拙著「体が硬い人のためのヨガ」が発行されて2年経ちました。おかげさまでいまだに、増刷の連絡を出版社から頂いています。またこの本はイラストが中心なのでDVDのビデオを出してほしいという要望が出版社にあり、制作を冬からかかっています。出演者は「私」です。きれいなお兄さんおねえさんの方がいいのにと思ったのですが、主張は通りませんでした。それもようやく、出来上がりそうです。
ところで、1ヶ月くらい前に出版社「日経ヘルス」さんから取材の話があり、雑誌として全8ページカラー版で紹介をいただきました。題は同じく「体が硬い人の・・」で同じです。小さく私の写真が出ていますが、この写真はDVD制作用の写真でした。おもしろい写真なので早めに皆さまに紹介します。
さてさて、体が硬い人は前屈のポーズのときは、膝を曲げましょう、と述べてきましたが、最近変わりつつあります。それは背すじを伸ばして骨盤と背骨を一体化すると、不思議に膝が曲がりませんがそれなりに倒れてくれます。ただし、欲を出さないという注意が必要です。ヨガをやっている人も普通の人もそうですが、欲が強すぎます。ヨガや仏教では「ありのまま」の姿を大切にしてきました。しかしポーズを作るときに、あるべき姿を想定して、無理をしたり、ある部分だけ(頭だけ)倒したりしています。それは己を知らずして、欲を出している姿といえましょう。
正しい前屈は背すじを伸ばし、骨盤が倒れるところがその人の「ありのまま」の前屈なのです。少ししか倒れないかもしれません。しかし己の欲を消し、自分の体の重さを感じ取ると、少しずつ動いていく、倒れていくのがわかります。いや変化しないかもしれません。それはそれでいいと思います。ポーズを作るときに雑念を消すのです。アサナとは、動禅です。瞑想です。是非そのようなポーズを作ってみてください。
少し付け加えますと、長座で座っているとき、座骨は床に刺さるがごとく置かれています。倒れるに従ってその座骨は後ろへ滑って行くのが感じられたら、かなり進歩してきているでしょう。是非、動禅としてポーズを作ってください。このようにポーズの作り方は日々変化し更新していくものと思います。
投稿者「mizuno」のアーカイブ
イタリア単独行4
フォロ・ロマーノの隣りにあるのは、コロッセウム。古代ローマ市民の最大の楽しみはここで行われる決闘試合です。専門の剣闘士も存在して、互いに闘い合わせたり、虎やライオンと闘うこともありました。主催者は皇帝です。皇帝は独裁者ではなくて市民の信望を得ることが何よりも大事なことでした。
このコロッセウムには地下室があります。ここに猛獣や、剣闘士の待機場所でありました。そしてここにはエレベーターもあったそうです。
又世襲制ではない、皇帝は市民のために自費で公共事業の建物や土木事業も行なわなければなりませんでした。この皇帝のために市民は歩兵となり、ガリヤ(フランス)、ライン川近くの辺境に赴く義務がありました。
ローマ軍団はとにかく強い。それは家族や出世のために一致団結する力があるのです。又、土木工事がやたらに発達しているのは、フォロ・ロマーノを見ても現代人もおどろくほどです。戦争につきものの道路を作る、橋をかける、攻略施設をつくれるのもローマ軍の強さでした。特にその中でユリウス・カエサルは全ガイア地方の部族を敵に相手に戦闘を続け、全ガリアを属州とします。その時の戦闘や地理、文化人類学にも似た詳細な「」ガリア戦記」を書いてガリアの特徴を記述しているそうです。
またこの当時ブリタリアにも2回上陸ます。その後の帝政ローマになって一時的に属州になりました。
ローマ軍団の兵士は怪我をして戦地にとどまったり、敵地の女性とねんごろになって、たいていは略奪ですが、その地に居座る兵士が多かったそうです。このようにして西ヨーロッパはローマ化されて行きました。
最近の映画、テルマエロマエは浴場をテーマにしたコミックの映画化ですが、これは最大の領土を広げたトラヤヌス帝の時の後の、ハドリアヌス帝のときになっています。ローマ市街には太平の世の中が続いていたと思われます。
しかし、このローマ帝国とて、諸行無常です。もっと強くて数の多い蛮族ゲルマンの南下やキリスト教の影響で衰退していきました。
イタリア単独行3
イタリア訪問の一番の目的は[「ローマです。」(フッと映画ローマの休日の王女の最後の言葉を思い出しました。)その地は「フォロ・ロマーノ」。古代ローマの帝国になる前から存在していたBC700年以上前に建国されたローマ共和国の遺跡を見るためです。釈迦牟尼仏陀が現れたのはBC500年ですから、もっと前です。日本で言えば聖徳太子の時代がAD500年ですから、その遥かむかしに、巨大な建造物が造られようとしていました。ユリウスカエサルの時代がBC100頃だからそのもっとむかしに元老院という統治組織も建造物も存在していました。
その古代ローマに憧れ、カエサルに憧れたのはこのブログでも登場した「塩野七生・ローマ人物語」です。(そうそう花嫁の略奪婚に成功した話しをしました。)西ヨーロッパに文化の種を撒いたのもユリウスカエサル。遠くイギリスまで遠征しています。そしてライン川を超えましたが蛮族中の蛮族が住むことの地からの防衛に苦労しました。
その少し前はカルタゴ武将ハンニバルによるローマ侵略、スキピオによるカルタゴ消滅、その地を不毛にするために塩をまいたというのも、そのくらい苦しめられたのでしょう。この辺はうろ覚えです。
クレオパトラも無視できません。ユリウスカエサルに自分を差し出して古代エジプト、プトレオマイオス朝を守ろうとしました。その子供はユリウスカエサルの跡を継いだ初代ローマ皇帝アウグスツヌスに殺されました。当然と言えば当然。日本の戦国時代は皆やっています。
よこみちに行き過ぎました。
そのフォロ・ロマーノは古代ローマ時代の遺跡のことを言います。その遺跡は現在も発掘中です。たくさんの人が工事人のように古代ローマの遺跡を元に戻す作業をしていました。というのはローマ帝国はキリスト教の影響下に入り、古代の神像をエルベ川に投げ捨てられたり、帝国が二分され、西ローマ帝国が滅亡するとこのフォロ・ロマーノのあたりは、なんと牧草地になっていたそうです。それなら遺跡は土の中に眠っていただけですが、ルネッサンス期になると文明復興ですから、その遺跡の品々を加工してほかのものに作り替えられたりしてフォロ・ロマーノの辺りはめちゃくちゃになってしました。復元は難しいそうです。記念館には、胴体のない神像や、顔だけの像がたくさん並べてありました。それでもフォロ・ロマーノを今私たちに見せてくれているのは、その時代の以下にローマ人が土木や建造物に長けていたかを見せてくれる遺跡群です。2000年以上前の古代都市の様子を見せてくれ、そして数々の歴史上の場面を復元してくれています。
私は今回残念ながら丸一日しかローマ滞在をしていないので、世界中から来ている観光客と一緒に、コロセウムとこのフォロ・ロマーノを見るのが精一杯でした。まあ二度と来れないでしょう、このローマを明日発ちます。なんか家族を京都見物に連れて行ったような気分です。ほんのさわりだけでしたが、ここからまた私の中でロマンが広がっていくでしょう。
アウグスツヌスの生家
イタリア単独行2
今日はヨーロッパサッカー選手権決勝の日です。テレビで見ていましたが、イタリア、スペイン戦はイタリア負けました。試合前のローマ、ポポロ広場を通ったところです。警察がものものしいです。たくさんの人が若者、子供、家族連れがたくさん集まっていました。終わった今も外は車のクラクションで騒がしい。
さて、ミラノを後にした旅人はベネチアに行きました。世界中から集まる観光客には驚きます。一応京都観光の案内役を引き受けていますが、比ではありません。この人の多さは以後に続く、フィレンツェ、ローマも同じくです。
ベネチアはテレビでもよく出る風景です。そのよく出る風景を写真に撮りました。サンマルコ広場が中心で、行きは船、帰りは歩きです。どうも行きの船は無賃乗車をしたみたいです。1回7ユーロ(観光客だけ高い)のところ途中下車させられて乗り継いだのです。歩きは不安でしたが、地図を見ながら、また標識を見ながら、「ここはどこ」と聞きながら元の地点に戻りました。私の時計は磁石になるのでこれからの日程でも大活躍します。
次の日はフィレンツェです。荷物をデポして地図とカメラもって近場をうろつきます。デポは山言葉でも使いますね。このデポする山行はめちゃくちゃ辛い経験があります。何せ重いザックを担いでいるときはゆっくりと規則正しく休憩を入れるですが、そのザックをデポして、軽装で出かけるときは山の中を走るがごとく目的達成、そう単に行った、というだけの行動になります。今度もそんな感じです。今回も地図を見ながら、大きな建物、人がたくさんいるところを目指して行って、写真を撮る作業です。どこへ行ったかは後で調べてみます。
しかし、歴史ある都市をぶらついていると、もう一度じっくり世界史を勉強したくなります。地域ごとの歴史が大きな力に翻弄され、またその大きな力もうねりのように変わって行くのを現代から見ると面白いと思います。そしてその様々な外国の人たちを見ていると、外からの民族の血が少ない日本人、東洋人と征服を主とした文化を持っている西欧、小アジアの人たちの外観や記念館の派手さが目につきます。衣装もタットゥも男性の筋肉質や体のでかさも、女性の胸の大きさも、建物の大きさもはっきりとした違いを感じます。力を見せつけ、状況の適性能力が発揮されるのでしょうか。
イタリア単独行
オランダ、イタリアのヨガ合宿、研修セミナーを終えて、イタリア単独行が始まりました。もう知り合いはいません。今まで、ミラノで大変お世話になった方の見送りを最後にベニスに着きました。人が多い、暑い、道に迷うで少しばて気味です。しかし6月はまだブログをアップしていないことに気がつきました。思考力も不足していますががんばって制作します。
一人になって、むかしもこんな心境になったことを思い出します。3,40年前に山をよく登ったことがありました。チームを組んだ遠征パターンから単独行に移った時期も不安がいっぱいでした。目標を定めて行動しますが、怪我や遭難に備えて準備もしました。途中で何度も引き返すことを考えながらの行動でした。
月日が移り、歳を重ねると安泰な日々が続きます。いや、その中でも試行錯誤の不安感、挫折は多くありましたが、まあなんとか今までやってきました。
年金をもらうような年代になり安定思考が漂う中、何を考えていたのかヨガ研修のあとの一人旅を企画しました。ほんの軽い気持ちです。言葉大丈夫?と自問します。新聞記事に英語なんか話せなくてもいいと言うのを見て、変に納得し、体力も気力も過信して計画だけが進んでいきました。
そういうわけで今、ベニスのサンタルチア駅そばのホテルにいます。明日はフレンツェに行きます。昨日までミラノの知人たちが集まって、イタリア旅行の心得を伝授され、脅かしが山ほど続きました。泥棒、スリ、恐喝、何でもありがイタリア。盗みのプロはグループあり、子供あり、美女集団あり、股間に手を伸ばしがありのイタリアだと言います。用心はするのですがどうなることでしょうね。まあ。これも楽しまないことには前に進みません。
そうそう、イタリアは英語表記がどこにもないのですね。そしてほとんど通じない。まあ私の英語は英語じゃないからどちみち通じないけれど。初めての水の購入、トイレの借り方、レストランへ行って注文の取り方、まあまあ初めてのことばかりです。(初めてじゃないです、台湾やその他の地域でもやっていました。)道を聞くのは日本でもやっているので自信はありますが、同じように教える人によって適当です。最低3回くらいは聞かないと目的地に行けません。私の場合は目的地じゃなくて帰る道がわからなくなるのです。
さあ、明日からまたがんばって、見聞を広げよう。数十年前の自然を相手の単独行から異文化を相手の単独行、何とかなるでしょう。今までもそうなんだっただよな。ものすごい莫大な感動がこちらにはあるのです。写真やテレビで見るのとは全く違います。
仮想体験から実体験、これがすごいことなのです。イメージ練習から本番での行動、この行動がまた深〜いイメージ練習につながります。これからの写真やテレビを見る見方が変わってきますね。
下の写真はミラノ ドウモという教会です。詳しくは後で調べます。度肝を抜くような建物です。中もすごい。キリスト教文化とはこれまたすごい。
青空ヨガの報告
琵琶湖合宿
私の出身校、沖ヨガ道場の教えを後世に残すためのNPO沖ヨガ協会の定期合宿が琵琶湖湖畔でありました。
JR唐崎下車のKKRホテルびわこは景色もいいし、食事も抜群でした。ベジタリアン用と普通食を希望者毎にかえてもらったのは細やかなサービスです。
私にとって、琵琶湖は小さい頃、町内会からバスで真野というところで海水浴に行った思い出のある場所です。当時は海よりも琵琶湖で泳ぐことがほとんどで、ここで泳ぎを覚えた場所でもあります。子供の頃ですから大きな海のような存在でした。水もきっときれいだったと思います。
しかし今回は南の端の方でもあり、対岸のネオンがしっかり見えたりしてだいぶ、印象は違います。
しかし景観は写真のように抜群でした。
唐崎神社で朝の行法です。気持ちのいい日曜日が始まります。この神社は近江八景の一つになっていて、ここの松が金沢の兼六園に一部移したとのことです。美しい女性が近江富士を腕の間にはさんで二人ポーズです。絵になっています。この女性たち、実は孫がいる・・との噂です。へーぇ・・
さて今回合宿のメインゲストは「高野孝子」さん。文化人類学者で世界の民族の生活を研究されています。また各国の研究者と一緒に北極圏を横断したりする探検家でもあります。彼女は「生きること」をテーマに20歳前後の青少年を未開の土地に連れて行って生きることの基本を教える合宿活動もされています。
彼女の講義録を一部紹介したいと思います。
生きることに直結した暮らし
人として必要なことは自然が全部教えてくれる
土地とのつながりを取り戻す試み
大切なことってだっけ
幸せって何だろう
学校ではしばられたせいかつをしているけれど、雪山で解放された
いつもの生活が、どれだけ裕福で幸せなかを知りました
1日目緊張で話せなかったけれど、やっているうちに話せるようになってよかったなぁ
復興とはどこへ向かうことなのか、人が生き
るとはどういうことなのか。よくわからなく
なっていました。しかしヤップにはそれこそ
人が「生きる」現場がありました。無いことを
憂いて、なにかによって幸せになるのではな
く、知恵を出し、手をかけることでかぎられた
ものから豊かな暮らしを抽出するような・・そ
のプロセスの中で心も身体も動き出して、
人が本能的に持っている躍動感を楽しめて
いるような気がしました。逆に言うと、近代
的な生活は、その喜びを奪っているんだ
なぁ、という感覚も感じました。
前列左端、私はカメラマン。
心の成長を支援するセミナーを受講して
私は本屋やネットなどで「コーチング」という名前は知っていました。しかしそれは自己啓発セミナーの一種だと思う程度でした。そしてまた、一昔前はそのようなイベントがたくさんありました。その当時の内容は玉石混合でした。
しかし今回は講師が長く水野ヨガ学院に来られている方であり、熱心にカウンセリングの勉強をされ、たくさんの資格を取得されていることもあって、雑談を交えて心の在り方をよく話をしたり、教えられたりしていました。
ヨガと心の関係はとても大切なことであり、沖正弘師はヨガを菩薩行と言われたくらいです。
講師と話していて、現代の八方ふさがりの中、まだまだ自ら不幸せを演じる人が多いことを知らされ、私自身の学びにもぜひコーチングセミナーを開催してもらうように依頼しました。
私が思うのに、今の世の中は人間関係が希薄、高度に発達した管理社会、利益優先の社会、差別社会の出現などこれからも大変な社会の中で私たちは生きることを強いられています。私がヨガに関わった30年、40年前の時代は高度成長時代の社会の変革期でした。おそらく現代はそれ以上に社会不安や不景気、世界のグローバル化などが相まってより厳しいかもしれません。
しかし自分の心を正面からとらえて、ものの見方を変え、気づきによって「ネガティブ思考を解放することができる」ことはそれほど難しくないみたいですし、そのためには不幸を演じる癖直しが一番大切なことだと思います。
授業の概要は以下のように進みました。
それぞれが自己紹介をしました。参加した目的などを話してもらいました。そして講師はコーチングの基本を説明しましたが、講師は特に説教的な話はなく、人の話を聞いてください。そして自分のいいところを話してください。 また自分はどれだか周りから支えられているかを話してください。人の話を聞き、又感銘を受けた時は拍手してください。というコメント程度です。
次に物語を読んで「この人の一日はどうとらえますか」ということを自分の考えを話してくださいと提案です。
簡単に物語を再現してみると以下のようになります。
久しぶりの友人に会うため札幌駅の地下にある店で13時に会う約束をした。土曜日に会うことを心待ちにしたが地下鉄は事故らしく途中で止まってしまった。自宅から地下鉄駅に向かうとき知り合いのおばあさんの大きな荷物を持ったため、時間は遅れ気味であった。電車が一本早かったら事故に遭わなかったかもしれない。
途中の駅を出てタクシー乗り場に行ったが雨が降っていて乗り場は混雑していた。友人に前に会ったときは携帯が無かったので待ち合わせ場所がわからないこともあり1時間もかかったことを思いだす。家を出るとき家人に傘を持っていくように言われて持ってきたことはラッキーだった。傘をさしてタクシーを待つ。友人には遅れることを連絡した。そのうちに携帯に登録していた交通情報サービスの配信で地下鉄が開通した連絡を受けた。タクシーに乗らないで地下鉄に戻って札幌駅に着く。20分くらい遅れた。途中で急いで走ったので足をひねってしまって転倒した。すごい痛みで歩くことはできない。近くにドラッグストアがあった。見知らぬ人が肩を貸してくれて連れて行ってくれた。湿布して薬も飲むが痛みが治まらないので、友人にドラッグストアまで来てもらう。彼と話をして病院へ行くことにした。開いている病院をドラッグストアの店員に聞いて、友人の肩につかまりながら病院へ行くが医者に骨にはひびがはいっていないといわれて安心した。夜の10時までレストランや喫茶店で話をした。友人と話してストレスも発散した感じだ。夜には病院からもらった痛み止めのせいか痛みもなくなっていた。
今日はどんな日だったかと思いだした。
「幸せ・不幸せ」を参加者全員でいろいろな面から話を出しました。初めは不幸と思っていたことが実はそうではなく、表裏一体なのだということに気がつかせ立という意見に終始しました。たとえばケガをしたけれど、親切な人に助けられたり、薬局が近くにあったり、土曜日に病院があったり、骨が折れていなかったり、充実した友人との会話であったことなどは見るところがどこなのかによって気付きが異なってくるという内容です。
このセミナーは教えてもらうセミナーではなく、自分が発言して気がつき、そして他の人の発言で、また気がつくというセミナーでした。講師はほとんど講義らしいことはしないことが特徴でした。
このセミナーは幸せ・不幸は表裏一体であることに気がつくことで、「ネガティブ思考」の手放し方は意外に簡単だと気がつくという趣向でした。
最後に講師は以下の宿題を2週間行ってくださいことを受講生に依頼されました。思考の癖を直すには2週間という時間が必要だそうです。
「毎日自分をほめる」 (それは自分への信頼感です。)
「毎日自分は支えられている」 (それは周りへの信頼感です。)
これからもこの2点を毎日問い続けてください。それは自分がネガティブ思考を手放す癖がついたときに幸せアップになることです、というところでセミナーは終わりました。
一人だけの桜
今年も近くの林業試験場(農水省管轄)に桜が咲きました。今年は雨が降って、どうなることやと思っていましたが、きれいな豪華な桜並木になりました。テレビ放映されたのか、たくさんの見学者で有名になりました。最近は車乗り入れ禁止です。数人のガードマンまで立っています。
日曜日には我が家の前の道路は片側にずらりと駐車です。曇り空にもめげずに、たくさんの人が行き来しています。桜並木がどこかの行楽地のようです。その中に見覚えのある人が。。やぁやぁとしばらく立ち話でした。お茶でもどうぞとしきりにさそったのですが、いえいえまた今度ということでした。(これ断られたのですね。遠慮したのかな。)
二日後、今日の朝は抜群の天気です。カメラを持ってもう一度桜の見学しました。誰もいません。すごいことです。
誰もいない自分だけの桜の中で写真を撮りました。駐車禁止の赤いコーンが邪魔です。
価値あることだけどちょっと恥ずかしい
笑いヨガがずいぶん普及しています。40年以上前から沖ヨガの創始者沖先生はヨガの授業でほとんど毎日、「笑いの行法(ぎょうほう)」を行っていました。「笑ってみろ。」「もっと気分よく笑え。」などと夜の寝る前にそんな授業をやりました。今では、私も教室でも私的生活でも笑っているのですが、場所が限定されます。お風呂の中、車の中、誰もいないところですが、最近、街中でも歩きながら「くっくっ」と笑うことがあります。特別大きなアクションさえしなければ誰も気がつきません。どうぞ、リフレッシュするために、気分転換のためにみな様も「くっくっ」と笑ってみませんか。
笑っていて気がつくことは、普段の感情というか、思いというかどこから湧いてくるのか不思議に思います。例えば困ったことや不安なこと、怒り、悲しさなどの感情が湧くとき、その感情は繰り返していると、深くなって、そして気持ちが暗くなっていきます。それはエスカレートしていくのです。そこで気を取り直して「ワハハ」と小さく、数回笑うと、今までの暗い気持ちはどこかに行ってしまうことがよくあります。その気持ちはどこへ行ったのでしょうね。
ところが、ある人はそんな簡単に気分が変わらないとも言います。変わらないのは、その感情を思い出すからなのでしょう。思い出さなければいいのです。思い出すことをやめるのです。思い出そうとしたとき「グッバイ」と切り替えるのです。例えば、「次」と他のことを考えようとすればいい、これは少し練習も必要かもしれません。切り替えの上手な人はそのようにやっているのです。落ち込んだとき、「笑う→思い出さない→他のことを考える」ということをやって見る価値はあります。
その中で一番大切なことは、「くっくっ」と笑うことです。最近は街中でマスクをしている人が多くなりました。そのマスクのなかで「くっくっ」と笑ってもいいじゃありませんか。自分は他人が見えていても他人は誰も見ていないとわかったら「くっくっ」と笑います。お腹がちょっと痛いくらい「くっくっ」がいいでしょう。
次の話題です。
階段の降り方は前にこのブログでテーマにしていますがもう一度テーマにします。
先日、地下鉄の下りを若い男性が猛然と走っていきました。発車に間に合ったのでしょうか。面白かったのは彼の後ろ姿が「エリマキトカゲ」そっくりの走りでした。エリマキトカゲとはどんなのか写真でお見せします。
彼の手も足はまったく「エリマキトカゲ」です。でも上手にすばやく、降りてるなと感心しました。数段だけ私もやってみましたが、人の目があるのでやめておきました。その降り方は山の下りで、大きく横に飛んで左足で支え、また横に飛んで右足で支え、膝を大きく屈伸して、飛ぶように降りていく姿と同じです。ただ彼の腕は空身なのでバランスをとるために「阿波踊り」風でした。これは腰を柔らかく使っているので膝にもよさそうです。
は虫類は地上を這うしぐさしかできなかったのが、エリマキトカゲは進化して、地上を飛ぶように走ったのです。体の負担を最小限にするためにあのようなビデオの早回しの阿波踊りのような走りになったのです。私たちは手を上げなくてもいいのですが、膝を外に交互に出して降りると、まるで落ちるがごとく気持ちよく下ることができるでしょう。
ただし、転んでケガをしても自己責任なのでそのつもりでやって下さい。