命を食べる

「牛を屠る」という本を読みました。屠殺場(とさつば)の話しです。情景がありありと見えてきます。特殊な柔らかいナイフ、一つで解体していく様子は日常と全く違う風景です。マグロの解体店頭販売と全く異なります。観念した牛はうつろです。職人はいたわるように手早く、丁寧に次の命につなぐためにムダを作りません。そして格闘している職人、牛から暑い様子が伝わってきます。ともに38度以上の熱が交差しているのです。
のどかな牧場で牛が放牧され、大切に育てられ、そしてトラックに乗せられ、市場に出され、そして私たちの口に入る、そこにはそのようなプロセスがあるのです。

魚の好きな人はすべてを食べ尽くすのが命に対して礼儀であると言います。それよりももっと大きな動物は感情もあり、自分の宿命を悟り、私たちの食卓に上るのです。これを感謝せずにはいれるわけありません。ヨガは生命即神です。人の命だけでなく、食する生き物も神の存在です。大根も果物も命です。いつの間にか私たちは食べることの意味を忘れてしまいました。著者は自分たちの職場を屠場とは決して言わないと言います。屠殺場という、殺という言葉を使うのは敬意を表している言葉だと言いました。

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