太宰府・筑豊

2019年4月 大学時代のOB会に出かけました。いつもは関西でする予定が福岡県筑豊地区です。私は北海道から出かけるので前泊、そして後泊しなければなりません。それで皆に会うまでいろいろ観光しました。太宰府、小倉城など訪れました。

令和は万葉集の中の太宰府に読まれた歌の中にあります。夕方遅くでそのものには見ることができませんでした。
太宰府の境内です。
小倉城下には宮本武蔵が細川家に逗留していました。巌流島の戦いの像です。
メンバーの一部と合流
春香。筑豊はかって石炭で栄え、史跡と万葉の里とキャプションにありました。
源じいの森で待望の宴会です。


石灰岩の採取場です。
こんなトラックが何台も走り回っています。
筑豊の石炭王の贅を尽くした庭園です。伊藤傳右衛門と書いてある。
庭園の一部です。
歌人白蓮の生い立ち。傳右衛門のもとを去って駆け落ちして社会主義運動に向かった。

山本作兵衛の記憶を頼りに炭鉱夫の生活を絵と文字で300枚を綴り、ユネスコ世界記憶遺産に登録された。

沖正弘先生生誕100年祭に参加しました

19年11月インド大使館にて生誕祭があり、全国、全世界から弟子が集まりました。イギリス、ベルギー、ブラジル、、北海道から6〜7人、沖縄、長崎などなど、懐かしい顔が。同窓会の雰囲気です。

式典の一幕、珠数孝さん、フェルナンドさん・ベルギーの、イギリスの・・、樋田先生。
懇親会です。
We are the world を歌いました。

その後、久しぶりの東京を散策しました。何気なく原宿辺りをぶらつき、明治神宮に多分初めてだと思う、行きました。原宿の路地ではコマーシャルのような映像を撮っている集団にも遭遇しました。

よく知っているブランドのお店がたくさん
何やらの撮影中です
明治神宮の入り口
そして参道
本殿です

台風21号及び北海道胆振東部大地震の顛末

2018年9月5日未明台風21号は北海道に上陸しました。我が家の前の林が揺れに揺れ、大きな音を立てていました。外に出てみると小枝が折れ、葉っぱが散乱しています。出勤のためにいつも通りバス停に行きますと道道(どうどう)には車がまったく走っていません。

バス停ではたくさんの人が並んでいましたが一人減り二人減りでとうとう3人になりました。並んでいた人の家族の車で地下鉄へ便乗させてもらいました。途中でわかったのはドーム近くの並木が倒れて道を封鎖していた、そしてその迂回のための通りも渋滞でもう一つの路線も止まっていました。
帰宅の時その路線バスに乗って倒れたポプラを数えて見たら30本以上ありました。根こそぎ倒れていました。農場試験場の畑が丸見えになっているところもあります。後日の写真です。

そしてその夜9月6日3時8分頃地震です。突き上げました。そして横揺れ。ギシギシと。長い時間です。テレビをつけると地震速報を流していました。厚真方面ということです。そのうちにプツンとテレビが消え、家の照明が消え真っ暗です。外へ出て見たらどこもついていません。街灯も。空を見たらなんときれいな星空が広がっていることか驚きです。
それからヘッドランプ懐中電灯、ラジオ、電池各種をテーブルに並べ情報収集です。テレビと違って情報量が少ないです。とんでもないことが始まっているようです。
5時には夜が明けましたが、電気釜が使えません。圧力鍋で白米を炊きました。玄米と違ってすぐ炊けるようでしっかり焦げました。また焦げうまいものです。もちもちしています。次回は3合を7分で沸騰、5分炊き上げ、そして消す。昼ごはんはこれでうまく行きました。
水も断水しているところがあるとのことで20Lポリタンク4つに水を入れ、風呂にも水を張りました。トイレは初めバケツを用意していましたが、手動レバーがあることに気づき安心しました。
ところでバスは止まり、電車も止まりました。当然JRもです。バスは信号機が使えないためだそうです。ということで自宅待機です。スタッフの松野さんに電話入れ、自転車で教室を見てくると言って、休講の張り紙も出してくれました。
朝方になるとだんだん携帯の電波が届かなくなったので、家を出てコンビニの近くへ行くとつながりました。本州の方面からたくさんの被害見舞い伺いが来ていました。隣の家の人がランニング姿で走って来て職場まで走るかタクシーを捕まえると言います。車庫のシャッターが開かないのでどうしようもないとのことです。趣味でランニングするのと出勤で走るのとわけが違うそうです。コンビニでは真っ暗の中を列を作って買い物をしています。レジはどうしているのかな。
我が家のシャッターも開きませんが、地下室から入れます。しかしドアの向こうは車です。しかしドアが少ししか開かないのです。頭は入るが腹がつかえて開きません。悔しいです、反省です。家内に同じことをしてもらって、解除バーを操作して手で開けるようになりました。
車で街に出てみると警察官が手信号で車をさばいています。大きな交差点では4人くらい。小さいところでも二人、またはなしです。そろそろゆっくり走ります。街中の住宅街では2時頃すでに電気がついていました。すごいと思いました。
そして夕方には我が家にも電気がつきました。やれやれと言った感じです。電気のありがたさに感謝です。しかしまだ札幌の中心は電気がつかないとのことです。やはりテレビでの情報、一見は百聞にしかずとはよく言ったものです。被害が大きい、山が崩れ生き埋め、清田区は液状化で家が傾いている報道です。この報道で知り合いからの電話やメールが来たのでしょう。安否伺いは嬉しいものです。
翌日になって、朝7時頃犬の散歩でガソリンスタンドの前を通るとズラーート並んでいます。
話しをしたら風評かもしれないけどガソリンは1週間ほどこない、タンカーが止まっているなど聞きました。でも次の日には我が家の車は並ぶことなく満タンにできたとのこと。暇つぶしに並んでいるような気がしました。いや本当に電気がなく、仕事もないと暇をつぶすのに大変です。報道でも車で街へ行っても電気がつかないところが多く、すすきのなど中心部はまだです。教室に行ってもビルは真っ暗、エレベータも使えません。セキュリティは外してあり玄関も空いています。警備員のおじさんも暇そうに椅子に座っています。ビルに入居している会社員も行くとこないと行った感じで、たむろし携帯をいじっていました。向こうのグランドホテルは電気が消えているのにその隣はついている感じです。暇つぶしにスタバに行こうと思っていたら、当然真っ暗。真っ暗がいつまで続くかわからないので教室に戻り、携帯のランプを頼りに植木を持って帰ることしかできませんでした。
9月8日土曜日朝になり、ようやくバス電車が動くとなって、教室へ出勤です。普通の1日が始まりました。教室では皆さんの無事を確かめました。高層マンションの人は大変だったみたいで、電気がないのでエレベータも使えず、水を確保するためそして買い物に行くために15階を5回往復したとのこと。。
みなさん無事でよかったですね。普通が一番いいけれど大自然の恵みと災害は同じものなんです。人間側の、こちらの心がけしだいですね。奢る事なかれでしょうか。またたくさんのメールや電話の安否伺いをいただきありがとうございました。

後日、わかったのはこのブログ作成している「さくらインターネット」のサーバーが何のトラブルなく稼働していたことに驚きの声が上がっています。このサーバは石狩データセンターがあり、非常用発電設備で問題なく動いていたそうです。備えあれば憂いなしです。

そして大きな災害に遭われた厚真町の皆様、清田区の皆さまのお見舞いを申し上げます。

国際ヨガディー札幌フェスティバル

札幌市内のヨガ教室が集まって国際ヨガディーのフェスティバルが開催されました。当学院も含めて8教室が協賛ということで名乗りをあげました。数十年前に札幌でヨガ活動を始めた頃、なんとか同業者の集まりができないかと模索したことがあります。時代が変わって札幌市内もたくさんの教室ができました。それぞれがユニークな活動をしています。今回参加させてもらって、というより見にいった感じですが、男性もそして幅広い年齢層で、雨がじゃんじゃん降っているの中で大いに楽しんでいました。私の知っている人も出演し、また参加していました。これからもますます盛況されますように。

国際ヨガディーの発祥について。
第1回ユネスコ「国際ヨガの日」記念祭
インド大使館への招待案内(2015.5)文から抜粋。

国連は2014年12月11日、インドのナレンドラ・モディ首相の提案を受け、毎年6月21日を「国際ヨガの日」に制定することを宣言しました。6月21日は夏至に当たり世界で初めてヨガを始められた日として知られています。この提案には日本を含む177カ国という国連決議としては史上最多の共同提案国が参加しました。ヨガはインド発祥の修行法で、現代では健康法として広く受け入れられていることは認められています。
2014年9月、国連総会の演説でモディ首相は、「ヨガは古代の伝統からのかけがえのない贈り物、心身の統合を具現化する。運動としてだけでなく、自分と自然との調和感覚を発見させるもの。」と訴えました。モディ政権は同年11月、ヨガ大臣を任命し、ヨガ・アーユルヴェーダ省を創設しました。
日本としてもヨガを広く取り入れることによって、末永い国民の繁栄並びに日印文化交流のさらなる発展を願うものです。

知床ツアー

2018年6月22-24日、当学院のメンバー6名と網走・紋別・ウトロのメンバー5人で知床&網走ツアーを行いました。去年の12月に企画が上がり、中止、続行などすったもんだの末のツアーです。企画はすべて網走の方々で進み、私たち札幌勢は至れり尽くせりの旅行でした。

網走エコセンターではヨガのワークショップを行い、北見のヨガ指導者や2年前にインストラクター養成を修了した人たちと交流を深めました。たくさんの方達と一緒に過ごせた中身の濃い3日間でした。

知床へ行きたいと思った動機は2年前の網走青空ヨガの企画からでした。会場の天都山から見るオホーツク海の先に見えるのは知床半島でした。天気が良くてかなり先まで見えました。

ということで実現しました。

京都青もみじ散策

2018年5月27-29日父母の法事を兼ねて京都へ行きました。パンフレットを見て今、京都のお寺では紅葉ではなく青紅葉で満開だとのことで観光バスで東山方面のルートを申し込みました。

5/27は父の13回忌に当たります。妹夫婦も欣浄寺に集まりお坊さんにお参りしてもらいます。その後、野洲方面に移動して、近江牛岡喜でディナーです。北海道の美幌、割烹田村も美味いけど、岡喜の料理は素朴で和食、寿司からビーフシチュウまでバラエティな味を楽しみました。

翌日から京都観光です。前もよく行っていたのですが、単発で観光地を周り、疲れたと喫茶店に入ったり、入館料が高いから入り口で帰ったりして数はこなしていませんでした。今回はそう言うことがないように観光バスに乗ることになったのです。

東福寺は創建は鎌倉時代。南都東大寺と興福寺から東と福をとって名付けられた臨済宗大本山。
まずは東福寺天徳院


天徳院は桔梗の寺、花の寺と言うそうです。

東福寺通天橋(つうてんきょう):紅葉と新緑の名所、方丈と開山堂を結んで架かる。


東福寺通天橋;青もみじがきれいです。



東福寺 方丈 八相の庭  方丈とは僧侶の住居を意味し、応接室となった。広い方丈には東西南北に4つの庭を作った。方丈の四周に庭を巡らしたのはここだけです。

永観堂:浄土宗西山禅林寺派総本山:もみじの永観堂とみかえり阿弥陀は有名です。法然上人を宗祖にしています。


やすらぎ観音の前

南禅寺;臨済宗南禅寺派の大本山です。「山門」は入り口に立っていて目立つ建物です。赤レンガのローマ水道橋に似た水路は琵琶湖から初めて日本人の設計により疎水に引いたものです。



南禅寺方丈庭園です


南禅寺境内の水路閣と言います。この上にきれいな水が走っていました。

南禅寺 法堂の前でお参りしました。


南禅寺山門に登りました。絶景です。


知恩院 浄土宗の総本山です。京都四条通りを東にまっすぐ行くと八坂神社、その先が知恩院です。阿弥陀様の本願を信じることで誰もが救われる浄土宗を開きました。その弟子の親鸞の教えは彼の弟子たちが浄土真宗と称することになりました。

伏見稲荷 数年間日本で一番外人観光客が多いところです。入口しか行かなかったが、着物を着た男女が多数いました。

渉成園 東本願寺の飛地境内です。徳川家光から1万坪寄進があり、庭園、お茶室が有名です。隠れた観光地でした。

これは梅でしょう。

◎本願寺の成り立ち
親鸞が広めた念仏浄土宗は死後、遺骨を吉水(円山公園近く)に廟堂を建てました。弟子たちによって親鸞聖人の教えは浄土真宗と呼ばれるようになりました。そして3代上人の後年になって本願寺の名前を使い、戦国乱世時代に8代上人の蓮如によって教団化していきました。そして比叡山と戦い、織田信長と戦い、大阪石山合戦もありました。その後、豊臣秀吉によって堀川七条に現在ある西本願寺の場所に本願寺の土地を寄進されました。その頃教団の主導権争いで家康側についた上人はその後、関ヶ原の戦いを経て徳川家康によって現在の東本願寺のあるところに寄進され、東本願寺を設立しました。

東本願寺 京都駅から歩いてすぐにある東本願寺は建物もバカでかい。

西本願寺


ということで天気に恵まれ、満足した京都観光でした。