イスへの立つ座るは職場や家庭のイス、ソファ、食卓、電車、バス、ベンチなどたくさんあります。この動作の間違いが積もり重なって首腰に負担になっています。小さな不具合だから感覚はほとんど知覚しませんが重なってくるといつか故障になりうると思います。
動作の基本は動作の最中は背骨が伸びることですから、座る時も立つ時も首も背中も伸びる感じをつかむことが大切です。その動作が漫画にしています。行って見るとわかるのですが、足で床を押したり、腹筋に力が入っているでしょう。ところがただおしりを上げる、お尻を下ろす動作をすると(いつもの動作です)首に力が入ったり、腰が緊張したりするはずです。
このような正しい動作の習慣を身につけて下さい。首や腰の緊張がかなり軽減されるはずです。
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歩き方
姿勢について 2012-10-26 の続き
”何か疲れやすい”というのはよく会話に出てきます。
心の問題も体の疲れやすさを招きます。心の問題は自分で気づいて解決できることもあれば、他から解決法を与えられるのも一つです。例えば、先の当学院のセミナーのような「心の成長を支援するセミナー」などを受講することも、またカウンセリングを個人的に受けることも大いに利用したらいいと思います。
要するに心身のアンバランスが”何か疲れやすい”と体に訴えています。
心には問題ない、病気とかそういうものではないとすると、体の使い方の問題になります。
「疲れない体」になるためには栄養剤やマッサージではなくて、体に負担をかけないことが大切です。間違った姿勢でいることは筋肉への負担が大きいのです。世の中には猫背を自認している人が多いのですが、前に倒れないように筋刺激を受けている背中などにはいつの間にか筋トレーニングの結果のように筋肉がついて丸くなっています。そしていつも負荷をかけているために柔らかくなることなく緊張し続け、不快を感じてしまいます。
「猫背になるのはやめる」(タバコをやめると同じたぐい)とウソみたいに楽になります。静止の姿勢「座る」、「立つ」は前項(姿勢について 2012-10-26 )にも”骨で立つ”とありますので省略します。
次に歩き方です。歩き方を間違えればやっぱり疲れます。
私はモデルさんの歩き方は知らないので、できません。
しかし疲れない歩き方はできます。足にハネがあがらない歩き方、靴が長持ちする歩き方、足が太くならない歩き方を紹介します。
漫画を見てください。右脚の運びを強調しています。右足はずっと後ろから股関節から振り子のように振り出していますが、その途中の瞬間がその漫画です。足首の力が抜けているでしょう。実際地面に直角かどうかはわかりませんが、力が抜けていればだらんと直角近くになるのではと思い、描いてもらいました。その脚は地面に着いていません。空中の状態です。そしてこの右足は振子のようにヒュッと振り出しています。そして後ろから振り出すときもけっして地面をけっていません。地面をけるからハネが上がります。後ろからこの漫画の状態まで足の甲は前を向いたままです。
ここのところをどのように表現するかといいますと右足の「甲を前に出すようにして歩く」、ということになります。
太古の昔から歩くことは基本です。間違った歩き方をしたら足を痛めるのです。歩くこと、この基本的なことをこれでいいのかと自問しながら歩いてください。
この歩いている漫画の女の子は下を向いていますが、これは良くありません。まっすぐ前を向きましょう。
{余談}山に登っていたときに重い荷物を担ぐときは少し重い靴を履くことといわれました。これもこの説明でわかるような気がします。荷物の加重のせいで重い靴ではなく、軽い靴だと足首の緊張が残って脱力ができないためではないかと思います。重い靴だとその重さで足首が脱力できるのです。足の疲れが脱力で取れて長時間歩けるのです。
参考漫画 拙著「体が硬い人のためのヨガBasic Lesson」
肩を楽にする
牛面のポーズ(ゴームカアサナ)の上半身を紹介します。
肩の構造は腕、鎖骨、肩甲骨から成っていて腕は鎖骨で胸骨だけに付いています。だから人間の腕は動物と比べて可動範囲が大きく、手を背中で上からと下からとで合わすこともできるのです。ただ力づくで腕を背中にまわしても痛い=緊張するので動くことはできません。肩の力を抜くことが大切で、補助をしている動画がありますので参考にして下さい。ポイントは腕をぶら下げているところと補助の人が力を入れないために手の甲で正座している人の腕を後ろへ動かしているところです。
kataworakuni2
次に一人で行う方法です。このポイントは他のところでもよく使う方法ですが、小指を強く意識することで肩の力が抜けます。そして体を反らすことが体全体が緩むことになりますので、何回も腕が楽に動くようになるまで楽に気持ちよく反らせます。手の指を使わないのもポイントです。指に力を入れると肩が硬くなります。腱鞘炎もこの辺に問題があるようです。上から下に下ろす方の手も体を揺すりながら下ろしていきます。腕は胸と背中の大きな筋肉で動いているのでこの部分をゆるめる動作をしているのです。
これも動画を見て下さい。
kataworakuni
肩の硬い人は痛くないようにアゴや胸や胴体を動かしながら腕をひっぱっると柔軟になります。痛くしないで動かすこと、軽くて楽に繰り返し動かすことで筋肉が緩んでいきます。
注釈:手の指を使わない意味は背中へ、ベルトなどを使って補助する場合がありますが、これは肩を硬くするだけで私は勧めていません。
穏やかな感情を保つスキル
心の成長を支援するセミナー第2弾 <感情を整える>
穏やかな感情を保つスキルを身につける方法
二宮嘉朗講師のセミナーを受講して
1. 感情の起源を考える。
無秩序にでてくる感情とは何か、それはどこからやってくるのか
図は感情はどのような形で発生するのかを示しました。このはじめの出来事から良くも悪くもなる最終結果の感情や行動に導く講義を私の理解範囲で述べたいと思います。
私たちは、ある出来事があると、それを見たり聞いたり匂ったり、味わったり、皮膚で感じたりなどの五感で感じます。(仏教でも色声香味触『しきしょうこうみそく』のできごとを眼耳鼻舌身『げんにびぜっしん』の五感を使って感じるという内容が般若心経の中にあります。)
その感じたものは大脳の中で「関心があるかないか」、それは「快か不快」などを解釈し自分の中であるべき姿、状態を評価します。下等な動物や虫でも危険か危険でないかの解釈をしますが、これはほとんど本能で、次の行動(逃げるか、闘うか、取得するか)に移りますが、人の場合はさまざまな経験を通して推論したり解釈したり、そしてあるべき姿を評価したりします。
そしてそれを「関心あるかないか」「快か不快」の感情となり、関心が無ければ感情は消滅し行動もおきませんが。関心があればそれに対して「快か不快」に対応した行動(表情、言葉、動き)をおこします。
以上が感情はどのような形で発生するかの段階です。
2. ネガティブな感情
不快な感情(悲しみ、怒り、いらだち、自責、失望、うらやましさ、後悔など)は誰にでも出てくる現象であり、不健康なことではありません。逆に当然あるべき感情を抑えることにより、不健康になることもあります。
出来事があり知覚し頭で推論や解釈するとき、様々なな推論が考えられ、それに対して感情が出てきます。例えば「何かの失敗」のとき自分の感情は悲しみになりますがこの感情にはさまざまなレベルがあり、ちょっとした悲しみもあれば、ネガティブなうつ状態的な感情から耐えられない不快感情まであります。その感情のレベルが問題であり、そのレベルが次の新たな感情になることで不健康=病的な感情になる可能性がでてきます。
図の②についての評価についてですが、不健康な感情には自分が持っている信念や評価基準から離れた出来事が起きたときに強くでるようです。例えば電車の中などの公共の場で男女各年齢層の騒がしい行動を自分がどのような感情を持っているかという設問がありました。参加者の反応は子供が騒いでいるときはそんなに不快を感じないのですが。中高年の男性が騒いでいると男性ほど不快を感じ、女性が騒いでいるとその場にいる女性ほど不快を感じることになりました。それは同性同年代ほど、評価基準が厳しいのでしょう。こうあるべきだと思う気持ちが不快の度合いを強くしているようです。
次にそれでは不健康な感情にならないためには推論・解釈するとき、どうするかというテーマに入ります。
3.評価を変える
先程の例でわかるように、自分の信念、自分だけで決めてしまっているかもしれない、常識的善悪、適不適、こうあるべきという発想を変えることです。簡単に変えることもできれば、できないこともありますがこのように評価を変えることで今までの無意識に出てきた不快な感情や行動は緩和されると思います。
図の②推論や解釈の部分をもう一度取り上げます。公共の中で騒いで最低と思うことは理性的に考えたらどうでしょうか。自分だけが「非合理的思い込み」かもしれません。絶対的要求(なければならない)もあれば(最悪)と思うことも、(ダメだ)(耐えられない)などは普通に現れる「非現実的評価」の現象です。本当に最悪でもなければ、命に関わることでもないのにそのように表現してしまっています。この「非合理的思い込み」は自分の狭い考えにすぎないのです。
4.自己啓発
この「非合理的思い込み」を自分で、又は他人から指摘され、考えをめぐらす行為を次の3点で行います。自分の不快な感情にいたる推論解釈は(現実的か=経験的に現実と一致しているか)(論理的か=独断的、絶対的でないか)(実利的か=目標や目的を達成することを妨害していないか)などと考える続けるのです。
そこから導かれる信念評価は初めに無意識にくだしたものとは大きく異なり、新しい信念に変わっていくことになるでしょう。すなわち幼いおとなから理性を持ったおとなに変貌するのです。この作業を通して気づきを伴った自己啓発ができるのです。
この自己啓発こそ、このセミナーの命題である「感情を整える」「穏やかな感情を保つスキルを身につける方法」になっていきます。昨今の複雑な社会、情報社会で自分自身のまわりで出来事が多すぎ、それらにひとつひとつ感応していかねばならない日常です。 当然不快な出来事も多々あり扱いを間違うと人生設計に取り返しがつかないことにもなりかねません。無意識に「非合理的思い込み」にとらわれて、状況を間違わないためにも、又自分自身の不快感情が大きく長く続かないためにも、この考えをときにふれて活用してもらいたいし、又私自身も「感情を整える」意味で大きなツールを得たという気持ちです。
心の成長を支援するセミナーの第1回の「あなたを変える幸せマネージメント」はヨガの中では感謝する心であり、第2回目の「感情を整える」は懺悔する心と私は理解しました。
世間一般のヨガは心の部分のアプローチが弱く、心の教えを信仰心へもっていったり個人の能力に持っていく傾向がありますが、私にはこのセミナーを通じてヨガ教室として何かヨガ講座の一部としてすすめられないか考えています。
貴重なセミナーを開催していただいた二宮講師に深く感謝します。そして次回のセミナーを楽しみにしています。
ヨガで向上したい
古い記事を見つけました。いつ頃か不明です。その記事の感想です。
ヨガは(ハタヨガは)体を通して心と魂を探る営み、行法です。多くの種類のヨガがあってもそのルーツは同じなのに、ヨガがラジオ体操になっているのに違和感を感じます。
私は毎夏、近所の公園で行われるラジオ体操に参加します。日本全国で同時に行われているラジオ体操は最近になって脚光を浴びています。しかし私にとってラジオ体操はあまりにも速く、機械的で、体の部分の一つ一つを感じることができないし、気持ちよさも、つながりも感じない動きです。それでも私は他から見えにくい片隅で自己流のラジオ体操をしています。そんなことまでしても参加するのはご近所さんとの一体感が好きだからです。
健康には体を動かすことは大切でヨガも散歩もスポーツクラブも大流行りです。しかしその単なるからだを動かすレベルのヨガや散歩、ラジオ体操では体や心の進化が見つけにくいと思っています。老化を遅らせたり、もっとチャレンジしていくためにはプラスα、目的、向上、変革が必要と思います。「思い」や「イメージ」を体や動きに結びつけたりすることは脳に対する進化向上です。こんな動きをしたい、と目標を持つのはヨガでいうポーズです。私もまだできない動きやポーズもたくさんあります。
学院のカリキュラムに入っているので否応なくできないポーズをチャレンジしていますがまだ完成していません。でも小さな可能性を探ることは面白いのです。つながりや刺激や部分の強化などを考え、きっといつかはできるだろうと思っています。動くだけでは心も体も動物的に現状維持です。体のしくみを知り、イメージを言葉に代える作業を経て、先人のテクニック(野口体操など)を駆使して目的へとチャレンジしていくことがヨガの世界でも大切だと思います。そこには健康を超えた何かがあるのです。生きる楽しみ、向上する楽しみこそがヨガの目的です。
「生命即神」を教えた師の意味を深く理解するために、からだ、いのち、自分の関係性を理解していきたいと思います。記事の中で体育とは「からだリテラシー教育の発見」の発想、先端科学(=情報・生命・脳科学)とからだの共通のことばを見つけ出すこと、と結んでいます。(意味不明ですが・・考えてみよう。)
新聞広告から
リンク先:身体を考える_新聞記事
生命力強化法
某日、「生命力強化法」をテーマとするセミナーがありました。沖ヨガの特色はこの生命力強化法(略して強化法)も大きな一つです。そのほかには食養、修正法もそうです。
講義レジメをもとに一部紹介します。
強化法は単なる体操でなく、人の生きる、たくましく生きる根源を開発する力があります。そしてその力の目的は社会に対する「ともに生きる」ことを自覚するためのものです。
以下にレジメから抜粋します。
☆自然性の回復法(現世人類になって5万年、文化時代として5,500年を経ました。(=3,500(メソポタミア)+2,000現代まで)そして農耕などの大多数の一次産業の時代が終わったのが100年くらい前です。今の生活はテレビ、書籍、外食、車バス電車、暖房、エアコン、学歴優位、経済優位となって、人の生命力の低下が目立つようになりました。同時に共同体の意識も低下しました。この文明下の中で生命力強化法は心身の強化を目的とし、基本的な身体能力の発達、積極心の育成、そして奉仕的活動ができる思考と体力を得ることができるようになります。沖ヨガの行持集の強化法では「私は自分の能力を発揮するためにも他に奉仕協力できる愛の行者になるためにも強い心と体が必要であることを自覚いたしました。」とあります。強化法は呼吸力を深くし、丹田に力がこもり、積極的に仏性力が発揮されるための「行」なのです。
具体的に強化法を行うと身体的に強化されるのは「体幹力」です。要するに体幹の筋力アップによってもたらされるメリットは以下の通りです。①基礎代謝が上がり太りづらい体質になる ②腹圧が高まるから1歩目が速くなる ③姿勢を矯正するからケガの予防につながる ④スポーツや運動能力の向上
これらのことは今までも良く言われてきていることです。基礎代謝を上げるために筋肉強化は不可欠であること、筋肉の減少で冷えやすくなったりするのはお年寄りや女性によく見られることです。
体幹力の筋を挙げてみましょう。インナーマッスルと言われるのは①腸腰筋(大腰筋・腸骨筋)②腹横筋③脊柱起立筋などで骨に近い筋肉です。体のコア部分にあたり、姿勢の調整や身体能力の基本的な部分です。
次にアウターマッスルと言う外側の筋肉は体や手足を動かす時の筋肉です。①広背筋②腹斜筋③腹直筋④大臀筋・中臀筋がそれにあたります。ウェイトトレーニングのように本来ならここの筋肉を限定して強化するのですが、私たちは強化法としてそれらの筋肉を総合的に強化することを目指します。
筋肉の働きは脳と直結しているために、強化法は行動や動きの目標を作り楽しく、使命感を持って、そして他人を思いやって、自他の能力を高め、安全を考慮する能力を身につけるメリットがあります。そうすることで筋肉は理想どおり「強く縮み」、「柔らかく」、「すばやく緩んでいく」状態になります。その脳との直結は、筋肉の中に運動神経と感覚神経でありそれらが共同作業を行っています。よって単なる部分強化やマシンによる無機的な強化でなく、総合的な強化になり、脳の開発法でもありメンタルなトレーニングにもなりますのでこの生命力強化法は最適の心身強化法だと思います。
次回は強化の種類を紹介したいと思います。
参考出典:・沖ヨガ行持集・体幹力を上げるコアトレーニング(木場克己著)・クリニカルマッサージ(医道の日本社)
姿勢を正しくする
新聞には姿勢をよくする記事が多く掲載されます。今回もこの記事を中心に他の面から説明をくわえたいと思います。
姿勢とは立つ、座る、寝るが上げられます。この記事の通り姿勢正しくとは「骨を意識」ことです。筋肉は動・か・すために存在し、疲れやすく、骨は支えるためと動・く・ために存在して疲れることを知りません。このように違いをわけることが大事です。
立つときは今回の資料通り、脛に意識をおくのがいいようです。座るときは座骨です。寝ているときは、いかがでしょうか。昔、西式健康法というのがありました。いや今でも十分通用する内容です。その西式では堅床で寝るというのがあります。私は硬いところで寝ろとは言いませんがふかふかのふとん、ベッドで寝ることは腰が痛くなったり、肩が痛い、寝苦しいなど弊害が多いのは周知のことです。割合、硬いところで寝ると骨に意識するので背中や腰の緊張が取れるのは間違いありません。寝ているときもやはり骨で支えるといいのです。
記事にあるように膝立ちでは、腿の骨、立っているときはすね骨を意識するとわかりやすいです。先日も片足立ちのポーズを脛に意識して行ったらふらつく人はかなり少ない状況でした。足の親指や肚の力を意識するのは、それは結果であって、脛を意識すると結果的に尻や肛門、肚に力が入っているのに気がつきます。決して逆ではありません。
次に歩き方が書いてあります。歩き方は腰で歩くのでなく、みぞおちから歩く気持ちとあります。それは足を動かしている大腰筋がみぞおちの裏側の脊椎(胸椎12番から腰椎1-5くらい)に付いているためでみぞおちを意識すると足がさっと前に出るのです。
これと同じことですが腕もそうです。腕の骨は鎖骨までが腕ですから姿勢が悪ければ鎖骨の動きが悪くなり腕も十分な動きができません。そしてこの上腕(肩から下の骨)は胸骨から出ている筋肉、大胸筋が主とした動きですから胸を意識すると動かしやすいのです。
次に呼吸のことも書いてあります。肺の解剖的な用語では上の部分を「上葉」といっていますが、私たちは上肺とわかりやすい言葉で説明しています。肺は肋骨の下部から鎖骨の上部分まで占めている大きな臓器です。呼吸法のときに息を吸うとき「下肺に空気を入れて、中肺に、そして上肺まで息を入れましょう、そして上肺の空気を少し出す気持ちで息を止めましょう」ということがあります。(完全呼吸法の一部)上肺に息を入れ続けると首に力が入るので、肩を落として首の力を抜くために「上肺の息を出す」という説明をしています。実際出ているかどうかはわかりませんが。。呼吸法のときに首に力が入ることをすると血圧が上がったりするのでそれを防止する方法が「息を少し出す」ということです。
この資料では知ることで動きが変わると説明しています。是非、そのことを理解して快適な毎日を過ごしてください。
リンク先:姿勢で気持ちも前向きに_新聞記事
頭の重さ・体の重さ
クラス授業では、初めにいろいろな呼吸法を行い、それから手や足を刺激して気の巡りを良くしそして体全体を整える動き(連動性)を行います。そして前屈系(長座、開脚、安定、合蹠)などを行います。この前屈系の動きをすると背中を楽になり、これから続く動きが楽になるために行っているのですが、受講生は背中を丸くしたり頭を下げて動作をしています。そこで、頭を下げないように言葉をそえています。癖であることはわかるのですが、この頭を下げる動作こそ背中や腰を緊張させるのです。
その説明として、頭の重さはどのくらいあるかご存じですかと尋ねます。体重の10%、約5kgくらいあるのです。実感がわかないのでお米5kというと、重いというのがわかるのですが、それでも自分の頭の重さと結びつきません。それで写真のように頭が重いということを実感してもらうと納得してくれます。しかし納得はするのですが改善するかは別のようです。また、頭を下げてしまいます。癖なのでしょうか。
この癖は思いの癖でもあります。それには動きの思いを強くしないことです。体を下げることは直感的に目を下に下げます。目にしても耳にしても「見・え・る」、「聞・こ・え・る」状態がリラックスしているのですが、普段は「聞いたり見たり」することが多いため緊張して目や耳を使います。パソコンの画面を見いるように見つめると、目だけでなく体にも緊張を作るようにです。
前屈系のときは周りが「見・え・る」ようにして目を緩め、頭を上げて、「倒す」思いを少なく、受身で体そのもの重さで倒れていくのがいいのです。頭を下げると背中の硬さで倒れる動きにブレーキがかかるのはやってみたらわかることです。5kの頭が肩からぶら下がると背中の周りの筋肉(僧帽筋など)が緊張するのです。頭を背骨としてまっすぐにしたり、あごを引く動作をすると背骨の周りの強い筋肉(起立筋)で支えるから背中の筋肉の負担が無くなり、ノー・ブレーキで倒れていきます。
このことは前屈系だけではありません。体の動きを作るときは筋肉に悲鳴、緊張を作るとブレキーがかかったり、損傷したりします。動きは心優しく丁寧に、心と体を結びつけることが大切なことです。筋肉が癒され、脳がリラックスの方向に行くことでしょう。(書き直し10/26)
催眠療法について
20年も前の新聞記事を見つけました。「催眠療法」の新聞記事は黄ばんでいましたが、画像処理で元に戻りました。
おもえば30年くらい前に「催眠入門」たる名称で2泊3日くらいの日程で学んだのが、かたの健康会館において立木寅雄先生の研修会でした。先生は催眠療法は催眠術とは違う、れっきとした心理学であり、治療法なのだと言っておられました。
その研修会の内容は記事の中あるものが大半です。また実習も行いました。早い動作を繰り返し行うことで意識が変性化することも体験しました。テンションが上がって自我が無くなるのはロックコンサートのような早い動作をおこなうことで集団催眠に似ています。研修会では変性意識の中でテレビなどでよくやっている、足にイスを置き、頭にもイスを置き、その上を人が乗るのです。意識はありますが重いとか耐えるという感覚は一切ないのです。終わってから確かに抑圧が外れたのか、周りの人に誰彼となく話しけたことを思い出します。このセミナーは私にとって大きな財産になっています。
あるときブリージング(呼吸法)セミナーに参加したことがあります。このセミナーはこの変性意識を意図的に行うものでそのことを知ったのはあとでのことです。これも大きな太鼓の音を連打させ(CD音楽)それに合わせて呼吸をするのです。延々と続けていると頭の中がしびれてきました。そしてそのセミナーは頭痛で終わりました。このようなセミナーはごめんです。
他にもこれと類するセミナーがあります。くつろぎのポーズであっても本来は難しいものです。眠りに入れば変性意識が得られないし、寝なければASCに入るけれど他者催眠になってしまい安全とはなりえません。(ASCとは催眠に入るときの変成意識のことです。新聞記事に詳しく書いてあります。)
それではどうしたらいいのかといいますと、他者に対して依頼心になるのでなく、自力で体をコントロールすることにつきます。ヨガのアサナはそういう意味で深いリラクセーションを得られASCになっていないかもしれませんがそれに近い状態になっているに間違いありません。
最後にこの新聞記事には座禅や瞑想がASCへの最終の目的であるとありますが禅とて野狐禅となって独りよがりの妄想禅になったり、瞑想も同じように自分は神だと言い出すことがあります。大きな宗教組織ではそれを防ぐシステムがあります。
禅や瞑想、催眠について警告のようなことばかり述べましたが、変性意識の効果は計り知れないものです。正しく用心深くこの催眠療法に取り組んでもらいたいと思います。
記事の中の要点を抜き書きします。(この記事はs63年当時のものです。)
○催眠を病気の治療に役立てる
○力が抜けたのは催眠状態に入ったからであり、眠っているのはない。
○意識もあるし周りの音も聞こえる。うっとり心地よい状態になりストレスも取れる
○誰でもがすぐに催眠状態に入れるのではなく、治療と訓練が必要だ。
○意識はあるが心身がリラックスした状態をASC(=意識はあるがちょっと変わった状態)という。
○ヨガや座禅瞑想などは最終的にASCをめざしている。
○この状態に達すると自律神経のバランスがとれ、体の恒常性の保持が最大限に機能する。
○催眠状態になると批判や抵抗する力が弱まるので被暗示性が強くなる。
○ASCの状態になった人に潜在意識に働きかけることにより病気の原因であるストレスやこだわりを取り除くのが催眠療法の基本。
○催眠療法でASCへ導くのはむつかしい。
○民間で行っているケースがあるが注意が必要である。
○ASCに導くために心療内科医が指導しているのが「自律訓練法」
○自力でASCに到達する訓練を行うのが自律訓練法、他人からの暗示によって心身の緊張を取り除く方法が催眠療法。
○催眠法は持続性が乏しく他医療面での問題が起きることがある。
リンク先:催眠療法_新聞記事
力を抜く
力の影響
前屈のポーズをするとき、体の重さを感じて下さいと説明します。それはほとんどの方がポーズは「する」「やる」ものと思っているからです。私はここがヨガは体操ではないところだと強調します。ヨガのポーズのときは、できるだけ自分の意思を出さずに自然の力にお任せになる、力を抜く、リラックスすることで、不思議な、未知の世界に誘(いざな)われるのです。
そこで力の影響を調べるために以下の写真のように重い物を頭にのせたときと軽い物をのせたときにどのように変化するかチェックしました。
まず重い水を入れたペットボトル2キログラムを頭にのせて前屈を試みます。その重さは重くて首に力が入り、また力に負けて頭が下がって本人は耐えています。前屈できるような雰囲気はありません。
次に軽いペットボトル330グラムを頭にのせます。一瞬力が入りますが、耐えられる許容範囲ということがわかると、がんばったり抵抗したりすることをやめます。そして力が抜けてその重さに素直になって重さだけの抵抗になります。そしてどんどん上体は倒れていきます。頭には330グラムだけの負荷があり、それを支えるだけの力を出しているだけで、胴体の重さはおそらくそれ以上であるために胴体の重さで股関節から倒れていくのです。
その倒れ方は力を抜いたために新しい可能性が現れる(未知の世界に誘(いざな)われる)ことになるのです。
重いペットボトル2000ml
軽いペットボトル330ml