赤レンガ庁舎訪問

天皇陛下のご病気お見舞いに北海道庁(赤レンガ庁舎・旧本庁舎)へ記帳に行きました。ここは24年前、昭和天皇ご崩御にお悔やみの記帳をした時、以来の場所です。
天皇陛下は順調に回復されている報道もあり、記帳所は閑散としていました。ついでにと滅多に入ることのない庁内を見学しました。ここはもう記念館としてのみ使用とのことで、その西側に現在の庁舎が地下2階、12階の建物がそびえています。
明治21年築とのことで、今は北海道の歴史記念文書などが陳列してありました。このブログで紹介した松浦武四郎の大きな肖像がクラーク博士と共に絵画として陳列されていました。
今、札幌は180万都市として栄えていますが100年前までは未開の土地だったのは感慨深いです。
写真は琴似に入植した屯田兵、作られた当時の赤レンガの絵、クラーク博士の島松駅舎での別れ、松浦武四郎の絵はこの下にアイヌの人たちの絵があります。そして現在の赤レンガ庁舎です。
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さっぽろ大通公園

教室からの帰り際、聞いたことのあるお囃子につられて大通公園に向かいました。たくさんの人が盆踊りを踊っています。歌も演奏もライブです。バスの乗り遅れないように時間を気にしながら写真を何枚か撮りました。このお盆をさかいにして秋風が吹くのですが、今年はいつもと違うようです。
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盆踊り

夏の恒例の盆踊りが始まりました。やぐらを立てて紅白の幕を張り、子供がその上に登って太鼓や鐘のお囃子と北海盆歌(♪ちゃんこちゃんこっちゃんこっちゃんちゃんこちゃん 手拍子揃えてちゃちゃんこちゃん♪ ♪はぁ~ 北海 名物ぅ~ は~どうしたどした♪  )のラジカセ音楽で大人も子供も輪になって踊ります。案の定、遠くから遠征組がいます。近辺の町内では日を変えて開催しているので、それらを回っていると結構楽しめます。中には公園でカラオケ大会をする町内もあります。写真では踊る人まばらですが、周辺の柵に座ってご近所さんがたくさんいて、情報交換です。へえ~、そう~、誰それはどこへ行った、あの子は東京へお嫁に行ったなどなどです。やぐらでは高額アルバイトを狙って人気があり、お囃子もうまいものです。このようにして夏の風物詩は終わりました。ちなみ、最後のラジオ体操はお疲れさんということで景品をもらえるのですが、残念ながらこの日の朝は寝坊をしてもらえませんでした。来年また頑張ろう。
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都庁展望台から

久しぶりに時間があり都庁で人と待ち合わせです。都庁展望台は45階にあり、202メートルあるそうです。札幌JRタワーは38階160メートルだからかなり高い。入場料は札幌は700円、都庁は無料です。レストランもあるのですが、セルフサービスです。いつまででもここにいられます。ただセキュリティチェックは厳しいかったです。東京は広いですね。完全に田舎者です。数十年前は数年間ここで暮らしたのに。でもね、あとで東京で長い間暮らしている人にホテルまでの道案内を頼みましたが、全然わかっていないのです。これだけ広い東京だから身辺だけが詳しいのです。何でもわかるというのは意味のないこと、今自分がいるところ、今自分がしていること、その部分が大切なのだと思いました。部分即全体の考えです。
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平安神宮

所用で京都へ行った。今年はまだ神社で年始をしていないので、平安神宮でお参りをした。神さんの本山はお伊勢さんに出雲神社、そして平安神宮もまあまあの格だと思っていたが歴史はきわめて浅いことが判明した。以下に説明文がある。「1895年(明治28年)3月15日に平安遷都1100年を記念して平安京遷都当時の天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創建された。」だそうだ。いつも道民がお世話になっている北海道神宮とあまり変わらないのだ。しかし「平安」という言葉は好きである。「平和」でもないし「安心」でもない。ヨガのくつろぎのポーズのときもよく使っている。「あなたに平安がきますように」「平安な日々を楽しんでください。感謝してください」と。
カシコミカシコミで始まる祝詞は神さんとの会話であり生死を約束する人間社会の初期の生活すべてを表しているという。日本では古事記の中で神話が出てくるが、これがもっともっと奥が深いらしい。とても手に負えないとあきらめていた「白川静」が今ブームになり漢字の成り立ちは神との約束事が詳しく当時の人たちが神との会話が成り立っていたことを説明している。甲骨文字は神との駆け引き、証文だったらしい。それが日本に来て仮の文字、すなわち、かなになったと。野口三千三の体や動きの説明がいつも「白川静」を参考にしていた。読解力を身につけ、ヨガの授業に役立てたいと思う。Photo

紫野の散策

ゴールデンウィークに家族で京都へ行きました。そのおり隠れた名所名跡ということで今宮神社、あぶりもち、大徳寺を見て回わりました。目当てはあぶり餅です。京都を離れてこれで3回目の訪問になります。わたしの高校はこの今宮神社、大徳寺の境内の中にあるのです。かといってけっして神道系や仏教系の高校ではありません。クラブ活動の打ち上げやコンパはこのあぶり餅屋でやっていました。当然アルコール抜きですき焼きや闇なべ(真っ暗にして一応食材を入れて)で盛り上がりました。このお店は神社の参道の両側にあって本家、元祖と名乗っています。活気ある呼び込みはムカシと同じです。私は神社に向かって左側のお店しか行ったことがありませんでした。今回初めて座敷に上がっりお茶を飲んでゆったり時間をとって春の心地よい風情を楽しみました。一人前500円でした。

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当時高校3年生になると昼休みひとり抜けて大徳寺の中のたくさんの小さなお寺の塔頭(たっちゅう)があり拝観して回りました。それぞれで拝観料がかかり、高校生の身分ではかなわず途中であきらめました。大徳寺は臨済宗のお寺で塔頭ではその庭やお茶室などに興味があったのだと思います。ずっと後になってヨガが禅と大いに関係があるということで黄檗禅や曹洞禅、臨済禅のお寺で座禅をしたことがありました。そのルーツはこの大徳寺だったのです。

秋の散策

休日の朝、ぶらっと近くの山の中に入った。キノコ採りのグループに時おり会う。今はラクヨウだそうだ。みそ汁に入れるとうまい。しかしほとんど誰にも会わずどんどん奥の方へ入っていく。見通しが利かないのでどこを歩いているのかわからない。当然地図も持っていないし、水も持っていない。散歩スタイルである。キノコ採りのおじさんにあんまり奥に入らん方がいいよ、迷うよ、と言われてていたので不安いっぱい湧いてくる。熊が出やしないか、スズメバチの大群に襲われやしないか、ましてやオバケが出ないかと妄想にかりたてられる。
むかしむかし、おじいさんとおばあさんが住んでたという昔話の中にとなり村に峠を越えて用事で出かけたという状況はこんな様子であったのだろう。今は昼間で散歩だが、夜にこの道を歩くというのはかなり厳しい。昔は昼までも追いはぎも出たのだろう。追いはぎだけで命まで取らずに衣服を奪うところがロマンチックである。

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と、妄想がいっぱいの中、明るいところに出た。峠みたいである。おおっ、ここは!。遠くに日本ハム本拠地のドームが見える。現在地がわかってからは勇んで山を降りた。山から下りて10分ほど歩いたら見覚えのある住宅地にたどり着いた。ひょっとしてと携帯電話で連絡をするとすぐ近くに親戚の家が。やれやれと大昔の一山越した親戚の家に来た気分であった。何はともあれすぐに水を所望した。

上賀茂神社

私の本籍は京都市北区上賀茂○○。今は親戚の誰も住んでいない。そこで生まれたというだけである。後年、近くに京都産業大学ができた。この上賀茂(かみがも)と上賀茂神社はそれほどポピュラーな名所名跡ではない(拝観料はタダ)。史跡仏閣から歴史的に遠い昔、地理的にも離れているからであろう。神社の歴史は神代の代までさかのぼるらしい。天皇家のもっと前だ。賀茂族という宗教的儀式を行う氏族が全国に散らばったていたという。

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私の幼少ころ、昭和27年頃、この地はまだ整備されていなくて誰もが小川で、能楽の舞台で遊んだ。まるで近所の公園のような存在だった。
ちょっと京都を留守にしている間に世界遺産になってしまった。畏れ多い存在になった。ちなみに京都三大祭の一つ「葵祭り」は下賀茂神社と上賀茂神社を往復する平安貴族のお祭りである。このあたりに住む中学校の同級生の名前も「位田いんでん」「幡野」という律令を思い出す苗字であった。この界隈は家の前をきれいな水が流れる川に橋がそれぞれが架かっている独特の町並みである。