所用があって京都へ行きました。なにげなく歩いていたらかの有名な(全国に高校があるので)大谷大学の門に出会いました。たぶんこれは裏門でしょう。写真のような掲示がしてありました。なるほど、生きるのに必死だった親鸞聖人のことばのようです。当然は私は聖人のことは何も知りません。信者でもありません。卒業生でもありません。でも丹羽文雄の「親鸞」を読んで感銘を受けました。僧侶としてはじめて堂々と妻帯した人です。生活の中に、そして庶民に宗教を教えた人です。お寺は要らない、仏像もいらない、ただ「南無阿弥陀仏」という名号だけで良いと生涯、寺は持たず越後、関東、そして京都と流布したそうです。
ちなみに歎異抄は親鸞の口伝で自分の実子を破門させなければならなかった頃の心中を述べているそうです。師の言いつけにそむき、独断専行する実子を勘当する親鸞、そしてこの世の嘆きを憂う一節がこの標語なのです。