禅・坐禅

「声に出して読もう日本語」という齋藤孝著の本をいっとき、日課のようにして30分読んでいたことがあります。その中で道元の書いた文を暗誦することにしました。上っ面でもなんとなく理解ができる文章ですが、かなり有名な文であることが分かり、それでは正確に理解しようと以下に意訳をしてみました。

 仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。(『正法眼蔵』しょうぼうげんぞう「現成公案」)-声に出して読もう日本語-
 仏道を学ぶことは、本来の自分(本来の自己)を明らかにすることだ。本来の自己を知ることは、分別的(利己的)な「私」という自己への執着を捨てること(自己を忘れること)だ。この「自己を忘れた」状態こそが、「万法に証せられる」境地である。その結果、自分と他人を分けていた心と体のとらわれが消え、自他の区別を超えた自由な境地に至る(自他一如)。

 「万法を証せらるるなり」の意味は自分が悟るのではなく世界のすべて(万法)の働きによって悟りが明らかにされる。
 もっとわかりやすくすると、人が努力して「悟りを掴み取る」のではなく、坐禅する、日常を生きる、自然や他者と関わる、そのすべての中で万法(世界そのもの)がこちらを通して悟りを証明してくれる。◯世界そのものによって、気付かされる。◯自我を離れたところで、真理が現れる。◯生き方そのものが、悟りを表している。ということになる。「万法に証せらるるなり」は、原始仏教の「諸法無我」を、修行体験として言い切った表現とある。この「諸法無我」は仏教の「根本教理」の諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三宝印の一つである。この諸法無我は沖先生がよく言っていた「山川草木悉皆成仏」(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)と同じ意味である。これはヨガの中での八支則、沖先生の十段階のうちサマディ(三昧行法)に当たるものです。
※(今まで諸法無我のところがよくわからず、高瀬舟を通じて説明しましたが、これでもよくわからず、ようやく、これで解明できました。「世の中は広く繋がっている」(https://mizunoyoga.com/blog/?p=2578)当ブログ’2501)に同じ内容で載せています。)

道元の文で坐禅が必要とわかり、今までの瞑想から坐禅に切り替えました。瞑想はヨガの一環であるので慣れ親しんだもので、数を数えたり、イメージを使ったりしてきましたが、一切考えることをしないのが坐禅です。やってみてこちらの方が30分という時間が早く過ぎるようです。坐禅をやりはじめて日が浅いですが、初歩的な坐禅の仕方を調べました。

・坐禅とは心を止滅させる、心の働きをゼロに近づけることである。
・坐禅は習禅にあらず(道元)、坐禅は苦行でもない、瞑想でもない(目的意識がない)。
・手段とパラダイム(常識、価値観)を外すこと。坐禅をやっているつもりが苦行か瞑想になっていることがある。
・瞑想はテクニックであり幸せになるためで、坐禅にはそれがない。
・坐禅は体で坐って心で坐っている。瞑想は体で坐っているが心は巡らしている。
・言葉による表現は理屈の世界、禅は表現できない世界である。それを不立文字という。
・禅は人為的なことをなくしていくこと。坐るだけでなく生活すべてが禅である。
・禅は己事究明(こじきゅうめい)の道である。己事究明とは自己とは何かを行を通じて探究し明らかにすること。
・禅の代表的標語は「今・ここ」「只管打坐(しかんたざ)」「身心脱落(しんじんだつらく)」である。「今・ここ」とは 禅の修行でいつか今度とか以前にとかはない。今が大切、ここの場所が大事な居場所であるという意味である。
・「只管打坐」はただ坐る、余計な考えはない、ただ歩く、ただ掃除をする、ただ聞く、、評価・目的・損得を離れた行(ぎょう)だ。
・「身心脱落」は体の脱力、一切の筋肉の弛緩を意味して結跏趺坐、半跏趺坐、椅子趺坐などの座り方で、上半身の力を抜き、頭の重さが会陰につながる姿勢のことをいう。また心の脱落は一切の考えをやめることをいう。(目の力を抜くと前に落ちる、耳も音を受け入れ、鼻腔は空気の流れを感じ、舌は口腔の上顎についているのを確認し、手の法界定印は右手を下に左手をおいて親指同士を軽く触れさせる、足は右足が左足の腿の上、左足を右の腿の上(結跏趺坐)、左足を右の腿の上(半跏趺坐)に乗せる。)
・無心について、澤木興道老師-著名な禅家- よう、禅は無心になることでしょうなどと言いおる。無心なんて死ぬまでならんわい。坐禅して良くなると思うておる。そうじゃない。「よしあしを忘れる」のが坐禅じゃ。
・悟りについて、目覚めは煩悩に乗っ取られそうな自分に繊細に気づけるということ。目覚めは修行のゴールではなく目覚めてからが本当の修行の始まりであり、生きることのすべてが本当の意味で修行になるのだ。(仏陀)
別の表現では修行と悟りは一つ(修証一等)である。坐禅の修行そのものが直接本来の悟りを示している。ゆえに過去の大家は悟りの上での修行に励み、仏法の伝統はみなこのように続いてきた。

「声を出して読もう日本語」には他に道元の弟子、懐奘(えじょう)の「正法眼蔵随聞記」があり、これも暗記しても惜しくない文です。
   「この心あながちに切なるもの、とげずと云ふことなきなり」

この雑文を作るのにあたってたくさんのyoutubeを見ました。中でも関心があったのは兵庫県北部にある安泰寺でした。このお寺の前身を読んでみると、1976年頃まで京都市北区大宮玄啄(げんたく)に禅道場があったという。なんとここは私の住んでいたところに近く、また高校にも近いのです。そういえば当時は珍しい、外国人が大勢出入りをしていたのを覚えています。今の安泰寺も外国人の出入りが多いと聞きます。

参考:藤田一照_AI時代に学ぶ禅_youtube/「声に出して読もう日本語」

沖ヨガの学び方

私は約5年くらい前からコラボ沖ヨガセミナーをリモートで毎月開催しています。内容は私が沖先生を通してヨガを学んだことを後世の人たちに伝えるためです。沖正弘先生については他にもこのブログの中で紹介しているのでここではしません。

沖先生の没後40年になりますが残念ながら後継者も後継道場もありません。亡くなられて数十年は私も組織に参入し、沖先生の教えを伝える活動をしていましたが、今はそこからも離れています。

沖先生の教えを伝えるのは優しくて難しい面があります。優しいのは動きの部分です。強化法や、修正法、ヨガアサナは伝えやすくまたわかりやすい内容です。しかしその実践はとても激しいものです。修正法は真似はいくらでもできますが、本質は沖先生しかできない魔術的なオーラというか気が相手に入り、治療につながっていました。

難しいのは精神的な部分です。沖先生のヨガは宗教ではないですが、宗教的な意味合いが多々含まれます。「生命即神」や「自然法則」などはご存命中に何度も講演や「生活行持集」の中で学びました。沖先生には数多くの書物があり、「生きている宗教の発見」や「人間回復への道」など数多くあります。また道場では質疑応答というあらゆるテーマで受講生が質問し、それに答える時間がありました。後にそれらを活字にした資料もたくさん残っています。

私にとって残念なのは40年以上ヨガを学び、まだ沖先生のヨガがあんまりよくわかっていないのです。知っているけど身についていない、それが沖先生の精神的に思想的に難しいヨガなのです。

沖先生は学べ、勉強しる、体験しろとよく言われました。それが沖ヨガを学んでの救いでした。沖先生と同じことができないけれど、完全に理解できないけれど、沖ヨガのエッセンスを遠くから眺めることもできるのです。それは他のジャンルを学ぶことです。

そしてそれらを糧にヨガ活動を50年足らず行ってきました。私のクラス授業はほとんど沖ヨガから離れたものでした。ただ、法人開設以降(1987)以降、沖ヨガを学ぶ意図で『修学会」なるものをつくり、精神的な沖ヨガを勉強してきました。

これが紆余曲折(ウヨキョクセツ)で指導者養成コースにつながりました。テキストも自作ですがつくりました。130ページくらいのB5の小冊子ですが、全部で500部くらい印刷しました。プリンター数台取替ました。初期のプリンターはヘッドだけ交換できたものです。

その養成コースを通して受講者は少しは沖ヨガを理解してもらえたかもしれません。この養成コースは沖先生の他を学べという言葉通りいろいろなジャンルを参考にしています。操体法やフェルデンクライスメソッド、自律訓練法や解剖生理と幅広く取り上げました。しかしメインはやはり沖ヨガです。般若心経、行持集、生命即神、などは決して忘れてはいません。

法人を解散後、動きだけのヨガではなく、コラボ沖ヨガセミナーを開催でき、沖先生の教えを伝える機会をつくりました。私はただ長く体験してきただけですが少しでも沖先生を知ってもらいた気持ちは今でもあります。

そんなとき、司馬遼太郎の「この国のかたち」の’師匠の国’にふと目が止まりました。これは某雑誌に掲載された随筆です。師の教えをどのように今まで伝えられてきたかという内容で空海と最澄が取り上げられています。いうまでもなく平安時代の思想家です。一人はあまりにも論理が整然としているために後世になっても弟子たちはただそれに従うのみでした。あと一人は素晴らしく大きな功績を残しましたが、まだ完成されていませんでした。しかしそこから、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮が自派をつくりました。

この随筆を読んで、沖先生という完成された思想家に少しでも理解したい、その理解の仕方を他に学び、体験したことを交えて沖ヨガを伝えていきたいと思います。


「この国のかたち」の’師匠の国’>





ヨガの本質-2025年ノーベル経済学賞の受賞記事を読んで-日本の賃金があがらない理由-

この雑文は第61回コラボ沖ヨガセミナーのおりに付録として取り上げました。大袈裟なテーマがヨガの本質にあまりに似ているのです。沖ヨガでは人を含めた自然のあり方を「変化・バランス・安定」と説明しています。インドヨガでは「創られ・生活をし・消滅する」することが宇宙の法則です。その考えがノーベル賞を受賞するほどの真理として扱われたのは驚きです。日本人が書いた引用文は難しく見たことのないような数式がたくさん書いてありました。それを簡単にしたのが以下の文章です。

ヨガの発祥はインドでありアーリア系民族が自然の本質を見つけました。それは人間の営み、自然の美しさと脅威などを観察し短い言葉で表しました。それは「ユイ」からヨガという言葉になり結ぶ、調和するという意味になります。それはインドでは「創造」「破壊」「維持」というヒンドゥー教の宇宙観における根幹をなす概念となりました。そしてそれぞれの神がヒンドゥー教にあります。日本では沖正弘の沖ヨガでは哲学としてそれぞれを「変化・バランス・安定」としました。

ヒンドゥーでは宇宙はこれら3つのサイクルを永続的に繰り返していると考えられており、
それぞれを司る三大神(トリムールティ)が存在します。創造の神(ブラフマー)
宇宙を生み出す役割を担います。破壊された後の世界を再創造する神でもあります。
維持の神(ヴィシュヌ)はブラフマーが創造した宇宙の秩序を保ち、維持する役割を担います。悪魔を滅ぼす守護の神でもあります。破壊の神(シヴァ)は世界の寿命が尽きたときに宇宙を破壊する役割を担います。この破壊は、次の新たな創造を生み出すためのものであり、再生の側面も持っています。

この「創造、維持、破壊」のサイクルは、世界が誕生と消滅を定期的に繰り返すというインドの思想に基づいています。
破壊は終わりではなく、次なる創造への準備と捉えられており、これらが一体となって世界を形作っているという考え方です。
日本でも同じような考えが日本の古神道や仏教においても、同様の生命の循環や再生の思想が見られ、物事の始まり(創造)、安定期(維持)、そして終わりと次の始まり(破壊/再創造)は、個人や社会の成長にも当てはまります。沖ヨガの変化・バランス・安定も同じです。

さてここから、出典:ノーベル経済学賞研究で「日本人の給与が上がらない理由」がわかった…日本の生産性を下げた”悪しき文化”を引用した内容です。

2025年のノーベル経済学賞は、フィリップ・アギヨン、ピーター・ホーウィット、ジョエル・モキイアの3氏に授与された。
彼らの理論「創造的破壊」は、技術革新による成長と古い仕組みの淘汰を連鎖的に説明し、資本主義の進化を定式化したものである。

日本の停滞の本質
日本の賃金が上がらないのは「分配の問題」ではなく、創造(新しい挑戦)と破壊(古い構造の淘汰)が足りないため。
• 起業率・退出率が低く、企業の新陳代謝が弱い
• 非効率な「ゾンビ企業」が市場に残り、生産性を下げている
• 教育・再挑戦の制度が不十分で、変化を恐れる文化が根強い

アギヨン=ホーウィット理論の提言
経済成長を生むには、次の4つの連鎖が必要:
創造:挑戦・起業を増やす制度
破壊:倒産・撤退を正常化
成長:技術と人材への同軸投資
制度:破壊の痛みを吸収する社会保障

国家は「投資家兼保険者」として、挑戦を支え、失敗を守る仕組みを整えるべき。

結論として日本の賃金を上げるには、「賃金を上げる政策」ではなく、挑戦・破壊・学び・包摂の連鎖を再構築する必要がある。創造的破壊とは、壊すことではなく「再び希望を設計する力」である。

沖ヨガの出会いそして学んで良かったこと

この拙文は2023年12月に行われた第39回沖ヨガコラボヨガセミナーの資料からです。交流会の質問は①いつどこで沖ヨガと出会い、学ぼうと思ったのでしょうか。②学んでいて本当に良かったなと思った時はどんな時でしたでしょうか。③⾃分が変化したなと思われた時はどんな時でしたでしょうか。④沖ヨガの「本当の幸せ」とは、どんな幸せなのでしょうか。新潟〇〇さんの質問でした。

① 1977 年札幌の朝日新聞社主催の講演会がありました。その時に仲間何
人かと聴衆の一人でしたが、終わってから研修生の後藤さんだと思う
のですがもっとヨガを勉強したいと申し出たところ、朝日カルチャー
教室(当時)を新規開講するので指導者が必要と言われ、その後、沖
先生と面談して、3ヶ月道場に来なさいと言われました。そして指導
することがヨガを学ぶことであり、真剣勝負の場面を作りなさいと言
われました。
その時、大きな決断で、勤めていた会社を辞めて道場へ行くことにし
ました。道場では当時なかったのですが、指導員養成のような特待生
扱いで沖先生の外部講演会などに研修生の人たちと同行させてもらい
ました。沖先生の忙しい日々の生活を見る貴重な時間でした。車の中
ではほとんど口述筆記で沖先生が話しそしてそれを研修生が録音する
ためのテープが回っていました。車内は緊張だけで雑談など一切あり
ませんでした。沖先生のマスコミの取材ではテレビ局の駐車場で数時
間待つことも普通でした。
当時、道場では100人以上の受講生の中で哲学的なヨガを学ぶことに積極的な
人も 10人くらいいて、質疑応答の内容を咀嚼するために自己反省や
これからの目標など話し合ったことが思い出されます。
② もともと、京都生まれかもしれませんが坐禅をする機会がありました。
た。またキリスト教の集会にも行っていました。心のあり方に興味を
持っていたと思います。また同時に体を動かすことが好きで、陸上競
技や山に登ったりしていました。沖先生の講演会では難しいなと思う
程度でしたが、道場へ行くと、体の訓練、心の訓練が並行して行われ
ていることに感動しました。また同時に治病法や武道などが行われて
おり、たまたま、武道の受け身がまあまあだったせいか、沖先生にモ
デルとして前に出されていたこともありました。このように総合的に
訓練するというところに大きな関心を持ったと思います。道場の3カ
月を終えて即、近所にある合気柔術に入門したり、少し時間が空きま
したが縁があって公益法人北海道治療師会に所属したりしました。
長々と経過を書かせてもらったのはヨガというジャンルが多様性であ
ること、自ら学んでものにしていかなければならないことでした。
私はヨガの出発点がヨガ教師になること(生活がかかっていたので)
から始まりましたが、ヨガの心は忘れたことがありません。ボランテ
ィア活動もずいぶん行いました。初期には北海道連合会活動や老人施
設でヨガ指導など行いました。ヨガ指導をするまで社会人としての仕
事はどうしても部分の範囲の活動ですが、ヨガの範囲は広く人間が生
きていくのに必要なものはなんでも首を突っ込まなくてはなりませ
ん。それを学ぶのが面白くてここまで来たのかなと思っています。
③ 昔の自分を顧みて恥ずかしくてとても見ちゃいられないところがあり
ました。まず責任感の欠如は大きかったと思います。
高校時代のクラブ活動では会計係になってめちゃくちゃにしたことなどは
一例で、他にもありますが、個々に告白はやめます。
ヨガを学ぶにつれて、周りを広く見えるようになったこと、人の身に
なって考えられることができる、そして尽くすことでしょうか。
徐々に責任感も少しは出てきたようです。その中で失敗もありますが
それを踏まえて、ヨガ指導10年を経て法人設立、同時に先の
「北海道沖ヨガ協会」設立発起人、事務局長。多い時の北海道の
会員は全道(函館〜根室)11 教室 300 人の会員の時もありました。
それが全て沖先生の講演会、合宿につながっていきました。
④ 幸せの定義は広く、特に沖ヨガの幸せとはと、あんまり考えたことは
ないですが「世界を見たときにお前は幸せか」と言われると何も言え
ません。沖先生は国際奉仕団がヨガの発祥だったとよく言われていま
した。困っている人、病気で病んでいる人を救う活動に徹していたと
聞きます。そしてまた、自分だけが幸せになってどうするんだ、と厳
しい言葉もありました。世界と言わず、地域であっても自分ができる
こと、そして活動を通して互いに依存することなく、楽しく共に成長
することでしょうか。思いもしなかったことを探りながら思い出して
いくと、沖先生の奉仕団でやりたかったことは、アフガニスタンで活
動して来られた中村医師のような活動ではなかったかと思います。医
師だけの仕事でなく、井戸や用水路などを作って、周りを幸せに、そ
れも持続可能な幸せを作った人です。沖先生も世界中を回って「愛・
調和・喜び・聖・・」などの講演と修正体操で病人を救っておられま
した。 古い沖先生の写真でインドでの土木作業がありました。そう
いった活動で周りを幸せにすると同時に自分も喜びを感じること、自
他一如の言葉をよく使っておられました。
沖ヨガ道場付近で朝のマラソン

ヨガの先生がヨガ教室に通います

人生初めてヨガ教室に通います。
元教え子のところに、礼をとって学びにいきました。
今までオンライン、リモートでヨガを指導していたのですが、やはり対面はいいですね。男性だけの教室があると聞いて早速申し込みました。
やっぱり体が動きません。ひばりのポーズのように足を前に出す動きもスピーディではありません。よっこらしょです。


それでも自分で流れを考えないで声のまま動くのは気持ちがいいものです。
福住駅近く交通も便利です。また近くにスーパー「ビッグ」があり駐車2時間以上居て200円でした。話に聞くと無料の時もあるとか。。
昔ばなしや近況報告を延々としてから、レッスンが始まりました。先生のレッスンは懐かしいですね。水野式が残っています。私のアシスタントを10数年してくれました。

高齢者ですので初心者向きと前もってお願いしました。それでもきつかった。自分ができない動きをするのが大事ですね。自分の指導はできることしかやらないから、体に刺激が入って気持ちがいいです。できない動きもありました。ゆっくりとお願いしたので、それは安心でした。

先日、国際ヨガデーに参加しました。これも別の教え子の人たちが企画してイベントです。若い人が多かったせいか動きが早っかたのでついていけません。そういえば、私も昔は動きが早いとよくクレームがつけられました。何故か高齢になると動けないのです。72,3歳まで現役で1日2つくらいのレッスンを受け持っていたのです。今よりと言っても数年前のことですよ、それが動けないのです。毎日が大切とつくづく思いました。


私はリモートですがヨガ指導していますし、指導がない時はストレッチは30分以上やる、それに筋トレもやっているんです。なるほど、それが老化なんですね。おっと、老化は病気という本を紹介されましたがまだ読んでいません。「ライフスパン_老いなき世界」という本です。そう、老化は病気なんです。しっかりとリハビリして回復するつもりです。

ヨガ教室「マイトリー」へ毎週は行けませんが隔週程度に参加して、仲間とおしゃべりして、帰りに「ジェラテリア・ジェラボ」でジェラートを食べて帰ることにします。
また経過報告をいたします。

近況報告のついでに「国際ヨガデーの話し」を。
これも、教え子たちのヨガスタジオ「TRICO」主催で数年前から市内のヨガスタジオが集まって青空ヨガを開催しています。発祥の経緯は詳しくは(https://mizunoyoga.com/blog/wp-admin/post.php?post=1043&action=edit)で「国際ヨガの日」というタイトルで紹介しています。
今年のヨガデーは中島公園で開催されました。雨模様でしたが、始まると雨が止み、たくさんの方が集まりました。北見から教え子の方が参加され旧交を懐かしみました。ここの場所は水野ヨガ学院で青空ヨガをやっていたところです。10数年前にこの場所を見つけて初めて青空をやったのは、なんとtricoを主宰している方です。彼女が提案してパンフレットを作って青空ヨガを始めたのは2010年です。
ブログが残っているので紹介します。(https://mizunoyoga.com/blog/?p=393)


今回の会場は先生が輪の中心でその周りにみなさん集まります。私は前列に指定され、否応なく授業に参加しました。本当は後ろでときどきヨガそしてときどき見学のつもりだったのですが、こりゃたまらんですね。きつくて。途中2回退席しました。私の担当は初めの足指ほぐしと発声体操、そして笑いです。養成コース修了した人たちの私の一番の印象は笑いだということです。
青空ヨガは教室ヨガと違って気持ちがいいですね。雨が降っていても、大地を感じ、風を感じるのです。そして自分ができる限りのポーズを作って息をして心を解放します。
次回もまた参加します。よろしくお願いします。

高齢者における感覚器の改善について

はじめに
高齢者の方々は加齢に伴い、耳の聞こえの低下、言葉の不明瞭さ、喉の詰まりやす
さ、平衡感覚の低下、視野の狭窄化そして顔の表情の低下などの不調を感じること
が多くなります。これらの問題を軽減するためには、日々の適切なトレーニングや
ケアが重要です。ここでは、上記の向上を目的とした具体的な方法について紹介し
ます。
◯聴覚機能の改善方法
耳の聞こえを改善するためには、耳管を柔らかくし、通りを良くす
ることが大切です。そのために、以下の方法が推奨されます。
発声トレーニング
「アー」と「オー」の音を繰り返し発声することで、耳管を柔軟に
し、耳の通りをよくする効果があります。沖ヨガを学んでいる方は
「あおん」のマントラが大変効果的です。耳に響かすように行いま
す。下あごを動かして、あごを軽く動かすと耳管に刺激が行きます。
約1分間行います。
耳管通気法
軽く息を止め、耳の方へ空気を送ることで耳管の通りを良くします。要領は口を開
けているとあくびが出るので、そのタイミングで息を止めます。いわゆる耳抜きで
す。耳の聞こえが急によくなります。ただし気持ち悪くなる人はやらないでくださ
い。1日2回くらい行います。やりすぎはよくないです。
耳の周囲のマッサージ
耳の周囲をやさしくマッサージすることで血流を促進し、聴覚機能の向上が期待さ
れます。耳周りを手のひらで回すこと10回、耳たぶを5箇所(上、下、斜め、真ん
中)を外側に軽く引っ張る動作を3回行います。これを5回おこなう。
他に耳を手のひらで折りたたんで音を消す。30秒くらい。
イヤホンなど大きな音は聴覚を低下させる原因になります。静かな音を楽しみま
しょう。
◯発声機能の改善方法
NHK「あしたが変わるトリセツショー」(喉のアンチエイジング術)一部参考
食べ物の喉の詰まりや声の出しにくさを改善するために、以下の方法が有効です。
*ストロー発声法
ストローをくわえて発声することで、喉の詰まりを防ぎ、発声をスムーズにしま
す。5分くらい。高い音、低い音などで歌を歌ってもいいし、「あおん」の音もい
いです。下記のカードに「花」、「荒城の月」、「夏はきぬ」を載せました。
*パタカラ体操
「パ・タ・カ・ラ」と発声することで、喉と舌の筋力を鍛え、声の不調を改善しま
す。「パ・タ・カ・ラ」を一息で速く発声します。次に「パ」を一息で早く10秒間
発声し、次に「タ」・・・。もし若い人と比べると、発声速度に大きな差があるこ
とがわかります。
*舌を動かす
・舌を前下に出す
動作、のどに刺激がいくように10回くらい行う。ヨガでいうライオン(シムハ)
のポーズです。顔のマッサージになってシミ・シワの改善がある
という人もいます。他に「あいうべー」と最後に舌を出す方法もあります。10回
くらいです。
また舌を上、右、下、左、そして上・・・の動作を10回くらい行うこともいいで
しょう。
*「笑う」笑いヨガというのもあります。「ははははは・・」と2呼吸を笑いなが
ら声を出します。次に「ひひひひひ・・」同じように「ふ、へ、ほ」最後に「あは
はは・・」を2呼吸です。顔の表情がしまって年寄りくささがなくなります。
*「あえいうえおあお、かけきくけこ・・」などの発声で3回を大きな口を開けて
行います。「アイウエオ」でも良いです。滑舌防止です。
*「早口言葉」もいいですね。2回づつ読みましょう。下のカードに載せておきます。また
「付け足し言葉」も参考にしてください。
◯目のしょぼしょぼ改善 目の5分間体操
目の働きは脳と直接関連しています。平衡感覚にも関係します。車を乗る人は見
ていて見えていないことにならないように(特に周辺視野)練習しましょう。
「目の5分間体操」『目の5分間体操』については、YouTubeなどで検索してご覧
ください
『<実践編>目と脳の5分間体操』の内容は次のとおりです。
1.眼と首の運動 ー ウォーミングアップ、視線を定め首だけを動かす
(手を伸ばして指を見つめる)左右、上下、斜め、逆 回す 各4往復
2.眼球運動(跳躍性眼球運動) ー 顔は動かさず眼球だけで目標を見る
(手を伸ばして指を動かす)
 左右、上下、斜め、逆 回す 各10往復
3.両眼のチームワーク(輻輳) ー 両目で近くの目標に焦点を合わせる
 5往復(手を伸ばして指を見つめながら)
4.両眼のチームワーク(焦点の切り替え) ー 両目で焦点を切り替える
 2点(左右の指)、3点(左右と遠くの物) 各10往復
 (両手を伸ばして長短を作り、その指を見つめる)
5.周辺視の運動(有効視野の改善) ー 周辺視野を広げ有効視野を改善する
左右、上下、斜め、逆 各3往復(両手を広げて指を見る)
◯平衡感覚の強化
この機能が衰えると片足で靴下を脱いだり、ズボンをはくのが難しくなります。
また転倒の危険もあります。
衰える原因は目の働きであったり、半規管にある耳石の影響もありま
す。練習は手を何かで支えて、片足になる練習を行います。各1分間行
います。
絵がありませんが、両足で立って耳石を刺激するつもりで、頭を右にス
ライドする動作を5回、左にスライドする動作を5回行います。頭を左
右に倒しても良い。
この項目を作っている間に『スラックレール』なるもの
を見つけ実践しました。興味のある人はネットで調べて
ください。平衡感覚向上、体感力向上、リラックス効果
などの説明があります。
◯実践のポイント(顔の周りの神経の活性をカードにしました。)
高齢者の聴覚や発声の機能低下は日常生活に大きな影響を
与えます。しかし、適切なトレーニングを継続することで、その影響を軽減するこ
とが可能です。
ここでは感覚器(見る、聞く、喉、口舌、平衡)を中心にまとめました。その他に
も、ヨガストレッチ、瞑想、筋トレも欠かせません。
これらのトレーニングを効果的に行うためには、毎日、選択しながら継続すること
が重要です。以下のポイントを参考にしてください。
・一日 15分程度 を目安に実施します。
・無理のない範囲で行い、継続することを優先します。

インドラ・デヴィ女史の生涯

1899年〜2002年にかけて本格的ヨガ修行をしてハリウッドなど女優にも大きく影響を与えた西洋人初の女性ヨガ講師として知られるインドラ・デヴィ女史を紹介します。ここでは、ロシアで生まれてアルゼンチンで生涯を終えるまでのインドラ・デヴィの102年間の生涯を時系列で追っていきます。

世の中は広く繋がっている

沖先生の講義や書物の中でとらわれ、執着という言葉が何回も出てきます。そしてそれは道元禅師の正法眼蔵に書いてあるとのことでした。これは沖先生でなくても、仏教を少し勉強すればわかることですが、前から「正法眼蔵」には興味がありました。しかし難解で文庫本で全4巻という大作には手が出せません。
それで「正法眼蔵随聞記」というお弟子さんが書いたものなら読めるかと一部を手に入れました。そしたらこれもまた難解です。しかし前に般若心経の用語解説を試みたことがあり、諸行無常や諸法無我、涅槃寂静は聞いたことがあります。ということで、とりあえず、諸法無我について調べました。手強いですがまあまあついていけそうです。
この学びを少し続けてみようと思います。
このブログにも「般若心経について」(https://mizunoyoga.com/blog/?p=1302)「般若心経訳してみた」https://mizunoyoga.com/blog/?p=1749などがあります。
また鴨長明の方丈記や平家物語はここでは割愛して他の資料を参照してください。

なお「正法眼蔵」は(しょうぼうげんぞう)と読みます。正法とは正しい修行のやり方という意味です。有名な言葉の一つとして「仏道をならふは自己をならふなり」「身心脱落」「只管打坐(しかんたざ)」があります。

いまはググるといってgoogleで調べても「AIによる概要」が出てきます。GeminiというAIでしょう。ここではChatGPTに慣れているのこれを採用します。Geminでも同じ用語を調べましたが、少し曖昧な部分があったものですから。。。(今はAIといってもChatGPT,Gemini,Claude,Llamaなどがあるそうで、それらが相互に調べあっているそうです。)





「高瀬舟」を読んだ。(青空文庫:無料で20分くらいで読めた。)森鴎外の作品である。理由は諸法無我の考え方があると上記の資料にあったからだ。
内容は高瀬舟は江戸時代、罪人を遠島に流すときに、京の高瀬川を舟に乗せて淀川を下り大阪から島流しをする風習があった。(高瀬川は鴨川の西の先斗町などの歓楽街を流れている角倉了以が江戸初期に造った運河である。)
高瀬舟に同心という役人が罪人を船に乗せていくのが決まりであった。しかし今回はその罪人がいつもと違う様子である。落ち着いて、時には喜びをどこかに漂っているように見えた。同心は不思議に思ってお前はどいういう罪で島流しの罪をおったのかなどそれとなく聞いた。兄を殺したというのだ。その兄は病弱で弟の自分に生活を見てもらいすまない、すまないといつも口癖のように言っていたという。その兄がこれ以上弟に迷惑をかけることができないと、喉にカミソリ(小刀)を当てたが、失敗して死にきれず、喉のところに刺さったままになって苦しんでいた。それを仕事から帰った自分が見つけ、助けようとしたが、そのカミソリを取ってくれたら、この苦しみがなくなると言われ、苦しんでいる兄の喉にあるカミソリを取ってやると出血多量で死んだ。それを近所の人に見つかり兄殺しにされたという。
考えてみれば、自分の人生は辛くて何もいいことがなくて、仕事もきつくて、お金をもらっても右から左へと蓄えも何にもない。それが罪を犯してみると、仕事をしなくてもご飯が食べられる。そして島に流される時に支度金とまとまった金が支払われる。こんなありがたいことはない。自分の人生の中で有り難さに満ち溢れた心境であるという。
同心はこの話を聞いて、自分はどうなのか。嫁は同心の給料以上の生活を望み、毎日生きていることが地獄のようである。
有ることの不都合と、無いことの幸せをこの物語で対比した。
諸法無我は自分という自己を否定したところに喜びが得られ、執着や苦しみから解放される。この罪人のように何も無くなった時、しがらみなどが全て無くなり、周りに感謝や感動が生まれたために、溌剌としているのはそのためである。結果的に生きていることの喜び、人を含めた他の存在と相互に依存し合うことを理解して、繋がっていることに幸せを感じ入っている。逆に執着があった時は自分を守るために孤独になってしまう。

沖ヨガ修道場での一日

沖ヨガの特色は自分自身をより良い方向に変えるために、総合ヨガとか生活ヨガなどと称して心身や環境を総合してバランスをとることです。。 沖先生の晩年に発行されたパンフレット(1980年頃)には以下の内容で道場生活が紹介されています。沖ヨガ道場が無くなってずいぶん時間が経ちます。今でもそこで過ごした方々はすばらしいシステムであったこと、再現したいと望んでいますが、大変残念です。そこでは精神修養、肉体訓練は老若男女が一緒になって修行したものです(多い時は200名以上)。この沖ヨガのシステムをあまりご存知のない方もおられます。上記の当時沖ヨガ修道場で発行された資料から抜粋します。

今、これを読んでいると非近代的と言われるかもしれませんが、命の生きる力を発揮させる変化刺激、適応能力を身につけるためにこのようなカリキュラムで生活をしていました。この生活はずっと続くものではありません。自分の希望する日数だけ滞在します。滞在中は外部からの講師の方の講話があり、積極的に取り組めばこのような体験は日常ではまず不可能でしょう。イヤイヤなら地獄のようなものです。。そういえば辛くて道場から無断で帰った人もいました。後になって私の友人になり、沖ヨガ活動の中心になるのですが、自ら逃亡した〇〇ですと後日、沖先生に挨拶していました。

<< 起床 >

ある目的から、3時4時に起きることもありますが、普段は午前5時から5時半にかけて全員起床し、 身体を 浄めます。 洗面、 乾布摩擦、冷水摩擦をします。

<読経行法>

般若心経を読経します。 ここではおのおのの理解力に もとづいて般若心経を唱えますが、呼吸法として、また発声法として、また統一法として行います。 読経行法によって呼吸は長く深くなり、また丹田からの発声法を行うことにより心身統一が、安定力が高まります。 

<清掃行法>

ヨガは全生活を通じて求道せよという教えですから、清掃もたんに”そうじをすることではありません。 日 常生活をさせていただいている所、使用させていただいている一切のものに感謝し、心と生活の浄めを誓います。 

<ヨガ式マラソン行法水浴・滝行>

軽い柔軟体操を行ってから修道場付近の丘や山々ヘマラソンに出かけますが、どれだけの距離を走るかは本人の自由であり、無理に体力の限界を破らせることはしません。 また、逆走法、横走りなど独得の走法をしますが、 それは、あらゆる動きを禅定行とする練習で、 統一体、統一心、調和 (禅の三密) の体得のために走るのです。 マラソン (熱刺激) 後は、水浴 (冷刺激) をします。その後、朝食としてみそ汁を一杯いただきます。 みそ汁の中の生きた酵素は代謝を促進し、マラソンで出た塩分を補給します。また朝は体内の浄化作用が高まっていますから、食物を入れることよりも不要物を出すということに重点を置くという意味で、みそ汁一杯だけをいただくのです。 少量の食物が胃に入ることによって、腸のゼン動運動も促進されます。

<浄化行法>

身体面の浄化ということは、排便・排尿・排ガス・発汗、および残留エネルギーです。 すべての生物には、体外から栄養物を取り入れ、生活エネルギーにして不要な残留物を排泄するというエネルギーの出入りがあります。 この点人間の場合は文化生活をしていますので、エネルギ ーを残しやすく、また不要な残留物を出しきれずに毒としてしまいやすいので、これが心身の異常 (病気) 因となりますから、せいいっぱいの力をこめ、心身の不要物を出しきる訓練としての行法を行います。

<強化行法>

一日のスケジュールの前半の最後は、 強化行法です。 生命の働きは適応性の働きですから、楽なことだけをしていたら楽なことに順応してしまい、生命力は低下してしまいます。顕在の能力は、 実際にある潜在力の1/10以下だといわれますが、 あらゆる困難に見える種々の動作を行うことで、潜在力を引き出します。

また、個性別に弱さや歪みは異なりますから、その歪みを矯正する内容のことも行います。 また、強化法は体操をすることが目的ではなく、自分の体の状態を発見することと、心身の統一力、積極心を身につけるのがその目的です。

<食事休憩>

起床してから約7時間が過ぎたところで一区切りということになります。 12時半から午後1時にかけて、第1回目の食事をとります。

内容は、玄米、野菜、豆類・海藻、つけ物、野草、果実、山菜などの自然食で、献立は一日として同じことはありません。 変化させつつ、 バランスをとるのが自然法則に従うことです。食事は全員そろって合掌し、「栄養摂取の誓い」を行い、各自、自分に適したものを食べます。さて、食事の後約2時間休憩します。 この時午睡をとってもかまいません。 食事のあとはゆっくり休みリラッ クスして、身体が食事を消化・吸収することに協力します。 

<午後からの行法>

午後一番は、戸外へ出て自然に接し、スポーツをしたり、野草とり、散歩などを行います。 雨が降った時は室内で、体験発表会や輪読会などを行います。 野外で土を堀ったり、石を積んだり、畑仕事をしたり、また室内で月刊誌の原稿清書や発送の仕事をしたりする作業の時もあります。

<個人別修業-議義・質疑応答会>

戸外から帰って来て夕方からは、 個人別に必要な修業と、修正行法や改造行法の時間となります。 基本のアサナやプラナヤマ行法、また希望をとってサウナ・物理療法・武道・茶道・華道・ダンスなどいろいろなことを行います。もちろんこれらのことを通じて、心の持ち方・ 姿勢の取り方・呼吸の仕方ものの活かし方を学びます。 講義は、沖正弘導師による質疑応答会や、その他の講師 によって様々なテーマで人生全般にわたり、されます。 時には、修業生の人生経験豊かな人、珍しい体験のある人など様々な人々が、 お互い学び合い、協力し合うため交替で講義をする場合もあります。

<夕食 歌と笑いの行法、座談会>

午後7時頃に2回目の食事が出ます。 これはソバが一 椀で最後の食事です。ソバのほかウドン・パンおじや など軽いものが原則です。またこの食事はとってもとらなくてもよいことにしてあります。この夕食は、内臓に負担をかけないもの、消化の良いものを選んでいるわけですが、それは、夕食に消化と時間のかかるもの、交感 神経を刺激するものを食べますと、それだけ心身がくつろげず、睡眠も浅くなるからです。食後は、みんなで歌を歌ったり、笑いの練習(笑いの行法)などを行ったりします。夕食後の行法は、人々との接触、団らんの行法であり、自分を放下するとともに、じゅうぶんに人にも心を開放できるように努めます。座談会では、修業生が質問を出したり、それについての意見をみんなが言ったりして、いろいろと話をします。率直な意見が交換され、一人で考えていてもわからないことがわかり、またいろいろな事柄についての認識を深 めます。

<夜の冥想行法>

修道場での生活全体が、正しい感じ方・考え方・行い方ができる人間になるために仕組まれたプログラムですが、それはヨガのヨガたる唯一の行法である冥想行法の現実生活化ということにほかなりません。冥想行法は、統一・禅定・祈り三昧仏性啓発・法悦を一つにしたものです。ローソクの黒点やマントラを利用しての統一と放下(禅定・祈り)の練習が基礎です。

<入浴・感想文 就寝 >

入浴は、個人の選択と必要性で、水風呂・温冷交互浴・サウナ・酵素風呂・温泉・薬湯などいろいろが選べます。温冷交互浴は、自律神経の安定力を高めますので、入浴行法の基本となっています。

消燈 就寝までに各自は学習し、その日一日の講義や自分の修業などについて感想や反省を書き、頭の整理を行います。ヨガはすべてのことに心を結びつける心身一如の意識的生活と、知行合一の学び方を本旨としていますから、一事一事を教えとして反省し、分析し求道するのです。

以上にあげた日程はまったくの一例で、毎日変わりますし、あらかじめ修業生にスケジュールを発表することはありません。それはすでにわかってしまっているスケジュールは、修業生に”とらわれ、をつくりやすいからです。毎日変化させ、日程発表をしない原則で、慣れを防ぎ、適応力を高めるわけです。