某大学の入学式

某大学とはUHB大学のことです。この大学は正式な学校ではなく北海道文化放送が全国に先駆けて来たる高齢化社会に向けて生涯教育の一環として活動をしている文化センター?です。設立1987年です。60歳以上が入学できて、週一回の出席で午前中は一般教養で大きなホールで著名な講師がする講演に参加します。午後からは選択科目でヨガや太極拳、英会話、書道etcの講座から一つ選び少人数のクラスで授業を受けます。文化センター?と書きましたが、活動は立派な大学で入学式、修了式、修了証、皆勤賞4年で学士、6年で修士課程・・とあるのです。
今年も入学式があり選択科目の講師数十人が壇上に並び、新入生に簡単な挨拶(頭を下げるだけ)をします。学長は北大名誉教授であり札幌がんセミナー理事長の小林博先生です。小林学長が入学式のときよく話題にされるのがサムエルウルマンの「青春」です。何回も聞いてもいい詩です。
というわけで前置きが長くなりました。「青春」をここに掲げます。というのは50代くらいの人でも知らない人が多いのです。これは60歳すぎないと理解できなしかもしれません。

青 春
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二〇歳の青年よりも六〇歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき始めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地に這い、精神は芥となる。
       
六〇歳であろうと一六歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心
おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓がある。人から神から美・希望・
喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲歓の氷にとざさ
れるとき、二〇歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波を
とらえる限り、八〇歳であろうと人は青春にして已む。
       サムエル・ウルマン 「青春」

次にここの「某大学の入学式」のブログとは全く関係ない詩がありましたので掲載します。
これは年を経るとこのようになるという戒め、励ましの詩です。気をつけましょう。

老人六歌仙
しわがよる ほくろができる 腰曲がる
頭ははげる ひげ白くなる
手は震う 脚はよろつく 歯は抜ける 
耳は聞こえず 目は疎くなる
身に添うは 頭巾襟巻き 杖眼鏡 
たんぽ温石 尿瓶孫の手
聞きたがる 死にともながる 淋しがる 
心は曲がる 欲深くなる
くどくなる 気短になる 愚痴になる 
出しゃばりたがる 世話やきたがる
またしても 同じ話しに 子を褒める 
達者自慢に 人は嫌がる

仙厓義梵 江戸時代 禅僧

昔も今も変わらないものですね。60歳以上の人、戒めですよ。
義梵は臨済宗の僧侶で「まるさんかくしかく」の墨絵があります。
gibonsankaku
この絵は雑誌の付録にありました。
また自由な生き方をした人で狂歌も発表したといいます。たとえば
美濃国において新任の家老が悪政を行ったことに対して「よかろうと思う家老は悪かろう もとの家老がやはりよかろう」という狂歌を詠んだ。これで美濃国を追放されたそうです。
また、辞世の句に「死にとうない」といったそうです。
これは一休宗純も同じということを伝えています。
(wikipediaから抜粋)