしい成分があると教わりましたが、製造単価だけを考えると企業製品は合成物にいくのでしょう。
このハッカを作る農家の数も莫大な土地でこの地方を潤わしたと言います。
写真で見ると農家毎が中間の生成物を作る化学工場のようなものでありました。昔の人はこのように手間ひまをかけて物を作っていたのです。
北見の土産物店にあるハッカのお土産はほとんど北見では作っていないしまた合成品であると言います。私は工場で北見産のシソから作った本物のハッカを購入しました。そして針状のハッカ脳は車にティッシュに包んで芳香剤にしています。
未来を生きる子供たち
沖導師の著作に「生きている教育 沖ヨガ式子供教育」というのがあります。未来の子供たちへの期待とそれを取り巻く大人たちの啓蒙書です。教育というテーマは社会システムの中で文科省などで厳格に規制されていますが、個々の子供は育てられるのでなく、DNAのプログラムの中で、時間というプログラムと時間の環境と内容で心身が成長していきます。次世代の日本国民をつくる重要な役割があるだけでなく、沖導師は世界を見据える子供教育であるべきだと説いていました。
私はちょうど良いときに「天才と、キンピラゴボウの作り方」という本を読む機会があり、著者である母親の自然食と自然の中での教育の結果を驚嘆な育てかたで、命の可能性を知りました。しかし誰もがこの著者のように育てられるわけでなく、日本国民や制度がこの著者の活動に対して寛容になれたときには大きくクローズアップされると思いました。簡単にあらましを説明しますと、玄米菜食をすることから著者の大病が治り、現代医療を否定した、また一般の教育方針からかけ離れた子供教育を母親、著者の孤軍奮闘で天才を育て上げた内容です。著者の哲学は早いうちから成長を促すような立ち歩きではなく、いつまでもはいはいであり、歩けるようになれば勉強をさせずに、戸外で育て遊ばせること、テレビなどで脳に早くから不要な情報を入れさせないことを基本としていました。成績は中学校まで3人ともほとんどオール1であり、15歳で大検入試合格させ、それぞれがイタリアで音楽関係や日本で医学関係他でそれこそ天才を作ったという内容です。
さて、今日、受講生の前からの勧めで「未来を生きる君たちへ」というデンマーク映画を見ました。普段はエキナカの大きなスクリーンでメジャな内容の映画を見ることが多いのですがマイナーで、客席は30席くらいの小さな映画館です。パンフレットをもらったのである程度ストーリは読めると思います。要するに可能性のある子供だが大人と同じように仕返しという犯罪を犯して友人を傷つけてしまうが謙虚にあやまり、反省をしました。大人同士は勝ち負け、仕返し、闘争、戦争の中で生きているが、子供の屈託のない明るい表情こそが大人たちにも未来に明るさを感じさせる希望なのだと言うストーリです。
沖導師も子供から心の狭い大人がもっと学ぶべきであり、可能性を奪っては行けない、もっとたくさんの体験をさせること、自分で考える力や生きる力をつけられるようにすべきだと説いていました。
幕張で合宿
今回の合宿は震災の影響を大きく受け、開催を危ぶまれましたが、規模こそ例年ではありませんが、100名を超える方々の参加いただき、内容の充実した研修を行いました。
台湾からも新理事長 張延梃先生、元理事長 楊増江先生他3名が参加をされました。
今回東京近辺で行うことでもあり、はじめて沖ヨガに接する参加者もありましたので沖ヨガ道場を意識したカリキュラムがいくつかありました。
三好先生の強化法では道場の一日の流れの中でこの行法の意味、精神性などの説明として生命力を高める具体的行法であるとして実習で汗を流しました。インドヨガと根本的に異なる総合ヨガとしての特色はこの強化法が代表的なものでした。
大阪枚方市で「かたの健康会館」を主宰されている珠数先生は今協会の役員をしている団塊の世代の一回り上の先輩です。日本で行われた’79国際総合ヨガ世界大会(1ヶ月間50カ国15,000人参加)の実行委員長でもありました。今回はメイン講師の一人として、修正体操の基礎から学びました。先生の最近出された「心も体も楽になる」の著作を例に出しながら、心の癖、体の癖を意識的に修正することの大切さを説かれました。
張延梃先生のアサナは独自にアサナの訓練をされ、アクロバティックなポーズが続きましたが、それは10年を超える毎朝2時間のアサナ訓練の賜物です。そのアサナからは瞑想的な雰囲気があり、単なる体操ではないことがはっきり見受けられます。私たち受講生には張式太陽礼拝体操を行いました。日本人で先生のところで定期的に修行をされている武藤さんという女性がデモンストレーションなどしてくれました。あとで彼女と話すと先生のアサナはひとつひとつがとても長いとのことでした。これも心を大切にしている訓練法と理解しました。(カメラ故障のため写真なし)
さて今、物にあふれている家の中で片付けをテーマにした「断捨離」がベストセラーになっています。その著者のやましたひでこさんの二日にわたり4時間の講演です。やましたさんは元沖ヨガ修道場の外部教室ヨガアシスタントでした。結婚してヨガをやめ主婦をしているときに沖先生のヨガの喜びの中にある「断捨離」が−こころと同じように家の片付けができるといいね−と言ったとたんにひらめいて、物の断捨離をテーマに講習会を始めたそうです。やましたさんの講義は沖先生の心の講義同じでした。今を大切にする、いつか役立つかもしれない物は雑念でいらない物です。退出してもらいましょう。そして人の心配をするよりも今の自分が輝いていますかを説明されました。物に例えれば高かった物や人にもらったもの、全く見向きしないもの、これも退出してもらいましょう。そして沖ヨガ特有の「治さない治しかた、教えない教えかた」と同じように「片付けない片付けかた」は心がそのようになると努力しなくても片付いてしまうのですと説かれました。
龍村先生の断捨離行法の講演は沖先生の修行時代の話しやこの断捨離の言葉をはじめて知ったのは「ヨガ行法哲学」の中で心身が麻痺しないように慣れてしまっていることを断つのだという箇所であったと断食断心を例に出して説明されました。また今やミリオンセラーの続いている「ヨガの喜び」は沖先生の原稿を龍村先生が2日間のホテル缶詰で出来上がった本であることを話されました。やました先生とのアシスタント時代の思い出や沖先生の言動が一見非合理に見えることが深い愛であり、理解できない人は不満を抱き、あとになって気がつかせる能力は沖先生のとらわれていない断心の無執着の実践なのだと述べられました。
北海道のロマン
知人から「骨鬼(くい)の末裔」という本を借りて読んだ。面白くて再度読み返す予定であったところ、教室で山好きのKさんにその話しをしたところ、読みたいと熱望された。その場には所有者の知人も同席し、そんなに面白かったら「あげましょう」と言われ、Kさんに渡したのだが、それからヨガの授業は著者の「新谷暁生」の雑談で時間を大幅に遅れてしまった。著者と懇意にしているという又別の人Iさんがいて著者の豪快さとカヤック、ニセコ、知床談義が始まり、話がつきそうもない。
そして本の内容に及ぶと又別のSさんがすごい、すごいと言って授業に戻れなくなってしまった。何がすごいというと13世紀末に中国のチンギスハンの流れを汲む元朝(げんちょう)の元冦(げんこう)が九州を襲ってこれが原因で鎌倉幕府が衰退するが同時にその頃、北のオホーツク千島を拠点とする民族が中国大陸のアムール川付近を侵略し元(げん)の人々に骨鬼(くい)と呼ばれて恐れられていたという話しが気に入ったというのだ。日本は元にやられっぱなしではなかったのだと大喜びしていた。
この本はニセコの雪崩事故防止方法の画期的なニセコ協定から知床の国による環境保護がかえって環境破壊につながっていくという自然観そして山で事故を起こしてはならない、北方民族の盛衰、アリュウシャンの民族、松前藩のアイヌを酷使した愚政策、差別はまた同時に日本人から差別されしまうシャモ(鶏ではない)の話し、アイヌとカイいう民族、北海道の開拓に大きな足跡を作った松浦武四郎・・・このように多岐にわたる内容は「新谷暁生」の人物の魅力そのものである。
数年前に網走に行ったときに1,000年以上前のモヨロ遺跡があるということでタクシーに乗って行った。土を盛った竪穴住居みたいであった。そのときオホーツクのたくましい民族のことが印象的であった。(2006年10月31日モヨロ遺跡 当ブログ参照)そのことも思い出した。
幕末のころ青森にあった松前藩のアイヌ差別、搾取や移住禁止などで統治能力がないことから幕府が蝦夷地を開拓に乗り出した。そのころから日本各地から本州から移住が盛んになり今の町や街が生まれてきたがそのためには蝦夷地を探査する必要があった。松浦武四郎は三重の松阪出身者で探検家、冒険家であった。はじめは個人的好奇心で松前藩の妨害を受けながら蝦夷地旅行であったが幕府から調査を命じられ、アイヌの人たちの協力を得ながら探検に成功した。彼はアイヌ民族の文化を保存して現在の北海道の地名などを命名している。
たとえば札幌はアイヌ語の「サッポロベツ」(乾いた大きな川)であったり知床は「シリエトゥク」(ちのはて)など、ほかにもそのままにアイヌの言葉を漢字に当てたりカタカナにしたりしている。そしてまた北海道に現在12支庁に行政区が分かれているがこれも松浦が民族や地勢の違いを調べ上げた区別した結果をそのまま使っているそうだ。
そういったことから松浦武四郎は北海道の開拓者であり名付け親でもある。彼の銅像は北海道内に50カ所以上に及ぶ。又名もない小さな町にも彼の銅像は建っているということだ。松浦は初め北海道を北加伊道と呼んでいた。それはこの大きな大地に数種類の民族がいることがわかり、オホーツクなど北の方はカイと呼ばれる人々がいた。著者の新谷はカイとクイ(骨鬼)には関連づける文献はないとしているが、言葉の音からから想像してしまう。明治政府は北加伊道を東海道などと関連づけて海という字に変えて今の「北海道」にしたそうである。
松浦武四郎、わたしも北海道で生かさせていただいて40年近くたつが何回もいろいろな所で銅像を見てきたが、そんな偉大な方とはつゆ知らず大変失礼なことをしてしまった。彼は明治政府になって開拓史となって送り込まれた役人と意見が合わず、元の三重、松阪に戻り、故郷の大台ケ原の探査探検にエネルギーを注いだという。
そういえば若い頃、台高山脈縦走(大台ケ原—高見山)をしたことがあるがそれは大変なきつい山行であった。台高山脈は三重県と奈良県を分ける標高1600メートル前後の山であるが上ったり下りたりの往復40キロを一日で走破したことを覚えている。当時はベースを途中においてほとんど空身で走るがごとく、ただ登ったという行動であった。ばてるものが続出し雨が降ってくる、動けない者どうするか、野営の準備もない。新谷暁生は山で絶対遭難してはいけないというがほとんど遭難しそうであった。私はというと偶然ポケットにカンロ飴(今でもある、あのまるっこいの)を食べていたからばてなかったのだろうと懐かしい思い出である。
遠い昔は征夷大将軍という官職で東国を支配する武将(坂上、源、徳川)がいた。榎本武揚が率いる「蝦夷共和国」の夢もあった。蝦夷地から北海道へ。今北海道は都会と自然が調和をとっているすばらしい土地である。これからも震災も含めて大きなうねりがあるかもしれないが日本国が北を頭にして、東京大阪を手足として発展する日がくるかもしれない。
體の動かし方
「体が硬い人のヨガ本」は順調に版を重ね、5版を出すことが決まったと連絡を受けました。札幌駅の複合商業施設ステラプレイスに入っている大手書店では平積み扱いになって、手に取りやすくなっています。
ここでの話しは体が硬い人にも通じる楽に体を動かす方法です。体の旧漢字は「體」と書きました。若い人は知らないとのお返事ですから、話が進みません。旧漢字を使っている資料はなかなか見当たらなく、江戸時代末期の「解体新書」杉田玄白がオランダの解剖学図を訳した本ですが、これに「解體新書」とありました。(私の本ではありません。某大学所蔵とありました。)
昔は体を體とあらわしたのです。実にうまく言い当てています。すなわち骨がたくさんあると言う意味です。体は動くためにあるのですから、骨がたくさん必要なのです。動くことは骨が動くことです。ですから体は體とあらわすのです。
体を楽に動かす方法は骨が楽に動くことが大切です。骨が楽に動けば筋肉は緩むのですが、硬い筋肉であったり、力づくで骨を動かすと筋肉は緊張して骨は動いてくれません。筋肉をいためることになります。
楽に楽に骨を動かすことが楽に気持ちよくポーズを作る極意です。さあ、どのくらい楽に動かすことが出来るでしょうか。これは精神領域かもしれません。心が緊張したり暴力的発想が出てきたりすると筋肉は緊張するので楽に動かすことは出来ませんよ。だからヨガは体を使った、心の訓練だと言うのです。心静かに、やさしく落ち着いて丁寧に自分の体を扱ってください。骨はたくさんの情報を持っています。筋肉を怒らせないことで心が安定してくるのです。
映画を見た
お正月に映画ロビンフットを見ました。見ているうちに小さい頃読んだ「ロビンフット冒険」の本の場面がありありと浮かんできまます。映画のようにかっこ良くなく、代官との戦いに終始していたような気がします。名前もリトルジョンとか僧侶も本の中にたくさん登場していました。(映画では少なかった)本の中ではシャーウッドの森の中は奥深くてロビンフットとその仲間の世界だったという物語でした。
この映画は史実にも基づいて作られているようです。例えばマグナカルタという(むやみに人を拘束してはいけないなどという国民の権利を定めた)現英国憲法の一部がこの場面で提案されています。この提案に怒った王様がロビンフットを放逐、罪人、無法者アウトローにしたという最後のナレーションでした。
ここで連想ゲームになります。ローマ人物語(塩野七生著)も二回目となると少々飽きてきますが、今はカエサルのガリア戦記3年目で映画のシャーウッドの森と同じようにガリア(フランス辺り)は深い森の中でガリア人、ゲルマン人と戦う場面です。そしてガリア人の裏切りに対して皆殺しと従順であれば寛容友人扱いという二面作戦でライン川の西側のヨーロッパを支配します。ついでにイングランドにも上陸しますが視察程度です。しかしガレー船100隻,10000人という大軍です。ガレー船というのは地中海世界の定番の櫂の付いている船で相手のガリアの船は原始的な帆船です。カエサルの圧倒的勝利です。この年(BC55年8月26日)が大英帝国建国の日になっているのは面白いことです。この時代は日本は漢之倭之那之国王の印字をもらった年から100年前、三国志の時代から300年くらい前です。
今読んでいるところは戦いの場面が多いのですがカエサル5万、ガリア集団10万人が戦い、この10万以上が全滅するのですからスケールは大きくて、異民族同士の戦いなので戦闘員が全滅するとその民族(住民女子供)は抹殺に近い状況になります。日本史の大きな戦いは関ヶ原の戦いで徳川と豊臣の戦いで両者それぞれ8万くらいですが死者はあまり多くないと思います。これは武将同士ですから負ければ退却、切腹でおしまいです。日本では仲間意識があるので戦闘が終われば後は話し合いです。しかし古代ローマは野蛮人相手ですから人間と見ていなかったのでしょう。極刑でもって見せしめもありました。世界中の戦闘とは西欧だけでなく東洋、中国もそのような歴史を持っています。日本も太平洋戦争では同様な互いが住民を含めた悲しい戦争があったことを思い出します。
12世紀のロビンフットは鎌倉時代とほぼ同時期です。ヨーロッパではイスラム教に対して聖戦を行う十字軍の時代です。映画ロビンフットの中でも十字軍がありましたが、武士、騎士階級の登場は世界史的に同じなのでしょうか。
ローマの歴史を見ても十字軍のイスラムとの戦いを見ても、またまた近代、現代を見ても殺戮の歴史があるのです。なんと人は残酷な存在なのでしょうか。それに比べて日本人は先にも述べた戦争を体験しましたが、総じて平和を愛する国民と言えましょう。幕末に坂本龍馬の提案である大政奉還が無かったら明治維新ならぬ、日本の地は殺戮の焦土、列強の帝国支配になっていたかもしれません。
ローマ人物語の著者塩野七生は去年から十字軍物語を書き始めました。読みたいけれど、本屋さんでちらちら立ち読みしている程度ですが難しそうです。
しかしイスラムは地上最大の宗教ですからこれからは勉強する必要はあるでしょう。
大晦日
今年もあと、数時間です。紅白、K1とチャンネルをまわしましたが、面白くないのでパソコンに向かいます。年末の各クラスのファイナルレッスンは行持集を読みました。この行持集のフルネームは生活行持集といって、道場生活では朝起きてから寝るまでを意識的に自己向上のために読む資料集のことです。
自己の改善のためには生活が大切ということが「自己解放の誓い」にありますのでこれを転写します。
本題です。ファイナルレッスンなので皆さん、今年一年お世話になりました、良いお年をお迎えください、来年もよろしくお願いします。とご挨拶するのですが、それと同様に「眠りの誓い」を読んで一日の反省ならぬ、一年の反省として声を出して読むのです。「自分の努力の足らざらしことをお詫びします、また明日の新しい誓いをたてています・・」という内容です。
また、「目覚めの誓い」では一年の計は元旦にありというわけで、「目覚めたということは生きるに十分な体力の与えられていることに気がつきました、私は全力で生きることを誓います・・」となるわけです。
それでは皆様、良いお年をお迎えしましょう。
まっすぐが大好き
体が歪んでいるような気がするとか体のバランスが悪いという話を良く聞きます。
ヒトは脳化(養老猛司さん)といって自然を排して人工のものを作り出すのを好むそうです。都市には自然である牛や馬や蛾やミミズがいないのもそうです。その人工のものとは道路であったり建物であったり運河もそうです。またまたまっすぐのキュウリ、丸いトマト、スイカ リンゴなどなどは人の理想を商品にしてしまいました。自然界でたまたままっすぐのキュウリができるのは偶然に海岸がまっすぐなのと同じように偶然の代物のはずです。
このまっすぐ、を体にも当てはめて自分で体が曲がっていると一生懸命ストレッチや体操、整体治療、カイロプラクティック等に精を出しています。しかし真の治療家は見えないところの歪みを取って心身を癒す方法を取るのですが凡人の我々は体のバランスが悪い、栄養のバランスが悪いと大騒ぎをします。
体は元々歪んでいるものです。内蔵は左右対称ではないし、また、右利き、左利きとそれぞれが生まれつき持っている癖もあれば、知らぬうちに身についた癖もあります。姿勢の癖や話し方の癖、考え方の癖などそのヒト特有で独特、個性であります。沖先生はその癖を業と言いました。悪い意味での業ではありません。自業自得も悪い意味ではないのです。ヨガでは自業自得の教えといって自分が持っているものに対して当然のように獲得する、失うことをいいます。
それなら良い意味の業を得るためには不得意なことを獲得するために学ぶことが大切、日々の習慣を変えることが大切と教えています。嫌なことを喜んですること、弱いところを強化すること、まっすぐであるべきところをまっすぐにすることをいいます。沖先生はそういう修正法を教えていました。なにもまっすぐにすることばかりではないのです。体が曲がって正常な人もいます。玄米の食事がいいとは限りません。道場時代に白米、甘いもの、肉魚を食べさせている光景を見たことがあります。ヨガとは生活のバランスだと改めて知りました。