般若心経を訳してみた

2019年4月にこのブログに掲載したのとダブっているかもしれないが、それのバージョンアップ版として書いてみた。第7回コラボヨガセミナーの資料に使いました。合わせて読んでもらえば幸いです。
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般若心経について
釈迦の教えは生老病死の苦から逃れることのできる教えです。
移ろいゆくものはすべて空であることを知ったら、苦しみから免れることができると言っています。
般若心経は空の教えです。

知恵の教え
修行中の菩薩が言うには知恵をつければ苦しみから免れると。
その知恵とは肉体も心の働きも、物も空である。
空とは何か。何も無いことである。何も無いのだ。 あれもこれも何もない。死ぬことも老いることも無い。
苦しみから逃れる方法もない。
菩薩が言うには何もない空を信じることが最高の知恵である。
過去の悟りの師もこの知恵によって、悟ることができた。
この知恵を身につけるために呪文を説くことが大切だ。
素晴らしい呪文である。
ぎゃていぎゃていはーらぎゃていはそうぎゃていぼじそわか
作・水野健二

訳語解説
”空”とは移ろいでいく世界のこと。
般若心経は知恵の教えのこと、真理の法ダルマに目覚めること。
真理とはありのままの姿。ありのままの姿をありのままに見ることを知恵という。

五蘊皆空の五蘊とは
心の働きを受・想・行・識という。そして身体のことを色という。この五つで五蘊。
受とは感覚器で受ける働き、想は思いを作る働き、行は意志の力が生まれる働き、識は
是非を作る働きをいう。
色は形あるもの変化するもの、欲望の対象にあるもの。

無明とは煩悩のこと。心経ではその無明を自覚せよという。
煩悩とは貧(とん)瞋(じん)痴(ち)。
受想行識という心の働きが言動の発端になって 煩悩を生み出す。
貪(むさぼ)るべからずを貪る。瞋(いか)るべからずを瞋る。愚痴る べからずを愚痴ること。

苦集滅道は四諦(したい)といって釈尊の最初に説かれた四つの真理の教えである。 初転法輪という。

苦諦「人生は苦なり」生老病死の四苦から逃れることはできない。
四苦八苦の続編は愛別離苦、怨憎会苦(おんぞうえく・怨んで憎んでも別れ られない苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく・求めても得られない苦し み)、五蘊盛苦(ごうんじょうく・身も心も苦しみの原因を抱えている)

集諦はこれらの苦しみは煩悩による業が集まって生じたものだ。
滅諦は苦から逃れ、幸せになるにはおろかさと欲を断つことである。
道諦は愚かさと欲を断つ方法は「八正道」を実践することである。
※「八正道」 は「八支則」に似ている。

八正道とは
仏教の修行の基本となるもので正しい見解(考え方)、決意、言葉、行為、生活、努力、
思念、瞑想をいうとあります。(広辞苑出典)正思・正見・正語・・・
理性の鍛錬・精神の鍛錬・意思の鍛錬

ヨガの八支則とは社会的鍛錬、身体的鍛錬、精神的鍛錬
1.やっちゃいけないこと。 2.やらなければならないこと。
3.アサナをすること。 4.呼吸をすること。 5.感覚をコントロールすること。
6.集中すること。 7.とらわれないこと。 8.瞑想すること。

仏教の根本教理に三法印がある。
諸行無常 あらゆるものが常に変化していく。
諸法無我 あらゆるものが互いに深く関連している
涅槃寂静 心の安らぎこそが真の幸せであり、実相の世界(宇宙の心)を感じ取れることである。(仮相の世界は苦難や迷い。)

別の般若心経の意訳

https://mizunoyoga.com/blog/? p=1302#more-1302
2019.4.2 水野ヨガ学院ブログ参考

オンラインヨガレッスンで考えること

ZOOMを使うオンラインレッスン(オンライン略)を初めたのが5月30日。以来7ヶ月が過ぎようとしています。レッスンの内容も徐々に変わって、最近はyoga week by weekという書物を参考に動きを作っています。ただ、ヨガイコール体操ではないので、ヤマニヤマ を入れ、アサナを作り、そしてプラナヤマ呼吸法、瞑想を時間が少ないなりに入れないとヨガになりません。ヤマニヤマは沖正弘導師の「生きている宗教の発見」という沖先生が亡くなる数ヶ月前に発刊された書物から抜粋して使っています。
 オンラインは「画面の共有」があるので資料を作ったものを、それに載せて説明しています。オンラインの時間は1時間と決めているので、内容的には盛りだくさんになります。資料を作るのも、「生きている・・」を活字に変換しなければならず、手間がかかりますが、書物として読んでいた時よりもしっかりと理解ができるのはありがたいものです。
 また「・・week by week」も1年間52週を一ページ毎に掲載されているのですが、アサナにしても、日本語訳がないものも多く、いちいちwebサイトで調べています。それでもしっくりいかないものが多々あります。それにこの資料は初めは呼吸法で始まり、そしてアサナに入りますが、それがあまりそれぞれ関連性がなく、動きに統一感がありません。立ったり座ったり反ったり座ったりなのです。そこは前からやっている、ほぐす、緩めるという流れを作っています。

 その流れの中で一番意識することは、背中の柔軟性を作ることです。背中が柔らかくなれば、腰も動きやすく、前屈などしやすくなります。やはり動きの基本は前屈だと今でも思っています。すなわち背中を緩めることなのです。そしてその方法はいろいろな形で捻るのですが、背骨、胸椎の捻りを意識することを強調しています。胸椎の横突起はスライドしてねじれを作っていると説明します。しかし思うように捻じれないのは背中の筋肉が硬いからです。

 そしてこのねじりの時に肩甲骨の動きを強調しています。(例えば右へ背骨を捻るときは左の肩甲骨が背骨から離れ、右の肩甲骨は背骨に近づく。)これに限らないのですが、骨の動きを意識することは、「今、ここ」を大切にするマインドフルネスにつながります。アサナを作ることに懸命になると体から意識が無くなります。いつも骨の動き、体の動き、手の動きなどに意識を置くことが、動禅たるメディテーションになるのです。
 呼吸法は個人的にはワンパターンで行なっていますが、オンラインのときはバライエティな呼吸法を調べながらやるのは本当に役立つものです。呼吸が血管を柔らかくすること、体の体液循環に役立つこと、ガス交換を効率的に行えること、最高のリラクセーション(リラクゼーションは和製英語と書いてあった)になります。そのためにはこのオンラインでは時間的に少なくて、呼吸法で効果的を出すには10分以上というが定説です。
 最後にオンラインの環境ですが、いろいろ問題がありました。音が小さい、写りの範囲が狭いなど。。それでロジクールのwebカメラを導入し、音が解決しましたがパソコン(macbookpro2018)やこのwebカメラは会議や対話するものなので、視野が狭いのです。それであれこれ調べているうちに、ビデオキャプチャーなるものを使うと、持参品のSonyコンデジカメラ(コンパクトデジタルカメラ)RX100M3が使えるとわかり、視野が広くなり、また聞いたところでは画像がすこぶるきれいになったと言います。そりゃーこのカメラ、古くなりましたが新品で7万くらいしたのですから。。

 他にヨガマットですが、解散した後、古いヨガマットだけで何も無いので厚さ12mmを購入しましたが、やはりマットはブランド品がいいみたいで使いづらく、学院に敷き詰めてあった18枚のうち4枚くらい欲しいと言われ渡してあったのを1枚ゲットして、快適に使っています。
 ということで快適にオンラインをしていますと締めたいところですが先日、パソコンの電源が抜けてレッスンが途中で終了してしまいました。多分ビデオキャプチャーの重さで抜けたのでしょう。抜けたままレッスンを続けたみたいで、それ以来、チェックを厳しくしています。ということで、これからも有意義なオンラインを続けていきたいと思います。

コラボ5の予告と貴重な資料

8月から始めている、新潟市の山田晃先生との沖ヨガを振り返って、オンラインヨガセミナーが5回目になりました。初めはコラボと言いながら、好き勝手に沖ヨガ道場の話をしてましたが、この数回はきちんとカリキュラム内容を統一して、中身の濃いセミナーを開催しています。まず案内の資料は以下の通りです。そして今回は五体投地を行います。基本的にこの五体投地は108回行います。以前、瀬戸内寂聴さんが天台宗の得度を受けるために3000回やったという話を聞きました。今回私たちは出来る範囲でゆっくり、30分くらいやろうと企画しています。又前回に修正法をしたのですがそれが途中で終わってしまったので、その補講もやろうと思っています。



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夜景を撮りにいきました

某月某日
コロナ禍がまだまだある中、札幌。旭ヶ丘公園に夕方出かけ、札幌市の北側の夜景を撮りにいきました。まず驚いたことは人が多い。家族づれやカップルがたくさん来ています。その中で三脚を立て、じっと夜景を睨んでいる、男二人。レンズシャッターを絞り込んで25秒のシャッター速度。小さな三脚でよくぶれなかったと感心です。

そして帰りに、俗称石山通の歩道橋に上って、又パチリと。コロナ禍で土曜夜とあって車の量が少なく、あんまり綺麗な写真が撮れません。おまけに散歩途中、カメラ持って三脚なし、小さなカメラをポケットに街路灯に押さえつけてなんとか。

円山動物園に行く

連休前の小雨降る、悪条件の中、カメラに詳しい友人と円山動物園に行きました。目的は写真です。幼稚園児、小学生の団体がたくさん来ていますが、いたって空いています。明日からは混雑するでしょう。いちばんの目的は北極クマ。迫力ありますね。人以外の動物界の頂点にいるそうです。

エゾシカ・オオカミ館では見慣れた鹿だけど、堂々としていました。そしてオオカミはずっと寝ていた。ちょっと残念。
・・とか何とか・・でアップダウンのある坂道、そして建物中、階段と結構歩きました。13000歩です。4時間くらい居て帰る頃には雨が止んでいました。

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羊ヶ丘展望へ散歩

コロナ禍の最中ですが、展望台は入場無料のせいか、次から次へと車が入っていきます。たまに私みたいに、歩いて入っていく人もちらほら。クラーク像のところは写真に収めようと人だかりです。キッチンカーも泊まって、ランチを提供しています。賑やかな土曜日の午前でした。私はソフトクリームを買い、記念写真を撮り、ジャガイモを家人の分も持って帰りました。

 

オンラインヨガレッスン

6月初めから無料オンラインヨガレッスンを始めました。解散以降、あってない人と会えて、また札幌を超えて、オホーツク地区、新潟、時々ですが愛媛とかオンラインの時空を超えた能力に感心します。

そして9月からは有料になりますが、気軽にヨガに接してください。オンラインのメリットは何と言っても出かけなくてもいいということです。それにほとんど見られていないので、できなくても恥ずかしくないことです。そして人と話し合ったり、情報交換できるということは素晴らしいことです。

9月のカリキュラムは掲示板に発表していますが、ヤマニヤマ のところは沖正弘先生の語録をこれからテーマにしていくつもりです。

オンラインヨガレッスン15
目をリラックスしよう(瞬き、視点移動 、etc)
沖先生の語録:ヨガとは何か
 一番基本になっている心というものを養い、高め、強め、清めるには、一体どういう体を作ればいいのかということから、体の訓練がくっついとるわけ。心だけのやつを「修養」というんだ。体だけのを「修行」という、生活だけのを「修業」という。これを全部合せてのヨガ、わかるね。
だから、そこが普通の肉体訓練とは違う。普通の肉体訓練は、心とか生活から離れておるのが大半なのよ。それを唯物的と、こういう。心だけのを唯心的という。唯物だけでも困る。唯心だけでも困る。一緒にしたものがヨガ。(沖正弘選集13_p2Q&A)
1(心がまえができると体をていねいに扱うことができる)
アサナ:体を楽にするテーマ:ほぐすことの大切さ
  五感を通して内部感覚を意識する
 半月のポーズ(内蔵の強化/ヘルニア調整)
 バッタのポーズ(脊椎下部調整・膝強化)
  大切なことは自分の体を観察する習慣を持つこと。
2(体が整うことで呼吸が楽になる。)
 プラナヤーマ:発声体操
      (肺機能高める呼吸法です。)
 3(体と呼吸が整うことで心が素直になる)
ディアナ:ソーハム瞑想法 (あなたと私)   <出所不明>
 吸う時 「ソー」 吐く時 「ハム」を心で繰り返す。
  私は太陽です。太陽は私です。
  私は空です。空は私です。
  私は宇宙・・
  私は花・・・。・・鳥・・。・海・。・山・。
  あなたは私です。私はあなたです。
  全ては一つです。すべてはつながっています。
宇宙創成の100億年前にビッグバーンであらゆる元素が均等に宇宙にばらまかれた。多くの銀河の元素組成はそのためによく似た構成になっている。
すなわち、私という存在の元素組成は山や川や鳥や太陽や空と同じなのだ。合掌
水野健二
「質疑応答」全文
  (沖正弘先生晩年のヨガ行法の中心はQ&Aであった。)
1301(沖正弘選集13_p2Q&A)(当時の雰囲気のままに言葉を訂正していません。)
 (ヨガ体操を行じながら、物理療法や漢方薬を併用してもいいのでしょうかという質問)<ヨガとは何か>
 あのね、ヨガはどんなものかというとね、精神修養が中心なんだ。それが出発だ。人間も動物の一種だけど、動物の中で心が優先しているのは人間だけ。人間以外の動物は体が優先している。いちばん心身の異常を作り出しやすい元になってるのは心なんだ。
わかるでしょう。
 だから、そういう心のための体の訓練がヨガの肉体的訓練になっているわけ。わかるね。どうしてそういう結論に達するかというと、自己を支配しとるものは、自分の中で働いている命の働きであるからである。
 他物に頼ってみても、自己の中の力が高まるわけじゃない。力というものは、使ったほど高まる。使わないほど弱まる。だから、例えば病気の場合でも、いくら他物に頼ってみたところで、自分の中にその他物を活用するだけの力がなかったら、「これは、こういう効能がありますよ」と言ったって、ある人にはあるかもしれないけど、そのもの自身に効能を引出すだけの力はない。
 例えば、ある人がいい話をしたとするね、その場合でも、百人集っている人が同じような受け取り方をするかというと、決してそうではない。その人の、いいかね、受け取り態勢、理解能力、その人の体験で、同じ一つの言葉の捉え方が違うだろう。それと同じこと。だから、他物は、頼らなきゃなん時は頼るべしだ。頼っていいんじゃない、頼らなきゃならん。ところが、多くの者は、今言った、己れの力を高め、整え、清めるという基本原則を忘れてしまって、他物にだけ頼ろうとする。それが、いいかね、人間世界への弊害を生み出している。
 他物に頼る学問というのは非常に発達しているんだ。医学なんてものすごく発達してるじゃない。治療法なんて、ものすごく発達してるじゃない。薬物学なんて、ものすごく発達してる。「もう要らん」というぐらいだ。「これでもか、これでもか、これでもか、これでもか」と、効能を並べ立てたものが毎日生産されている。
 ところが、本当の事を知らない奴は、その他物の効能に惑わされちゃうんだ。「これはこういう効能がある」って言うと、それがそのまま自分に当てはまると思っている。「そんなはずがない」て言ったって「そんなはずはある」と言う。だから救われない。
 ヨガはそういう愚かなことを言わない。他物に頼ってもいいから、まず、自分の頼る他物が最高の効能を発揮できるような自分を作ることを、まず第一番にする。他の人に「助けて下さい」と言っていいんだよ。しかし、他の人に「助けて下さい」という場合は、自分が出来るだけのことをやって、それから他の人に「助けて下さい」と言え。
 これは正しいんだ。「俺は俺の力だけで生きる」なんて言うてみたところで、それは不可能なこと。だから、ヨガは「正しい生き方をしろ」ということ。他物が必要な場合は、他物の協力を得るのが当たり前である。
 ところが、例えば、病気を専門に研究する医学と称しているものには、阿呆みたいなことをやってるじゃないか。薬を使ったって治らない病気に薬を使う。薬で治るんなら、皆んな薬のんでるものは、治ってるはずじゃないか。色々、薬をのんでみても薬で治らない、ということは、その人にとっては効力がないということよ。絶対に体はウソを言わないんだから。命が、「本当なら、この薬はあなたには効能がないんだけども、折角、一生懸命飲んでんだから、じゃ効能を出してあげましょうか。」とウソを言うと思うか。
「本当は、あんたはハリは効かないんだけども、お灸なんか熱いのを我慢してんだから、あんたの我慢に免じて、治るようにしてあげましょう。」なんて、やってくれないんだ。
 だから、いいか、沖ヨガ以外は全部ウソばっかり言ってる。沖ヨガの特色は、「絶対にウソを言わん」というのが特色だ。沖ヨガの場合は、絶対に他のものを否定しない。なぜかというと、それが必要な人には必要なんだ。先日も、こんな女にね、誰かくっつく男があるだろうか、と心配しておった女が、(俺は本当に嬉しく思うんだが、)「こんな男の嫁さんになる女がおるだろうか」と思っていたところで「結婚します」と言った「あー、一人の男を救ってくれた」と嬉しく思った。
 だから、否定もしない、肯定もしない。否定も肯定もしないという、いいかい、純白なる立場をとるから誤らなぃ。誰が何と言おうとも、いいものはいいんだ。誰が何と言おうとも、間違いは間違いだ。だから、ヨガにとっては学説は関係ない。知識も関係ない。民族別も関係ない。何にも関係ない。ヨガは本当のことだけを求める。
はい、次。
 (沖正弘選集13_p2Q&A)
このQ&Aを読んでいると、当時の沖ヨガ修道場や札幌での合宿講演会後の「質疑応答」の場面を思い出します。 大変緊張した時間でもありました。当然正座です。シーンとしています。道場ではあるときは100人〜200人くらい在籍していました。後ろの方では英語やスペイン語、中国語で訳しているグループがいます。
それを体験している我々は、札幌で合宿があると同様に緊張していました。スタッフだけ10~20名くらい集められ、「質疑応答」が始まります。車座になって、夜遅くまで続きます。終わるとラーメン買ってこいと言われ、大きな鍋を持って1時2時頃ススキノに車を走らせ、藻岩山にある、合宿所の東本願寺まで帰ってくると、かなりノビテています。一筋だけ沖先生は食べ、うまい美味いと言って、食べろ食べろというのですが、ノビテ冷えています。残したり捨てたりしたらまた怒られるので数人で美味しそうに食べました。
当時、北海道には門下生が10位のグループをつくり、沖先生の来道を機に講演会合宿をしていました。沖先生の千歳空港への送迎は全部私がやりましたので、ずいぶん個人的に接する機会があったのは恵まれていました。と、懐かしい思い出がこの「質疑応答」で湧いてきました。
最後にこの「沖正弘選集」は20冊以上有り、膨大なテープの中から「テープ起こし」をされたものです。ボランティアの皆様に感謝しつつ、引用させていただきました。合掌

コラボオンラインレッスン1を終えて

先日、新潟ー札幌間をオンラインヨガレッスンを行いました。参加者は恵庭、江別、訓子府、網走、上越、南魚沼、大阪の方々が、ご自宅からオンラインで結ばれて、講師の質問などに答えたり、講師の動きなどに合わせて90分を楽しみました。
普通、オンラインレッスンというと、顔を合わせた授業と比べて、極端に短いのが普通ですが、我々のオンラインはあっという間に時間が過ぎ、90分を過ぎてしまいました。
次回また企画しますので、沖正弘先生について関心ありましたら是非ご参加ください。

西岡公園の水源池にて

Wikipediaでは西岡水源地のことをこのように説明しています。
<自然観察の場として広く市民に親しまれている公園のシンボル>

明治42(1909)年、旧陸軍第7師団歩兵第25連隊は、月寒川上流に軍用水道として月寒水道を建設しました。この取水塔はその時完成した水道施設の一部で、昔はこの塔まで渡ることの出来る小さな橋もありました。月寒水道は道内近代水道施設としては、函館、岩見沢に次ぐ歴史的にも貴重な遺構です。昭和46(1971)年の白川浄水場完成で用途廃止後、この水源池は西岡公園として整備されました。豊かな自然環境の中、六角錐型の取水塔は西岡水源池のシンボル的存在となっています。

カメラを持って散歩

我が家から歩いて20分くらいのところに、西岡公園があります、その中に水源地のという大きな貯水池があって市民の散策の場所になっています。

カメラと三脚を担いでテクテクと。

(動画容量が260mbあるのでダウンロードするのに時間がかかるかも)